ふらりと、供も連れずに海辺を歩く毛利元就の耳に、騒ぐ子どもの甲高い声が届いた。気晴らしの散歩の途中だったので、なんとはなしにそちらに足を向ければ「うっせぇ。捨て駒は言うこと聞いて、さっさと盗ってこりゃあいいんだよ」「そうだそうだ」 しばらく見ていれば、どうやら餅屋から大福なり何なりと盗んで来いと、言われているらしい。そうして命令をしているガキ大将は、元就の真似事をしているようで(愚かな) 何の策も無しに、ただ盗めという下知をするなどばかばかしい。(捨て駒も、使いどころを間違えば駒にすら、ならぬわ) ただの、捨石だ。 子どもたちの様子を眺めていれば、どうやら足軽大将の子どもと足軽の子どもらしいことがわかった。(なるほど) 親の身分を笠に着て、暴行を働いているらしい。(このような者が跡を継ぐとなれば、先は見えておるわ) 呆れて見つめていると、子どもたちが元就に気付いた。「なんだテメェ」 とりまきらしい子どもたちが、元就に凄んでくる。それを一瞥すれば、あっけなくひるんだ。(下らぬ) 近づき、床に這っている子どもの横に立ち「立て」 命じた。 子どもは、助けてくれるのか助けてくれないのか、元就を窺っている。「すぐに助けてもらえると判じないところは、良しとしよう」「は?」 それに反応したのは、足元の子どもに危害を加えていた者たちで「去れ。下らぬことを、するでないわ。欲しいと思うなら、自ら策を練り手に入れよ」 元就が手を出すか出さぬかすら考えぬままに、自分たちに不利な相手と決めつけた者たちへ、野良犬を追い払うように手を振った。「なんだよ、ひょろひょろのくせに!」「そう思うなら、かかってこればいい」 傲然とした態度を崩さぬ元就に、子どもたちはひるみ、じりじりと後退し「覚えてろよ!」 お決まりの言葉を吐き捨てて、去っていた。その背中が見えなくなったころに、ようやく足元の子どもが立ち上がる。「えっと……ありがと、う?」 疑問的な言い方に、元就の唇が持ち上がる。「我は、貴様を助けたわけでは無い。ただ姿を見せただけぞ。それを、あ奴らが勝手に助けに入ったと思い込んだ。それだけのこと」「……はぁ」 わかったような、わからぬような声を出す子ども相手に、見る者が見れば機嫌が良いと思える顔をして「すぐに、我に助けを求めずにいたことは、褒めてやろう」「そりゃ、どうも」 怪しげな目を向けてくる子どもに「あのような者の言うことなど、聞く必要などない。捨て駒と聞こえたが、策も無く兵を動かすは捨石にしか出来ぬ。いや、捨石にすらも成り得ぬ。駒として仕えてこその、捨て駒よ」「――あんた、誰なんだよ」 ふ、と目を細めた元就が「知りたくば、今の地位より上って来れば良い。才ある駒は、この国の礎として使う価値がある」 ふわり、と裾を舞わせて去る元就の背中を、子どもは疑わしげな目で見送った。 元就が去った後、子どもは浜辺を歩いていた。歩きながら、元就の言葉を反芻する。だが、意味が分からない。「捨て駒と、捨石は違うのか」 それだけは、理解できた。自分に盗みをしろと言って来たものたちの言うことなど、聞かなくても良いということも。「誰だったんだろ」 涼やかなたたずまいに、相当に身分の高い相手なのだろうとは思う。けれど、よもや彼が毛利元就だったなどとは、思いもよらない。足軽の子どもからすれば、彼は殿上人と同じくらいに、遠い存在であった。「なんだぁ。シケたツラして」 声に顔を上げると、時折、大きな船でやってくる気風の良い男が歯を見せて笑っていた。様々な積荷を屈強そうな男たちに船から陸へと運ばせている男は、長曾我部元親という。彼が、よもや西海の鬼と呼ばれる大名だとは思いもよらない子どもは、大船団の船長くらいに思っていた。「兄貴ぃ! これで、降ろす荷物は全部ですぜ」「おう、ありがとよ! ちょっくら休んでから、積荷を運び込んでくれ」 部下に声をかけた元親は、子どもが怪我をしているのに目を止めて「喧嘩か?」「そんなとこ」 子どもの様子に、そうではないと気付きながら、そうかと頷いた。「ついてこい」 子どもを手招き、船宿の横にあった茶屋の床几に腰かけて、ざっと手当てをした後に団子を一皿注文し、子どもに与える。 遠慮なく食べろとの言葉に、素直に従った子どもは二本目を口にしながら「捨て駒と捨石の違いって、わかるか?」 ぽつりと、言った。「ん?」