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月よ廻れ
 月の綺麗な夜。 
 片倉小十郎は、ふらりと外出をした。 
 刀は差していない。 
 手ぶらである。 
 平服で屋敷を出る前に、行き先を問おうとした若い門番が、年嵩の門番に野暮な事は聞くなと肩を掴んで止められるのを見て、苦笑を浮かべて否定をしようとし、やめた。 
 意味深な笑みを浮かべて頭を下げる門番に、片手をあげて応えにし、小十郎は門外へ踏み出す。
――――おそらく、女の元へ通っているのだと思われている。 
 あながち間違いとも言いきれないので、小十郎は何も言わなかった。女といえば女に違い ないし、通っているのかと問われれば、全く違うとも言いきれない。 
 月が美 しく外出を促す夜は、誘われるままに小十郎は懐に笛を忍ばせ外出し、川面に映る月を愛 でながら、心の壗に吹き鳴らしていた。
 そこに、いつからか聞きに来る者 が現れるようになった。 
 はじめは遠くにあった人影が、少しずつ近づい てくる。まるで野生の獣が懐くまでの様子を見て いるようだと小十郎は思った。
 月明かりは、相手の姿をくっきりと浮かび 上がらせる。それに気付いていないはずはないのに、相手は真っ直ぐこちらに向 き、笛の音に耳を傾ける。
 そんな日が、どのくらい続いただろうか。
 ちら りと笛を吹きながら横目で見ると、ずいぶんと近くまでくるようになった観客は 薄く目を閉じて体を月夜に委ねている。
 ふいに止んだ笛に、はっと開いた 瞳を捕らえ、小十郎は尋ねた。
「笛は、好きか」
 数度瞬いた目は、素 直そうにほほえんだ。
「そうか」
 小十郎も、微笑み返す。
「一人 か」 
 こくりと相手が頷いた。
「口が、きけないのか」 
 今度 は首が横に振られた。
「とっさで、言葉が出なかった」
 聞こえてきた のは、鈴のような声。
 男物の着物を着ているが、年頃の娘らしい気配は隠 し切れていない。
「夜中に、一人で多出するのは感心しねぇな」
「笛の 音が誘うか ら、悪い」
 にぃっと笑われた。
「俺のせいか」
 返事の代わりに 、男装の娘は小十郎の横に来て、座った。
「続きを、吹かないのか」
  言葉がぎこちないのは、男のふりをしているからだろうか。そうまでして、聴き に来ているというのか。
 ほんのりと唇に笑みを乗せ、小十郎は笛に命を吹 き込んだ。男装の娘はうっとりと、音色に身を委ねる。
 ひとしきり奏じた 後、傍らの娘を見ると夢心地な様子で瞼を閉じ、笑んでいる。
――――可憐 な。
 素直に、そう思った。
「送ろう」
「いい。大丈夫だ」
 すっくと立ち上がり、娘は満面の笑みを浮かべたかと おもうと、くるりと背中を向けて駆け出してしまう。
 小十郎は不覚にも、 彼女の笑みに身動きを忘れ、娘の姿が見えなくなるまで笛を握り締めたまま、見 送るしか出来なかった。
 
 それから、空が泣かない日は毎夜、笛を吹 きに小十郎は出かけた。
 娘は毎夜来るわけではなかったが、来た夜は小十 郎の横に座り、じっと笛の音に耳を傾けていた。
 特別、会話をするわけで はない。
 小十郎は笛を奏じ、娘は耳を傾ける。
 それだけの日々が続 いた。
 
 もうすぐ、月明かりの無い夜が来る。
 月はずいぶんと 細くなってしまっていた。
 いかな小十郎とて、朔の日に夜歩きは躊躇う。
 娘が闇夜を歩くなど、もってのほか。
 小十郎は、今日を限りに月が再び 誘うまでの間、出ないと娘に言うつもりでいた。
――――短い間の別れ。
 約 束をしていたわけではない逢瀬に、しばしの別れを告げるというのは、どうにも 不思議な心持ちがする。
 あるいはそれは、しばらく会えないという事に対 する心持ちなのかもしれない。
 小十郎は最近、空を見る回数が増えた自分 に気付いていた。
 
