踊るように高く結い上げられた髪を揺らしながら、前田慶次は右へ左へ体を傾けつつ、大股でゆっくりと道を歩く。その肩には、相棒である小猿の夢吉が、気持ちよさげに目を細めて座っていた。 川の上を滑ってくる風が、心地よい。 そうしてぶらぶら歩いていると、ぐぅうと腹の虫が鳴った。「おっ」 腹をさすって、照れ笑いを夢吉に向ける。夢吉も、同じように腹をさすってみせた。「なんだぁ。夢吉も、腹が減ってんのか」「キキィ」「そうかぁ――と、言っても、周囲に茶屋の、影は無しっと」 手庇で見回すが、街道と川、それに沿うように木々が生えているだけで、民家すらも見当たらない。夢吉も真似をして、落胆して見せる。「ま、もう少しの辛抱だ、夢吉」「キキィ?」「奥州名物の食えない男に、食えるものを貰いに行けばいいさ」「キッキィイ」 肩で跳ねる夢吉が、急かすように道の先を指さす。「ははっ。そうだな。ちょっくら、足を速めていくとするかぁ」 歩き出した慶次の歩幅は大きく、常人よりもずっと早い。けれど頭の位置は先ほどと違い、動くことが無かった。 滑るように進む彼の足の運びは、足元が隠れていれば船に乗っているか、または足の無い妖の動きのようになめらかで、見る者が見れば只者ではないと知れる。それを何の意識もせずにやってのける彼の力量は、これから向かう先にいる奥州名物――独眼竜、伊達政宗に勝るとも劣らない。 大刀を背負い、傘を差して進む彼の風体は大道芸人のようにも見えるが、れっきとした加賀は前田の次男坊であった。 先の戦で旧友、豊臣秀吉を止めることが出来ずに失い、それを討った徳川家康に気まずさを覚えながらも、彼の目指す泰平の姿は慶次の望むものであると知り、家康のもとで天下統一が成ってからは、ぬぐいきれぬ形を持たないわだかまりを抱えつつも、治まったとはいえ戦の余波が消えぬ世を、次男坊という立場であるがゆえに自由のきく身で諸方を回っていた経歴を生かし、ふらりふらりと日ノ本全土を見回っては民の暮らしやさまざまなことを、家康以下、世を治めんとする者へ伝える役を、誰に言われるともなく担っていた。 そして今は、そのぶらり旅のような自ら見出した役のために、奥州へ向かっている。「のどかだなぁ」「キィ」 常人の走るほどの速度で進みながら、慶次はゆったりとした顔をしている。その速度以上の歩みを知っている夢吉は、遊山をしているように落ち着き払っていた。 そのまま進んでいくと、やがて田畑の広がる里に出た。 派手な風体で、体を揺らすことなく進んでいく慶次の姿は、嫌でも人の目に留まる。「あ、前田の兄さん」「慶ちゃん」 幾度か来訪するうちに、人懐こく物怖じしない慶次は知り合いをそこここに作っていた。 彼の姿を見止めたものは、親しげな笑みを浮かべて手を振ってくる。「おう! 元気そうだなぁ」「キキィ」 慶次が手を振れば、夢吉も手を振った。「そんなに急いで、何処に行きなさる」「ちょっと腹が減ったんで、独眼竜にごちそうになろうかと、思ってさ」「キッキキィ」 慶次が、領主である伊達政宗に、馳走してもらおうと言える立場であることは、里のものたちも知っている。「そいつぁ、たぁんと良いものをこしらえてくなさるだろうなぁ」「俺も、すっげぇ期待してる」 呵呵と笑う里の男に、子どものような顔をして言う慶次の腹が、追随するように鳴った。「おっ」「腹の虫は、待ちきれねぇようだなぁ」「はは――じつは、腹が減りすぎて途中で倒れちまうんじゃないかって、心配してるんだ。なぁ、夢吉」「キッキキィ」「そんなら、大したものは無ぇが、少し腹にいれていきなされ」「ほんとかい」「キィッキキ」「ちょうど、休みを入れようと思うていた所だし。なぁ」 男が他のものへ顔を向ければ「寄って行きなよ」「たぁんと、あるからさぁ」 次々と誘いの言葉を投げかけられて「そいじゃ、ま。ご相伴に預かるとするかねぇ」「キィキッキ」 街道からあぜ道へ移動した。 男たちと共に座ると、女たちが茶瓶と餅を手にやってきた。「久しぶりだねぇ」「今まで、どのあたりをほっつき歩いてたんだい」「ほっつき歩くって――なんだか聞こえが悪いなぁ」「キィイ」「なんだい。