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穀雨  パタタ――――パタ――――――
 タタ――タッ――――
「あれ、旦那。どうしたのさ」
 雨音に耳を傾けていた幸村に、聞きなれた声が届く。ゆっくりと顔を巡らせると、茶と団子の乗った盆を手にした忍――猿飛佐助の姿が見えた。
 佐助は珍しそうに幸村を眺めながら、横に膝をつく。
 パ タ――――タッ――――――
 溜まった滴が葉を、石を打つ音がする。

 幸村が居るのは、中庭に面した縁側だった。晴れた日は、鍛練のために槍を振るう場所である。
「雨だから、体を動かせなくて不満――――って顔じゃあないし」
 盆を置き、すいと少し主へ滑らせてみても、幸村は僅かに目を向けたのみで、また庭に視線を戻した。
 パタ――――パタタッ――――――タッ――――
 やわらかく、温かいものが大地に舞い降りる。
 幸村は、それを眺めている。
――――旦那が団子に手を伸ばさないなんて、槍か種子島でも降ってくるかもねぇ
 ひょいと眉を上げて見る幸村の横顔は、遠い世界に居るようであった。
 胸のうちで息を吐き、浮かせていた尻を落ち着かせた佐助が、主と同じものを視ようと庭に顔を向ける。
 タッ――――パタタ――――――
 軽い音が、耳を打つ。これが止めば、むせ返るような土と緑の香りが大気に充満するだ ろう。それを思い出し、深く息を吸った佐助の胸に、春の命が紛れ込んだような 心地が広がる。
 やわらかな土の香り。
 育む大地。
 芽吹く命。
 それに集う命。
 繋がり、始まるもの。
 里の田畑は、ならされた土 が育むべき命を内包している。
 儚くも力強く育つ緑。
 その香りを、佐助は思い出す。
――――まさか旦那が、こんなことを思っているとは思わないけれど。
 ちらりと見る幸村の顔は、心が霞になり、大地に融けているように見えた。
――――いつの間に、こんな顔をするようになったんだか。
 うれしくもあり、寂しくもある。何時までも手のかかる、世話の焼ける旦那だよという呟きを、洩らさなくなる日が見えたような気がした。
「佐助」
「うん?」
 主は、庭に顔を向けたままで居る。
「どうしたのさ、旦那」
「――――まるで、お館様のようだな」
 静かに、力強く言う言葉に目を丸くして、それから佐助は微笑んだ。
「確かに、大将みたいだねぇ」
 内包された命。
 包み込む香り。
 受けとめる器。
 育む大地。
 柔らかく、揺らぐことのない――――――――
「佐助、俺は――――」
 少し、声音が落ちる。見つめる横顔が――瞳が迷いを映す。
『幸村よ、その眼には、何が見える』
「っ!」
 佐助の口から、信玄の言葉が信玄の声で紡がれた。
 幸村は体を跳ねさせ、佐助を見る。
 見開かれた瞳は、ほっとした色になり、落胆を滲ませて、遠いものを見た。
 薄く笑んで、佐助は幸村に芽吹いたばかりの何かを見つめる。
 武田信玄という大地に内包されていた、儚くも力強く育つ緑。
 太陽を一身に浴びて育つ、命。
 うなだれた幸村は、膝の上で強く拳を握り締める。
 パタ――――タッ―――――タタッ――
 葉が、石が、雨粒と共に奏でるものが、染みてゆく。
「俺は――――」
 絞りだされる声は、芽吹くための叫び。
「――――俺は」
 呻く声に、ぬるくなった茶を差し出す。
 顔を上げた幸村に、佐助は団子も差し出した。
 無言で、語り掛ける。否――――包み込む。
 大地に育まれ、芽吹いたものを育てる雨のように。
「戴こう」
 内包されていた命が、僅かに大地を持ち上げた。


2010/04/19


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