さまざまなものを運び込み、それぞれが思い思いの場所に蓆を敷いて品を並べ、商いをしている。それらの品を求めに来た者、冷やかしに来た者を目的とした手妻(手品)師など芸を見せる者たちも集まって、通りは大いににぎわっていた。 そんな人々の間を、感心するように放心したように、あちらこちらに目を向けて珍しそうな足取りで歩く青年がいた。柔らかそうな茶色の髪は後ろだけが長く、青い紐で結ばれている。それが、うきうきとした犬の尾のように弾んで見える。「旅のお供にヒョウタンの水入れは、どうだい」「おにいさん! イイ人に櫛はどうだい。まけとくよ!」 かけられる声にいちいち反応し、足を止め、店を覗いては次に進む。雰囲気そのものを楽しんでいるような彼は、簡素な着物を着てはいるが平民とは違う育ちの良さを滲ませ、年よりも幼く世の事に疎いように見える。そんな彼に、不穏な目を向ける者があった。 ゆっくりと、人の間を縫って近づいてきたその者は幸村の傍まで来ると、彼の懐に飛び込むように足をもつれさせた。「あっ――」「おっ」 思わず両手を広げて受け止めた青年の懐に手を入れ、素早く目的のものを掴んで「ごめんなさいっ」 すばやく飛びのき人ごみの中に紛れようとした襟首を、青年が掴む。「待てッ!」「きゃぁああ、かどわかしぃいいい!」 襟をつかんだ相手――年端もいかぬ子どもが高い声で叫び、目を丸くした青年は思わず手を離す。その隙をついて子どもが走りだし、青年が追いかけた。「待て、待たぬか!」 子どもはすいすいと人の間をすり抜け、青年は人々をかき分けて進んでいる。その差が、子どもに追いつけなくさせていた。「ぬうううっ」 業を煮やした青年は、腰を落として身に力を込める。ざわ、と空気が震えて彼の体が膨らんだように感じたかと思うと、青年は獣のように跳躍した。「おぉおおおおっ!」「っ! うそォ」 雄叫びに振り向いた子どもは、足に力を込めて速度を上げる。けれど迫る気配はぐんぐんと近づき、このままでは身が危ういと察した子どもが、両手を組んで見るともなしに人々に目を向けている、黒髪の体躯の良い青年に目を付けた。「兄さん、ほらよっ!」「おっ」 子どもが、手にしていた財布を投げる。条件反射で受けた黒髪の青年に手を振り、子どもは見世の間をすり抜けた。擦られたものが他の者の手に渡ったのを見て、茶髪の青年が向きを変え、黒髪の青年の前で止まり腰を落とす。「某は、真田源次郎幸村! 子どもに財布を擦らせ、手に入れるとは卑怯なりぃい!」「ハァ? 何言ってんだよ――俺が子どもに擦らせただって? 冗談もたいがいにしろよ」「問答無用! その性根、この拳で叩きなおしてくれるぅあぁああ!」 ぐっと拳を握った幸村の身に凝ったものに、黒髪の青年が目を細めた。足を肩幅にゆったりとひらき、軽く拳を握る。(この男、出来る) それだけで、そう察した幸村は身に貯めた闘牙を研ぎ澄ませた。「おい、真田なんとか…………」「真田源次郎幸村にござる」「長ぇな――まぁいい。俺は、草薙京だ。丁度退屈をしていたところだし、相手をしてやるぜ」「草薙京殿――いざ!」 何事かと周囲の人々が二人に目を向ける。観衆の一人が、あっと声を上げた。「ありゃあ、虎の若子様じゃねぇか!」「ほんとうだ。幸村様だ」 ざわざわと周囲がさざめきたち、二人を囲む人の輪が遠ざかる。その気配に、京が片目を器用に細めた。「有名人らしいな」「甲斐は武田の将にござれば、そこそこは知られておると存じておりまする」「ふうん? ――ま、どうでもいいけどよ」 京が軽く手を上げて、自分の状態を確認するように手を開く。そこに炎が揺らめいて、幸村は瞠目した。「いくぜ!」 