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雨の中のメロディ

 しと、しと――
 霧のような雨が屋根に積もり、床に落ちる。それを、ぼんやりと弁丸は眺めていた。
 しと、しと――
 湿気を含んだ髪はふくらみ、いつもよりも少し、頭が大きく見えた。
 しと、しと――
 粉のような雨が、体にまとわりつくのを楽しむように、絹のような雨に体を包まれるのを喜ぶように、柔らかな笑みを浮かべて眺めていた。
「どうしたのさ、こんな所で」
 足音も無く近づいた彼の忍、猿飛佐助の声に、顔を上げた。
「さすけっ」
 にこ、と雲の上に隠れたおてんとうさまのような顔に、なった。
「あ〜あ、濡れちゃって」
 優しい手が、弁丸の髪に舞い降りた雨粒を払い落とす。それを甘えるような仕草で受けて、弁丸が言った。
「散歩に、行かぬか?」
「ええ。雨、降ってるでしょ」
 にこぉ、と弁丸の笑みが深くなった。
「――なんで、子どもってのは雨が好きなんだろうねぇ」
 ぼやく佐助の声に了承を見とり
「支度をするぞっ」
 すっくと立ち上がった弁丸に促され
「はいはい、っと」
 困ったような柔らかい顔で、佐助が応えた。
 それに満足そうな気色を浮かべ、袴の裾をからげて帯に押し込む。小袖姿の佐助は、もともと膝の上に裾があるので、そのままで構わない。
「さあ、行くぞ」
「ちょっとちょっと、傘を持ってないでしょ」
「いらぬっ」
「いや、要るって!」
 庭に飛び出そうとした弁丸の襟首を掴み、止め
「ちゃんと、傘を持たないと行かないからね」
 唇を尖らせた弁丸が、つまらなさそうに頷いたので、手を離す。
「はい、じゃあ」
 ひょ、と佐助が掌を上に向けると、そこに傘が落ちてきた。
「おぉお!」
 拳を握り、目を輝かせる弁丸に満足そうな得意げな顔をして、ちらと天井裏に居る忍へ目配せをする。この館の小さな主を驚かせ、喜ばせることを彼らは楽しんでいた。
「佐助は、何でも出せるのか」
「ん〜? 何でもは無理だけど」
 ごそごそと懐を探り
「はい」
 包を差し出す。不思議そうに受け取った弁丸がそれを開けると
「おおっ」
 大福が三つ、入っていた。
「食べてから行く?」
 問いかけにブンブンと首を振り
「持っていく」
 包みなおして、佐助に差し出した。それを受け取り懐に入れて
「じゃあ、お茶がいるかな」
 ちら、と天井裏を見たが、さすがにお茶の用意はしていないだろう、と思った佐助の目に竹筒が映った。
(ほんと、わかりやすいんだから)
 弁丸が外に行くと言いだすだろうと予測して、おやつは持っていくと言うだろうと推測し、天井裏の忍は用意をしていたらしい。
「ほい」
 佐助が手を出すと、傘と同じように竹筒がふたつ、落ちてきた。
(ほんと、みんな弁丸様には甘いよね)
「さすがは、俺の忍だっ」
 得意げに褒められると悪い気はせず、少し照れて礼を告げようと見上げた天井裏に、からかうような目の光があり
(――ッ)
 なんとなく気恥ずかしくなって、すぐに目を逸らした。
「どうした」
「なんでもないよ」
 ほら行こうと促せば、あわてて草履を履きはじめる。ゆっくりすれば、佐助が止めると言いだすのではと心配しているかのように――この雨が、すぐに逃げてしまうのではないかと危ぶんでいるように。
「はけたぞっ」
 早くと促す声に、傘を開いて差し出しながら草履を履いて
「じゃ、行きますかね」
「うむっ」
 雨天の散歩が、始まった。

 上機嫌で、濡れた土を踏みしめながら進む弁丸を、何がそんなに楽しいのかがわからぬまま、佐助は傘を手にして歩く。
「おっ」
 何かに興味を示して動くたび、濡れないように傘を差しながら移動するのは、はじめのうちは苛立ちを感じたものだが、それが自分を信頼しているからの行為だと気付いてからは、弁丸が何に興味を示して動くのかを、楽しみにできるようになった。
 けれど、子どもというものは――佐助もまだ、子どもの分類に入るのだが――何がそんなに、と思うほど意味不明なものや、どうということもないものに声を上げて喜び、興味を示す。その脈絡の無さなどに、首をかしげることの方が、ほとんどであった。
「さすけっ」
 うれしげに名を呼び見上げてくる弁丸が手にしているのは、蛇の抜け殻で
「ああ、大きいの見つけたねぇ」
 にこりとして言うと
「さすけに、やろう」
「え、あぁ。ありがとね」
 有りがたく受け取ると、満足そうに得意げに頷かれた。
 そして再び歩き出し、カエルの声に耳を傾け姿を探し、卵を見つけて田んぼに入り掴もうとするのを止め、長めの木の枝を拾って自慢げに振り回すのに、ついていく。
「そろそろ、茶にせぬか」
「ん? お腹すいた?」
 こくり、と頷かれたがどうしようと周囲を見回し、水車小屋に目を止めた。
「あそこ、借りようか」
「うむ」
 村の者たちが共同で使う水車小屋に、人の姿は無い。傘の水滴を払い、入口にたてかけ、傘を差してはいたものの、まとわりついてしまった水を払い、山積みの藁を広げて坐するのに具合の良いようにし
「はい、どうぞ」
「すまぬな」
 弁丸の尻が藁に包まれたのを見て、佐助も横に
「失礼しますよ」
 腰かけた。
 懐から大福を取り出し広げ、竹筒を差し出す。受け取った弁丸は、まず喉を潤してから大福に手を伸ばした。
「うまいっ」
「良かったねぇ」
「うむっ」
 自分のかじる大福を持つ反対の手で、もう一つ大福を手にし、佐助に差し出してくる。それをうけとり、口にした。
「うん、美味しいね」
 笑いかけると、倍の笑みで返された。
「さすけっ」
 大福は三つ。人は二人。最後の一個を半分にちぎり、少し悩んでから大きい方を差し出してくれた主に
「俺様は、あんまりお腹すいてないから食べちゃって」
 ほんの少しの喜びと、遠慮と疑いを向ける主に
「おいしそうな匂いをさせてたら、キツネがやってきて食べちゃうかもよ」
 手でキツネのような形を作り、動かすと
「な、ならば」
 ぱくり、と食べた。
 咀嚼しながら幸せそうに目を細める姿に、佐助の目も狐のように細くなる。
「はい、ごちそうさま」
「ごちそうさまでした」
 食べ終わった弁丸に、手を合わせて言うと、小さな手があわさり、ぺこりと頭を下げながら言われた。
「もう少し、休憩をしてから行こうか」
「うむ」
 答えた弁丸は少し、眠たそうで
「いいよ、寝ても」
「ん――大丈夫だ」
 とても大丈夫とは思えない姿に
「ほら、ね」
 そっと背に手を回し、自分の体にもたれかけさせると、そのまま瞼を重くして、寝息を立て始めた。
「まったく、もう」
 すやすやと寝息を立てる姿に、くすぐったそうに、ふふと笑う佐助を、柔らかな雨の気配が包み込む。

