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平穏な風の先駆け

 絹糸のような雨が舞っている。それを纏うように進む真田幸村の髪が、しっとりと濡れていた。
 道はぬかるむほどでもなく濡れて、泥を撥ねるほどではないが、それでも幸村の足に土がつく。
 ふ、とその足が止まった。
「あれは?」
 ちいさく口内でつぶやいた幸村の足先が、屋敷への道から脇へと逸れる。そうして進んだ幸村の足元に、その女の姿があった。
 女と言っても、まだ年端もいかぬ少女らしい。けれど戦国の世にあっては、十二分に嫁入りのできる年のころであった。乱れた裾から白いふくらはぎが見えており、幸村は目じりを朱に染めながら足元から目を離し、しゃがんだ。
「いかがした。おい」
 そっと肩に触れても、何の反応も示さない。口の前に手のひらを当てれば、呼気が触れた。
 生きているらしいことに、ほっと胸をなでおろした幸村は、彼女を肩に担ぎ、急ぎ足で屋敷へと戻った。
「佐助、佐助ぇ」
「はいはいっと。そんな大きな声で呼ばなくても、聞こえるっての。って、何どうしたの。旦那ってば、女の子を浚ってくるような破廉恥な人だったんだ」
「からかうな! 道脇の森の間で見つけた。早く具合を見てやってくれ」
 軽口を叩く彼の忍、猿飛佐助に少女を差し出せば、佐助はひょいと彼女を受けとった。
「奥の座敷に連れて行くから、旦那は足をすすいで体を拭って着替えておいてくれよ」
 ふわふわとした雨が、幸村の髪に絡んでいる。それを軽く手ではたきながら、幸村は「うむ」と答えた。
 彼女を連れて去る佐助に背を向け、幸村は侍女の運んできた桶で足をすすぎ、手ぬぐいで雨の絹を払い落すと私室に入り、着替えを済ませた。
 長着となった幸村は廊下を進み、奥の座敷の襖に手を掛ける。
「佐助」
 声をかけながら襖を開き、幸村はぎょっとした。
「な、何をしておるのだっ!」
 ひと房だけ長い後ろ髪が獣の尾なら、きっと驚きに膨らみ逆立っていたであろうほどの動揺を示す主に、佐助はきょとんと首をかしげた。
「何って、手当だけど」
 佐助の前には、少女が裸身でうつぶせに寝かされている。腰から下にかけては掛け布がされてあったが、上体は何も覆うものがない。両腕を上げた形にされている少女の脇に、押しつぶされている胸のふくらみが見て取れ、幸村は背を向けながら部屋に入り、襖を閉めた。そのまま、そろりそろりと足で後方を探りながら進んでくるのに、佐助が笑いをこらえるため、唇を妙な形にゆがませる。
 幸村の足が敷き布に触れて、膝を落として後ろ向きのまま腰を下ろした。
「具合は、どうだ」
「どうもこうも。目立った外傷はないし、あちこち触ってみたけど骨が折れている様子も無いし、無体を強いられた痕も無かったから、きっと疲れて倒れちまっただけなんだろうぜ」
「無体を強いられた痕とは?」
「決まってんだろ。この年頃の女の子が着物を汚して森に倒れてたんだぜ」
 背を向けている幸村の首が赤くなるのを見ながら、佐助は意地悪く唇をゆがめた。
「無法者に、好きになぶられたって考えるのが、当然じゃない?」
「み、見たのか」
「何を?」
「いや……なんでもない」
 背を丸めてしまった幸村に、佐助がからかいの色を浮かべる。
「無体をされていたら、そこの手当てもしなきゃなんないからねぇ。破廉恥とか言って、怒る?」
 ぎゅうっち幸村の体が小さくなった。
「お、怒らぬ。手当てを頼んだは、俺だ。だが、その、誰か女子(おなご)を呼び、見せても良かったのではないか」
 もごもごと非難してくる幸村に、佐助は大げさにため息をついて見せた。
「旦那が担いできた人だから、何かあると思って人を呼ぶ間も惜しむために、全部を俺様が看たってのに。旦那はそれを、咎めるんだな」
「違う。咎めておるわけでは無い。そのように聞こえたのならば、すまぬ」
「んふっ。いいよ、旦那。でも、なんで倒れてたんだろうねぇ。この子が倒れている周囲に、何か無かった?」
「いや。特には何も気が付かなかったな」
「ふうん? どっかの村から逃げてきたとか、そういう話かもしんないね。とりあえず旦那は、この子を拾った経緯と状況をコイツに伝えてくんないかな。詳しい理由は、この子が目覚めてから聞けばいいけど、何かわかることがあるかもしんないからさ」
