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思いそめしか
  本当に、突然にやってくるものがあるのだな、と幸村は上田城の庭から空を仰ぎながら、しみじみと思った。

 寝間着のまま部屋から出て水を飲みに来た幸村を見て、一人の侍女が声をかけてきた。
「幸村様、袖が破れてますよ」
 見ると、ぺろりとだらしなく裂けた部分が下がっている。
「すぐに、繕いますから」
「うむ、すぐに着替えて持っていこう」
 水を飲み、すぐに自室へ戻り着替えてから侍女の所へ向かう。笑顔で差し出された手に、寝間着を渡すとすぐに侍女は縫いはじめた。布が貴重な時代、ほとんどの女は裁縫が出来る。誰に頼んでも構わないのだが、幸村はいつも彼女に繕ってもらっていた。繕い物をする彼女を眺めるのが、好きだった。ほんのりと口元に笑みを浮かべ、うつむく横顔のふっくらとした頬に心を柔らかくしながら、規則正しく動き針を操る指先に目を細めて過ごす一時は、春の陽気の中に居るような気持ちになる。――静かな空間に、ただ傍に存在している。それを、幸村は好んでいた。
「幸村様」
 繕い終え、きれいに畳んだ着物を抱き締めて、女が微笑む。
「これは、洗っておきますから朝餉を召し上がっていらっしゃいませ」
「すまぬな」
 立ち上がりかけた幸村に、侍女がぽつりと呟く。
「幸村様の縫い物をしてさしあげられるのも、あと少しか無いのかと思うと寂しく感じます」
 立ち上がりかけた格好のまま、幸村の体は石のように動けなくなった。女はふわりと微笑んで、言った。
「私、もうすぐ祝言を上げるんですよ」
「――――――――嫁に、行くのか」
 擦れかけた声の問いに、女は淋しそうに、幸せそうにはにかんだ。

 それから、どう移動したかは覚えていない。気が付くと庭先に立っていた。自分の中に空虚を見付け、幸村は胸に手を当てる。
「俺は、一体――――」
 わからない。わかるのは、侍女が嫁に行くと知ったことが関係しているということだけで、幸村は自分の心の所在がわからないでいた。いつも世話を焼いてくれていた彼女がいなくなることに、淋しさを覚えているのだろうか。近しい者が遠くなることが、これほどに胸に哀愁を響かせているのだろうか。
「旦那」
 ふいに現れた声に目を向けると、佐助が腰に手を当てて首をかしげている。幸村と目をあわせると、ゆっくりと近づいてきた。
「佐助」
「佐助――――じゃないでしょ。大将んトコ行く気配ないから、心配して来たんだけど――――――――大丈夫?」
 胸に当てた手を握りしめ、幸村はうわごとのように言う。
「わからぬ」
「なにが」
「――――この胸に、突然に空虚が生まれてきたことが、わからぬのだ」
 ため息とともに視線を落とした幸村を、頭を掻きながら佐助が見つめる。
「そんだけ、惚れてたってことじゃないの」
「――――なんの、ことでござろう」
「なんのって…………。旦那ァ、自分がそうなった原因くらい、わかるよね」
 こくり、と頷く幸村に、呆れた顔で言う。
「あの子が結婚するって聞いた後の旦那ってば、本当に脱け殻みたいになってたからねぇ――――そんだけ、惚れてたってことでしょ」
「そう――――なのか」
「ちょっと旦那、自覚してなかったわけ? 傍から見てたら、まるわかりだったんだけど。ていうか、俺様二人はいつか一緒になるんじゃないかって、思ってたんだけどね」
 ふいっと、幸村の目が動き佐助に問う。肩を竦めてみせて、佐助は静かな笑みを浮かべた。
「旦那、今日はのんびり、一緒に旨い団子でも食べて、頭ん中も空っぽにしようか」
 軽く背中を叩くと、幸村は薄く目を閉じた。目蓋に、縫い物をしている侍女の姿が浮かぶ。
「――――付き合って、くれるか」
「当然でしょ」
 笑顔の佐助に、泣き笑いの顔で幸村は礼を述べた。

――――その気持ちが『恋』をしていたことだと気付かないままに。


2009/10/23



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