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優しいうそ

 軒下に入り込んだ猫を追いかけていた弁丸の耳に、自分の名前が届いた気がした。床下を這う手足を止めて、上を見る。ここは、屋敷のどのあたりになるのだろうか。
「佐助のことだよ、佐助」
 どきりとして、声がもっとよく聞こえる場所にそっと移動する。
「だから、なんでかわいそうなんだよ」
 声の真下に移動して、弁丸は息を潜めた。佐助とは、弁丸のよく知っている佐助だろうか。
「だから、弁丸様だよ」
「ああ」
 自分の名前が出てきたことに、緊張をした。納得をした声に、理由を求めてほしくなる。佐助がかわいそうで、そしてその原因は弁丸にあるらしい。その理由は、何なのだろうか。
 その願いが届いたのか、男たちの会話は続いた。
「真田の忍の中でも、年若いがずいぶんと優秀だそうじゃないか」
「だからこそ、弁丸様付なんだろう。でなけりゃ、並の体力じゃあ付き合えない」
「並どころの体力じゃないぞ。気力だって休まることが無いだろう」
「あの年頃の子どもは、とかくいろいろなものに興味を示すからな」
「それだけじゃない。優秀な上にあの年齢とくれば、斥候には向きすぎているだろう。なにより見目が良い。どのように身分を偽っても、もぐりこみやすいだろうな」
「気を張る任務もこなしつつ、弁丸様のお相手か。なるほど気難しいお子ではないが、素直すぎるゆえの苦労もあるだろうし、何よりその素直すぎるのと、なまじ見目が愛らしいゆえに、多少のわがままも聞き届けたくなるということもあろう」
「それに加えて仕えるべき相手となれば、気を休めることもできぬだろう。俺は、あの忍が休んでいる姿を、ついぞ見たことが無いぞ」
「この間も、任務の後に少し休めと言われた折、弁丸様が待っているからとすぐに行き、修練の相手をしていたとか」
「いつか限界が来て、倒れてしまうのではないか」
「あるいは、あの忍、人では無いのかもしれんなぁ」
 ははは、と男たちが笑いあうその下で、弁丸は両手で口を押え、身を震わせた。佐助が優秀な忍であることは、知っている。任務の間はいたしかたないと、彼が居ないことも我慢している。けれど終わればすぐに挨拶に現れ、次の任務まで共に過ごしてくれていた。それが、佐助の負担になっているなどとは夢にも思わず、弁丸は佐助を連れて修練をし、遠出をし、彼の笑顔にすべてを委ねて過ごしていた。
 ――いつか限界が来て、倒れてしまうのではないか。
 もしそうなってしまったら、どうしよう。
 ――あの忍が休んでいる姿を、ついぞ見たことが無いぞ。
 弁丸も、見たことが無かった。
 どっどっと鼓動が早く大きくなる。あの佐助が、自分のせいで身も心も休めることが出来ないなどと――そのために、倒れてしまうことがあってはならぬ。
 必死にちいさな頭で考えて、考えて、それでも答えの出ない弁丸が庭先を歩いていると、侍女の会話が耳にはいった。
「はぁ。子育ては、可愛いけど大変だわ」
「さみしいけど、早く手が離れて自分でなんでもできるようになってくれないかと思うわよ」
 ほんとにねぇ、と会話を続ける侍女の姿を見つめ、弁丸はこれだ、と思った。自分がなんでもできるようになれば――佐助を頼らなくとも良いようになれば、佐助は自分をかまう時間に休むことが出来る。佐助が任務に出ている間は、弁丸は別の者たちに囲まれて不自由なく暮らしているのだ。自分が佐助を呼ばず、佐助に頼らずにいれば、佐助が倒れずに済む。
「よし」
 小さくこぶしを握り、弁丸はそのようにふるまう事に決めた。

