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三成 ふと、庭の先を見つめている石田三成の姿を見止めた侍女が、足を止めた。
 三成の視線の先には豊臣秀吉の姿がある。どこかへまっすぐにすすむ秀吉に敬愛の視線を向けて微笑みながら見送る彼の横顔を、侍女は眺めていた。
 秀吉の姿を見送った三成が、その場から動こうと頭を動かし、侍女の姿を見つける。視線の合った侍女はビクリと体をこわばらせ、あわてて頭を下げた。
「こんなところで、何をしている」
「あ、いえ、あの」
「油を売る暇があるなら、秀吉様のためにわずかでも多く働け」
 言い捨て歩き出した三成が、侍女の横を通り過ぎる。端によけた侍女は、去る背中をじっと見詰めていた。

 楽しそうな笑い声が、侍溜りから聞こえてくる。茶を運んでいた侍女は中に入る前に聞こえた声に、足を止める。
「なぜ貴様はこのようなところで、戯れている」
「皆と会話をし、絆を深めることも大事だからな」
「下らん」
「三成も、一緒にどうだ」
 返事をせずに出てきた三成が、部屋の前に居る侍女に気付く。何の感情も表さないままに一瞥し、背を向ける彼に侍女は声をかけた。
「あのっ」
 ゆっくりと、三成が振り向く。その顔はどう贔屓目に見ようとしても機嫌が悪いとしか思えず、侍女は萎縮した。体ごと向き直った三成が、いぶかる顔で尋ねる。
「何だ」
「いえ、あの――」
「用があるなら、さっさと言え」
 いらだったような声音に肩をすくめながらも、まっすぐに見てくる侍女の姿に三成は言葉が出てくるのを待った。
「み、三成様も、ご一緒すれば……」
 三成が、さらに怪訝そうな顔をする。そこに、ひょいと顔を出した徳川家康が人好きのする笑顔で言った。
「そうだぞ、三成。たまには交流をしたらどうだ。そんな怖い顔なんかしてないで」
「うるさい。貴様のようにへらへらとしてなどおれん」
 今度こそ三成は立ち去っていく。その背中に、侍女と家康が同時にため息をついた。
「すまんな」
「えっ」
「三成を、気にかけてくれたんだろう」
「別に――徳川様に謝られるようなことでは、ありません」
「はは、確かにそうだ。だが、言わせてくれ。ありがとう」
 侍女は困ったように唇を尖らせてから、ふわりと笑む。
「徳川様は、石田様がお好きなんですね」
「ああ。あいつ、口は悪いがいい奴だからな。皆が言うほど、そっけなくも無愛想でも無いし」
「そうですね」
 今度は家康が真綿のように笑んで、三成をよろしくたのむと言い置き、背を向ける。侍女は手に茶を持っていたことを思い出し、慌てて室内へ運び入れた。

 三成は、困惑していた。やたらと自分に声をかけてくる者が家康以外にも出来たからだ。通りすがりに頭を下げてくるものは当然として、声を出して挨拶をしてくる者など、皆無に等しいほどの扱いであった三成にとっては戸惑いにしかならない。それが、あの時の――皆と一緒に過ごしてみてはと提言してきた者であると気付くまで少し時間を要したが、めったに人のことなど気にしない――覚える気などさらさら無い三成が、彼女のことを覚えたということは驚くべきことであった。
「貴様の差し金か、家康」
「何のことだ」
「とぼけるな。あの女のことだ」
 射抜くような三成の視線を意に介する様子もなく、家康が微笑む。
「珍しいな、三成。おまえが誰かのことを尋ねるなんて」
「質問に答えろ。あの女は、貴様の差し金かと聞いている」
 凄みを増して詰め寄る三成の様子を、周りで見ている者たちがハラハラとしながら遠巻きに見守る。
「なんだ、彼女のことが気になるのか」
 首筋に切っ先を当てられているような三成の殺気など、どこ吹く風。のほほんとした声を出す家康に、三成は舌打ちをして顔を背けた。
「貴様との会話は、埒が明かん」
「何を怒っているんだ、三成――――差し金って、どういうことだ」
「もういい」
「すねるなよ」
「誰がだ」
「なぁ、三成」
「ついてくるな」
 対極の空気を身に纏いながら去っていく二人の姿を、その場に居た者たちが関わらないように気をつけながらも見送る。そこに、ひょこりと侍女が顔を出した。
「何を、大きな声で騒いでいらっしゃるんですか」
「――っ」
「おお。うわさをすれば影とは、まさにこのことだな」
 首をかしげる侍女に、気安そうに家康が近づく。
「仕事は、終わりなのか」
「休憩なんです。それで、草もちをいただいたので石田様と徳川様に、よろしければと思って――私のような者が、大変失礼だろうとは思ったんですが……」
 彼女の手には、草もちが入っているであろう懐紙の包みがある。それを見て、家康は三成の肩に手を置いた。
「せっかくだ。いただこう――な、三成」
「いらん。貴様らで勝手に食せ」
「そう言うな。せっかくだから、茶ぐらいは付き合え」
「あの、ご迷惑なら――無理にとは……」
 俯き加減で、遠慮がちに笑んだ侍女に忌々しそうに鼻を鳴らし、三成が歩き出す。
「あ、こら三成――――。すまんな、愛想の無い奴で」
「いえ。私のような者が、気安くお声をかけさせていただくこと自体が、とんでもないことですから」
「――――何をぐずぐずしている、貴様ら。茶をするのなら、さっさとしろ」
 残念そうに微笑みあう二人が、三成の声に目を丸くして顔を向ける。立ち止まり、振り向いていた三成は二人の視線を受け、ふいと顔をそむけて歩き出した。数度瞬きをしてから顔を見合わせた侍女と家康が、同時に噴出す。
「では、相伴にあずかろう」
「はい」
 小走りに三成の後を追う二人の姿を、居合わせた者たちは珍妙なものを見る目で、見送った。

