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きん〜琴・近・金〜

 あれは、厚い雲に覆われた空に、一片の茜が見えていた日でございました。何やら騒がしく、濡れ縁に出て火鉢を囲みながら特に気に入った女房たちを侍らせ、雪に染まった庭を眺めていた私は、慌てて来た者が私の姿を几帳の影に隠す前に、冴え凍る空気を断ち切るような佇まいの方を目にいたしました。
 真っ青な姿に兜にある弦月が、雪の庭に浮かんでいらっしゃいます。傍に控えている方が私に気付き、その方に何やら仰いますと、その方は兜を脱ぎ私へ体を向けました。
 慌てた女房たちが、私の姿を隠さんとして、はしたなく動き回る様が可笑しかったのでしょうか。その方は口元に笑みを浮かべられました。その時、私は今までに感じたことの無いような胸の痛みを覚えたのでございます。
 女房たちに半ば引きずられるようにして身を隠した私は、ぼんやりとして動くことが出来ず、それをどう思ったのか、女房たちが雀のように無礼な方だと言い合います。そのうち一人が、何者か調べてくると言い終わる前に立ち上がり、それに続けと古参の者以外は散ってしまいました。
「まったく、なんというはしたなさ――――あれは忠心ではなく、自分たちのためですよ。まあ、あれほどの美しい殿方ですから、気にならないと言えば嘘になりますが、それにしても自ら探りに行くなど…………」
 ため息を付きながらかぶりを振る者も、どこか気をそぞろにしている様子に見えます。
 しばらくして、さわさわと慌ただしい衣擦れの音をさせながら次々と頬を高揚させた者たちが帰って参りました。
「あれは、奥州の伊達政宗だそうでございますよ」
「なんでも、雪に足を疲れさせた馬を休めたいからと強引にお泊まりになさると決めたとか」
「まぁ、私は休息のみのつもりを大殿が是非にと仰られたと聞きました」
「伊達政宗と言えば、今をときめいていらっしゃる御方ですもの」
「もっと粗野で薄汚いものとばかり思っておりましたのに、私どもの周りに居ります殿方の誰よりもきらめいておいででした」
「あのように美しい者も、侍には居るのですねぇ」
「付いていらっしゃる片倉小十郎の、礼節を纏う所作の見事なこと――――」
 口々にさざめきながら、頬を紅潮させる者、うっとりとした目で中空を見つめる者などを見た古参の者が、一つ咳払いをして立ち上がります。
「一泊するとは、聞き捨てなりませんね。こちらの姫に万が一があってはなりませんから、私も様子を見て参りましょう」
 キリリと言い置いて、去る背中が見えなくなってから年若い者たちが忍び笑います。
「なんだかんだで、気にしていらっしゃるわ」
「素直に行かれれば、良いのにねぇ」
 そのような言葉を諌めながら、私は彼女たちが羨ましくてなりません。ほんの少し、あの瞬間に垣間見たお姿の、なんと優美なこと。もっと傍近く拝させていただけたら、と思わずにはいられません。ですが、私が彼女たちのように立ち振舞う事など出来ようはずもなく、胸に焼き付いたお姿にため息をつくだけでございます。
 しばらくして、興奮した足取りの父が私に琴を弾くようにと仰いました。なんでも、政宗様のお側に控えていらっしゃる片倉小十郎様が、笛をよくなさるとか。戦の疲れを楽の音で癒してさしあげたい、とのお話に、私は胸を押さえました。政宗様のお姿を拝する事の出来る機会を、どうして断れましょう。
 私に付いて客人の御前に行く者たちが、慌てて私と自分たちの身繕いを始めます。父は、早く来るようにと言い置いて、来た時同様、慌ただしく戻られました。
 すぐに支度は整い、私は政宗様のいらっしゃる場所へ向かう、その時の胸の、なんと甘く切ないこと。私は、それと悟られぬよう努めて平静を装い、殿方の目に触れぬよう几帳の影に座りました。
「It came all the way。悪いな」
 よくわからない異国語を仰るお声は、力強くなんとも艶のある色音で、はっと息を飲んだ私はとっさの返事が出来ず、古参の者が私の取り次ぎをしているような顔で返事を致します。
「拙い手ではございますが、一時でも琴の音に心安くなっていただければ幸いにございます」
 私は、それを上の空に聞きながら琴を掻き鳴らしました。政宗様のお側にいらっしゃる方が笛で、これが荒々しく血なまぐさい争い事をなさる方のものかと疑うほど、繊細な金糸のような音色を紡ぎ琴の音と織り合わせてくださいます。それをお聴きになる政宗様の、お姿の気高くしっとりとした風情に、私は幾度気を失いかけたかわかりません。
 気が付くと、私は弾き終え部屋に戻っておりました。どのようにして演奏を終えて戻ったのか、覚えておりません。覚えているのは政宗様が異国語で何やら仰り、私に淡い笑みを向けて下さったのが几帳の端より見えた事だけ。私は、苦しく息を吐きながら横になり、傍近くに残った数人の者の声を遠く近く耳にしました。
「あのような方なら、一夜の情けをいただきたいと思ってしまいますわね」
「まあ、はしたない」
「そんなことを言って、姿を見せるように、わざと几帳の端にいたくせに」
 クスクス笑いあいながら、私が眠っていると思って彼女たちは様々に言い合います。
「あの冴え凍るような輝くお姿に雄々しい空気を纏われているのが、野生のしなやかな獣を思わせますわ」
「なんでも、竜の異名をお持ちとか」
「片目の眼帯も、あの方がなさると艶のあるように思われますね」
「お側にいらっしゃった方の男らしく力強い佇まいも素晴らしく、並ばれると目も眩んでまともに拝せませんでした。もったいないこと」
「大殿は、どういうつもりでお泊めあそばしたのでしょうね」
「あわよくば、こちらの姫に通っていただきたいのでは無くて」
 まあ、と言って笑いあいながらさえずる声を耳にしながら、私は胸苦しさに深く息を吸うことが出来なくなって参りました。
 もし、もしも政宗様が私のところへお渡りになられたのなら、彼女たちは手引きをして招くのでしょうか。絵物語にしか知らない恋の話の姫君ように、甘く切ないものが私の胸に去来しております。私は、あの方をお慕いしているのでしょうか。ほんの少し、お姿を拝しただけでこんなに苦しく哀しい想いにとらわれるのならば、絵物語の姫君たちはどれほどに苦しく切なく涙をこぼされたのでしょう。
 私の耳に、あの方の声が響き瞼にはお姿が浮かびます。強く胸が締め付けられ、私はゆっくりと自分の気が遠くなってゆくのを感じました。

