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赤鼻のトナカイ

 まっかなお鼻の トナカイさんは いつもみんなの わらいもの

 さざめく笑い声の中、猿飛佐助は一人でクリスマスイルミネーションに彩られた街中を歩いていた。
 さきほど、振られたばかりだった。
 正確に言えば、佐助が振ったことになるのだが、別れを切り出したのは、彼女の方だ。
「本当は、私の事なんて好きじゃないんでしょ――別れよう?」
 そんなことないよ、と言われることを期待する目が、佐助の言葉で見開かれるのと同じ速度で涙を湧きあがらせて、それが零れ落ちると同時に盛大な音を響かせる、平手打ちを食らった。
 佐助の左ほほが、寒さでは無い痛みで赤く染まっている。
 あちらこちらで陽気なクリスマスソングが流れ出て、音が混在している。浮足立った街の中、笑顔で通り過ぎてゆく人々とは違う意味で、佐助の足は地についていなかった。
 彼女に不足があったわけでは無い。一般的に見て、かわいい彼女だったと思う。仲だって、悪く無かったはずだ。傍から見ても、似合いのカップルだったと思う。
 そう、彼女に不足があったわけでは無い。――佐助は、数か月と恋人が途切れることは無かった。人当たりの良さと人目を引く容姿。そつなくなんでもこなす器用さと、人の輪にすんなり入り込めてしまう性格。
 佐助がフリーだとわかれば、声をかけてくる女の子が必ずいた。
 佐助の彼女は一年ともたない。
 そんな話があるにもかかわらず、彼女たちは「自分は違う」と信じて佐助を求め、そして一年ともたなかった。
 彼女たちが悪いわけでは無い。佐助の気持ちが、彼女たちに一線を引いていたのだ。
 ふ、と何かの鳴き声が聞こえて目を向ければ、明るいビルとビルの隙間の――イルミネーションやネオンが明るければ明るいほど濃さを増す闇の中に、二つの光があった。
 ぞく、と佐助の背骨が震える。
 自分は、あの生き物――おそらく、野良ネコだろう――と同じ存在なのだ。闇の中にこそ、存在すべきものなのだ。
 佐助のそれは、子どもが必ずと言っていいほどに夢想し、通ってくる道。自分にはなんか特別な力があって――たとえば、魔法が使えたり、変身が出来たり、妖精や何かの加護を受けていたり――何かすごいことが出来るはずだ、という妄想では、無かった。
 佐助の腕は、人を屠る感覚を持っていた。
 事件のニュースや映画などを観る時に、まざまざとその感覚が蘇った。血の匂いも、憶えている。それが合戦の映像となると、埃っぽさや鉄さびた匂い、人々の雄たけびや慟哭、肉の妬ける匂いまでもが、現実のものとして佐助の身を包んだ。
 そして、その時に必ず湧き興る黒い煙のような確実に存在する、何か――。
 佐助はその扱い方を知っていた。はじめは、何なのかと思って驚いたが、自分の中でそれはとてもなじみ深いものであると、しっくりとくるものなのだと、当たり前の事なのだという認識もあった。
 体からにじみ出る闇は、佐助の言うことを聞いた。
 それが、佐助の中に綺麗な膜を作った。傍から見れば、誰も気付かぬほどに綺麗な、卵の殻のような膜。
 佐助の彼女になった女の子たちは、佐助とより深く心を通わせようとして、佐助の少し離れた心に気付く。やさしくて、そつなくて文句のつけようのない彼氏である佐助の、その部分に彼女たちは不満と不安を抱き、たいてい最後は同じ言葉を佐助に告げるのだ。
「私の事、好き?」