 なんだかんだと言いながら、三成は侍女が声をかけてくるのを邪険にこそすれ無視をすることが無くなった。
「ずいぶんと、仲良くなったみたいだな」
「誰がだ」
「三成と、彼女が、だ」
 そう家康がうれしそうに言うくらい、侍女は三成の姿を見かけると必ず挨拶を寄越し、話しかける。いつの間にか三成も彼女の名を覚え、視界に入れば自ら声をかけることはないが、彼女が自分に気付き、笑顔を浮かべて声をかけてくるのを待つようになった。待つというより、気にかけているというほうが正しいのかもしれない。とにかく、三成は彼女を認識するようになっていた。
 そんなある日、ふと視界に侍女の姿が見えて、三成は足を止めた。庭先で、誰かと楽しそうに会話をしている。ころころと声を上げて笑っているらしい様子に、三成は眉根を寄せた。侍女は、三成に気付かない。しばらく待ってみても、会話に夢中で気がつかないらしい。用事があって待っているわけではない。侍女が誰かと共に居て三成に気がつかないことも、ある。それなのに、なぜかその時は侍女が一緒に居る相手が気になった。酷く楽しそうにしている侍女の笑顔が、気になった。
 そっと近寄ってみる。庭木の陰になっている相手を見ようと、わずかに首を動かして垣間見えた相手に息を呑んだ。
 侍女が手振りを加えながら話しかけている相手は、徳川家康。彼もまた、柔和な笑みで侍女に返事を返している。まるで、この世に二人しか居ないような様子に思え、三成は右手を胸元に当て、握り締めた。そこが、ひどく痛む――――。
 奥歯を噛み締め、足早にその場を去る。自室に駆け込み、壁に額を打ち付けて深く息を吐いた。
 胸が、重い。
 剣山のように、針が何本も刺さっているような痛みがある。侍女と家康の先ほどの様子が、三成を責めた。
「――――これは、何だ」
 苦しげにあえぎながら、呟く。経験したことの無い痛みに、三成は硬く目を閉じる。すると、脳裏に侍女の姿が次々と浮かんできた。どのような表情であったとしても、笑みの痕跡を必ず残している姿が、三成を見つけて深くなる笑顔が、三成の胸をじわりと熱くする。そして同時に、侍女の傍らにある家康の姿も思い出した。
 誰に対しても同じである家康の笑みが、侍女に向けるときだけは更に柔和であるような気がする。侍女の笑みも、自分に向けているものとはまったく違ったものであるように思える。心底気を許しているような、気がした。
「――――」
 喉の奥で、侍女の名を呼ぶ。息苦しさにあえぎ、床に膝を着く。侍女の笑顔を欲している自分に、気付く。声をかけられることを、いつの間にか当たり前の楽しみにしていた自分を、知る。胸の熱さが脳内を揺さぶるほどに燃え盛り、先ほどの家康と共に過ごす姿を焼き尽くす。
「っ――――」
 固く目を閉じ、三成は音の無い叫びを発した。