「ん――」
 弁丸が目を覚まし、ぼんやりと身を起しながら周囲を見回す。鼻孔いっぱいに藁の香りを吸い込み、散歩に出て昼寝をしたのだと思いだした頃に
「おはよ」
 見慣れた優しい笑みと声に
「うむ――おはよう」
 なんだか少し照れくさくなって、はにかみながら答えた。
「どうしたの」
「うむ」
 もじもじとする弁丸に問いかけるが、答えが出てくる様子は無い。なにか、言えないような夢でもみたかと思う佐助に
「鳥のようだな」
 違う言葉が向けられた。
「は? 鳥――」
 強く頷くと
「鳥の巣のようだ」
「ああ」
 佐助が整えた藁の形が、そう思わせたのだろう。
「それじゃあ、俺様が親鳥で、弁丸様が、子どもかな」
「なぜだ」
「俺様のほうが、おおきいから」
 少し意地悪く言うと、むぅ、と唇をとがらせて
「すぐに、さすけよりも、大きゅうなってみせるぞ」
「弁丸様が大きくなるころには、俺様も、もっと大きくなってるよ」
「少し、待て」
「無茶言わないでよ」
「さすけは、なんでも出来るだろう。俺が大きくなるのを少々待つくらい、たやすいのではないか」
「容易くない、容易くない」
「そう、なのか」
 腕を組み、思案を始める弁丸を面白そうに見つめる。しばらくして
「そうか!」
 満足のいく答えを思いついたらしい幼君に、小首をかしげて見せた。
「さすけよりも早く、俺が育てば良いのだ!」
「どうやって?」
 すっくと立ち上がった弁丸が
「それはな」
 もったいをつけて、言い始める。
「うん」
「よく育つ方法を、用いればよいのだ」
「良く育つ方法って?」
「お館様が、申されていたのだ」
「なんて」
「寝る子は育つと!」
 どうだ、と言わんばかりに宣言され、ぽかんと口を開けてしまった。それを何と見たのか、弁丸は得意げなままである。
「あぁ、えっと」
 硬直から戻り、頬を掻き
「俺様よりも、たくさん眠るって事?」
「そうだ」
「ああ、まぁ――弁丸様は、俺よりもたくさん寝てると思うけど」
「だろう。それに、さすけよりも良く食べる!」
「ああ、うん、そうだねぇ」
 大食漢の忍も、居ないわけでは無いが効率が悪い。少量で長く動け、少々眠らなくとも存分な働きが出来るように訓練されている佐助を、忍というものをきちんと把握できていない弁丸は、どう受け止めているのか。
「なれば、俺の方が早く育つにきまっておる」
「その理屈からいけば、そうだけど――まぁ、いいや。そんじゃ、俺様は弁丸様が早く大きくなるように、たくさん美味しいものを用意して、ぐっすり安心して眠れるように、しっかり働かなきゃね」
 弁丸の体に着いた藁を取ってふと見ると、難しい顔をして目を落としていた。
「どうしたのさ」
「やはり、良い」
「え?」
 くるんっと振り向いた弁丸の、後ろだけ長い髪がしっぽのように舞い揺れる。
「なになに――俺様、何かマズい事でも、言った?」
「違うっ」
 腕を伸ばし、抱きしめて上から顔を覗くと、ぷくっと膨らんだ頬と意志の強い目があった。
「俺の育つために、さすけが休めぬでは、困る」
 言うなり、しゅんとして
「すまぬ」
 しょぼくれた主を抱きしめる腕の力を、強めた。
「いいよ。弁丸様が、立派な武将に育つの、俺様すんげぇ楽しみだし」
「しかし」
「大丈夫。ちゃんと休むし、食べるから」
「まことか」
 極上の笑みを浮かべて頷いて見せると、安堵の笑みを浮かべられた。
「さぁって。そろそろ帰らないと、夕餉に間に合わなくなるよ」
「うむ!」
 佐助の指を掴んだ弁丸に微笑みかけ、傘を差し、後に紅蓮の鬼と称される子どもと、闇に身を浸す子どもは、やわらかでヒヤリとした雨の中、二人を包み育てる暖かく大きなものの待つ場所へ、帰って行った。

2012/06/09



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