遠い国の神様は、身分も何も関係なく愛し合うことを許してくださるらしい。 そう言った彼女は、薄氷のように頼りなく微笑んだ。 雪に音が沈む夜。落ちる月光に惹かれて現れた片倉小十郎に、雪と同化してしまいそうなほどに白い女の声は、頼りないくせにやけにハッキリと耳に残った。「本当に、そんなことが可能なら――」 言いかけて、止める。 うつむく髪がさらりと流れ、その隙間から覗く頬は赤く染まっている。 遠い国の神は、身分も何も関係なく、人は平等であり、愛し愛されるものだと教えている。 詳しくは知らないけれど、と彼女は何かをごまかすように、吹っ切るように顔をあげて、わざとぶっきらぼうに言った。「私、いつまで此処にいられるのかな」 開きかけた口が止まる。紡ぐ言葉が、見つからなかった。「私、何処行くんだろう」 自嘲気味な唇をふさぎたくて、小十郎は腕を伸ばした。「――――」 驚きに、間近にある彼女の目が、見開かれる。そこに映る自分の目の真摯さに、驚きと納得が湧き上がる。 愛して、いるのだ――――。「麻衣」 腕に包んだ体は、すっかり冷え切っていた。 何時から、ここにいたのだろう。もし、自分が来なければ、どうしていたのだろう。「麻衣」 遠い、遠い時代からやってきた彼女を見つけたのは、必然という名の偶然ではなかったのではないかと、感じる。 あの日―― 夜陰に紛れて不穏な動きはないかと見回っていた折に、大きすぎる感情を受け止めきれずに抜け落ちてしまった彼女を見つけた。 話しかけても反応の無い彼女は、ずいぶんと歩き回ったらしく足元どころか見たこともない着物はボロボロになり、泥まみれになっていた。「おい――」「やっと、人が居た」 ぎこちなく頬が持ち上がったかと思うと、頽れた彼女を支えた腕にかかった重みは、そのまま胸の内に柔らかく沈んだ。 大切な人だと――そう自覚したのは、何時だっただろう。 放っておくわけにもいかず、自分の屋敷に住まわせ、居心地の悪さからか動かなければ不安になるからか、進んで仕事を求めるようになった彼女が――麻衣が改めて礼を述べに来た時の安堵は、ふわりと滲むように広がったくすぐったさは、自然とそれを受け入れた自分の顔は、どんなふうに見えていたのか。 はにかむように頭を下げ、すぐに去った彼女の背中を微笑ましく見送る自分に、控えていたものが心の底から「良うございましたね」と声をかけた。それがどうにも気恥ずかしく感じたのは――そのころからすでに、麻衣を愛しみたいと、愛しみ始めたと、そういう想いからでは無いのだろうか。 クリスマスは、特別な日――――。 そんな話が、物見高い主、伊達政宗が遠い時代から来た麻衣と話をするための来訪のあった昼に、雪見をしながら火鉢にあたり、茶を飲んでいた折に出た。 どういうことかと、好奇心に瞳を光らせる政宗に麻衣が楽しそうに語る。 自分の時代では、クリスマスは大切な人と過ごす特別な日だということ。 子どもの時は、サンタクロースという贈呈品を配る者がいるということ。 実際は、親や祖父母がそのふりをして枕元に贈呈日を置き、知らぬふりをするということ。 恋人同士は、愛を深め合うということ。 仲間同士で贈呈品の交換や食事会などをするということ。「麻衣は――共に過ごす予定の相手が、居たのか」 何気ない政宗の問いに、小十郎の胸が軋んだ。 ふっと遠い目をした麻衣が、泣き出しそうな顔で笑いながら首を横に振った時、安堵に緩みそうになった頬を自覚し恥じた。「なら、その宴会とやらを、開こうじゃねえか」 麻衣が帰れなくとも、ここに居ても良いと思えるような宴会を――――。 小十郎に拾われて、屋敷の事をするようになり、ずいぶんと馴染んだように見えても余所余所しさを拭い切れない麻衣を気付かっての提案に、申し訳なさそうにしながらも微笑んだ彼女のほっとした気配に、きりりと胸が痛む。 そんな顔をさせることができない自分に、腹立たしさを覚えた。「麻衣」 今夜の宴は、ずいぶんと賑やかで麻衣もコロコロとよく笑っていた。笑顔がはじけるたびに、そっと隠すように憂いが――さみしさが濃くなる彼女の横顔を見ながら、宴のあと、遠い相手とでも繋がることができるという携帯電話というカラクリを見つめている彼女の姿を見ながら、小十郎の胸に、昼間の麻衣の言葉が響いた。 ――大切な人と過ごす特別な日。 そういう日があるということを教えてくれた彼女が、自分にとっての大切な人だと、はっきりと確信していた。「クリスマスは、大切な人と結ばれる日なのに」 身分も何も関係なく、結ばれる日なのに。 そうつぶやいた彼女の手には、携帯電話が握り締められていた。 麻衣と、彼女の時代とを繋ぐ、動かない道具。 怒りなのか、焦りなのか。 憤りのようなものが、小十郎の中に湧き上がる。「本当に、そんなことが可能ならーー」 可能なら、何だというのか。ーーーー元いた時代の誰かを、思っているのか。「私、いつまで此処にいられるのかな」 政宗の厚意に、寂しさが増したのだろうか。「私、何処行くんだろう」 ここに居ればいい、と思った瞬間、唇を重ねていた。 驚きに見開かれる瞳に、嫌悪の色は見えない。〈br〉「麻衣」 渦巻く思いを込めて、名を紡ぐ。「麻衣」 どんな言葉も、それ以上に効力を持つとは思えなかった。 クリスマスの朝、枕もとに贈答品がーー求めて止まないものが与えられるというのなら、腕の中にある確かで頼りないものを。 そう強く願いながら、顔を覗き込む。「麻衣」 万感の、形容し難い思いを込めて名を呼ぶと「こ、じゅうろ」 おずおずと、名を呼び返された。 祝いの言葉。この日のためだけの、呪文のような言葉は――――「メリークリスマス」 言い慣れない響きの言葉に、くすりと笑った彼女が応える。「Merry Christmas」 ゆっくり唇をよせる小十郎の耳が、カツンと携帯電話が彼女の手から滑り落ちた音を拾った。 2011/12/25