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冴え返る

 空は春の日差しを抱えているのに、地上にあるのは冬の空気。
 そんな里で、真田幸村は蓑に藁沓、という姿で雪を鋤で掻いていた。
「幸村様手ずから、ありがとうございます」
「これも良い鍛錬になるからな。気にするな」
 恐縮する老爺に笑いかける幸村の背後には、雪の山がそびえている。寒さが緩んだかと思った矢先に吹雪き、道が塞がってしまったのを通れるようにと雪をどけてできたそれに、子どもたちが歓声を上げて集まってきた。
「すっかり冷えなすったでしょう。何もありませんが、温かいものを用意しましたので、どうぞ」
「これは、かたじけない」
 雪掻きという重労働で汗ばみこそすれ冷えてはいなかったが、せっかくの好意を無下にするのも気が引けて、幸村は老爺の後について彼の家に上がり、囲炉裏端へ腰を下ろした。囲炉裏にかかっている鍋の中で、大根と干し肉が煮えている。
「なんもありませんが」
「丁度、腹が減っておったのだ。ありがたい」
 椀に注がれた汁を受け取り、すする。干し肉から良い出汁が出ており、大根に染みていた。
「うむ、旨い」
 なくなるのではないかと思うほど、老爺の目が細められる。
「まだまだ、おかわりがありますでな、ゆるりと召し上がりませ」
 言いながら、ぽんぽんと老爺が芋を鍋に追加した。
「ああ、いや。しかし、あまりいただいては」
「倅が出稼ぎより帰ってくるまでは、老人の一人暮らし。幸村様が今、腹がくちくなるまで食べられたとしても、食料が尽きることなぞ、ありませんで」
 それでもわずかに遠慮の気配を見せる幸村に、白湯をすすりながら老爺が言った。
「一人の食事は、なんの味もしませんでなぁ。枯れ枝を相手にするんは退屈でしょうが、居て下さると有りがたい」
 里は、大体の者が雪に閉ざされる前に出稼ぎに行ってしまう。帰ってくるのは雪が解ける頃。それまで、兵士以外の若者はほとんど里から姿を消してしまう。だからこそ、雪掻きをしに幸村が来た。そのことに思い至り、彼は恥じるように身を正して頭を下げた。
「これは――申し訳ござらぬ」
「あぁ、いやいや。幸村様、頭をおあげくだされ。このような者に頭を下げる必要など、ありますまいに」
「いや。考えが至らず、ご自身を卑下するようなことを言わせてしまったは、俺の責。申し訳ござらぬ」
 ほほ、と柔らかく老爺が声を上げた。
「幸村様は、まっすぐなお方ですなぁ」
 独り言のような、話しかけているような、どちらでもないような声に頭を上げると、手を差し出された。
「先ほど入れた芋も、煮えている頃合いですから」
「では、遠慮なく」
 空になった椀を差し出すと、並々と汁が注がれた。受け取り、口をつける。
「旨い」
 老爺も口をつけながら、湯気のような笑みを浮かべた。
「まだまだ、春は先のようですなぁ」
「雪もまだ、あとひと月はこのままだろうな」
「狐が里に下りてまいりましたで、そろそろとは思うとりますがの」
「狐が」
「大方、腹でもすかしておったのでしょう」
「冬は、人も獣も食べるに難儀をするのだな」
「人は、蓄える知恵がありますでな」
「獣よりは、難儀はせぬか」
「まぁ、獣も知恵があるから、冬を越せるのでしょうがなぁ」
「獣に学ぶべきことがあると、申されるか」
「学ばないことは、ありますまいなぁ」
 そういえば、この老爺は猟師であったと幸村は思い出す。
「どのようなことを、獣から学ばれた」
「そうですなぁ」
 ゆっくりと立ち上がった老爺は、土間の隅に置いてある甕から何かを掬い、薬缶に入れて戻った。
「これも、学んだことの一つですな」
 湯呑に注がれたものを渡され、鼻を近づけるとむせるほどの香がした。
「酒、でござるな」
「猿が、木の洞に果実を隠したものが醗酵し、猿酒になることがまれにありますで。少々もろうたりして楽しみにしとります」
 いたずらをする子どものような光を老爺の目に見つけ、幸村も同じように笑いながら湯呑を少し持ち上げる。
「ご相伴に、あずかりもうす」
 にこにこと、湯呑を傾ける。
「なんと甘い」
「よろしければ、少しお持ちになりますか」
「お屋形様への土産とさせていただこう」
 それでは、と腰を上げた老爺と汁をすする幸村の耳に、子どもたちの悲鳴が聞こえた。外に飛び出た幸村の目に、ぼろ布のような着物を纏った男が三人、子どもたちを脅しているのが見えた。
「何をしている」
「ちぃとばかし、酒と食いモンを都合してくんねぇかと思ってよぉ」
 さびかけた刀を下げて、男がすごみながら近づいてきた。
「なるほど。狐のように里に下りて食料を求めに来た、と」
 先ほどの老爺との会話を思い出し、つぶやく。
「ちょっとばかしでいいんだよ。できれば、女も都合してくれると、ありがてぇんだがな」
 げらげらと、品のない笑いを男たちの背後で、子どもたちはおびえ、身を寄せていた。
「破廉恥な」
「おいおい。雪に閉ざされてすることがない時は、それ以外に愉しみなんざ、無いだろうが」
 他の二人も、威嚇をするよう肩をそびやかして幸村に近づいた。
「とにかく、酒と食い物。さっさと出しやがれ!」
「お断りいたす」
「なぁ、痛い目は見たくねぇだろ。俺らも、手荒なことはしたくねぇんだよ」
「なれば、働き、その代価として酒と食事を求められてはいかがにござる」
「あのよぉ。そういうのが出来ねぇから、こういうことしてんだろう――がっ」
 語尾に合わせて刀が振るわれる。それを交わし、壁に立てかけておいた鍬を手にした幸村に、男たちは色めきたった。
「っ、やろう!」
 かまえ、突進してくる男たちの前で幸村の気配が一変する。彼の纏う、ふわりとした人を受け入れる柔らかい雰囲気が、薄氷のような鋭さに変わったことに気付いた時にはすでに、攻撃をかわされざま打ち据えられていた。
「うう」
 痛みにうずくまる三人に、鍬の先を向ける幸村の背後で、のんびりとした老爺の声がした。
「幸村様は、この時節の気候のようですなぁ」
「ゆっ、ゆきむら?!」
「ま、まさか――真田幸村とか言わねぇよな、アンタ」
「その、まさかだ」
「ひぃい」
 男たちが幸村の正体を知り、痛み以外の理由でうずくまる。彼らをどうしようかと思う幸村の横で、老爺が呟いた。
「猿の世界では、負けたものは勝ったものに従いますが、人は、どうでしょうなぁ」
 それにうなずき、男たちに言う。
「野党を行うくらいならば、腕に自信があろう。その腕、甲斐武田の為に使わぬか」
 あわてて身を起こした男たちが平伏する。それを見て、幸村と老爺は顔を見合わせ微笑みあい、子どもたちは単純に幸村が悪者を懲らしめたとはしゃぎ始めた。
「佐助」
「はいはいっと」
 山々に響き渡るほどの声を上げると、幸村の忍が姿を現す。
「郎党に、三名加わることになった。しかと鍛えよ」
「まったく――面倒くさい仕事を作るんだから。ま、いいけどね」
 肩をすくめて男三人を引っ立てた佐助と悪びれた様子もなく面倒をかけると謝った幸村を、老爺は静かに見送り小屋に戻った。
 名のみの春の足音を、すぐそばに感じながら。

2012/02/27



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