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現代・学生設定
がびん

 がびん、という言葉を聞いたことがあるが、そんな言葉、いつ使うんだよ……つうか、漫画の中ぐれぇしか、使う時が無いだろうなんて、思っていたんだが…………思っていたんだが…………
「――――」
 学生寮の各部屋にある小さな炊事場で、俺ぁ今まさに、その言葉を口にするにふさわしい心境に、陥っていた。
 ショックとも、おいおい、とも違うこの心境を表すのには、がびん、が一番しっくりくる。
 激しい衝動でも、静かな衝撃でもない、その中間地点のような言葉。
 がびん。
 この言葉を見つけた奴を、俺ぁ今、褒めてやりたい気にすらなるほどに、しっくりと言葉に心を添わせていた。
 俺の目の前には、ハチミツの瓶がある。そんじょそこらのモンじゃねぇ。俺を慕う野郎どもが、新しくハチミツの専門店が出来たらしいと言ってきて、そんなら行ってみようかなんて話の流れになって、試食を勧められ、ハチミツと一言で言っても、いろんな味があるもんだと感心し、せっかくだしと厳選して購入した、みかんの香りのする、みかんの花の蜜のみでできた、ハチミツだ。
 買ったはいいものの、食べる機会を逸し続けていた今日、調理実習でスコーンを作ったのだと鶴姫が差し入れを寄越してきて、丁度いいと楽しみに部屋に戻って来たんだが…………。
「毛利の野郎……」
 同室の毛利元就の名を、俺はつぶやいた。
 目の前にあるハチミツの瓶。その中身は、三分の二も消え失せている。戸棚に置いてあるものに手を付けることが出来るのは、毛利ただ一人。
 瓶を握りしめ、ぷるぷると俺は小刻みに体を震わせた。怒りとも、くやしさともつかないこの感情は、まさに、がびん、だ。
「そのような所で、突っ立っておられると迷惑なのだがな。長曾我部よ」
 背後から、声を掛けられた。涼しげな、抑揚の無ぇ声に振り向く。
「……毛利、てめぇ」
 瓶を握りしめて振り向いた俺の顔を、つまらなさそうに見た毛利が、ふんと鼻を鳴らして横に並んだ。狭い炊事場に、毛利が華奢だとはいえ、体躯のでかい俺と二人で立てば狭苦しくてしょうがねぇ。自然と壁際に寄った俺の顔を見ようともせずに、毛利は電気ケトルに手を伸ばし、水を入れながらつぶやいた。
「つまらぬことを、気にする男よ」
「あぁ?」
 すい、と滑るように顎を動かし俺を見上げた毛利が、切れ長の目を細めた。
「ハチミツごときで、そのように目くじらを立てることもあるまい。だいたい、貴様はそれを我に食べるなと言っていなかっただろう。共同の戸棚に置いておけば、どちらかが手を伸ばしてしまうは必定。それほどに恨みがましい顔をするのであれば、自らの机の引き出しの中にでも、しまっておけば良いではないか」
「ぐっ」
 毛利の言うことは、もっともだ。俺だって、毛利が戸棚に置いていたものを、ちょいといただいたりすることもある。お互い様だって話を、寮生活がはじまる前に言いあっていた。
 けどよ
「貰う前には、一言、俺ぁ声をかけていただろう」
 そう。俺はいつも、毛利がいる時に、貰っていいかと声をかけていた。――それを、毛利にも同じようにしろって言うのは、俺の価値観を押し付けるような感じもして、少し気が引けるが、毛利だって今まで勝手に使ったりすることは、一度だって無かったはずだ。
「器の小さな男よ」
 ぱちっ、と音がして電気ケトルが湯を沸かし終える。それを手にした毛利が、湯呑に湯を注ぎ、急須に茶葉を入れ、湯呑が少しあたたまってから急須に湯を移し入れた。――沸かしたての湯を注げば、茶の香りも甘味も飛んじまう。さすが毛利。わかってんじゃねぇか。……って、感心している場合じゃねぇ。
「毛利、あのよ――」
 言いかけると、目の前に湯呑が差し出されて、瓶を手にしたのとは別の手で、思わず受け取っちまった。
「女どもが、調理実習で作ったと言って、焼き菓子を差し入れてきた。貴様もそれを食べるつもりでいたのだろう。あれは、何も飲まずには食せぬわ」
