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雪うさぎ

 どさり、と重そうな音がして屋根から白い塊を落とす。
「ふう」
「長! あちらは全て、終わりました」
「ごくろうさん。先に、帰っていいよ」
 木々の葉をそのまま衣に落とし込んだような忍装束は、どこまでも深く白い雪の上ではよく目立つ。部下に指示を出した佐助は、紅蓮の炎を思わせる紅い装束を纏った主、真田幸村へと目を向けた――はずが、大きな雪の山に視界を阻まれて、彼の姿は見えなかった。しかし、その奥には気配がある。
 幸村と、その周囲にあるいくつかの小さなものが。
「やれやれ」
 ひょいっと屋根から下りた佐助は、雪の山をくりぬいている最中の主に声をかける。
「旦那。終わったよ」
「ぬっ」
 振り向いた顔は、小さな子どものころに雪遊びに夢中になっていた時のままで、佐助は懐かしさにくすりと笑った。
「ほらほら、出ておいで」
「うむ」
 おとなしく出てきた幸村の栗色の髪に、雪がちらほらと乗っている。それを払いながら、佐助の胸は懐かしさに温まった。
「もう、かえっちゃうの?」
 幸村と一緒になって雪の山に穴を掘っていた子どもたちが、幸村と佐助を囲んだ。
「お兄ちゃんたちは、他の所の雪下ろしも、しなくちゃいけないからさ。悪いね」
 ちえーっと子どもたちが頬を膨らませる。手近な子どもの頭に手を置いて、軽く撫でながら佐助は幸村に行こうと促した。
「俺はもう行くが、皆で力を合わせ、かまくらを作るのだぞ」
「はいっ!」
 ぴしっと背を伸ばしたり手を上げたりしながら、子どもたちが良い返事をする。それに満足そうに頷いた幸村に、口元に手を当てて佐助は笑いをかみ殺した。
「さて、行くか。佐助――? どうした」
「ん〜ん。なんでもないよ。行こう、旦那」
「?」
 首をかしげる幸村に背を向けて、クックと喉の奥で佐助が笑う。何がそんなにおもしろいのかと首をかしげつつ、幸村は子どもたちに手を振り、屋敷へと足を向けた。
 朝日に少し雪が溶かされ、氷と雪の間くらいの硬さになっている。それを踏み固めるように進みながら、佐助は雪下ろしの最中に聞こえてきた、幸村と子どもとの会話を思い出していた。
 ――しかと雪を固めるには、表面を少し溶かすようにして、再び冷気で凍らせれば良いのだぞ。
 それは昔、幸村が弁丸と名乗っていた頃に佐助が教えたものだ。
 なつかしいな、と佐助は意識を記憶に向けた。
 あれは、珍しく弁丸が暁闇のころに目を覚ましてしまった日のことだった。
 もそりと布団から出た弁丸が、眠い目を擦りながらふらふらと部屋から出て行こうとするのに、佐助は気付いて目を覚ました。そのまま部屋を出ては風邪をひいてしまう。
 忍でありながら小姓の役を負っていた佐助は、すぐさま綿入れを手にして弁丸を追った。
「何処に行くのさ」
 ふらりふらりと進む弁丸を背後から包むように綿入れをかぶせれば、半分寝ぼけた顔のまま、厠に行くと答えられた。
「うんうん。それじゃあ寒いから、綿入れを着てから行こうね」
 こくりとうなずいた反動でそのまま床に寝転がりそうな幼い主に、佐助は素早く綿入れを着せて温かな手を握った。
「それじゃ、行こうか」
「ふむっ」
 本人は「うむ」と言ったつもりだろうが、寝ぼけているせいでなんとも間抜けな声になっている。それに、仕方が無いなと言いたげに眉を下げて頬をゆるめた佐助が襖を開け、廊下を進み障子を開けると
「っ……わ」
 昇りはじめた朝日に、庭を埋め尽くした雪が淡い紫に輝いていた。
「昨日は、いっぱい降ったもんなぁ」
 一晩で、庭が雪に埋もれてしまう事など珍しくも無い。弁丸をさっさと厠に行かせて、もう少し暖かな寝床に入れておこうと思いながら進もうとした佐助は、くんっと軽く腕を引かれて振り向いた。
「何?」
 正確には、それは腕を引かれたのではなく、弁丸が庭に魅入って動かずにいたのであった。
 弁丸はこぼれるほどに目を大きく見開き、輝く雪に負けぬほど、きらきらとした目を庭に向けていた。
「弁丸様」
 促すために呼べば、驚きと喜びを全身で噴き上がらせた弁丸が、佐助の胸に飛び込んだ。
「うわっ、何――ちょっと」
「佐助っ! すごいぞ佐助」
「ええ? 何がすごいのさ。一晩で雪が積もるなんて、別に珍しくもなんともないでしょう」,
「ちがうっ! わからぬのか」
 じれったそうに、弁丸が佐助の腕の中で跳ねた。
「なにがさ」