 言い方や口調は違えど、つきつめればそのような内容になる。そうしてそこで、いつものように笑みをつくり「好きだよ」と言えば、彼女たちは一瞬だけでも安堵をしただろう。佐助に疑念を持ちながらも、とりあえずは納得をしたかもしれない。けれど、佐助はその問いが繰り返されるだろうことを確信のように予測し、恋人という位置にいる人からその問いが発せられるたびに、別れてきた。
 自分がどうして、こんなふうに闇を抱えているのだろうかと、疑問を浮かべようとして幾度も失敗をしていた。佐助自身が、この闇は自分自身であると、妙な納得を持っていたからだ。これは、自分の中からにじみ出てくるもので、それこそ生まれる前から持ち続けているもので、おそらくは人を屠る感覚などと共に、魂というものに滲みついているものだのだろう。
 こんなこと、誰に言えるはずも無い。空想癖があるとか、頭がおかしいとか言われるにきまっている。実際に見せてもいいが、そうなればどんなことになるのか――。
 想像するだけで、佐助は気分が落ち込んだ。
 なら、これを見せない程度に人の中に入り、これを見せなくてもいい程度の関係を作り、過ごしていけばいい。
 佐助は、誰かに認められることを、すべてを受け止めてもらえることを、理解を示さなくとも闇の存在を共有できる相手を、諦めていた。
 そんな人が、かつては居たという記憶と共に、自分の内側の、誰にも気づかれぬほどに綺麗に整えた継ぎ目のない膜の中に、押し込めていた。
 MerryChristmas
 楽しげな文字が躍る街の中で、佐助はどうしようもなく一人だった。
 ふ、と目に入ったショーウィンドウ。その中に踊る作り物の妖精たち。それに導かれるように、笑みを振りまく恰幅の良いサンタクロース。
「――俺様、そんなに悪い子じゃないと思うんだけど」
 ぽそりと、サンタクロースに向かって呟いてみる。十六年間生きて来て、これといった問題を起した記憶は無い。誰かを大きく困らせたという認識も、無い。少年特有のいたずらぐらいは、したことがある。ほんの少しの誤魔化しや、やんちゃだってある。けれど、その程度は誰でもしたことがあるだろう、許される範囲の「悪いこと」のはずだ。
「もし、本当にいるのならさ――俺様の一番欲しいもの、ほんの少しでもいいから、くれないかな」
 一人で抱えてきた、文字通りの闇を知ってもなお、佐助と共に居てくれる人が欲しい。
 望むのならば、誰かに見せてみればいい。
 望むのならば、試してみればいい。
 けれど、佐助にそうしてみようと思わせてくれる人とは、今まで出会うことは無かった。出会う事は無いだろうと、思いきわめていた。
 きっと、自分だけではないはずだと自分に言い聞かせ、誰だって多かれ少なかれ、そういうものを持っているのだと言い聞かせ、自分に言い訳をして自分をだまし、そういうものだと決めつけて、生きてきた。
「なんでも話せる仲になりたいの」
 かつて、佐助の膜に気付いた女の子が居た。ふわふわとした、やわらかな髪をした瞳の大きな彼女は、佐助の奥まで見透かすように澄んだ瞳で、そんなことを言って来た。
 なんでも話せる仲なんて、ありえない。
 そう思いながらも、佐助の心は揺れた。体の奥底から、飢えた獣のようにそういう存在を――あり得ないと否定していた存在を求めていた。
 真っ直ぐな彼女の視線に、佐助はほんの少しだけ、闇を見せた。
 ――彼女は、その後二度と、佐助の傍に近寄ることは無かった。
 鈴の音が聞こえる。佐助の元には来るはずの無い、サンタクロースの鈴の音だ。