 翌朝、胸の痛みが取れず伏せっていると懐紙に小さな蕾の付いている枝を添えたものが、私のもとに届きました。頭を上げて受け取り、開きますと墨の色も黒々と力強い文字が書かれておりました。
『春をまつ家路も見えずたづねこし
     きんの月影深きなるらん』
 まさか文をいただけるなど夢にも思わず呆けておりますと、噂話の好きな目端の利く者が盗み見て浮かれた声を上げます。
「まあまあ、まるで恋のお文のようではありませんか。春をまつ気持ちに蕾の小枝など、淡い恋のある証拠。ささ、早くお返事なさいませ」
「かわいらしい、お姿に似合わぬ歌をお詠みになられるのですね。ささ、こういうものは遅くなると気の利かない、情の通じないものよと思われますよ」
 そう言いながら、私に返歌を勧めます。私は、これがそのようなものとは思えず、ただ噂に私が伏せっているのを知って昨夜の琴の音のことだけを歌っているようにしか思えません。それでもなお進めてこられ、私は渋々筆を取りました。
 淡い蒼の紙に
『雲のいる峰のかけ路を夕霧の
     いづれか深き春のたび人』
 と薄く細く書いたものに、昨夜の琴の弦を巻き付けて届けさせました。
 あの方は、私のもとになどとどまらないと思いながら、いただいたお文は昨夜のことで体調を崩したのではと思われてのことで、なまめいたものではないと思いながら、私は政宗様が渡られる足音がしないかと、胸を押さえながら耳をすましておりました。やがて、馬のいななきが遠く聞こえ、あの方が去ったことを、知らされました。
 ああ、やはりそうだったと確信しながら落胆する私のはしたない気持ちは、いったいどういうことなのでしょうか。
 叶わぬ想いであるならば、このまま、いっそ清らかな身体で髪を削ぎ、あの方の御武運をひたすらに願い、御仏に使えお勤行いたしとうございます。



2009/12/16




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