 朔を迎える前の、仕える相手の前立てと同じ形を した月が二人を照らす。
 今宵の小十郎の笛の音に、草木も声をひそめて聞 き惚れる。
――――それほどの、音色だった。
 奏じ終えた小十郎の唇 と、男装の娘の唇とが同時に息を吐く。
 目を合わせ、微笑みあってから、 小十郎はわずかに目を反らして言った。
「もうすぐ、新月だ。径を照らす灯 りは無くなる。俺はしばらくは、ここには来ねぇ」
――――だから、と続け る前に娘が立ち上がる。
「わかってる」
 頭では、と続きそうな顔で、 娘が言う。
「月が膨らめば、また奏じに来るんだろう」
 そうであって ほしい、と言外に匂った 。
「じゃあ、また」
 次はないと言われたくない、と娘は振り向き駆け 出そうとする。
「あっ――――」
 あわてすぎたのか、夜露に濡れた草 が娘の足を払った。
「危ねぇっ」
 小十郎の手が、娘の腕を掴んで引き 寄せる。胸に収めた体は、予想以上に頼りな気であった。
 男装をしていて も、どうしようもないくらい女であることを、ぬくもりに告げられる。
 時 が、止まる。
 呼吸が、心音が酷く大きく聞こえる。
 腕の中で、娘が そっと顔をあげた。
 不安げに揺れる瞳が、小十郎を見つめる。
 僅か に開いた唇に吸い込まれるように、小十郎は薄赤い娘の口を、吸った。
 び くん、と娘が体を強ばらせ、我に返った小十郎は顔を離す。娘の唇は赤みと艶を 増し、女であることを意識させた。
 このままでは――――。
 唇を引 き結び、理性を総動員した小十郎の腕が弛む。その隙に、娘は逃れ、駆けて行っ た。
 
  それから毎夜、小十郎は庭を眺めながら笛に唇を寄せた。
 再び、足元が明 るく照らされる事を望む心と躊躇いを織り交ぜた音色は、闇夜に溶ける。
  笛に息を吹き込むたび、ふいに娘の柔らかな感触が思い出され、小十郎は苦い顔 で唇に笑みを浮かべた。
 このようなことで、自分が迷うなど、夢にも思わ なかった。
 愛らしい、くるくるとした瞳が奏じた後に自分に向けられ、幸 せそうに細められる。それが常に傍にあれば――――そう望む自分に気付き、小 十郎は首を振った。
 男装に使っていた着物は、上質とまではいかないもの の、多少裕福でなければ手に入らないような代物だった。それを変装のために引 っ張りだし――あるいは、普段から使っているとすれば、そう簡単に望む事など 出来ない相手であろうことが容易に察することができる。
 この時代、ある 程度の身分の女は戦の道具となる。着飾れば、彼女は十分に責務を果たせる見目 になるだろう。
――――しかし。
 そういう身分であれば、望めば添 えるかもしれないとも、小十郎は思う。彼女が望むか否かはわからないが、自分 が望むことは可能な相手かもしれない。
 笛から唇を離し、小十郎は星明か りの空を見上げた。
 
 月が再び足元を明るく照らす夜が訪れ、小十郎 は笛を手にあの場所へと赴く。
 期待と不安を織り交ぜて笛を奏じても、彼 女は現れなかった。
 翌日も、その翌日も――――――――。
 あのよ うなことをしたのだから、現れないのも当然だと自分に言い聞かせながら、小十 郎は笛を鳴らし続けた。
 
