気紛れが過ぎたか―――― 草薙京は自分を取り囲む土の香のしない乾いた森を、ぐるりと見回した。 乾いたと言っても、枯れているわけではない。ただ、湿度が日本のそれよりもずっと、低かった。 密集している木の葉から時折漏れてくるものは、彼が背にしている日輪ではない。それよりも淡く薄い、かそけき――――けれど意識を連れていかれそうなほどの深さを持っている月光であった。 当もなく、他国を歩いていた。 武者修行と言えば聞こえがいいが、思いつく壗気の向く壗…………まるで何処かの餓えた狼のようだと、快活な笑みを浮かべた青い瞳を思い出す。 日本に、留まりたくなかった。有体に言えば、平穏に留まりたくなかった。ユキに心配をかけるだろうことは……ユキだけでなく、大門や紅丸にも心配をかけてしまうであろうことは理解していた。けれど、自分の内から沸き起こるものが、平穏を拒んだ。その中で鋭利なものを体内に含み、押さえ、留め続けていることが、出来ない。――――父親も、同じだったのだろうかなどと思ってみる。こんなふうに、見知らぬ土地の森に惑うことが、あったのだろうか。 見上げる木々の枝には、何かの蔓が巻き付き、垂れ下がり、すだれのようだと思う。これを伝って登れば、太い幹を寝床と出来そうだ。幼子の冒険心が沸き起こる。 登ってみようか。 蔓はしっかりと複雑に太い幹に絡み付き、あまり体重をかけないようにすればいけるかもしれない。 手を伸ばし、蔓を掴もうとした瞬間、視線を感じて動きを止めた。何かが自分を注視している。 視線は一つ。 目だけを動かし、居場所を探る。身を潜めているらしいことはわかるが、それ以上のものが感じられない。背を幹に押し付け、木々の間に、草むらに視線を這わせる京の意識が、引っ掛かる場所があった。迷わず踏み出し、拳をたたき込む。 「くらえぇっ!」 ざっ――――炎を纏った拳の真横を、何かが掠めて背後に着地した。振り向き、腰を落として見据える。 ぐる、るるる、ぅう―――― 低い、唸りと息を吐き出しながら、瞳を輝かせた獣が居た。京の唇が楽しげに歪む。 「群れては、いないようだな」 彼に向けられている視線は、目の前にある一つしか感じられない。 「はぐれたのか、もとからか……ま、どっちでもいいけどよ」 挑発するように手のひらに炎を揺らめかせ、握り、霧散させる。骨肉の奥に大気を凝らせながら見据える。その様子に反応した獣が、低いうなりを発しながら京の様子を伺ってくる。 空気がゆっくりと鋭くなっていく。 やがてそれがピィンと皺ひとつないものになっても、一人と一匹は微動だにしない。 この感覚は、少し似ている。 そう感じた京の唇がわずかに歪んだ。 「ガッ――」 空気の変化に、短く吼えた獣が飛ぶ。腰を落とし、相手の思う間合いの内側へ京が入り込む。 「くらえぇッ」 京の拳が熱を持つ。相手の腹部めがけて横殴りに入れる。 「ゴッ」 くぐもった音を発して、涎をたらしながら飛んだ獣が幹に激突する。普段ならば、ここで獣は去っていく。けれど、京は警戒を解かずに獣が体制を整える前に追い、更に拳を叩きいれた。 「ボディがお留守だぜっ」 ゴフッ――と獣の口から液体が飛ぶ。吹き飛んだ獣の体は深い草の先へ消えた。それでもまだ、京は迎え撃つ体制を崩さない。しばらく様子を見、それでも気配が動く様子が見えないと踏んでから、やっと短い息を吐いて緊張を解き、髪を掻き上げた。 「燃えたろ」 指先に炎を燈し、イタズラっぽく言うと獣が落ちた場所へ背を向ける。気まぐれが過ぎたとしても、面白いことは起こる。 「こんなところで、アイツを思い出すなんてな」 つくづく…………と一人ごちた京の頬は、まんざらでもない気色を浮かべていた。