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柱の傷は

 とん、と小さく軽いものが足にぶつかってきた。
「おっ?」
 振り向けば、じっと見上げてくる大きな黒目が太ももの高さにあった。条件反射で笑みを浮かべた猿飛佐助は、しゃがんで目の高さを近くした。
「なぁに」
「おかしゃ」
「俺様は、アンタの母親じゃないぜ? ああ、迷子か」
 立ち上がった佐助は、きょろりと辺りを見回す。けれど、この子どもの母親らしい姿は見当たらない。
 いつもよりも人の多いスーパーの惣菜売り場や寿司売り場、和菓子売り場には子連れ姿を幾人も見るが、探しているらしい人物は見えなかった。
「ふぅむ」
 片手を腰に当てた佐助の足元で、子どもがもう一度「おかしゃ」と呟いた。
「ったく。仕方ねぇなあ」
 手を伸ばし抱き上げて、佐助は店内を歩きまわる。子どもが佐助の肩と頬に手を乗せて背伸びをし、周囲を見回し始めた。
「あっ! おかしゃあ」
 厚揚げをかごにいれようとしている女性を、子どもが指差す。子どもの声に顔を上げた女が目を丸くし、不振そうに目を細めた。
 苦笑し、佐助が子どもをおろせば子どもは走り、母親らしき女の足にしがみついた。
「おかしゃ」
 声を弾ませる子どもの頭を撫でた女が、佐助に軽く頭を下げる。その目が疑惑を浮かべたままであることに、心中で息を吐いて目礼を返せば
「ばぃばぁあ」
 子どもが手を振ってきた。ちいさなその手が触れた頬に、ぬくもりが残っている。佐助は手を振り返し、買い物へ戻った。
 ふわりと、胸の中になつかしいものが浮かび上がる。それはきっと、あの子どもの手に似たものを、知っているからだ。
 和菓子のコーナーに足を向けた佐助は、柏餅のパックを手にし、目じりを緩めた。
「まだ、子どもっぽいところがあるし。祝ってあげよっかな」
 新芽が出るまで葉の落ちぬ柏を縁起とした餅と、立身出世を願うこいのぼりの小さな玩具付きの菓子をかごに入れる。少し考えて
「今日くらいは、楽をさせてもらおうっと」
 巻き寿司コーナーで、こどもの日セールと書かれた、こいのぼりのシール付の巻き寿司を適当に選びかごに入れ、簡易の吸い物を手にし、少し悩んでから菖蒲を持ってレジに並んだ。
 買い物を終えた佐助がスーパーを出ると、すっきりとした空が広がっていた。その端っこが少し、茜になっている。
 佐助の横を、数人の子どもが走りぬけた。手作りらしいこいのぼりを手に、何がおかしいのか大きな笑い声を発して追いかけっこをしている。
 ああ、あんな頃もあったなぁ――。
 懐かしく小さな手を思い出しながら、その頃は自分も子どもだったと気づく。頭を撫でる、あたたかく大きな手のひらを思い出して、佐助は口元をほころばせながら道を歩いた。
 武田道場と看板の出ている門をくぐり、台所に入った佐助は買ってきたものを皿に並べる。武田道場師範、武田信玄と彼の薫陶を受ける真田幸村が帰ってこれば、湯を沸かして簡易の吸い物を作ればいいだけにしてから、裏口から出て道場へ入った。
 連休中は、道場も休みだ。通う子どもたちは、家族でこどもの日の節句を祝っていることだろう。
 がらんとした道場には、子どもたちの笑い声や真剣な掛け声がしみこんでいる。佐助や、幸村の声もその中に混じっていた。
 ゆっくりと一周し、一本の柱の前で立ち止まる。そっと指の腹で柱を撫で、刻まれた傷に目を細める。佐助の胸の辺りから下に、十二本の傷があった。その傷は、六本ずつがまっすぐ並び、高さを比べあっている。
 ああ――。
 傷を撫で、佐助はやわらかな息を吐く。
 俺様ってば、こんなに小さかったんだ――。
 これは、佐助が武田道場に引き取られた翌年から、刻まれた成長の印だった。仲たがいをした両親が、どちらも新たな家庭を築くために、佐助を引き取ることを拒んだ。それを察した道場主の信玄が、佐助を預かると申し出た。彼のもとで、かつて修行をしていた男の子どもも預かっているからと言えば、佐助の両親はほっとしたように、申し訳なさそうなふりをして頭を下げた。
 そして両親は佐助が万一、会いにきては困るからと居場所を告げずに新たな家庭を持った。
 佐助の養育費だけは、成人するまでは武田道場に振り込まれるらしい。佐助は、自分の親権がどちらにあるのかも知らなかった。
「だいじょうぶだぞ、さすけ」
 佐助が武田道場に住み始めて、しばらくしてから幸村が佐助に言った。
