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春のあやかし  ふわふわと、肌が心もとなくなるような陽気に包まれ、毛利元就はうつらうつらとしていた。
 眠れるときに眠る。
 それが、元就の信条であった。眠りが不足すれば思考が鈍る。――下手な策を無理とに練ろうとするよりも、わずかでも休息を取り鮮明な思考で物事を見るほうが、ずっと良い案が出る。視野も広くなる。冷静であれる。
 すう、と春花の香りを含んだ風を吸い込み寝息にかえた元就に、春にうかれたあやかしが、ほんのちょっぴり――人からすれば、とんでもない――悪戯を仕掛けた。
 そうとは知らぬ元就は、すやすやふわふわと、心地よい眠りに身を委ねる。心地よい揺らぎが、子守唄のようで――――
(揺らぎ?)
 自分は、屋敷に居たはずだ。それが揺らぎを感じるとは、どういうことか。それに、何やら潮の香りが強い――。
 がばり、と身を起した元就は、目の前に広がるものに言葉を失った。
(何が、興っている)
 内心で狼狽えながらも、目は冷静に周囲を伺う。
 打ち寄せる波の音。自分の居る小舟には網がある。――これは、漁に使うものだ。ゆらゆらとしているのは、船が海面に置かれているからだ。――流されているらしい。
(ここは、どのあたりなのか)
 立ち上がり、より遠くを見ようとして気付く。視界が、おかしい。
 少し大きめの小舟かと思ったが、そこにあった櫓の大きさが、どうにも妙だ。
(いかな者が、これほど大きな櫓を使うというのだ)
 手を伸ばし、視界に入った自分の手が常に見ているものとは違う。ぎくり、として両手を顔の前にかざしてみる。これは――どう見ても
(子どもの手ではないか)
 一体全体、これはどういうことなのだろうか。――妙に現実味のある、夢……ということか。
 呆然とする元就の耳に、遠くから声が届いた。呼ぶ声に顔を向けると、こちらに手を振る見知らぬ男たちの船があった。自分を救いに来たらしい彼らは、どこの領地の者か――。見える陸地から判じて、瀬戸内海――四国よりであろうことはわかる。ならば、あの男たちは長曾我部の手の者か。
 そうしているうちに、男たちの船は元就の傍へ寄った。
「おい、どうした。こんなところで。どっから流された」
 船のへさきを自分たちの船と繋げながら、男たちが問う。どうこたえるべきかと思ったが、ここは黙っておくのが得策だろう、と口をつぐんだ。
「なんだ、どうした。どこの子だ」
 何を問われても黙ったままの元就に、男たちは困り果てた顔を見合わせ、とにかく兄貴のところへ連れて行こう、と言った。
(やはり、長曾我部の――)
「こっちに移れ。ほら」
 差しのべられた手を取り、男たちの船に移って、元就は長曾我部元親の元へ連れて行かれた。