炎を握り潰し、腰を落とした京の唇が楽しげに歪む。一定の力量を越えた者同士でしか感じ得ないものに、幸村の唇にも笑みが浮かんだ。(――強い) 互いに、肌がひりつくような、泡立つような感覚に胸が沸き立つ。ごくり、と観衆が息をのみ、対峙をしあう二人を見守った。「っ、おぉおおおお!」 先に仕掛けたのは、幸村だった。低い体勢で京に飛びかかり、斜め下から拳を繰り出す。「おっと」 上体を逸らして避けざま腰から拳を繰り出した京に気付き、幸村は身を捩った。「ぬぅうっ」 みしみしと、無茶な動きに筋肉が軋む。伸びあがった格好で、浮いた足を地に着かせた幸村の脇腹に、拳が迫った「ボディが――ガラ空きだぜっ!」「うぬっ!」 咄嗟に膝を上げて京の腕が伸び切り、拳に力が乗り終える前に受け止める。「とぁっ!」 そのまま足を延ばして肩を狙えば、素早く腕を上げた京が受け止めしゃがみ、足を狙った。「ふっ」「なんの!」 均衡を整えないままの体を片足で押し上げるように飛び上がり、京の足払いを避ける。後方に飛びのいた幸村に、大きく足を振り上げた京のカカトが迫った。「こっちだぜ!」「おりゃあ」 落ちる足に合わせ、幸村が拳を繰り出す。そのまま受ければ危ういと、京は中空で足を引き寄せ背中から地面に落ちた。「くっ――」「くらえぇえ!」 上から、幸村の拳が唸りを上げて迫りくる。「おっと」 転がり交わした京の腹があった場所に、幸村の拳が突き立つ。ゴッ、と鈍い音がして、大地がへこんだ。「♪〜 怖ぇな」 吠えるように笑う京が、背で地面を蹴り起き上がる。足を大きく開き、手を掲げて意識を集中させた。「つぉおお……」 大気が震え、手のひらに炎が湧き上がり、凝る。「くらいやがれぇええ!」 炎を纏った拳が熱波を放ちながら進み、幸村に迫った。「うおりゃうおりゃうおりゃあぁぁぁ!」 それを吹き飛ばすように、幸村が両の拳を高速で繰り出し熱波を生み出す。二つの炎が一瞬の均衡を見せて留まり凝縮されて「うおっ」「うあぁっ」 弾け、爆風となって二人を引きはがし、観衆を押して空間を広げた。「っはぁ――けっこう、やるじゃねぇか」「貴殿こそ――――」 不敵な笑みを浮かべあう。「それほどの腕がありながら、なにゆえ子どもに擦りなどをさせておられる。草薙殿」「擦りなんか、させてねぇよ。あのガキは、アンタにつかまりそうになったんで、俺にコイツをよこしたんだろ」 ほらよ、と京が財布を投げて、慌てて両手を伸ばした幸村が受け止める。「なんと! それでは、某の早合点にて貴殿を悪人としてしもうたということにござるか」「ま、そういうこった」「お……おお…………なんと、なんということを」 ぶるぶると身を震わせた幸村が、がばりと勢いよく地に伏せて、京は驚きのあまりに一歩引いた。「な、なんだよ」「申し訳ござらぬぅううぁぁあああ! 某の未熟のせいで、貴殿をいわれなき咎人とするところでござったぁぁああ」「おい、なぁ――そこまで謝らなくても別に…………」「いいや! 罪なきを罪とするは不徳! すべては某の未熟の所為にござる!」 両手を着き、頭を下げる幸村の姿に、あきれたように頬を掻いて息を吐き、にこりとしながらしゃがみ幸村の肩に手を置いた。「わかってくれりゃあ、別にかまわねぇよ」「なんと! 有りがたく存じまする」 再び頭を下げた幸村に、観衆の間から声がかかった。「ちょっとちょっと、旦那。何やってんのさ」 現れた柿色の髪をした青年の声に、くるりと体ごと振り向いた幸村が顔を輝かせる。「おお、佐助!」「おお、じゃないでしょ。いったい何の騒ぎなのさ」 ちら、と佐助と呼ばれた青年が、京に敵意を含んだ目を向けた。