 翌日から、三成の態度は一変した。侍女が話しかけても無視をする。存在していないかのように振舞う。それでも懲りずに話しかけてくる侍女から逃れるように、常に急いているような態度になった。
「おい、三成。どうしたんだ」
「何がだ」
「なぜ、急に彼女を無視するようになった。それに、声がいつもよりも低いぞ」
「貴様には、関係ない」
「無視しながら苦しそうな顔をしている三成を見て、ほうっておけないだろう」
 ギッと睨みつける三成に負けないように強い瞳で家康が返す。
「なぁ、三成。何があった――わしに話してみろ。何か、力になれるかもしれん」
「貴様になぞ――」
 吐き棄てるように言い、去ろうとした三成の肩を掴みながら体を回して立ちふさがる。
「女は、泣かせるもんじゃないぞ、三成」
 その一言に、三成の瞳が揺れた。
「泣かせる、とは……何だ」
「そのまんまだ。この間、嬉しそうに三成と会話が出来るようになったと話してくれていたのに。――何か、あったのか」
 困惑する顔の三成に、家康も困った顔をする。
「何があったのか、話をしてみてくれ。何か、わしに出来ることがあるかもしれん」
「――――何故、泣く必要がある」
「えっ」
「何を、泣く必要がある」
「――――三成」
 口内で独りごちる姿に、家康が痛そうに目を細める。
「彼女は、三成に何かしたんじゃないかと思っているんだ。軽々しく口を利ける身分ではないのに、返事をしてもらえることがうれしくて、配慮を忘れ無礼なことをしたんじゃないかと、泣いていた」
「何を――――」
「もし、違うのであれば違うと言ってやれ。せっかくできた絆を、手放すな」
 ゆるく頭を振りながら三成が下がるのを止めずに、肩にかけていた手を下ろす。よろめくような足取りでどこかへ向かう彼の背中を、家康はため息で押した。

 家康の言葉を反芻しながらふらふらと歩く三成の目に、給仕の途中であるらしい侍女が膳を持って通り過ぎようとしているのが見えた。
――泣かせるもんじゃないぞ、三成。
 家康の言葉が、強く響く。声をかけようとして、かけるべき言葉が見つからず、迷ううちに侍女は姿を消してしまった。
――返事をしてもらえることがうれしくて、配慮を忘れ無礼なことをしたんじゃないかと、泣いていた。
 唇を噛む。どのような表情のときでも笑みの欠片を無くさない侍女が、泣いていた。自分のことで――――。
 三成の胸が絞られる。先ほど見た彼女の横顔に、笑みは無かった。彼女のそんな表情は、見たことが無かった。
 しっかりとした足取りで、侍女が向かった先へ進む。かけるべき言葉は見つからないままだが、泣く必要は無いということだけは、伝えたかった。
 渡り廊下を進んでいると、手ぶらになった侍女がこちらに向かってくるのが見えた。人の気配を察したのか、俯き加減で歩いていた侍女が顔を上げて、足を止める。苦しげに眉を寄せて胸元で両手を握り締め、三成を真っ直ぐに見ながら無理やり笑みを作ろうとする姿に、三成の足は駆けた。そのままの勢いで侍女を抱きしめる。勢いを殺し損ね、壁に押し付ける形になった。
 腕の中で、身じろぎすら無く侍女が納まっている。このまま抱き潰せるのではないかと思えるほどに儚く、あたたかなものを三成は全身で噛み締める。
「何故、泣く」
 声を押し殺し、涙を流す気配に問う。抱きしめる手を緩め、顔を覗き込むと侍女は首を振り、顔を隠そうとした。
「触れられるのが、嫌だったのか」
 また、侍女は首を振る。
「――――家康が、泣かせるなと言ってきた」
 驚いた顔で、侍女が三成を見上げてくる。あふれ出す涙を湛えた瞳に、三成の顔が歪んだ。
「泣く必要など、どこにも無い。貴様は、何もしていない」
 何かを言おうと開きかけた唇を噛む侍女の瞳から、次々と涙が零れ落ちる。目じりに触れ、拭う。
「何を泣く」
 疼く痛みをこらえるような三成に、泣きながら微笑みかける侍女がはにかんだ。
「――うれしくて」
「何が、嬉しい」
「石田様が、また――声をかけてくださったことが、うれしいんです」
 息を飲んだ三成が、強く侍女を抱きしめる。そのまま身の内に沈めてしまいそうなくらい包み込んだものが、三成の胸に甘くなよやかで強いものを広げていく。子どもじみた独占欲を認識しながら、彼は腕の中の宝物に呟く。
「声など、いくらでもかけてやる。飽きるほどそばに居ればいい。貴様は誰にも、渡さない」
 腕の中で侍女が息をのみ、嗚咽を漏らす。それがおさまるまで、三成はずっと侍女を抱きしめ続けた。


2010/09/11



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