「……あのさ」 まっすぐに元親を見つめた子どもが、親の身分が偉いからと自分に無理難題を言ってくる者がいると言う事。盗みを働くように言われ、拒めば痛めつけられたこと。そこに、見知らぬ男が現れてよくわからないことを言われたと、告げた。 黙って全てを聞き終えた元親は、ははぁと言いながら顎をさすった。「どういう、ことだと思う?」 問いに「そうだな。無駄死にをさせるか、そうじゃないかってことなんじゃねぇか」 答えた。「どっちも、同じに思えるんだけど」「そうだなぁ…………意味の在る死ってぇ言葉は、あんまり好きじゃねぇがよ、そういうモンがあるのも、確かだ。希望を繋いで死んでいくのと、ただ死んでいくのとじゃあ、当人の気持ちも違う。戦だと、士気も変わる。もちろん、生死をかけたことじゃなくてもいい。――俺ぁ、でっけえ船で海を渡っている。人に任せることもある。そんな時によぉ、大嵐が来たとする。けど、どうしても荷物を運ばなきゃならねぇ。そんなときに、どうするか、だ」 顔を近づけ笑いかけると、子どもが真剣な顔で元親の右目を覗き込んだ。「ただ単に船を出させりゃあ、積荷ごと船も乗っている奴らの命も、いたずらに奪うことになる。けど、何が何でも出航しなきゃならねぇ。なら、どうすりゃあ嵐に耐えられるか。それを考え、備えて行くしかねぇよな」 言葉を区切り、子どもが頷くのを待ってから「けど、危険なことにゃ、変わりねぇ。それがまぁ、なんだ――要するに、毛利の言う捨て駒ってぇ奴なんじゃねぇか」「……ふうん」 元親から顔を逸らした子どもが、考え込むように地面を見つめて足をぶらつかせるのを見て、元親は乱暴に頭を撫でる。「ま、見込みがあると思われたんだ。しっかり磨いて、でっけぇ男になれよ」「見込み?」「褒められたんだろう? 毛利が敵か味方かわかんねぇから、見極めようとしたことを」 目を瞬かせた子どもに「会ったのは、間違いなく毛利の野郎だぜ」 自信満々にうけおうと、床几に銭を置いて立ち上がった。 驚きのあまりに動けぬ子どもに手を振って、歩き出す。「ちょっくら、毛利の顔でも拝んでこようかねぇ」 つぶやく唇は、楽しげであった。 そよそよと秋の風が吹く庭先で「いよォ、毛利」 親しげな声に顔を向けた毛利元就は、月を見ていたままの顔で「招いた覚えは、ない」 声の主、長曾我部元親を見た。「俺も、招かれた憶えは無ぇな」 言いながら徳利を持ち上げて見せれば、静かに諦めたような息を吐いた元就が、目線で縁側を指した。並ぶように向かい、腰かける。「貝の日干しで、いいか」 懐から取り出した包を開け、二人の間に置いた。そこには、猪口とアサリの干物があった。 何も言わずに猪口を手にした元就に、酒を注ぐ。元親は手酌で猪口を満たし、口に含んだ。「っはぁ」「不法侵入で捕らえぬことを、有りがたく思うがいい」「アンタ、そういう言い方は改めたほうがいいぜ。誤解を招く」「貴様にそのようなことを言われる筋合いなど、無いわ」「そうかい。ま、頭の良すぎる奴の考えは、理解しにくいよなぁ……だから、今回みてぇに補足説明が必要んなる」 元就の目が、何のことだと告げた。「昼間、ガキを助けたんだろう」 うれしげな元親に「居合わせただけの事よ」 つまらなさそうに、アサリを抓んだ。「褒めてやったんだろ」「状況を分析しようとしたことは、評価してやろうと思うたまで」「回りくどい言い方をするから、ガキは褒められたとは思わなかったみてぇだぜ」「どちらでも良いわ」「褒められたら、嬉しいだろう。がんばろうって、思えるじゃねぇか」「自らを奮い立たせるのに、人の言葉や評価が必要など……」「そういうのがあるから、思う以上の力を発揮できるんじゃねぇか」 やんわりと告げられ、息で猪口の酒を揺らす。 心地よい沈黙を、月光がしずしずと包み込み二人を宵闇に浮かばせる。 そのまま、言葉無くただ傍に居て酒でのどを潤し、それが無くなりしばらく月を眺めた後で、元親が立ち上がった。「じゃあな。また来るぜ」「好きにするがいい」「アンタも、たまには俺を訪ねて来ちゃあ、どうだい」「下らぬわ」 ふ、と口の端に笑みを浮かべあい、元親が地を蹴って庭木を使い塀の上へと昇る。 月光に白く浮かぶ鬼の姿に目を細め、それが声なき大笑を見せて消えた余韻に息を吐き、元就は月を見上げた。「……下らぬことを、言いに来たものよ」 その唇は、声音は、淡い悦びの香りを含んで――――。 2012/09/08