「おれも、おやかたさまもおるゆえ、さみしくはならぬ」
 きりりと眉をそびやかした幸村に、佐助は呆れた顔を向けた。
「別に、俺様は寂しくなんてないし。こそこそと言い争ってる二人を見ているより、ずっといいよ」
「ぬっ。そうか」
「寂しいのは、そっちなんじゃないの。俺様を、一緒にしないでくんない?」
 冷たく言い放てば、幸村が唇を尖らせてうつむいた。何故か、意地の悪いものが佐助の胸奥からわきあがった。
「だいたいさ。先に住んでいたからって、えらそうにしないでくれる」
「えらそうになど、しておらぬ」
「してるよ。大丈夫だぞって、何さ。俺様よりもちっこくって、何にもできないくせに」
 うる、と幸村の目がゆれた。
「だいたい、俺様はもう小学生だし。カレーくらいなら作れるし。アンタに心配されるようなことなんて、なんにも無いんだよ」
 ぐっと涙を堪えた幸村が、頬を膨らませる。
「なれど、おれにはさすけが、がまんをしておるようにみえるのだ」
「はぁ?」
「さすけは、ここにおるのに、とおいのだ」
「なにそれ。わけわかんない。意味わかんないこと、言わないでくれる」
「ぬ、ぅう」
「なんにもできない、ちびスケのくせに」
 ふいっと佐助が顔を背ければ、服をつかまれた。
「何さ」
 憮然として振り向けば、あたたかく小さな手のひらが佐助の頬を包んだ。そのぬくもりに、佐助は目を見開く。胸の奥に、形容しがたい痛みとも冷たさとも知らぬものがあることに、気づいた。
 なんだ、これ――。
 戸惑う佐助のことなど気づかぬ風に、伸びをした幸村はコツンと佐助の額に額を重ねた。
「おれはいずれ、さすけよりも、うんとうんとおおきくなる」
「へ?」
「だから、だいじょうぶだぞ、さすけ」
 にっこりとした幸村が、佐助の頬に頬を合わせた。強く抱きしめられ、ぷくぷくとした頬に触れられて、佐助は自分の頬が濡れていることに気づいた。
 なんだ、これ――。
 よくわからないままに、佐助は幸村を全身で抱きしめた。ぬくもりが肌を伝わり心に沁みこんでくる。幸村は、陽だまりのにおいがした。
「さすけ、だいじょうぶだ。おれは、そばにおるぞ」
 ああ――。
 こんな小さな子どもに、小さな子どもだからこそ、気づかぬままに押さえ込んでいたものに、気づいたのか。似たような境遇だからこそ、理解をしてくれたのか。
「さすけ」
 まだ少し舌の足らぬ、まるい呼び声の返答の代わりに、佐助は抱きしめる腕を強めた。
 その翌年の五月五日の端午の節句。幸村は信玄に、いずれ自分は佐助よりも大きくなると宣言し、大きさの差を刻んでおきたいと言った。信玄はやわらかく目を細め頷き、ならば道場の柱に、二人の背の高さを刻もうと提案した。
 そうして刻まれていった傷は、六本。中学に上がった佐助が、もう子どもではないのだからと拒絶をし、そこから背比べは途切れている。
 カタリと音がして首をめぐらせれば、くるりとした目がのぞいていた。
「佐助。ここに居たのか」
 破顔して入ってきたのは、もう子どもとは呼べぬ年になった幸村だった。
「旦那、どうしたのさ。今日は友達と一緒に、孤児院のこどもの日の手伝いをするって、言っていただろ」
「うむ。長曾我部殿とザビー孤児院に行ってまいったのだが、急に帰りたくなったのだ」
「帰りたくなった? なんか、あったの」
 心配顔の佐助の傍に歩み寄った幸村が、手を伸ばし柱の傷に触れる。
「柱の傷はおととしの、五月五日の背比べ」
 歌った幸村が、にっこりと佐助を見つめる。
「まだ、俺は佐助の背には届かぬ。なれど、できることはずいぶんと増えた」
「ああ、うん。そうだね」
 佐助が、懐かしく目を細めた。
「だが、まだまだ佐助ほどではない。なれどいつか、必ず佐助を越えてみせるからな」
 挑むように微笑んだ幸村に
「旦那が進んだぶん、俺様だって先に進むぜ」
 佐助が口の端を持ち上げた。
「幸村、佐助! おらぬのか」
 母屋から声が聞こえ、佐助が軽く幸村の背中を押した。
「大将が帰ってきたよ、旦那」
「うむ!」
 敬愛する信玄の帰宅に、幸村が軽く駆けていく。その背中を見送り、柱を振り返り、佐助は微笑む。
 旦那は、とっくに俺様よりも大きくなってるよ――。
 はじめから、佐助よりもずっと大きな心を持っていた。
「佐助! 早く来ぬか」
「はいはいっと」
 二人の成長を、道場は変わらず見守り続ける。

2013/05/05



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