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b>小糠雨   小糠雨の中、佐助は傘もささずに歩いていた。茶屋で団子を受け取り、歩きだしたとたんに降り始めた雨はやわらかく、暖かな気温の中では心地よいとさえ思える。そっと団子の包みを濡らさぬよう袖で覆い、急ぐでもなく遅くでもない速度で、帰路を進む。
 各地に散った者たちからの諜報書を受け取った場所が、団子が旨いと評判の茶屋で、子連れの女が子どもに与えている姿に――嬉しそうに頬張る子どもの姿に、主の姿が浮かんだ。そこで、佐助は団子を土産にすることを決めたのだった。
 道中の茶屋など、いろいろな人間の集まる場所は、見知らぬ者同士が隣り合ったとしても不自然ではない。自然、そういう場所でやり取りをすることになる。そのついでに、団子が旨いとわかれば買って帰る。それが、いつのまにか習慣のようになっていた。
 小糠雨のように柔らかい主の笑顔を思い浮かべ、少し照れくさそうに団子を受け取る様子を思い出し、佐助の唇には笑みが浮かぶ。
――変に格好つけようとせずに、素直に喜べばいいのに。旦那ってば。
 心の中で、つぶやく。男が甘いものを好きだということが、少し気恥ずかしいのだろう。嬉しいくせに、それを隠そうと無理やり何でもないような態度を取ろうとするのが微笑ましい。
「おっと」
 クスリと笑った佐助に、どんっと小さなものが衝突した。
「ごめんなさいっ」
 ぱっと離れたそれは、小さな道中姿の子どもであった。ぺこりと頭を下げて走り去る先に、親らしい人が見える。その人が軽く頭を下げて、佐助も頭を下げた。
――旦那も、あのくらいの頃があったなぁ。
 ふふっと笑って、佐助はまた、歩きだす。真田幸村が、弁丸と呼ばれていた頃。くりくりとした瞳で、まっすぐに見てくるのに、当初は戸惑っていた自分を覚えている。――あんな風にまっすぐに見られると、自分の汚い部分までをも見透かされているようで、ジクジクと後ろ暗さが痛んだことを、思いだす。
 あの頃の佐助もまだ子どもと呼べる年頃で、しかし忍としては一人前になっていると、大人に引けを取ることなどないと思っていた。自分は大人だとも、思っていた。今思うと、てんで子どもでしかないというのに――――。
 弁丸は、なんでもまっすぐに物事を見ていろいろなものに興味を示しては手を伸ばしてみる子どもであった。今でも、あまり変わらないかもしれないけれどと思い出に付け加え、佐助は人を斬ってもなお穢れない主の姿を脳裏に浮かべた。
 小糠雨が佐助を包む。薄く細かく舞うものは、重さなど感じないくせに存在は深く強く、気づかない間にまとわりついて水を滴らせるほどになる。さして濡れている感じがしないまま、いつのまにかグッショリと濡れてしまう雨は、戦場での返り血のようだと思いいたり、口元に浮かんでいた笑みの質が変わる。
 夜陰にまぎれ、命を奪う。
 それが、仕事だと認識している。だが、それを認識しているがゆえに、弁丸の瞳が自分を映すことを苦く思った。まっすぐに、太陽に向かって開く花のような笑顔は、自分の穢れを浮き彫りにする――――恐怖のような感覚を持って、弁丸に接していた時期があった。それなのに焦がれるのは、きれいなものを求めているからだろうか。穢れを祓いたいからだろうか。
 仕事を終えて帰った佐助が、井戸端で手水を使っていると、弁丸がひょっこり顔を出してきたことがあった。どんな仕事だたかは覚えていないが、後味の悪かったことだけが記憶にある。見た目には落ちる他人の血液は、死の色をまとって体に――心に沁み込んでいく。それが酷く苦痛に思い始めていた頃だった。命を奪うということが、奪った相手の周辺にいる人たちにどういうことをもたらすのかを理解しはじめた頃だった。
「しゃしゅけ」
 どうにもうまく口が回らないらしい弁丸は、上手に佐助と発音できない。どうも、さしすせそ、が苦手らしい。それが弁丸をより幼く、守るべき存在として佐助に認識させてくる。
「ただいま」
 仕事の後は、なるべく会いたくない。そう思いながらも無視をするわけにもいかず、無理やり顔に笑みを作ると、転がるように弁丸がやってきた。
「てを、あらっておるのか」
「あぁ、うん――――汚れちゃったからねぇ」
 ふうん、と全身を動かして首を傾げる弁丸が、大きな瞳に佐助を映す。
「どこも、よごれてなど、おらぬ」
 苦笑し、しゃがみ込んで両の掌を見せながら佐助は言った。
「いっぱい、汚れているんだよ。俺様、忍だから―――」
「ならば、やめればよい」
「お仕事だから、やめらんないんだよ」
 むうっと唇を尖らせ、眉間にしわを寄せる弁丸に自嘲ぎみな笑顔を向けて、手のひらを目の高さにあげて言う。
「見た目にはわからないだろうけど、たくさん、たくさん汚れているんだ。洗っても洗っても落ちないくらいに、ね」
 ばしり、と弁丸が勢いよく佐助の手を叩く。怒ったような、泣くのをこらえているような顔をして、弁丸は叫んだ。
「しゃしゅけ! しょんな顔、しゅうな! おまえが、しょんなこと、しなくてもよくなるくらい、つおくなるッ! おれがまもってやる!」
 えっ、と思った瞬間、小さな手が佐助の首に巻きついていた。しがみつくような格好で――きっと当人は抱きしめているつもりで、弁丸は続ける。
「しゃしゅけは、よごれてなど、おらぬ!」
 瞬間、胸が暖かいものに衝かれ、佐助の頬に涙が伝う。
「は、はは――」
 子どもの戯言だと一笑に付せるはずなのに、胸に湧く暖かなものが心の氷を溶かし、目からあふれさせていく。それを見られたくなくて、佐助は小さく、ひどく暖かいものを抱きしめる。
「うん、ありがとうね」
 応えるように、弁丸は佐助にしがみついている腕の力を強めた。