 数日後、出仕中の小十郎に声をかけてくる ものがあった。
「片倉様」
 政宗の下へ向かう足を止めて振り返る。相 手は、呼び止めては見たものの何と切り出していいのかわからない様子で、忙し なく視線を動かしながら薄い笑みを浮かべた。
「なんだ、言いにくい事か。 気にするな、単刀直入に言えばいい」
「は…………それでは、遠慮なく。――――片倉様は、衆道の気がおありで ございまするか」
 ひそり、とささやかれた言葉の意味を理解しかねて、小 十郎は動きを止める。それをどう受け取ったのか、相手は慌てて距離をとった。
「や、これはご無礼を。お忘れくだされ」
 早口に言い、逃げるように去っ ていく背中を見送るころに、やっと言葉が脳に浸透する。が、何故そのようなこ とを問われたのかがわからない。
 首をかしげて足の向きを戻し、数歩進ん でから小十郎の脳裏に閃くものがあった。
――――まさか!
 きびすを 返し、先ほどの男を追い掛ける。風のような早さで走る小十郎は、すぐに男に追 い付いた。
「おいっ」
「はっ――――ひぃい! さ、ささ、先ほどはご 無礼な質問を申し訳ござりませぬぅうう」
「そうじゃねぇ、咎めに来たんじ ゃねぇ」
 両手で頭を覆い、怯える肩を掴んで言うと、そろりと腕の間から 伺う視線を覗かせた男が小十郎に怒気がないことを確認して、心底ほっとしたよ うな顔になる。
 「では、一体どの ような御用向きにて某を追いなされた」
「誰かに、聞いてくれと頼まれたん じゃねぇか」
「ほっ?」
「年頃の娘に、頼まれたんじゃねぇか」
  少し言葉を変えて、同じ質問を繰り返すと、男は意味深な笑みを浮かべた。
「お心当たりが、ございましたか」
「頼まれたんだな」
「某の従兄弟に は、年頃の娘がおりましてな、しきりに片倉様の趣向を気にするようになったの で、聞いてほしいと泣きつかれ、無下に出来ませなんでなぁ」
 お恥ずかし い、と頭を掻く男の返事に小十郎の胸に柔らかなものが広がる。
「その娘は 、何処にいる」
「先日より、こちらでお世話になってございますよ。片倉様 のお姿を拝見してからは、もう毎日のように気にしているようで――――片倉様 ?」
「そうか――――俺を、気にしていたか」
「え、ええ。それはもう 、毎日のように人隣などを知りたいとねだられておりました」
 小十郎の唇 に笑みが浮かんでいるのを不思 議そうな顔で見る男に礼を言い、小十郎は侍女のいる部屋へ向かう。
 毎夜 の逢瀬は、男装でやってきていた。おそらく、こちらへの出仕がはじまる前にな って不安などが募り、夜歩きをしてみたところ、小十郎の笛を聴いたのだろう。
 それから、女の姿では危ないからと、笛のために男装での夜歩きを繰り返して いたのではないか。そして、そんな日々の中で男装の娘の口を、小十郎は吸った 。それで娘は小十郎に衆道の気があるのではないかと、そう思ったのではないか 。
 それは小十郎にとって、都合の良い解釈でしかなかったが、半ば確信に 近いものを持ち、侍女の部屋へ向かう。
「まぁ、片倉様」
 気付いた一 人が目を丸くする。
「入っても、かまわねぇか」
「殿方が面白いと思わ れるようなものはございませんが、隠すようなものもございません」
 にこ りと言うのに頷いて、部屋に入ると一斉に小十郎に視線が集まった。その中の一 つを捉え、真っすぐに手を伸ばして抱き締める。
 間違いなく、あの娘だった。
「あ、あの…………」
 腕の中で、娘が 身動ぎをする。
「夜歩きは、もう、しなくていい」
 ぴたり、と娘は動 きを止める。
「笛は、いつでも聴きにこればいい」
 息を呑み、見上げ てくる娘に微笑みかけながら、胸の奥からのささやきを、小十郎は呟いた。
「ずっと、待っていた――――」
 
 待ち焦がれる月夜が、共に過ごす 月夜に変化する。
 
 
2010/05/05



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