 ぷくうっと頬を膨らませた弁丸は、佐助の腕の中から逃れる。
「もう、よいっ!」
 突然に弾けるように喜色を浮かべたと思えば、それを全て怒りに変えた弁丸が、何に感動し何に怒っているのか、佐助にはさっぱりと見当がつかなかった。
 たしたしと、怒ったように床板を踏みながら進む弁丸の後ろを、音も無くついて行く。普段から足音をさせぬ佐助ではあるが、雪が更に音を吸い込んでしまって、弁丸は不安になり佐助がついてきているかを、ちらりちらりと頬をふくらませたまま振り向き、確認をしていた。
(なんだかなぁ)
 心中でため息をついた佐助は、弁丸が振り向くたびに不安そうな目をしていることに気付いていた。
(次の角で、ちょっと姿をくらませたら、どうなるかな)
 そんなことを考えつつ、実行しないままに厠に到着し、弁丸が扉の奥に入るのを見てから、庭に目を向ける。紫に輝いていた雪は、だんだんと朝茜に白く姿を変えていく。
 ふっと佐助の目が雪に埋もれかけた南天を捉える。音を立てずに飛んだ佐助は、厠の前から姿を消した。
 用を終えた弁丸は、手水場で手を洗い終えて佐助の姿が見えないことに気が付いた。
「……佐助?」
 ちいさく呼んで、周囲を見回す。けれど、周囲はしんと張りつめた――けれど雪の柔らかさを含んだ朝の気配に満たされており、佐助のかけらは一つも見つけられない。
「佐助……佐助」
 そろりそろりと冷たい床に足を進めながら、呼びつつあちらこちらに目を向けても佐助の姿は無い。
「佐助ぇ」
 不安に冷たく痛んだ胸を抑えるように、綿入れの胸元をぎゅっと掴み、弁丸は部屋への道をゆっくりと足音を忍ばせて進んだ。
「っ、さすけぇ」
 呼ぶ声が泣き声に変わり始める。
「さす……」
 曲がり角で、そっと顔を覗かせた弁丸は呼ぶ名を途中で止めた。
 目の前に、廊下を半分ほどふさぐくらいの大きさの、雪の塊があった。
 それは、丸く長い形に整えられており、弁丸に向いているほうが少し鋭く細くなっている。その鋭い部分には赤い南天の実がふたつ、目の位置につけられており、南天の葉が三枚、まるで佐助の顔の模様のようにつけられていた。
「……佐助?」
 きゅっと首をかしげた弁丸が、そっと近づきしゃがみ込む。尻にあたる部分には、稲穂がしっぽのようにつけられている。耳にあたる部分には、草履が付けられていた。
「佐助……」
 そっと手を伸ばし、見慣れた顔と同じ模様の雪の狐の頭を撫でようとした弁丸の背後に、音も無く佐助が降り立った。
「弁丸様」
「っ、ぁうぁあああ!」
 文字通り飛び上がった弁丸が、体制を崩して前にのめる。撫でようと伸ばした手が、雪狐の顔をつぶした。
「ああっ!」
「おっと」
 そのまま雪の上に倒れそうになるのを、腰に腕を回して止めた佐助はそのまま弁丸を抱き上げる。
「ふふ。びっくりした?」
 驚きの顔のまま激しく頭を上下に振る弁丸の顔が、ふにゃっと情けなく崩れる。
「佐助ぇ」
 ぎゅうっと首にしがみついてきた背中を、ぽんぽんと軽く叩きながら、どうやら弁丸の意識は怒りの元より逸れたようだと胸をなでおろした。
 佐助は、弁丸が佐助の理解と創造の範疇を超えた部分で怒った場合に、こうして別の事で意識を反らして対処をするようにしていた。
 弁丸はただ、初めて見た朝焼けよりも前の雪の色に驚き、その美しさに沸き立つものを全身で表現しただけだったのだが、佐助にとっては珍しくもなんともない情景だったので、全くもって弁丸の心情が理解できなかったのだ。
 すれ違ったまま終わってしまった事柄の次に現れたことに――佐助が仕掛けた気持ちのごまかしに、弁丸が泣きべそをかいたことに関しては、佐助はその心情を組むべく、慈しみの目を持って問うた。
「どうしたの? 俺様は、ちゃんとここにいるでしょう」
 すり、と肩に額を擦り付けた弁丸が、佐助の首に回していた片手を外し、驚き潰してしまった雪狐を指した。
「佐助が、崩れた」
「あれは、俺様じゃないよ」
「だが、佐助と同じ模様をしておる」
 泣きべそを堪えるためのふくれっつらに、そっと頬を寄せた。
「俺様は、こうして潰れていないでしょ」
「……うむ」
「雪だから、あれは溶けてなくなっちゃうんだし、潰れてもいいんだよ」
「…………うむ」
 納得をしていない間を開けてからの返事に、佐助は苦笑した。
「もう、眠たくない?」
 こくりと弁丸が頷く。
「じゃあ、顔を洗って着替えて、朝餉の時間までに雪うさぎ、作ろっか」
 ぱあっと弁丸の顔が輝いた。
「うむっ!」