 佐助がそう言えば、何処からともなく人影が部屋の隅に沸き立った。忍の所作には慣れている幸村は、その者に顔を向けて話しはじめる。
「家康殿が逗留しておられる温泉宿に出向いた帰りだ。天下人となった家康殿が、単身で甲斐を見聞に来るなど騒ぎになると、佐助が俺も目立たぬようにして会えと言うたので、徒歩で途中の里まで出向き、そこから馬に乗って会いに行った。そうして帰りも、途中の里で馬を下り、屋敷までは徒歩で戻ろうとしたすぐ脇の森で、倒れているのを見つけたのだ」
「と、いうことは里の近くの道脇の森で見つけたってこと?」
 佐助の問いに、うむと幸村が答えながら振り向いて、裸身の少女に目を止め、慌てて前に向きなおる。
「雨が降り始めてな。髪に積もるように舞っているので、それを振り落とそうと首を振った時に、木々の間に姿を見つけたのだ」
「雨を振り払うって、犬猫じゃあるまいし。ま、でもそのおかげで、彼女は旦那に見つけてもらえたって訳か。物騒な相手に見つかって、売られたりしなくて良かったな」
 気を失っている少女に佐助が語りかけ、幸村は心底その言葉に同意した。
「ま、だいたいの場所は分かったから。そのあたりを中心に、何かないか探ってきてくれ」
 佐助の言葉に、部屋の隅の忍は頷き姿を消した。
「さてと。あとは報告を待つのと、この子が目を覚まして話を聞くくらいだね」
 しばらくして、侍女が湯の張った桶を手に現れた。
「佐助様。この後は私が」
「ああ、うん。よろしく頼むぜ」
「はい」
 侍女と場を交代した佐助は、ぽんと幸村の肩を叩いた。
「あとはまかせて、茶でも飲もうぜ、旦那。徳川とどんな話をしてきたのか、聞かせてくれるだろ」
 佐助の誘いに頷き、幸村は私室へ戻った。
 幸村が部屋で待っていると、佐助が茶と饅頭を手に姿を現し、幸村の前に盆を置いた。佐助が坐すのを見ながら、幸村は饅頭に手を伸ばす。
「家康殿は、ご自身の目で各地の状況を確認したいと申されておった」
「うん。だから、お忍びで全国行脚をしているんだって、文には書いてあったね。目立たずに旅人がふらりと逗留できるところはないかって聞かれて、里の者も行くあの温泉宿を教えたんだろ。俺様が知りたいのは、この国をどうするつもりなのかってことだぜ」
「わかっておる。わかっておるが、少し待て。どうにも、うまくまとめられんのだ」
「ふうん?」
 佐助が湯呑に手を伸ばし、ずずっと音を立ててすする。家康との対話で、何か感じ得るものがあったのだろうと、佐助は目を細めた。幸村は素直に感覚的に物事を受け止めることが出来るが、それを言葉という形に変えることは苦手だった。きっと、それを佐助に説明しようとしてくれているのだろうと、茶をゆったりと味わいながら沈黙を楽しむ。
「俺など、足元にも及ばぬ」
 ぽつりと、幸村がこぼした。
「家康殿は、大きい。まこと、おおきゅうなられた」
 かみしめるように言葉を紡ぐ幸村に、悔しげな色は無い。賞賛のみを浮かべる彼に、佐助は苦笑した。
「おいおい、旦那。感心してないでさ、旦那も大将みたいにデッカクなってくんないと困るぜ」
「わかっておる。わかっておるが、どうにも、なんと言えばいいのか」
 饅頭をかじり、難しく眉根に皺を深く刻む幸村がうなる。
「あっちの旦那は、大将を尊敬してんだろ? その大将の薫陶を受けてる旦那が、負けてちゃ大将の顔が立たないぜ」
「うむ。しかしな、佐助。俺は此度もつくづく感じ入ることがあったのだ」
「何を」
「家康殿も、政宗殿も、国主であるのだなぁと」
「ああ、うん」
 同意をしながら、佐助が苦く顔を歪める。
「そりゃあ、生まれながらに求められているものが違うのは、仕方がないけどさ」
「そうではない。佐助、俺が言いたいのは、そうではないのだ。佐助は、俺よりもさまざまな人を見てきているだろう」
「うん。そうだね」
 戦の折には、諸国を飛び回った佐助は「人」の様々な部分を見てきた。
「政宗殿のように、次期当主としての立場を持ちながらも、覚悟の無い御仁もおられたはずだ」
 知らず家康の名が消えていることに、佐助はますます苦く唇をゆがめた。
 奥州を統べる竜。伊達政宗。それが、幸村の魂深く刻まれた存在であることを、佐助は嫌と言うほど目の前で見せつけられてる。政宗の腹心である片倉小十郎も、きっと政宗と二人になった時に、幸村を思い出す主を、幸村の存在を深く魂に刻んでいる姿を見せられているのだろう。