 笑い声が、佐助をあざけるように包んでいる。おまえには、こんなふうに笑いあえる相手など訪れることは無いのだと言うように。
 佐助は、一人でいることは嫌いでは無かった。無意識に作ってしまう「自分」から解放される、むきだしの自分になれる時間は、必要だった。
 けれど、一人だと思う事は、大嫌いだった。
 そう思いかけるたびに、そうではないと、自分には友人がいるのだと、無理やりに友の顔を思い浮かばせ、彼女の姿を――さきほど別れを告げる前までは――思い浮かべ、より深い孤独を感じた。
 その孤独の奥底に、佐助は光があることに、いつのころからか気付いていた。
 まばゆく、熱いそれは佐助の闇を濃くするくせに穏やかな気持ちにさせてくれた。
 あれは、あの存在は何なのだろう――あれは、誰なのだろう。炎に包まれた、あの人は。
 目がくらむほどのまぶしさで、その人は佐助という存在の傍にいてくれたのだと、闇が告げている。その人にならば、何も包み隠さずいられるのだと、気を張ることなくいられるのだと、佐助を孤独に追いやる闇が訴えている。
 その人さえいれば、友人にも、彼女であった人にももっと素直に自分を見せることが出来るはずだ。受け入れているくせに否定をし続けている闇と、向き合えるはずだ。
「ねぇ――」
 福々しい笑みを浮かべるサンタクロースの人形は、佐助の問いに答えない。
 答えなくて当たり前だというのに、佐助は期待もせずに一縷の望みをかけて見つめ続ける。
 ガラスに、行き交う人々の姿が薄く映り込み、佐助など存在していないように通り過ぎて行く。
 その中に、ふと目に止まったものがあった。
 はじかれたように振り向き、周囲を見回した佐助の目が吸い込まれるように、その人を見つけた。
「――ッ!」
 呼ぶための名を知らず、けれど泣き出したいほどに心がその人を求るままに、声にならない呼び声を上げ、佐助はコンクリ―トを思いきり蹴った。
 人並みをすり抜けて、おどろくほどの速さで走り抜ける。
 その人の姿は、うっかりすれば人並みに呑まれて見えなくなりそうであるのに、佐助の目にははっきりと光を放つように映っていた。
「ッ――待って」
 ようやく追いつき、手を伸ばし声をかければ、その人は立ち止まった。
 ゆっくりとふりむき、アーモンド形の目を大きく開いて佐助の姿を映す。
 そこで、佐助はハッと気づいた。
 呼びとめて、どうしようというのか。なんと言えばよいのか。見ず知らずの相手に、何を期待して追いかけ呼び止めたのか。
 それと同時に、佐助は目の前の人が孤独の奥底にある希望だと確信していた。
 名も知らぬ彼が――おそらくは、自分より少し年下であろう彼が、佐助の持ちうる闇も含めたまるごとを、認めてくれる存在だと確信していた。
 驚きに開かれたアーモンド形の瞳が、やわらかく細められる。寒さに赤く染まったふっくらとした頬が、ゆっくりと持ち上がった。
「久しいな」
 それは、まるで旧友を呼ぶような調子で
「――うん、久しぶり」
 佐助も、滲むような安堵と懐かしさを浮かべて、そう応えた。
 そうして二人は笑みを浮かべあい、無言で見つめ合った。
「この後、俺の養父とともにチキンとケーキを食べ、シャンメリーを飲むのだが、共に来るだろう」
 それは、佐助が断ることなど念頭にない誘いだった。
「うん」
 佐助は、まるで誘われることが当然だったように、頷いた。
「俺は、真田幸村という」
「俺様は、猿飛佐助」
 くすりと二人は笑いあい、昔から当たり前のように過ごしてきたかのように、並んで歩き出した。

