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瞳縫

 嗚呼――
 徳は、息を漏らした。
 人々の喧騒が、遠くに渦巻いている。徳の周囲から音がはじき出され、見えない囲いで覆われていた。
 嗚呼――
 目の前には、紅蓮の鬼が居た。
 ひた、と見据えられる目の鋭さ強さに、徳の周囲から音がはじき出されたのだ。
 このまま――
 時が、止まってしまったように感じた。
 このまま――
 止まってしまえばいいと、願った。
 ゆっくりと、紅蓮の鬼が手にした槍を構える。射抜くようなまなざしに縫いとめられ、徳は世界から切り離されていた。
 嗚呼――
 乞うように、鬼を見上げる。
 ゆっくりと、槍が振りかぶられた。
 それを、そのままこの胸に――
 紅蓮の鬼のまなざしを見つめる。彼の瞳に自分が映っていることを確認するように。
 そうして、徳は望む。
 意識の途絶える瞬間まで、彼の瞳に映る自分を見つめていたいと。
 ドッ――
 衝撃音が、耳の後ろで響いた。
 その瞬間、徳にかかっていた魔術は解ける。
 喧騒が戻り、時間の流れが戻り、紅蓮の鬼の目が自分では無く背後に迫っていた敵であったと知る。
 嗚呼――
 救ってもらったと言うのに、徳の胸に沸き起こったのは、安堵では無く落胆であった。
 嗚呼――
 紅蓮の鬼は身をひるがえし、長い後ろ髪とゆらめく鉢巻を徳に見せながら走り去ってゆく。
「おぉおおおおお!」
 雄叫びをあげて遠ざかる背中は、徳を一度も振り返らない。