「――え。あ、おお。ありがとよ」
 言いたいことだけを言い終えて、毛利は炊事場から出ていく。文句を言いそびれた俺は、毛利の淹れたお茶に、口を付けた。
「――旨ぇ」
 けどよ、毛利。スコーンに緑茶って、合うのか? まぁ、合わないことも無ぇだろうけど。俺が、細かいだけなのか。
 皿を取り出し、ハチミツとスコーンを乗せて、炊事場を出る。毛利は、自分の机に向かって本を読んでいた。
 目が悪いのか、細かい文字の本を読むときは、いつも毛利は眼鏡をかけてんだよな。普段は、かけて無ぇくせに。
 横目で毛利を見ながら、自分の机に皿と茶を置いて座る。手を合わせて、スコーンがボロボロこぼれないように、気を付けながら一口ぐれぇにちぎり、ハチミツを付けて口に運んだ。
「ん」
 ほんのりと、鼻孔にみかんの香りが抜ける。甘さを抑えたスコーンと、ハチミツの甘味が絶妙で俺は思わず目を閉じた。
 毛利の淹れてくれた緑茶を、口に含む。
「――お」
 なんだ。緑茶と洋菓子も、合うじゃねぇか。
 ちら、と毛利に目を向けると、本から顔を上げた毛利が、うっとうしそうな顔で俺を見た。笑いかけて、湯呑を持ち上げて見せる。
「ありがとよ。すげぇ、旨いぜ」
 本を閉じた毛利が、俺に体を向けて馬鹿にするように鼻を鳴らしながら眼鏡を外し、足を組んだ。
「スコーンは紅茶と、などという既成概念にとらわれるようでは、新たな発想や策など浮かばぬ。貴様のように愚鈍な者どもは、そういうものにとらわれておるから、下らぬことしか出来ぬのだ」
 なんで、こいつァ、いっつもこんな言い方しかできねぇんだろうな。最初は、喧嘩売られてんのかと思っていたが、いつだったか、ふと、これは毛利の照れ隠しか何かなんじゃねぇかと閃いて、そう思いだしたら気にならなくなったけどよ。
 コイツに妙な親衛隊がいることは知っているが、友達がいるようには見えねぇから、よけいなお世話だろうが、こういう、わかりにくい、相手を馬鹿にしているような態度を見るたびに、少し心配になっちまう。
「ふうん。ま、なんでもいいや。旨けりゃよ」
 半眼になった毛利が、何か言いたそうにしている気がしたが、何も言わずに眼鏡をかけ直し、本に目を戻したから、俺もスコーンに目を戻し、食べることを再開した。
 こうして、一緒にいても互いに勝手なことをして、気兼ねをせずにいられるってぇのは、なかなか無い相手だよな。
 いつだったか、政宗が毛利と俺が同室で、平穏に過ごしていることが不思議だなんて言っていて、そんときゃ俺も、自分で自分が不思議でならねぇと答えたが、理屈じゃねぇ何かが、あるんだろう。
 居心地がいいとか、悪いとかじゃなく――互いの立ち位置がしっかりと決まっていて、そこからブレることも迷う事も無い。毛利は俺の立ち位置を邪魔するようなことはしねぇし、俺もそんなことをするつもりはねぇ。
 毛利と同室だからって、政宗と片倉の関係みてぇになりてぇとか、幸村と猿飛みてぇにしてぇとかは、かけらも思わねぇ。
 友人関係としても、大谷と三成や、三成と家康みてぇな間柄になりたいとも思わないし、家康を相手にする時みてぇに気安く肩を叩いたり、政宗とするみてぇに馬鹿なことを計画したり、なんてことをしてぇと考えたことも無い。毛利は毛利で、俺は俺で、他の誰でも無いからな。だったら、俺は俺として、毛利は毛利として接しあうのが一番で――それが、こんなふうに何も気にせず好き勝手に過ごせているってぇことになっているんだろう。
 そんなことを、考えるともなしに考えながら、スコーンを食べ終える。
「ごっそさん」
 手を合わせて、食器を片づけるために立った。
 流し台に食器を置いて、出しっぱなしにしていたハチミツの瓶に目を止める。手を伸ばして、持ち上げる。
 それは、もうあと一回、スコーンを調理実習で作ったからと貰えたとしたら、使い切ってしまう程度にしか残っていない。
「ま、いいか」
 ハチミツは、また買えばいい。ちょっと――いや、けっこう高かったが、無くなっちまったもんは、仕方がねぇ。うだうだ言って、戻ってくるモンでもねぇし。