「何もかも、俺の不徳が招いた事態なのだ」 きっちりと膝を揃えて正座し、その上に握った拳を乗せて背を伸ばす幸村の姿に、佐助が首をかしげる。「どういうことか、俺様にもわかるように説明してくんない?」「うむ。――店を見て回っておったら、子どもがぶつかってきたのだ。その子どもが財布を擦ったので、襟首を掴んだのだが叫ばれ、驚き手を離してしもうた」 不覚であった、と反省をする幸村に「それで?」 慣れた様子で佐助が先を促す。「追いかけておったら、子どもがそこな草薙京殿に財布を投げた。俺は、そこで草薙殿が子どもに擦りをさせたのだと思い込み、拳を振るうてしもうたのだ」 悔いにワナワナと震えだした幸村の肩を、軽く二回、佐助が叩く。「ああ、そう。なるほどね」 よくわかったと頷いて、京に目を向けた佐助が笑みを浮かべながら目を眇めた。「旦那に挑まれて、よく平気で立っていられるね」「雄たけびを上げて追いかけてくる奴には、慣れているんでな」 軽く肩をすくめた京の言葉に疑問を浮かべながらも、自分たちには関わり合いの無いことだろうと受け流す。「ま、怪我とか無さそうでよかったよ。ウチの旦那が迷惑かけたね」「――結構、面白かったぜ」 呆れたように息を吐いた佐助が、幸村の腕を掴んで立ち上がらせる。「アンタが何者か、聞いてもいいかい?」 人懐こい顔をしながらも、目の奥に鋭いものを含ませる佐助に、京がニヤリと不敵な笑みを浮かべた。「俺か? 俺は、祓う者――だ」「祓う者?」 片目を眇めた佐助に、そうだと不遜に笑いかける。「俺様、アンタみたいな笑い方をする人間は、あんまり好きじゃないな」 さりげなく、幸村を背に庇うように前に出た佐助に、ふうんと関心の無さそうな顔を向ける。そこに、観衆の中から京を呼ぶ声がかかった。「草薙さぁん!」「おっ」 人ごみをかき分けて出てきた青年が、不機嫌を顔中に乗せて京の傍に寄る。「もう、勝手にどこかへ行かないでくださいよ、草薙さん! 紅丸さんも大門さんも、向こうでずっと待っているんですよ」「ああ、真吾。悪ぃ悪ぃ。ちょっと、面白い奴に出会ってな」「面白い?」 きょとん、として幸村と佐助に顔を向けた真吾と呼ばれた青年が、ぺこりと頭を下げた。「はじめまして。俺、草薙さんの一番弟子で、矢吹真吾って言います」「おお、これは丁寧に――某、真田源次郎幸村。甲斐は武田が将にござる」 幸村も、ぺこりと頭を下げる。顔を上げた真吾と幸村が、にこにこと笑いあう姿に似通ったものを感じ、佐助と京の目じりがほころんだ。「旦那――そろそろ帰ろっか」「うむ」「真吾――紅丸たちが、待ってるんだろ」「はい! 行きましょう、草薙さん」「それじゃあな、真田。面白かったぜ」「某も、楽しゅうござった。また機会あらば、手合せ願いとうござる」「ええ。手合せしていたんですか? 見たかったなァ」「行くぜ、真吾」「あ、待ってくださいよ。草薙さんっ」 ふいっと背を向けて観衆の中へ入った京を、幸村と佐助にあわただしく頭を下げた真吾が追いかける。事態は終わったと、観衆がそれぞれの目的に戻っていき、市はまた、何事も無かったかのような平穏な喧騒に包まれた。「なぁ、佐助」「なぁに、旦那」「この世には、まだまだ俺の知らぬ強い者が、おるのだなぁ」「そうだねぇ……旦那と拳を交えて無傷って、ホント、何者なんだろう」 人並みの中、去った男の見えぬ背に目を向ける。曲芸師を見た後の子どものように輝いている目を、幸村が細めた。「旦那って、ホント……」「うん?」「ううん。なんでもないよ。――団子、大将へのお土産と旦那のお八つに、買って帰ろっか」「うむ!」 尋常でない気配を放ち、拳を奮った彼も平穏な喧騒の一部となった。2012/11/17