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永久に共に

 穏やかな風が、焦げ茶色の髪をくすぐる。ふわりと風が薫ったのに、真田幸村の唇がほころんだ。
「おおい、こっちにも運んでくれぇ」
 戦の後の普請の現場。それを、彼は眺めていた。
「ふぅ」
 息を吐く。戦は、終わった。彼が望む、彼の主君である武田信玄の上洛にともなう天下という結果では無いが、幸村の胸に無念は無かった。形は違えど、彼の師が望む世への一歩が踏み出されていた。
「旦那」
 先の戦では自分を「大将」と呼んでいた腹心の忍、猿飛佐助が小袖姿に風呂敷包みを抱えて呼んだ。
「おお、佐助」
「けっこう、順調に進んでいるみたいだね」
「うむ」
 普請をする男たちや、それを世話する女たち、興味深げに眺める者や端材で遊ぶ子どもたちの顔は、疲れは見えているが晴れやかで、解放を心から喜んでいるように見えた。
「おお、真田。こんなところに居たのか」
 力強く、けれど耳あたりの良い声に顔を向ける。人懐こい顔の男が片手をあげて挨拶としながら近づいてきた。
「徳川殿」
「――良い、眺めだな」
 横に並んだ徳川家康が、普請場に目を向ける。とび色の目を細め、まことに、と同意した。
「彼らには、これからが本当の戦になるだろう。むろん、ワシらもだ」
 楽しげな声に、首をかしげる。
「戦よりもずっと、頭を使うことになるだろう。皆が笑って暮らせる世の為だけに、働かねばならんからな」
「旦那、知恵熱出さないでよ」
「ぬっ」
 佐助のちゃちゃに、真っ向から文句を言えぬ幸村に、家康が声を上げて笑う。
「真田――おまえは、良い男だな」
「か、からかわないでくだされ」
「からかっているんじゃない、褒めているんだ」
 ぬぅ、と納得しかねる幸村の肩をたたき、それじゃあなと家康が立ち去る背中を、不思議そうに見送った。
「佐助、あれは、俺は褒められたのか」
「ああ、うん、まぁ――褒められたんだろうけど、どういう理由かを聞くのは、野暮だからね、旦那」
「そうなのか」
「そうだよ。――さ、俺様はこれを運んで来るけど、旦那はどうする」
 風呂敷包みを見せながらの問いに、ちらりと普請場へ目を向けた幸村にニヤリと笑う。
「気になるなら、行って手伝ってやれば」
「な、何を――」
「香澄」
 佐助の言葉に、ぎくりとした。
「うかうかしてたら、他の男に取られちゃうかもねぇ」
「な、何を言う」
「まるわかりだっての。――俺様以外にも、気付いてそうな人は、居ると思うけどねぇ」
「な、なんと――」
 狼狽える主にふふんと面白げに鼻を鳴らして、忍が去る。なんとも複雑な気持ちになりながら、幸村は普請場で茶や食事の用意をしている女たちに目を向けた。そこに、ひときわ目を引く娘が居る。――とびぬけて美人であるとか、そういう意味ではない。ただ、幸村の目を引く、というだけのことだ。
(香澄殿)
 胸中でつぶやき、そっと息を吐く。どのような時も笑みを絶やさず――無理にでも笑みを作り、誰に頼らずとも一人で立ち生きてゆく――そのような気概を感じる彼女が、時折、拭いがたい悲哀を瞳に乗せることを、幸村は知っていた。
 気づかぬうちに、首から下げている六文銭を握りしめる。
 気を張らねば生きていけない世は、終わった。泣く暇も場所も、これからの世は抱えている。
(なれど)
 一人そっと隠れて、月を見上げていた彼女の横顔を思い出す。あれは、いつだったろうか。

 戦より帰り、皆が寝静まり、中途半端にくすぶっている自分を持て余して眠りにつけず、水でも飲もうかと部屋を出た。庭先に隠れるようにして月を見上げる人影に気付き、気配を殺して近づくと、それは香澄であった。
 ――本当に、そう思う?
 笑みを浮かべ、嘆く人々の言葉をさらりと受けながら立ち働く彼女を、強いおなごだと感心した自分に佐助が言った言葉を思い出す。
 ――ま、強さにも、いろいろあるからねぇ。
 意味が分からずに、聞き流していた言葉がよみがえった。目の前の香澄は、月光にすら耐えかねて崩れてしまいそうに、見えた。
(――ッ)
 声をかけたいのに、かけるべき言葉も見つからず、また何かが喉につかえてもいて、幸村はただ、月を見つめる彼女を瞳で支えた。
 堪えているわけではなさそうなのに、涙をこぼすことの出来ない彼女が、安心して弱音をさらすことの出来る世を作りたいと、漠然としながらも確固たる願いを乗せて――。