 元親は、何かのの設計をしていたらしい。少し待っているようにと連れ置かれた部屋に現れた彼の手は、墨で汚れていた。
「お、ぼうずか。流されちまったってぇのは」
 人好きのする顔で近づき、坐する元就の前にしゃがむ。
「身なりが悪く無ぇんで、どこかの御曹司かなんかだと思うんですが」
 控えていた男の声に、元就を眺めていた元親が破顔した。
「どこの誰だかは知らねぇが――無事、送り届けてやるから心配すんな」
 大きな掌で頭をかき乱すように撫でられ、妙な心地に惑う。――顔を合わせれば刃を交え、策を弄して陥落しようとしている相手に、頭を撫でられるなど。
 けれど、その感覚が不快だと一言で片づけられないものであることに、元就は戸惑った。
「もともと声が出ないのか、恐ろしくて一時的に喋れないかは知らねぇが、急ぐことは無ぇ。アンタが居なくなったことで、探している奴らを見つけりゃあ、アンタが喋れなくても帰る先がわかるだろ。心細いかもしんねぇが、気兼ねしねぇで、ゆっくりしていきゃあいい」
 じわり、と胸にしみこむような声音で言われ、元就は目を見開く。ぽんぽんと軽く頭を叩かれて、抱き上げられた。
「腹は減って無いか。休憩をしようと思っていた所だったからな、丁度いい――餅でも食いに行こう」
 抗う理由もなく、元就は元親の茶に付き合い――美味であったので上々の気分で――彼の室に連れて行かれ
「ここにいりゃあ、すぐ野郎どもが情報を掴めば報告に来るからよ」
 設計図を広げ始めた。
(馬鹿な男よ)
 労せずして、情報を手に入れられると元就は元親の傍へ寄り、設計図を覗き込む。
「お――なんだなんだ。興味があるのか」
 すると、うれしそうに元親は膝の上に元就を乗せて、説明をし始めた。
「これはな、船尾に作る格納庫の設計だ。船ってぇのは、帆船と漕ぎ手とで走らせるのが、常だ。外国のジャンク船は、見たことがあるか」
 むろん、あるので頷く。
「あの速さを追及するにゃ、荷物の配置をどうにかしねぇと――波にもまれても安定するようにしておかなきゃ、ならねぇ。だが、仕切りを多くすると積載量が減る。――まぁ、減ればその分、早くなるんだが、もっと多く積めて、早く運べる船が出来ねぇかと思ってよ」
 どうやら、彼御得意のカラクリの設計図ではないらしい。けれど、彼の言うことには興味があった。
 ジャンク船の速さをもっていながら、積載量の多い船――交易にも、進軍にも、そのような船があれば優位になる。
 元就の目の輝きの変化に気付いたらしく、元親は他の設計図も広げて見せた。
「船上に建てる櫓の設計なんだが、あんまり高く広いもんだと風に船が煽られる。捕鯨船くれぇの大きさの船なら――」
 彼の説明を真剣に聞きながら、元就なりに脳内で設計をしていく。
(なるほど、そのような潮目で使うには、有効なつくりだ)
 思考に半分、説明に半分――元就の意識の外で、ふっと耳に触れた吐息にそれらが中断された。設計図に目を落としながらも、とおい場所に目を向けている元親の口元から、その息は漏れていた。
「――毛利と手を組んで、瀬戸内を世界一の港にしていけりゃあ、この国ももっと、豊かになりそうなモンなのによ」
 しみじみと漏らされた声が、すとん、と元就の胸に落ちる。
「争うんじゃなくってよ――やっこさんも、自国の民を守りてぇって気持ちが強ぇから、あんなふうになっちまったんじゃねぇかと思ってるんだがな」
 唇を噛む。ため息交じりの声を、下らぬと切って捨てることなど容易いはずなのに、出来なかった。――今は、我が姿が常ではない為よ。
 そう思わなければ、生まれた動揺を鎮められない自分に気付かぬふりをし、納得する。
「やっこさんが、もっと素直になってくれりゃあ――無益な争いなんざ、しなくていいのによ」
(甘いな)
 それが、この男の弱さであり、強さでもあると識っていた。そして、それが自分に向けられた時の不快を――ざわつくものを、思い出す。
「あぁも頑なになっちまったのは、理由があるんだろうけどよ」
 ざわ、と感情に風が吹いた。この男の言は、それに乗せられたものは、元就をいつも落ち着かなくさせる。冷静さを奪おうとする。人の持つ境界に、いともたやすく踏み込み、人に好かれることが当然のようなこの男に、何が――
「貴様に我の、何がわかると……」
 言いかけた言葉は、ざぁ、と風に木の葉が啼く音にさらわれた。

 はっとして、目を覚ます。耳には、東風が庭木を揺らす葉音があった。
「……」
 ゆっくりと、あたりを見回しながら記憶をたどる。うとうとと、眠気に誘われ、そして――今、居る場所はよく見知った場所で――――
「――夢、か」
 ぽつりと、言葉にしてみた。――子どもの姿になり、長曾我部の部屋で設計図を見るなど。
 いくらなんでも、あの男であったとしても、そのように技術を不用意に子ども相手であろうとも見せるはずは――
「あの男ならば、やりかねんな」
 ふ、と蔑みではないもので、唇をゆがめた元就の頬をさらった風が庭木にとまり、楽しげな笑みをこぼしながら彼を見つめた。

2012/03/28


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