 思い出しながら帰る道は、短く感じる。気がつくと門前についており、体はしとどに濡れていた。そっと袖の下に隠している団子の包みが雨にやられていないかと確認し、門をくぐってまっすぐに、信玄と幸村が鍛錬をしているであろう場所へ、庭伝いに向かう。もう充分に濡れていたし、雨が心地よかった。館の中を雨の滴で濡らすことも避けたい。団子だけは濡らさないように、ということ以外は特になにも考えずに、二人が拳を振るいあっているところに、声をかけた。
「ぅぉおおおおッ」
「甘いぞ、幸村ぁあああ!」
 元気なこって、と心でつぶやき戻ったことを告げると、まずは信玄が佐助に気づき、声をかけた。
「うむ、ご苦労であったな、佐助」
「取り急ぎ大将にお伝えするようなことは無かったんで、あとでまとめて報告しに来ます。あ、あとこれ御土産買ってきたんで――――」
「佐助ッ! ズブ濡れではないかッ」
 団子の包みをそっと取り出し屋根の中に入れるのと、幸村が佐助に気づくのとが同時であった。彼の声に驚いて、せっかくの団子をとり落とさなくてよかったと思いながら、大股で自分に近づいてくる主に笑顔を向ける。
「傘は、無かったのか。なぜ誰も手拭いや着替えを用意せぬのだ」
「あぁ、旦那。大丈夫だって。俺様このくらいで風邪をひいたりするようなヤワじゃないしさ」
「そういう問題ではござらぬ」
「それに、とりあえず先に帰ったことを報告したかったし、このまま入ったら床を濡らしちゃうしさ」
「佐助ッ!」
「はいっ」
 牙をむき出しにしたような叫びに、思わず背筋を伸ばして返事を返すと、心配そうな顔があった。
「屋敷の床が濡れることよりも、佐助がそのように雨に打たれておる方が、俺は、いやだ」
 苦しそうな顔で与えられた言葉に目を丸くし、じわじわと心の奥からやってきたくすぐったさに笑みを広げて肩を震わせ佐助が笑う。
「なっ、なにがおかしい」
「ん〜ん、なんでもないよ、旦那。ありがとね」
「すぐに着替えを用意させる。身支度が整えば、共に土産の団子を食そうぞ」
 そう言って、弁丸の頃より曇ることのない笑顔を浮かべた幸村に、佐助もまっすぐ笑顔を返す。
――――十分、旦那の強さに俺様、救われてるよ
 心でつぶやいた後、視界の端に映った信玄の笑顔に、佐助は照れたように頬を掻いた。
――――まったく、かなわないな。旦那にも、大将にも、さ
 小糠雨が、優しく世界を包み込む。


2010/06/11


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