 瓶を戸棚にしまって、食器を洗う。洗い上げの籠に入れて、手を拭いて、漫画でも読むかと戻れば、毛利が機嫌の悪そうな顔で立っていた。
「お、どうした――?」
 一瞬だけ目を逸らした毛利は、すぐに俺と目を合わせて、言った。
「スコーンを……我が捨て駒どもが大量に、献上してきた」
「へぇ? 良かったじゃねぇか。アンタ、見た目よりもずっと食うし、甘いモンも好きだろう」
 笑いかければ、毛利の唇がへの字に曲がった。
「しかし、スコーンだけでは甘味が足りぬ。ジャムなり何なりと、添えて献上するという事に気付かぬ愚鈍な者どもであったわ」
「そりゃあ、調理実習で作ったんなら、ジャムとか生クリームとか、あまったとしても持ち出したりは出来ねぇだろ。スコーンに塗りたくって袋に入れて帰ることも、できねぇだろうしよ」
 だんだん、毛利が何を言いたいのかがわかってきて、笑いがこみあげてくる。
「――何が、おかしい」
 抑え込もうとしても、口の端がニヤついちまって、毛利がますます機嫌の悪い顔になった。
「何でもねぇよ。――で? どうしたんだよ」
「――良いものは無いかと、戸棚を開ければハチミツがあった。丁度良いと、少し拝借をする気であったが、存外な美味に思うよりも食した」
「ああ。旨かったな、あのハチミツ」
「――――」
「――――」
 毛利の眉間にシワが寄る。俺は、もう堪えきれなくなっちまった。
「っはは――ったく、素直じゃねぇなぁ、毛利よぉ」
 コイツは、普段は器用で何でもそつなくこなしちまうくせに、妙な所で不器用になっちまう。
 笑い始めたら、止まらなくなった。毛利の顔は、ますます不機嫌になっていく。それが更に面白くて、俺は腹を抱えて笑いながらベッドに座って枕に顔を押し付け、笑い続けた。
「もう、良いわ!」
 毛利にしては大き目の声を出して、どっかに行こうとする。あわてて起き上がり、手を伸ばして腕を掴んだ。
「なんだ」
 ぎろりと、睨まれる。
「スコーン、たくさんもらったんだろ。全部、食っちまったのか?」
「――まだ、残っておる」
 怪訝に眉をひそめる毛利に、俺はコイツが謝罪をする機会を、自分から作ってやることにした。
「ならさ、そいつを少し、俺に寄越せよ。あのハチミツを買った店に、今から行ってさ、一緒に食おうぜ。他にも、いろんな味のハチミツがあったからよ、別のハチミツで食べるのも、いいんじゃねぇか」
 寄っていた毛利の眉が開いて、意外そうな顔になる。それが、いつもの人を小ばかにしたような、何を考えているのかわからない顔に戻った。
「良いだろう――我が、スコーンに合いそうなハチミツを吟味し、貴様のような粗野な男が、判別できぬような微細な味わいの違いを教えてやろう」
「そうかい。そりゃあ、楽しみだ」
 共に下らねぇことをして騒げる政宗とも、つまんねぇことで大笑いできる慶次とも、兄弟みてぇな感覚の家康とも違う、俺と毛利の関係は傍から見りゃあ不思議なのかもしんねぇが、理屈じゃ説明できねぇ部分で、しっくりときている。
 器用なくせに不器用で、妙な見栄みてぇなモンを抱えていて、何を考えてんのかさっぱりわかんねぇコイツと同室でいられる男は、俺しかいねぇんじゃねぇか。
 友情っていうのとは少し違っている、腐れ縁に似た関係性は、悪くねぇ。
「何を、一人で阿呆のようにニヤついている。さっさと行かねば、店が閉まってしまうであろう」
「ああ、そうだな」
 財布を尻ポケットにねじ込んで、先に部屋を出る毛利の背中を見る。
 俺たちが、実はけっこう仲がいいなんてことを言えば、激しい衝動でも、静かな衝撃でもない、その中間地点のような、がびん、て表現を浮かべる奴が多いんだろうなと思いながら、俺は毛利とハチミツを買うために、先に出た不器用な男の横に並んで歩いた。

2012/10/30



メニュー日記拍手
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