 元気よく答えた弁丸を抱いたまま部屋に戻り、顔を洗わせ着替えをさせて、綿入れを着せてもこもこにしてから綿の入った頭巾をかぶらせ藁沓を履かせ、しっかりと防寒をほどこしてから、佐助は雪うさぎの作り方を教えた。
「こうやって、優しく優しく撫でて、手の熱で少し溶かした所が寒さに凍って、溶けにくくなるんだよ」
 ほうっと感心したように白い息の塊を吐き出した弁丸が、佐助の作った雪うさぎの背を撫でる。
「そうっと、そうっと」
「そうそう。優しくね」
 そうしてできた雪うさぎを盆の上に乗せ、顔を輝かせた弁丸は敬愛する武田信玄に見せるのだとはりきって、佐助はそれを信玄に言いに行き、その日は雪うさぎが溶けてしまわぬように、障子をあけ放ち雪を見ながらの朝食となった。
「せっかくだ。昼も、雪を楽しみながら食べるとするかのう」
 あまりに弁丸が嬉しそうにしているので、信玄が顎を撫でながらそんなことを言いだして、朝餉の後の鍛錬はかまくら作りとなり、三人で庭に降りると雪を集めて山にし、穴を掘った。
「ああ、大将。そんなふうにしたら崩れちまう……って、ほら、もう」
「お館様! 雪を撫で、少し手の温もりで溶かしておくと、その部分がまた凍り、溶けにくくなると佐助が申しておりました!」
「ぬう。そうか。しかし、この大きさを撫で続けるは、霜焼けになりはしまいか」
 信玄の言葉に、弁丸が両掌を広げて困ったように見つめた。
 雪を集めるだけでも、十分に凍えて赤くなり、動きが鈍くなっている。その上で三人が入ることが出来るくらい大きな雪の山を撫でると、この手はきっと信玄の言うとおり霜焼けになってしまうだろう。
「別に、表面を溶かして氷にすればいいだけだから、水を少しかけてやれば問題ないよ」
 桶に水を汲んできて、稲の束で撒けばいいとの佐助の提案に、弁丸が目を輝かせた。
「すごいぞ! 佐助」
「うむ。なるほどのう。佐助は、頭が良いな」
 信玄の褒め言葉に、なぜか佐助よりも弁丸の方が得意げになる。そんな弁丸の姿に、佐助はまんざらでもない気持ちを浮かべた。
「こんなの、常識だって」
 そうは言いながらも、隠しおおせぬ嬉々とした気配に信玄は目を細め、三人は協力し合って巨大なかまくらを作り、その中に七輪を運び込んで餅を焼き、汁を作り、昼食を取った。
 懐かしいな、と意識を今に戻した佐助の頬に、視線が触れている。顔を向ければ、幸村が何やらうれしそうな顔をしていた。
「何?」
「何やら、うれしそうだな」
「そお?」
「にやついておるぞ」
「にやついてなんか、ないって。旦那のほうが、うれしそうな顔をしてるじゃないさ」
「俺は、うれしいのではない。懐かしんでおるのだ」
 ふっと空を見上げた幸村につられ、佐助も顔を上げる。
 高く薄い空に、さっと刷毛で刷いたような雲があった。
「昔、佐助とお館様と共に、かまくらを作ったことがあったな、と思い出してな」
「えっ」
「佐助は、憶えてはおらぬか」
 今しがた、その時の事を思い出していたところだと、湧き上がった妙な照れくささが邪魔をして言えなくなった。
「そんなこと、あったっけ?」
「あった。うんと早くに目が覚めてしまった日だ。あの時の、紫に輝く雪はそれは見事だったので、はっきりと覚えているぞ」
 まぶしそうに目を細め微笑む幸村に、あの時に弁丸が喜色を示した理由はそれだったのかと、数年越しに佐助は理解した。
「厠の帰り、佐助の姿が消えて雪の狐になっておった」
「そんなこと、あったかなぁ」
 とぼける佐助に、本当に覚えていないのかと幸村は意外そうに問うた。
「そんな昔の事なんて、いちいち覚えていられないっての」
「そうか――ならば、帰ったらもう一度かまくらを作るか」
「へ?」
「忘れているのであれば、新たな思い出を作ればよい。お館様に、申してみよう。佐助。今宵の献立は、かまくらの中で作れるもので頼む」
「ええ、ホントにするの? ま、いいけどさ」
 しぶしぶといった態で了承する佐助に、ふふっと幸村が微笑む。
 本当は、憶えていることも先ほど思い出していたことも、この主には筒抜けなのではないかといぶかりつつ、佐助は今宵の夕餉を楽しみに思う自分がいることに、口の端を持ち上げた。
「ったく。かなわねぇな。旦那には、さ」
「ん?」
「なんでもないよ」
 真っ白に輝く冷たく柔らかなものの内側で、何ものにも傷つけられぬ温もりが膨らんでいる。

2013/01/22



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