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鬼の泣き所
自室に入り、ふうと息を吐いてから元親はひとりごちる。
「どうしちまったんだ、俺ァ」
ブンブンとかぶりを振って、自身の胸に右手を当てて落ち着けと繰り返す。元親の心音は煩いくらいに鳴り響いていた。
「アニキぃ、宴会の準備が出来やしたぜぇ」
「アニキが来ないと、はじまんねっス」
「おう、今行く」
呼ぶ声に、深い呼吸をしてから部屋を出ると嬉しそうな顔がいくつか並んでいる。早く早くと急かされて、連れていかれたのは大広間。そこには、ここに住まう殆どの顔が揃っている。凱旋すると、元親は誰も彼も分け隔てなく互いに喜びを分かち合おうと毎回こうして宴会を開いた。留守中に異変があれば、それもここでわかる。それを分かっているもの達は、元親らの船が見えると急ぎ食事などの用意をし、集まる。元親ら船に乗ったもの達も、普段は真っ直ぐにここに入るのだが、今回は元親が自室に行ってしまったので数人が呼びに来たのだ。
上座に座った元親が、ゆっくりと全員の顔を眺め――いつもなら異変の無い事を確認すると高く盃を掲げて皆に挨拶をするのだが、この日は途中で視線が止まった。
「アニキ?」
傍に寄った者が、盃を手にしない元親に不思議そうな声をかける。
「ん、ああ――――おう」
慌てて盃を受け取り、高々と盃を掲げた元親の姿に雄叫びが上がる。 「てめぇらぁ、ぞんっぶんに楽しめ!」 喚声と共にアニキ大合唱が始まる。それを受けながら酒を煽った彼の目は、先ほど目を止めた場所に向いていた。
――――可憐だ。
ほう、とため息をついて盃を下ろしながら心で呟く。元親の視線の先には、花のような娘が居た。ざっくりと結わえた髪が、わずかにほつれているのが柔かそうな頬にかかって何ともいえない。コロコロと他の娘らと笑う姿が奥ゆかしく好もしい。
「アニキ」
「ん、ああ」
空になった盃に、酒が注がれる。それを飲み干し、元親はまた、娘へ視線を向けた。彼女だけがいやに鮮明に映る。
――――本当に、どうしちまったんだ、俺ァ。
バクバクと鳴る心音が、誰かに聞こえてしまうんじゃないかと思う。凱旋し、迎えたもの達の中に彼女を見てから鼓動が治まらない。目を離して別の娘を見てみるが、何ともない。全くもって、おかしい。
「アニキ、アニキ」
呼ばれて見ると、自慢気な笑みを浮かべた顔がある。
「俺の、妹でさ」
その肩ごしに、あの娘が控えているのが見えて心臓が跳ねた。
挨拶しねぇかと言われた娘は、伏し目がちに頭を下げておずおずと手にした徳利を元親に向ける。盃を差し出すと、ゆっくりと酒を注ぐ彼女の姿に元親の心も言い様の無い何かに満たされていった。
「アニキ、顔が赤くなってますぜ」
指摘され、惚けたように娘を見ていた元親は我に返り一気に酒を煽った。
「今日は、ちっとばかし呑む具合が早かったみてぇだな」
はははと笑って立ち上がる。
「俺ァ、ちょっくら部屋に戻るが気にせず続けといてくれ」
「アニキ、疲れてんじゃねぇですか」
「ああ、大丈夫だ。ちっとばかし眠てぇだけだからよ」
わざとらしい欠伸をしてみせると、得心がいった顔で頷かれる。
「アニキは、眠る間も惜しんでオレらを気に掛けてくだすってっからな――――おい、アニキを部屋までお連れしろ」
その言葉に、元親が硬直し娘が頷く。
「や、俺ァ別にかまわねぇから宴会を楽しませてやれよ」
「そうはいきやせんぜ、アニキ。アニキを一人で帰すなんざぁ不義理もいいとこだ。オレの妹が気に入らねぇってんなら話は別ですが――――」
「きっ、気に入らねぇ訳がねぇだろっ」
少し上ずっている元親の声に気付かない様子で、男は嬉しそうな顔をする。
「これでも自慢の妹でね、宝モンみてぇにしてきたんスよ」
「おう、そうか――――」
確かに、宝のようだと娘のはにかむ顔を見る。
「じゃ、しっかりアニキを部屋までお連れするんだぞ」
こくりと頷く娘に必要無いと言えず、元親は娘を連れて部屋へ戻ることになった。
脳にまで響く心音を聞きながら、元親は手足が同時に出てしまいそうなほど緊張をしていた。嵐の海に乗り出すのも強敵と戦うのも、こんなに緊張などしない。
自分の胸元くらいしかない小さな娘に、一体何を緊張しているのかと自分を叱咤してみても、どうにもならない。
どう歩いたかわからないままに、いつの間にか部屋の前にたどり着いていた。
「それじゃ、な」
残念な気持ちと安堵を胸に、娘に笑いかけて部屋に入ろうとする。
「あのっ」
声をかけられ振り向くと、恥ずかしそうに見上げてくる目があった。
「いつも兄を助けていただき、ありがとうございます」
ぺこっと頭を下げたかと思うと、真っ赤になって娘が走り去っていく。その後ろ姿が見えなくなってから、元親は胸に手を当て床に崩れるように座った。体中が心音で溢れている。
「こりゃ一体、何なんでぇ…………」
呟く元親の脳裏には、はにかむ娘の顔があった。
恋は、鬼の泣き所
2009/09/14
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