 そして今、平定した、とは言い難いが一応の天下統一がなされ、各地の主だった当主らが同盟や協定を結び、武器の代わりに鍬や鋤、釣り網や竿、普請のための道具を手にし、兵法を縛り論語を紐解き、嘆く暇が人々に与えられた。
(香澄殿)
 それでも彼女は、誰に弱音を吐くことも無く、嘆く余裕のできた人々に笑みを向け、変わらず動き回っている。けれど、その横顔に時折さみしさのようなものが浮かび始めているのを、幸村は気付いていた。
「お、甲斐の若虎――どうしたんだ、こんなところで」
「キキィ」
「おお、前田殿。夢吉殿」
 きっちりと前田慶次と肩に乗る小猿の夢吉に頭を下げる幸村に、かたっくるしいなぁと派手な出立の男が笑う。
「ほんっと、真面目が服を着て歩いているみたいだよなぁ」
「ぬぅ」
 わずかに渋面になった彼に、褒めてるんだってと言い添えた慶次が普請場に目をやる。
「みんな、すごく楽しそうだ」
「まこと――楽しそうにござる」
 そう言う幸村の目は、香澄に向いていた。
「いい奴も悪い奴も、男も女も、年よりも子どもも、みぃんな楽しく暮らせる強い世の中に、していかなきゃな」
 ――秀吉が、望んでいたような。
 ぽつ、とそんな声が聞こえた気がして幸村は慶次に目を向けた。
「本当の強さってのは、弱音も受け止められるくらい、懐の深い世の中だと、俺は思っているよ」
 その声は幸村にではなく、高く遠い場所へ風に乗って運ばれていく。
「人の弱音を受け止められる余裕も無いなんて――悲しいからさ」
 幸村の目が、慶次の胸にある守袋を映した。愛した女性が、目の前で大切な友の手により命を奪われるというのは、どういう思いなのだろうか。それを糧に、そのような想いを誰にも味わわせたくないと走ってきた男には、一応の終戦がどのように見えているのだろう。
「これで、みんなイイ人と別れ別れになることなく、利とまつ姉ちゃんみたいに睦まじく過ごせるように、なるといいな」
 戦場で、助け合う夫婦の姿は幸村も見知っている。彼らが、人がうらやむほどのオシドリ夫婦であるということも。
 破廉恥な、と初めて目にしたときは口にしたが――今では微笑ましくもうらやましいと、思えていた。
「俺も、そろそろ恋の一つでも、咲かせてみようかなぁ」
 大きな独り言を放ちながら、頭の後ろで腕を組む慶次が意味深な目を幸村に向けた。
「アンタも、その六文銭を預けられるような相手を、見つけなよ」
「六文銭を――」
「地獄の船の渡賃を、身に着けておかなくてもいい世の中にしていかなきゃ――だろう」
「キィイ」
 同意を示す夢吉に笑みかけ、ちらりと横目で幸村を見る。
「ま、その相手は決まっているようだけど――さ」
 え、と目を瞬かせた幸村へ、人の悪いからかい顔で鼻を寄せる。
「うかうかして取られた時のヤケ酒には、つきあってやるよ」
 ばんばんと乱暴に幸村の背を叩く慶次は心底楽しそうに普請場へ足先を向け、昼休憩を始めた面々に声をかける。すっかり打ち解けているらしい彼の姿に、楽しげな様子にまなじりを下げ――香澄が慶次と親しげに笑みあう姿にチリ、と胸を焦がした。
 強く、六文銭を握りしめる。
 いつだったか、誰だったか――守るべきものがあるのなら、決して死んではならない――そんなことを言っていたと思い出す。守るために死ぬのは、自己満足でしか無い、と。
 戦場で命を落とすは本望と、信玄の為に槍を振るい駆け抜けてきた幸村に、その言葉は理解しがたいものであった。好敵手である奥州の竜と全身全霊をかけてぶつかりあい、その先に果てたとしても、自分は至上の喜びに打ち震えて黄泉路を進んでいただろう。
(なれど)
 今は、と首をかしげる。槍を完全に捨て去れる世になるのは、まだまだ先だろう。けれど、今までとは戦の質が違っている。どう、と明確に言うことはできないが、漠然としながらも感覚としてはっきりと違いを理解していた。
(六文銭を、預ける)
 いつでも死出に赴ける渡賃。それを預けるということは、俗世にとどまりたいと――生き続けると、そう、覚悟を決めたことになりはしないだろうか。そして、預けた相手と――
 カッ、と頬が熱くなった。その瞬間、思い浮かんだ姿に胸が熱くなる。六文銭の形が掌に残るほど強く握りしめ、唇を引き結び、決死の覚悟のようなものを、固めた。
「よし」
 思い立ったが吉日、というのか――幸村は確固たる想いを抱え、皆が昼餉を楽しんでいる場へ足を向け
「香澄殿」
 名を呼び、目を丸くした彼女へ、緊張した面持ちで告げた。
「少し、よろしいか」
 不思議そうな顔をしながらも頷く彼女に頷き返し、歩き始めた幸村と香澄の背中を、好奇や温かなからかいの視線が押した。
 そのまま無言で少し歩き、川べりの、桜の傍で立ち止まる。数歩遅れてついてきた香澄も、足を止めた。
「急に呼び立てて、すまぬ」
 香澄が、ゆるくかぶりを振った。
「その――なんと申せばよいのか」
 歯切れの悪い幸村を、緊張した面持ちで香澄が見つめる。それが幸村を追い詰め
「えぇい」
 勢いのままに首の紐を引きちぎり、香澄を驚かせた。
「――ッ、その、これを、預けたいのだ」
 わずかな不安を湛えながらも、まっすぐに香澄を見つめて手の中の六文銭を差し出す。
「これからの世を、共に――生きよう」
 みるみるうちに香澄の目が開き、零れ落ちそうになる。そこで、はたと幸村は気付き、言いなおした。
「俺と共に、生きてほしい」
 彼女が弱音を吐ける強さを、場所を――与えたい。それが自分でありたいと望む幸村の瞳は、不器用ながらも強く香澄を包み、抱きしめていた。


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オニギリザムライのアンゾ〜様より戴いたイラストから出来た話でした。

2012/04/03




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