メニュー日記拍手




名前変換版はコチラ
想う以上のことを
 見慣れぬ者の姿を見止め、家康は足を止めた。小さな石臼で何かをすりつぶしている彼女の傍に歩み寄り、声をかける。
「何をしているんだ」
「木の実を、すりつぶしている。これを捏ねて団子にするんだ」
「へぇ」
 振り返りもせず、ごりごりとすりつぶし続ける彼女の手元を眺め、そっと横顔を見つめる。年のころは、家康と同じくらいだろうか。よそよそしい、とは違った拒絶のような気配を漂わせているのに、興味をそそられた。
「きれいに、粉にするんだな」
「――」
 返事がない。それが、袂を分かった友を思い起こさせ笑みが浮かぶ。
「こんなところで、油を売る暇があるのか」
「うん?」
「指示をしなくてもいいのかと、聞いている」
 はじめて、彼女が家康に顔を向けた。すっきりとした瞳に、家康の姿が映る。そのまっすぐさに、胸が突かれた。
「名前は」
「は?」
「名を、教えてほしい」
「――――佳代」
「佳代か。良い名だ。――では、佳代のいうように、支持を出すことがあれば、そのようにしてこよう」
 立ち上がる家康を見上げ、佳代は興味なさそうに手元に目を戻す。目じりを下げて作業をする肩を見、家康はその場を去った。

 佳代は、こまごまとした仕事をこなすらしい。
 所々で目にする彼女は、縫物をしていたり、薬草をつぶしていたり、蔓で何かを編んでいたりしていた。そのたびに家康は声をかけ、すげなくされている。
 佳代の姿を見つけては声をかけ、愛想のない返事を受けることが日課になりはじめると、佳代とのことが噂になり始めた。
「佳代」
 具足のほころびを直している所を見つけ、声をかけると心底嫌そうな顔を向けられる。
「いちいち、私にかまうな」
「何故だ」
「妙な噂が流れている」
「噂?」
「迷惑だ」
 ふいっと彼女の気配が家康に背を向ける。困ったような、柔らかい疑問を浮かべた頬を掻き、それじゃあと言葉を残して場を去った。
「噂、か」
 去りながら、呟く。
 どうやら佳代に自分が執心だという話が流れているらしい。なるほど男女の間で声をかけていると、そういう噂にもなるのだろう。けれど、自分は誰にでも同じように声をかけているような気がするのだが、と家康は首をかしげた。
「慶次が居れば、わかるのかもしれないが――」
 そういう話が出来そうな相手が彼以外に思いつかない。下手な相手に言ってしまえば、面倒なことになってしまうかもしれない。佳代に、より迷惑そうにされてしまうかもしれない。――そうなれば、気軽に声をかける事などできなくなるだろう。
「少し、距離を置いたほうが、いいか」
 呟いた自分の声が、ひどく落胆した音色であることに、家康は驚いた。

 心配せずとも、佳代の姿はあまり見ることが無くなり、声をかける機会も自然と減ってしまっていた。あと数か月で野良仕事が始まる時期で、土地の具合や民の状態、作物を植えるための下準備なども見回ることを希望したため、家康は忙しくなったということもあるが、それとは違う気配をどことなく感じている。けれど、最近佳代を見なくなったが――などと誰かに問おうものなら、落ち着き始めた噂が悪い形でぶり返す場合もある。
――恋の話は、噂が先行してしまうことも、あるからなぁ。
 何かの折に耳にした言葉が、脳裏に響く。
 噂が先行した場合は、どうなるのだろうか。そこも、聞いておけばよかった。
 そういう思考をしている自分に驚き、家康は唇をゆがめる。
 噂を噂だと侮ってはいけないことを、よく知っている。だからこそ――ワシは、何を考えているのか――苦笑した。
「ん?」
 そろそろ夕食時だからと、戻りかけた家康の目の端に人影が引っ掛かった。薪を積んである大きな庇の下に、二人。
 見おぼえのある姿に改めて向けた家康の目が、大きく見開かれる。親しそうに会話をする男女の姿――普段なら、ほほえましく思いながら目を離す光景だが、この時の家康は縄に擦れたような痛みを胸に抱え、視線を引きはがして逃げるように去った。
――あのような顔で、笑うこともあるのだな。
 足早に自室に向かいながら、奥歯をかみしめる。
 佳代が、親しげに笑って男と話をしていた。
 あのまなざしは信頼を浮かべていた。
 自分に向けられたことのない気安さが、浮かんでいた。
「っ――」
 乱暴に部屋のふすまを閉めて、息を吐く。相手は――真田の忍、猿飛佐助だ。何かの用事で、彼が顔を出すことはままある。人好きのする飄々とした、けれども決して軽いだけではない彼の様子を好む者は少なくない。加えて役者のような容貌と、見え隠れする黒い気配に女がさざめいている時があることも、知っている。
――佳代も、そうなのだろうか。
 いや、それにしては親密な気配が二人の間にあるように感じられた。何よりも、あの佳代の笑顔が――警戒心のない横顔がまぶたに焼き付いている。
「いったい、どうしたんだ――ワシは」
 胸のあたりでこぶしを握り、喘ぐように息を吐く。そこに、「失礼しますよ」と口調こそ軽いが真面目な声音で緑色の風が現れた。
「大将からの手紙を預かっ――」
 言いかけ、けして距離が近いわけではないのに覗き込むような気色を感じ、あわてて笑みを作る。
「おお、信玄公よりの書状か。受け取ろう」
 手を伸ばし、差し出され、一瞬の視線の交錯で見透かされたような気がして、うろたえる。
「なんか、入ったの、まずかった?」
「あぁ――いや、別にかまわないんだが…………その、なんだ、ちょっと――いや、忍は情報収集も仕事だから、親しくされても調べられてもワシは痛い腹などは無いから、かまわないんだが」
 自分でも、何を言っているのかがわからなくなっているのを自覚しながらも、落としどころが見つからない家康は視線をさまよわせる。けれど佐助は言葉をはさむことも先を促すこともせず、ただ黙って結論が出てくるのを待っている。
 えぇいままよ、と家康は口にした。
「佳代と親しげに話をしていたようだが、二人は、親しい――んだな」
 大きく瞬きをした佐助が、すぐに相好を崩す。
「ま、ネタばらししちゃっても、いいかな。――佳代は、真田忍隊の一員なんだよね。だから、俺様の部下ってやつ?」
 今度は、家康が大きく瞬きをした。
「佳代が――忍」
「そ。ま、徳川にならアイツの素性がばれても別に、問題ない――だろ?」
 語尾に、首筋に刃物を突き付けられたような冷たさが漂う。それなのに、どこかほっとしたような顔で家康は声を立てて短く笑った。
「なんだ、そうか――それでは、親しく見えるのも無理はないな。そうか、そうか。いや、すまないな。つまらないことを聞いて。――文の返事は、すぐに必要なのか?」
「いや――この後にも顔を出さなきゃいけないところがあるから、悪いんだけど待ってられなくてね。素性を明かしちゃったことだし、佳代に言づけてくれれば助かる」
「わかった、そうしよう」
 それじゃ、と言い終わらないうちに消えた佐助の意味深な笑みに気付かず、家康はなんども「そうか、そういうことだったか」としきりに呟きながら、信玄からの文を開いた。