じゃあ、何していなさった」「う〜ん」 少し考えて「やっぱ、ほっつき歩いてた、が的確かもなぁ――うん、うまいっ」「キッキィ」 慶次を中心に、笑みの輪が人々の間に広まっていく。その顔の裏にある悲哀を、慶次は知っていた。 慶次に茶を淹れる女は、子を失っていた。 その横で餅を勧めてくる女は、野党まがいの足軽に乱暴を働かれている。 慶次の横で今年の稲の具合を離す男は、肘より先の左腕が無かった。 年よりも老けこんで見える男は、歩兵としていく度も戦い、疲弊して流れ着いた下級武士だった。 村を焼かれて流れ着いた者もいる。 素性を明かしたがらぬ者も、いた。 それらが今、楽しげに平穏を過ごしている。 ふと、慶次の脳裏に、人情を重んじる男、長曾我部元親の姿が浮かんだ。 彼は、天下分け目の戦の終わりに、民の戦はこれからが始まりだと言った。 諸国を回りながら、その言葉を実感として、慶次は身に染み込ませている。(本当に――) 好かった、と思う。奪い合い、殺し合う必要はもう、無い。 けれど、それは大きな戦が消えたというだけの事だ。傭兵として動いていたものたちや、戦の折に乱暴狼藉を働き、それに旨味を覚えたものたちは、野盗と化してしまっている。何もかもを失ったものたちは、居場所を見つけられずに彷徨い、息絶えていく。親を失った子どもたちは、売買され過酷な労働を強いられたりしている。城下町の外では、武家や商人などのおこぼれで食いつなごうとする乞食などが、たむろしていた。そして、そのようなものたちを、食いものにしている輩がいる。 中国地方を歩いていた慶次は、毛利元就の冷徹な、一切の容赦もない治世を見てきた。表面上は、なるほど整っていると言えようが、治安を守るために追い払われたものたちが、顧みられていないのではないかと言うものがいる。(毛利の兄さんも、必死なんだ) 彼の本質が、見た目通りの鋭利さのみであるとは、慶次は思えない。それは、とりもなおさず真逆の気質をしてみせて治世を行う元親が、元就のことを、領土が隣り合っていると言う事以上に、何かと気にかけていることにも起因していた。 風紀を正すために追いやられたものたちが、おしこめられる長屋がある。――そこを見回ろうとして、きつく止められた。そこに住まうものが一人もいなくなることが、元就の目的だと聞いている。それはつまり、保護をしていると捉えられなくもなく、元就の領土を守るために如いたもろもろの戦の折の政策を念頭にしている人々が、おしこめられたものに同情の念を向けていることは、違うのではないかと慶次は感じていた。 四国に渡ってそれを告げれば、元親も同じように思っていたらしく、やっこさんは不器用だからよ、などと言って苦笑していた。 そのように、そこここには、未ださまざまの問題があり、日ノ本が統一されたとはいえ、戦に疲弊しつつも慣れたものたちが、実感としてそれを認識するには早かった。不安をあおり、争いを起そうとする不届きものや、あやしげな説法をするエセ法師なども存在している。 それらすべて――民の心が平定されてこその天下統一であり泰平だと、慶次だけでなく、家康も元就も元親も、これから向かう先にいる政宗も、また彼ら以外の大名らも、認識していた。「さて、と」 里のものたちとの会話を楽しみ、彼らの中に淀むものが無いことを確認した慶次は、腰を上げた。「そろそろ、行くよ。あんまりのんびりしていちゃあ、着くのが夜中になっちまう」「キッキキキ」 草の上に降りていた夢吉が、慶次の体を駆けあがり、肩におさまった。「帰りに、また寄っておくれな」「うん。寄れそうなら、寄ることにするよ」 確約はしない。――道中、何が起こるかは、まだまだわからない世の中だから。そして里の者たちも、それをわきまえている。だから、それ以上の確信ある返事を要求しなかった。「それじゃ」「気ぃつけて」「ありがとう」 手を振り、街道へ戻る。そこでもう一度振り返り、慶次と夢吉は大きく手を振った。里のものたちも、手を振りかえす。「さ、行こう。夢吉」「キキッ」 再び、滑るように歩み出した慶次の前に、そびえたつような綿雲が、青空に浮かんでいた。それに向かう慶次の髪の羽根飾りが、大空へ向かって飛び進んでいる鳥のようにも見えて――。2012/07/28