 悪いことではないが、引きずられすぎては困る。
「旦那は、旦那なんだから。同じようになる必要なんて、無いよ」
「うむ。だが、不甲斐ないと思ってな」
「そんなら、そう思わないようにすれば、いいだけなんじゃない」
 佐助は軽く言って見せたが、それがどれほど大変な事かを知っていた。けれど、幸村ならば成し遂げると確信をしている。素直すぎる分、迷いの生じやすい彼を傍で見守り導くのが、自分の役目だ。
「家康殿は、絆を解いておられた」
「ああ、うん。絆の力で天下を統べるって、言っていたね」
「土地によって、事情は様々だ。同じような治政など、行えぬ」
「そりゃあ、そうでしょ。海と山じゃあ、事情もいろいろ変わってくるし、南と北じゃあ季節の巡りすら違うんだからねぇ。てことは、もしかして諸国の有力大名と絆を結んで統括するってコト?」
 こくりと、幸村が饅頭を嚥下しながら頷く。
「甲斐を頼むと、申された」
 はにかむ幸村に、ふうんと佐助は腕を組む。
「有力大名らの間にも絆をはぐくみ、手を携え知恵を分け合い、太平の世を作ろうと申された」
 ずいぶんと甘いことだと思いつつ、けれどそれが理想の形であることに、佐助は頷く。
「だから、自分もしっかり成長をしなきゃって思ったってこと?」
「政宗殿に負けぬように、大きくならねばならぬ」
 そっと心中で、佐助は吐息を漏らした。どうせなら、上杉謙信に虎の遺志を継いでいると言わしめた家康の名を、と心に浮かべつつ苦笑する。
「旦那ってば、ほんっと竜の旦那ひとすじなんだから」
「なんだ、それは」
「別に。武勇だけじゃなくって、そっちのほうも好敵手になって切磋琢磨してくれるんなら、俺様も嬉しいなって思っただけだよ」
 太平の世にあれば、竜の右目と呼ばれ政宗を導いた度量と手腕を持つ片倉小十郎も、好敵手の幸村と主の政宗が互いに成長をすることを喜び、苦言を呈して活を入れてくれもするだろう。彼の持つ農作物の知識や、治政の理を自分が教わることも、出来るだろう。
「俺様も、まだまだ成長をしなきゃなんないね」
 佐助のつぶやきに、幸村は目を丸くした。
「なんと。佐助もまだ己を未熟と思うか」
「そりゃそうだよ。なんたって、俺様は忍の長だぜ。平穏な世の中になったら、忍の技はいらなくなるだろ。このまんまじゃ、旦那にお払い箱にされちまう」
 おどけて見せれば、幸村は真面目に眉根にシワを刻んだ。
「俺が、佐助を必要とせぬようになるはずが、無いだろう」
「だから、旦那の支えになるように、俺様も色々と勉強をしなくちゃなって思ったってこと」
 ふうむ、と幸村が唸りながら茶をすする。
「なれば、互いに精進しあおうぞ、佐助」
「ま、ぼちぼちとね」
「ぼちぼちとは、なんだ。手を抜くつもりか」
「違う違う。自分に合った速度でって意味だよ」
「そうか」
「そうそう」
 ずずっと二人が同時に茶を啜れば、襖の向こうから遠慮がちな声が聞こえた。
「幸村様、佐助様」
 佐助が立ち、襖を開けた。廊下で侍女が手を着いて、頭を下げている。
「あの子が、目を覚ましたの?」
 佐助の問いに、侍女は「はい」と答えて困り顔を持ち上げた。
「なにゆえ、倒れておったのかと問いましたら、おかしなものを見たので、早々にこちらへ知らせねばと思い、街道より森を抜けたほうが早いと駆けていた所、足を滑らせ気を失っていたのだと答えました」
「おかしなもの?」
 佐助と幸村の肌身に、緊張が走る。すぐにでも討伐に迎える気色となった二人に、侍女はますます困った顔をして頬に手を当てた。
「なんでも、おそろしく大きな武者が、空を飛んでいたとか」
 その言葉に、佐助も幸村も目を丸くし、笑い声を立てた。
「それなら、問題無いよ。旦那、悪いけど、もう一回出掛けて来てくんないかな。彼女には、俺から説明をしておくから」
「うむ。家康殿には、忍ぶ旅が忍んでおられなかった旨を、伝えて来よう」
 事情の分からぬ侍女を促し、佐助が少女のいる部屋へと進む。幸村は茶の残りを飲み干して、立ち上がった。
 二人の胸に、平穏な風の先駆けが穏やかに走った。

2013/05/01



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