 任務を終えて報告を済ませ、身を清めてから何時もの通り、佐助は弁丸の元へ向かった。気配を探り、道場に居るのかと足を向ける。
「やぁああっ!」
 鋭い声を発し、指南役と槍の鍛錬をしている弁丸が居た。ふ、と指南役が佐助に気付き手を止めて、それに気づいた弁丸が振り向き満面の笑みを浮かべ――――すぐに憮然とした顔になった。
(あ、れ?)
 いつもならばここで、うれしそうに「佐助」と叫んでころがるようにやってくるのだが、弁丸は佐助に背を向け指南役に、もう一度と言っている。
 いつものように飛び込んでくるものと思って広げた手が所在無く、また指南役も弁丸の様子に戸惑っているようで、互いに顔を見合わせて微妙な顔で笑みあった。
「はやく、もう一度」
 弁丸が指南役を急かし、手合せが再開される。それが終わるまで腕を組み弁丸の様子を見ながら、佐助は自分がいない間に何があったのだろうと心中で首をひねった。
「ありがとうございました」
 ぺこりと頭を下げて片づけをした弁丸は汗まみれで、すぐに井戸端に連れて行き体を拭こうと佐助が手を伸ばす。それを弁丸はふいと避けて、必要ないと一人で井戸端に向かってしまった。
(なんだよ、急に)
 わずかに苛立ちが沸き起こった。
 任務に向かう前に変わった様子は見受けられなかった。出る前の挨拶の時に、さみしさを精一杯堪えて送り出す笑顔に、一刻も早く終わらせようと思った。それなのに、戻ってきてみれば無視に近い扱いをされている。
(誰か、何か吹き込んだのかな)
 しかし、少々のことを吹き込まれたとして、弁丸が自分を傍に置こうとしなくなるようなことになるだろうか。
 そのあとも、佐助は弁丸のあとについて回ったのだが、弁丸は佐助が居ないかのように過ごしている。けれど、その背中は明らかに佐助を意識していて、何かを必死で隠そうとしていた。
(なんなんだよ、一体)
 弁丸の態度にではなく、その理由に思い至らない自分に苛立ちが募り、ついに佐助は口走った。
「俺様のことが嫌いになったんなら、はっきりそう言ってくんないかな弁丸様。そうしたら、世話役も違う奴がついて、俺様、こんなふうに無視されてんのに後ろをついて回らなきゃいけないようなことに、ならないんだけど」
 思う以上に声に苛立ちが乗ってしまった。けれど、いまさら引き戻すわけにはいかない。
「ッ!」
 勢いよく振り向いた弁丸の目は、こぼれそうなほどに見開かれている。それが、うるんで揺れた。
(あ、泣く)
 思った瞬間、顔は背けられ、叫ばれた。
「そうだっ!」
「え」
「弁丸は、佐助が嫌いになった。だから、もう傍におらずとも、良いっ」
「え、ちょっと」
 震える肩は、涙をこらえているからか。そっと傍に寄り触れると、振り払われた。
「どうしちゃったのさ、急に。俺様、何かした? 誰かに、何か言われた? ね、何があったか、教えてほしいんだけど」
「うるさいっ! 理由なぞ無いっ! あっちへ行けっ!」
 むか、と苛立ちが怒りに変わった。
「あのね弁丸様――っ」
 無理やり体をこちらに向けさせると、溢れそうな涙をにらみつける顔で必死にこらえている姿があった。わずかにひるんだ佐助の前で、こらえきれなくなった弁丸が、しゃくりあげる。
「っ、ひ、ぅ、うう」
「泣くほど、俺様が嫌い?」
 そっとささやくと、うぇええ、と泣き声が上がった。
「俺様は、弁丸様が大好きだから、一緒に居たいんだけどなぁ」
「ばっ、ばかものぉおお」
「なんで馬鹿なのさ」
「ひぐっ、う、うぇ、さ、佐助が、佐助がっ」
「俺様が?」
「倒れてしまうぅううっ」
「はぁ?」
 さらに泣き声の高くなった弁丸を抱きしめ背中をあやすために軽くたたきながら、理由を問うた。
「なんで、俺様が倒れるのさ」
「ふぇ、さっすけが……や、休む間が無いのはっ、ひっ、べんまるっ、うぇ、がっ、ひくっ、う、ぅうう」
「ん? 俺様が休み暇がないのは、弁丸様のせいって、いいたいの?」
 こくり、と腕の中で首が縦に動く。
「それがなんで、無視と嫌いになるの」
「べっ、弁丸がっ――佐助を呼ぶゆえっ、佐助は休めぬっ……だからっ、離れなければっ、佐助が死んでしまう」
「死ぬって、あのねぇ弁丸様」
 抱き上げ、顔の高さを合わせた。
「弁丸様は、ほんとうに俺様の事が、嫌い?」
「っ――ほっ、ほんとうは、だ、だいすきだ……だいすきだがっ、きっ、きらいだっ」
「なにそれ」
 眉をハの字に曲げたまま笑い、涙と鼻水でグシャグシャになった弁丸の顔を袖で拭く。
「あのね、弁丸様。俺様そんなにヤワじゃないし、それに弁丸様といることで、ずいぶん休まっているんだけどなぁ」
 きょん、と弁丸が目をしばたたかせた。
「弁丸様と居ることで、俺様は気が休まっているし、すごく楽しいんだけどなぁ。けど、嫌われているんじゃ、仕方ないよねぇ」
 これ見よがしにため息をついて悲しげな顔を作る。ちらと相手の顔を盗み見ると、狼狽をしていた。もう少し意地悪をしてみようかと、抱き上げていた弁丸をおろし立ち上がる。ことさら肩を落として気落ちしている風を装い、ふらりふらりと背を向けて歩き出した。
「さっ、佐助」
 足を止めず、そのままゆっくりと去っていく。
「まて、佐助っ」
 追いすがる声に足を止め、こみ上げそうになる笑いを抑え込み、打ちひしがれた顔で振り返る。
「弁丸は、佐助が好きだッ!」
「そんなの、いまさら――」
 駆け寄ってきた弁丸が、しがみついてきた。必死の顔で見上げてくる。
「佐助が大好きだっ。だから、傍におれっ!」
「いても、いいの?」
「佐助は、弁丸のじまんの忍だ! 佐助が良いっ」
「ほんとに、ほんと?」
 力強く頷いた幼い主を抱きしめる。
「俺様、大感激ってね」
 くすくす笑いながら、首にしがみついてきた温かく柔らかなものに頬を寄せた。
「おかえりって、言ってくれる?」
「うむ。佐助、待ちかねたぞ。よう帰った」
 苦しいほどに抱きしめてくる幼い手が、いとおしい。
 猿飛佐助を人の世につなぎとめる楔が、また少し、深くなった。

2012/03/19



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