 暗い夜道は ぴかぴかの おまえの鼻が 役に立つのさ

 人よりもずっと、聡い幸村は、人が気付かなくても良いことに気付き、口に出してしまう事があった。
 その彼の気質を好む人も多かったが、疎む者も少なくなかった。
 人には、大小の差異はあれど隠しておきたいことがある。幸村はそれに気づき、幼さゆえに率直に口に出してしまうことがあった。
「真田君って、なんかちょっと、怖い」
 そんなことを、言われたことがあった。何が怖いのかが、幸村にはわからなかった。
「幸村ってさ、ちょっと酷いよな。天然だから、性質が悪ぃっていうかさ――いや、まぁ、そこが良いところでもあるんだけどさ」
 そんなことを、言われたこともあった。何が酷いのか、幸村には見当もつかなかった。
 どうして、ありのままを口にすることが良くないのか。どうして、事実を告げれば疎まれるのか。
 幸村の養父は、敬愛してやまない男は柔らかく笑って、眉間にしわを寄せて口をとがらせる幸村の髪を、やさしく撫でた。
「まっすぐすぎて、ちょっとね」
 そんな話をされていることを、聞くともなしに耳に入れてしまったこともある。
「綺麗すぎるんだよな」
 何の事を言われているのか、理解できなかった。
 幸村は誰に対しても、自分をまるごと見せて、相手を丸ごと見ようとした。それを、怖いと言われ酷いと言われ、倦厭されることも少なくなかった。それを、好ましいと言ってくれていた相手でさえ、幸村のその部分を詰るということもあった。
「人には、暴かれたくないこともあるんだよ!」
 幸村には、それが理解できなかった。どうしてありのままではいけないのか。どうして、ありのままでいようとは思わないのか。
 幸村とて、自分のすべてに自信があるわけでは無い。いたらないと思う部分もある。弱い部分もある。けれどそれを、隠そうと思ったことは無かった。人はそれを、強いと言い、うらやましいと言い、思慮に欠けるとも言った。
 どうして、という疑問が常に幸村の傍について回った。わからないという幸村に、友はそう悩むことがわからないと笑い、幸村は正直者だからなぁと笑い、そこが幸村の良いところだよと笑った。
 自分を幼いからだと言う人もいて、そうなのだろうかと幸村は悩んだ。大人になれば――養父のような大人になれば、そのようなことになることは、無いのだろうかと。
 そう思うたびに、幸村の中に安寧を与えてくれる闇があったことが思い出された。その闇は心地よく幸村の輝きを包み込み、もどかしさをやんわりと鎮めてくれた。
 その人は、必ず自分の傍にいたはずなのに、なぜ今はいないのかと――いつになれば自分の元へ戻ってくるのかと、幸村は誰にそのことを言うでもなく思い続けていた。
 ひとびとが楽しげに街を歩いているのを、笑顔が自分にうつったようにニコニコとして歩く幸村の胸に、あの心地よい闇を求める寂しさがあった。
 鈴の音が聞こえて、幸村はそっと白い息を吐く。
 サンタクロースは、良い子の欲しいものをプレゼントしてくれるのだという。今宵、プレゼントを届けに鈴の音を響かせてやってくるのだと、いろいろな場所で聞き続けてきた。
 あの闇が欲しい。あの、常に自分の傍にあった心地よい闇が――。
 クリスマスプレゼントで、それが与えられたことは、この十三年の間に一度も無かった。あの闇が自分の傍へ戻ってくることは無いのかと思うと、恐ろしさに身が震えた。身を震わせながらも、そんなことはありえないと、確信をしていた。
 今宵は、養父と二人でチキンを食べてケーキを楽しみ、しゅわしゅわと爽やかに甘いシャンメリーで乾杯をする予定だった。財布を渡されて、仕事で買い物に行けない養父に頼まれ、オードブルセットとチキン、ケーキとシャンメリーを買うために、暮れなずむ陽気な輝きに包まれた街を歩いていた。
 今年も、あの闇を与えてはくれないのだろうか――。
 そっと息を吐いた直後に、幸村を呼び止める声があった。
「ッ――待って」
 その声に、聞き覚えがあった。ひどく懐かしく、落ち着く声音に勢いよく振り向けば、明るい柿色の髪の自分よりも少し年嵩のように見える、見ず知らずの相手がいた。
 見ず知らずの、初対面の人間であるはずなのに、幸村は彼のことを懐かしく、また自分の傍にいることが当然の旧友のように感じた。――待ち続け、望み続けていた闇が、自分の元へ帰ってきたのだと確信した。
 ゆっくりと、驚きが喜びに変わっていく。やっと帰って来たかという安堵が、体中に滲み広がり、幸村は口を開いた。
「久しいな」
 幸村の言葉に
「――うん、久しぶり」
 少し眩しそうに目を細めて、相手が応えた。
 そうして二人は離れていた時間を埋めるように、同じ笑みを浮かべて無言で見つめあった。
「この後、俺の養父とともにチキンとケーキを食べ、シャンメリーを飲むのだが、共に来るだろう」
 それは、幸村にとっては当たり前の誘いだった。
「うん」
 相手は、まるで誘われることが当然だったように、頷いた。
「俺は、真田幸村という」
「俺様は、猿飛佐助」
 くすりと二人は笑いあい、昔から当たり前のように過ごしてきたかのように、並んで歩き出した。

 いつも泣いてた トナカイさんは 今宵こそはと よろこびました。

2012/12/25



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