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緋の砂

  暗闇の中で一人、幸村は立っている。――――立っているらしい。というのも、闇というよりは黒というほうが似合う空間で、上下の感覚が無いからだ。足の裏に地面の感覚が無い。ただ、立っているような格好をしているから、立っていると思っている。目を凝らしても何も見えない。何も感じない。それなのに幸村は、不安も不満もなく――――懐かしさを感じていた。
――――ここは…………。
 浮かぶ疑問も黒に塗り潰される。赤い彼の鎧も、褐色の肌も、黒に塗り潰されずにいるのが不思議なくらい、黒しか無い。
――――ら、……き、む、ら。
 どこかから、声が流れてきた。ひどく懐かしい気のする声音が、幸村を呼ぶ。
――――む、ら……ゆ、き、む、ら。
 ぼんやりと、黒の中に赤がにじみ出てくる。それは、ゆっくりと人の形に凝った。赤い着物を来た童子。男にも、女にも見える。肩まで切り揃えられた髪は漆黒であるのに、空間の黒からは浮いていた。肌は、白い。淡く光っているかのような肌が――――手が動くと、軌跡が線となって残るような気がした。
――――ゆ、き、む、ら。
 唇が動いていないのに、幸村の耳には声が届く。
「そなたであったか」
 幸村は微笑み、童子が伸ばしてきた手を取るために、腕を動かした。

 瞼を開けると、見慣れた天井が目に入る。何か、夢を見ていた気がするが覚えていない。体を起こすと、しゅるりと音を立てて布団が落ちた。目を擦ろうとして、自分が右手に何かを握っている事に気付く。
「これは」
 手のなかにあったのは、幸村がいつも戦の時に巻く、赤い鉢巻であった。
「何故、俺はこれを…………」
 ここ最近、幸村は毎朝これを握っている。眠る時には確かに、手には何も持っていなかったはずなのに。首をかしげて鉢巻を見つめてみるが、思い当たることが無い。気になることと言えば、毎日同じような夢を見ている気がするくらいで、それがこのことと関係があるのかどうかはわからなかった。
――――佐助にでも、話してみるか。
 そう思い、立ち上がる。なんとなく、幸村は手の鉢巻に向かって言った。
「おはよう」
 一度強く握ってから、鉢巻を元の位置に戻し、手早く着替えを済ませて部屋を出る。しらしらと明けはじめた空が朱と藍に染まって美しい。良い天気になりそうだ。
「おはよう、旦那」
 伸びをする幸村に声がかかる。見ると、笑顔の佐助がいた。
「おお、佐助おはよう。今日も、良い天気になりそうだな」
「ホント、最近ずっと天気いいよね。穏やかだし。諸国の動きも 今んとこ静かなモンだし、ちょっとした野盗が悪さしてるみたいだけど、俺様たちの出番ってほどでもないから、のんびり出来そうだねぇ」
「うむ――――しかし、それに甘んじて修練を忘れることの無いよう、いついかなる時であろうとも出陣しお館様の為に励めるようにせねば」
 ぐっと拳を握る幸村の姿に、柔らかい苦笑を浮かべて佐助が言う。
「あんまり修練だ修行だってし過ぎるのも、良くないんじゃない? たまには足下の野花でも眺めるくらいの時間も持たないと、視野が狭くなるよ」
「ぬう、しかし」
「ほら、早く顔洗っておいでよ。食前の鍛練、するんでしょ」
「う、うむ」
 頷いた後、何か言いたそうな視線をする幸村に首をかしげて、問いの笑顔を佐助が浮かべた。
「いや、なんでもない」
「ふうん?」
――――なんと伝えれば良いのか、わからぬ。
 軽く頭を振って背を向ける主を、佐助は見送った。




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