 幾度目かの、気付かぬほどに無意識にこぼすため息に
「手元、おろそかになってるけど」
 真田忍の長、猿飛佐助の声がかぶさり、徳はあわてて目を上げて彼を見た。
 徳は、まだここに来てからそれほど経ってはいない。だからだろうか、佐助は彼女を人よりも気にかけてくれているように、思っていた。
(私が、女だからだろうか)
 それも、あるだろう。女で、男の忍のように戦忍として出ていくものは、珍しい。多くは、工作員としてのみの働きを行っている。
「先の戦、びっくりした?」
 横に佐助が座り、徳は少し体をずらした。眉を下げた笑みを浮かべ、顔を覗くようにしてくるのは、長のクセなのだろうと、徳は思っている。そう思うくらい、徳は彼が自分を気にかけてくれているのだと、思っていた。他に彼がそうしているのを主である真田幸村以外の人間で、見たことが無い。
 徳は、自分をひどく気にかけてくれる長が若く、やわらかな雰囲気で自分に接してくれることに、気安さを感じていた。女の身でありながら戦忍に出る。それを、認めてくれぬ者も居る。
 同じ里より出た、長の知己である上杉のかすがも、戦忍だ。彼女の事を気にかけているがゆえに、同じように戦忍として働ける徳を気にかけているのだと言う者も居た。
(けれど、私は、私だ――)
 徳は、自分に向けられる佐助の笑みは、自分だけのものだと思っている。向けられる優しさも、見たことの無い女忍のことがあるからではないと、思っていた。
「まあでも、初陣にしちゃあ、上出来だったよ」
 ぽん、と肩を叩かれて、じわりとそこに温もりが灯ったような気がした。
 面映ゆさに、目を伏せる。
「ですが、主の手を煩わせてしまいました」
 細く言えば
「ああ――」
 佐助が頷いた。
 長が、ひどく幸村を大切に扱っていることは言うをまたないほどに、皆が知っている。その長の大切な人に、忍風情の自分が命を助けられた。
 初陣で、血の匂いに当てられ人々のうねりに呑まれた自分を救った紅蓮の鬼の姿を思い出す。
 嗚呼――
 吐息が、漏れた。
「気に病むことは、無いぜ? まだまだ、これから働く機会は山ほどある」
 佐助の慰めは、自分が落ち込んでいると思ったからだろう。悔やむ吐息だと思ったからだろう。けれど、違う。この吐息の正体が何なのか、徳は知っている。
「長――」
 不安げに目を向けると、優しく深い、けれど底の見えない闇が広がる瞳が、徳を映した。
(違う)
 徳が求めている瞳は、違う。
「幸村様に、目通りが出来るようになるには、どれほどの技を見に付ければ良いのでしょうか」
 おや、と佐助の眉が片方、器用に上がった。
「旦那に、会いたいの?」
 頷けば
「んじゃ、会いに行こうか」
 こともなげに言われ
「えっ、え」
「ほら」
 徳の腕を取って立ち上がらせた佐助は、そのまま彼女を連れて屋根を伝い屋敷の中庭に降りて
「旦那」
 ぼんやりと濡縁に坐して庭を眺めていた幸村に、声をかけた。
「おお、佐助」
 にこりとした幸村は、少年の丸みを残した顔で子どものような笑みを浮かべる。
「こいつがさ、旦那に会いたいって言うから、連れてきた」
 とん、と背中を叩かれて数歩進む。いきなり対面が叶っても、どうしてよいのかわからずに、徳は体の前で手指をせわしなく組み直しながら、幸村を窺うように見た。
 何の含みも無く、ただ、笑んでいる。
(違う――でも)
 あの時の、自分を縫いとめる瞳の鋭さの片りんすらも無い瞳は、包み込むように徳を見つめている。
 嗚呼――
 佐助に肩を触れられた時よりも、ずっと熱いものが胸にこみあげてきて
「っ?!」
 ぼろぼろと泣き出した徳に、幸村は膝を浮かせた。
「い、いかがした?!」
 傍に駆け寄ってこられ、目の前に立たれ、幸村の香りがして
(ダメだ)
 泣き止まねばならぬとわかっているのに、沸き起こるものが抑えきれない。彼が傍に寄ったことで、更にそれが膨らみ、徳は身を震わせて泣き続けた。
「さ、佐助」
 おろつく幸村の声が、頭上から降ってくる。
「罪な男だねぇ、旦那ぁ」
 にやにやとした佐助の声が聞こえた。――長は、私の気持ちに気付いているのだろうか。
「何を泣いている。俺が、何かしたか」
 問うてくる幸村に、ただ首を振ることしかできない。
「如何すればよいのか」
 心底困り果てた呟きに
「も、申し訳、ありませッ――」
 嗚咽の合間に謝罪をするしかできない。
 幸村の困惑している気配が、伝わってくる。困らせたいわけでは無いのに、こみ上げてくるものが止まらない。
 なんとかしなければ。なんとか、何かを言わなければ――
 けれど、何の言葉も浮かばない。頭の中が渦を巻いたようになっている。
「ッ……」
 下唇を噛みしめて、なんとか顔を上げる。見上げれば、少し安堵したような茶色の瞳に、涙で顔を濡らし、情けない顔をした自分が映っていた。
 嗚呼――
 深い、深い包み込むような瞳に、安堵を覚える。ずっと、この瞳に映り続けたいと願う。――あの時に、あの瞳で射抜かれたまま時を止められていたなら…………。
「射抜かれとうございました!」
 思わず口をついてでた言葉に、自分でも驚きながら目を丸くする幸村を見つめる。
「あのまま、貴方様の槍に貫かれて時を止めとうございました!」
 どういうことなのかがわからぬ幸村が、目を動かして佐助を見ようとする。
 (嫌だ)
 瞳がそれるのを阻止するように、徳は言葉を重ねた。
「先の戦で、幸村様に助けられました」
 幸村の目が、徳から逸れ切らずに戻った。
「その時に、御手の槍で貫かれたいと、望みました」
 顔を歪める徳の言葉に、しっかりと頷いた幸村は
「気に病むことは無い。生きておれば、さまざまに働くことが出来よう」
 徳が、救われたことを気に病んで泣いたのだと、判じた。
(違う)
 そうは思っても、否定をすることはかなわない。
 嗚呼――
 まっすぐに、気遣うように細められた瞳に自分が映っている。
「傍に……お使いいただけますか」
 声が、震えた。
「うむ。――共に、お館様のご上洛を、目指そう」
 それが彼の望みなら、この身の全てを刃と変えて立ち働こう。この人の首にかかる渡し賃を、目の黒いうちは使わせてなるものか。
 徳は、力を込めて自分を映す瞳に親しみを感じた。共に歩もうと誘う気配に、心を震わせた。
「戦忍で、よかった」
 ぽつりとつぶやいた自分が、幸村の目の中で女の顔をして綻ぶのを見た。
「共に、戦える」
 滲む喜びを口にした徳に、幸村の表情も和らいだ。
「ちょっとちょっと。二人の世界に入って、俺様の事を無視なんで、ひどいんじゃないの」
 はっとした徳が、あわてて幸村の傍から飛びのいた。
「も、申し訳ありません」
 真っ赤になって言うのに、そっと耳に唇を寄せてきた佐助が
「旦那に、惚れた?」
 囁いた。
「ッ!」
 体中を朱に染めた徳に、にやにやと意地の悪い顔をした佐助が幸村の傍に寄り、肩を叩く。
「罪な男だねぇ」
「何のことだ」
 瞬く幸村に
「ま、旦那は一生気付かないかもよ」
 含みを持たせた流し目を、佐助は徳に向ける。
「そのようなつもりでは……」
「どのようなつもりか、聞いていないし言っていないけど?」
 小首を傾げられ、徳は膨れて口をつぐんだ。
 佐助と徳を交互に見やり、ふうむと音を漏らした幸村が
「小腹がすいたな。佐助、茶と団子を頼む。ええと……」
「徳だよ。徳」
 佐助の言葉を受けて頷いた幸村が
「徳。団子が嫌いでなくば、共に、どうだ」
 笑んだ。窺うように佐助を見れば
「いいんじゃない」
 いつもの、世話を焼くときの笑みになって頷かれ
「ご迷惑でなければ」
 徳が、はにかんだ。
「それじゃ、さっそく準備をしに行きますかねぇ」
 佐助が、幸村の肩に腕を回して
「二人きりになっても、変な事しないでよぉ? 徳は、見込みのある忍なんだから」
「変な事?」
 瞬く幸村に
「年頃の、男女ですから」
 口の端を意地悪く持ち上げた佐助が、何やら耳打ちをし
「はっ、破廉恥だぞ佐助ぇ!」
 幸村が拳を振るうのをよけて、姿をくらました。
「ううっ――」
 赤くなった幸村の姿に、徳の胸がほわりと温かくなる。それを顔に滲ませると、ごほんと咳払いをした幸村が
「その、なんだ。座らぬか」
 先ほど、自分が座っていた場所を指し
「はい」
 頷いた徳は、濡縁に腰を下ろした。人ひとり分を開けた距離で、横に並ぶ。
 さわ、と二人の間を風が抜けた。
「よい、天気だな」
「はい」
 穏やかに、雲が空を進んでいく。
 この人の傍で、散ろう――
 想い極めた徳が、伊達政宗の存在を知り、身を捩るほどの羨望からなる嫉妬に身を焦がすのは、まだまだ、先の話――――

2012/08/28




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