 土間の傍で燭台の灯りを頼りに繕いものをしている佳代の元へ、家康が訪ねてきた。火鉢があるとはいえ、地面から湧き上がってくる冷たさは身に染みる。
「精が出るな。もうそろそろ、休んだらどうだ」
「――出来ることは、出来るうちにしておいたほうがいい」
「まぁ、そうだが――」
 すげない態度の佳代の姿に、どこかほっとしつつも佐助と共にあったときの笑顔が胸に浮かんで苦味を感じる。
「信玄公へ、返事をしたためたんだが預かってくれるか」
 手を止めた佳代が、怪訝な顔を向けてきた。
「真田の忍――なんだろう」
 大きな息の塊を吐きだして、しぶしぶ受け取る佳代が首を振る。
「ここのところ忙しそうだったのは、そちらの仕事があったからか」
「私の主では無いと知ったのであれば、答えなくても問題ないだろう。――それとも、答えないと追い出す、とでも?」
 忌々しそうな色に、困り果てた顔で家康が頭を掻く。
「そうじゃない――惚れた相手のことを知りたくなるのは、当然だろう。猿飛と共にある時ほどとは望まないが、笑顔を見せてもらえたらと、思っている」
 言葉を受けた佳代の目がみるみる大きくなり、頬に朱が差していく。それを見ながら、家康自身も静かに驚きを噛みしめた。
「そうか――ワシは、佳代に惚れていたのか」
「なっ――何を、世迷言を」
 狼狽する佳代に、満面の笑みを向ける。
「今、気が付いたところだ。迷惑なら――まぁ、言われても止める、とうわけにはいかんだろうから…………許してくれ」
「はぁ?! 何を言っている」
「ワシにも、よくわからん。わからんが――そうか、あれは、あの時は猿飛に嫉妬をしていたんだな」
 そうかそうか、と自分の感情についた名前に納得をする家康を、あきれたように見つめ続けていた佳代が、何かを振り切るように「はっ」と小ばかにしたような声を出し、背を向ける。
「仕事を、終えるのか」
 去ろうとする背中に声をかけると、目じりを赤く染めたまま睨みつけられた。
「休んだらどうだと、言っただろう」
「咎めているわけじゃない」
「――っ、任務でそうしむけたわけでもないのに、ほ、惚れたなどと世迷言を忍に言う馬鹿が居るとは思わなかった」
「そんなことは無いだろう。忍だなんだという前に、人であるのだから、そういうことも十分に有りうる」
「気は確かか」
「確かすぎるくらい、確かだ」
 まっすぐに言い放つ家康に、いらいらしたような、所在を探しているような、居心地の悪そうな様子で言葉を探す佳代。それを見つめる家康は、ただニコニコとしているばかりで何かを言う気配は無い。
「勝手にしろっ」
 焦れたのか、捨て台詞のように言い放った佳代が
「ならば、そうさせてもらおう」
 楽しそうに答えた家康の顔面に、手にしていた手甲を投げつけて怒ったような足取りで去っていく。その姿は拒絶ではなさそうだと胸をなでおろしながら、ふわっとしたくすぐったい温かさに、家康は包まれていた。

 気づいたばかりの想いを縁に変えて、ゆっくりと絆にしていこう――――

2012/1/28



メニュー日記拍手
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送