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茜に染まる
  別に政やなんやらが嫌な訳ではない。自分の立場も重々承知しているつもりだ。だが、時折押さえきれない衝動に突き動かされる。突き動かされて、政宗はこっそりと城を抜け出して行く。あの男――――真田幸村と仕合いたい所だが、おいそれと出かけて行くには距離がある。たっぷりと邪魔の入らない時間も欲しい。今は、そういう時期でもない。そこまで考えて、それでも身に興る衝動に従い抜け出す。ただ少し、馬で駈ければそれでいい。皆の生活も見たい。――――それだって、大切な事だろう。
 思い至った事柄に、自分の言葉を付け加える。言い訳のような気もするが、彼の右目と称される人物――――片倉小十郎に見つかった時には必要な口実だ。民を知らなければ、愚帝となる。それは、政宗にとって忌むべき道である。そのような事にならないように、この脱走は必要な事なのだ。と、誰にも見つからないように厩へ向かいながらまとまった考えに満足の笑みを浮かべて――――だから俺は今、何の武装もしてねぇんだ。と、自分の今の服装に心中頷く。見るものが見れば、仕立ての良いことがわかるだろう着物だが、地味な風合いのそれは、政宗の衣装の中では質素にあたるものであった。
―――さぁて、と。
 辺りを伺い、一気に厩へ駆ける。自分の馬の手綱を手にしてふと見ると、こぼれそうなほど目を開いた娘が居た。
――――チッ
 女の声は高く響く。叫ばれでもすれば、すぐに見つかる。どうせ同じ小言を聞くのであれば、外へ出てからのほうがいい。馬に鞍をつける時間も惜しく、政宗は裸の背に乗った。
「ちょっと、危ないわよ」
 はっとして、固まっていた娘が駆け寄ってくる。
「Ah、問題無ぇ」
 馬のわき腹をキツく膝で絞めると、ぶるると鼻面を震わせる。馬の反応にニヤリと笑んで、首を撫でると娘の咎める声がした。
「そんな、政宗様みたいな格好をして――――勝手に馬を連れ出したらダメでしょう」
 今度は、政宗が目を丸くする。政宗様みたいな格好をして――――つまり娘は、伊達政宗だと知らないから咎めてきたのだ。
「Ha、面白ぇ。アンタ最近ここに来たのか」
「えっ…………そうだけど」
「成る程な」
 馬をゆっくり歩かせて厩を出る。娘が横についてくる。
「いいんだよ、俺は」
「いいって――――勝手に馬を連れ出すのが?」
「おう。――――!」
 馬上から、人がこちらに来るのが見える。娘と馬の距離が近すぎて、馬を急に走らせると怪我をさせる恐れがある。かといって、離れろと言って素直に従ってくれそうには見えない。
「OK、アンタも道連れだ」
「えっ……わっ!」
 娘の体を持ち上げて、手綱と腕の中に収め馬を走らせる。
「行って来るぜっ」
「チューッス」
 門番に声をかけると、咎められず送り出されたことに娘が驚く。
「だから、言ったろ。俺はいいんだって」
 腕の中で、驚いた顔のまま娘が頷いた。

 馬が着いたのは小川のほとり。民の暮らしを眺めに行こうかとも思ったが、自分を政宗とは思っていない娘に、正体がばれてしまうかもしれないことを嫌って、止めにした。隠すつもりは無かったが、わかった瞬間に恐縮され、態度を変えられるのは好まない。今のような状態では尚更だ。
「ここは――――」
「たまには馬にも気分転換させてやらなきゃな」
 娘を下ろし、馬に向かって話す。頭を振った馬が、小川に口をつけた。
「アンタも、最近来たんなら慣れなくて気分を変えたりしてぇんじゃ無ぇか」
 笑いかけると、娘がはにかんだ。
「――――嫌じゃ無いんだけど、ね」
 否定をせずに肯定をした娘に、頷く。
「なんつうか、時々窮屈になるんだよな」
「あっ、うん――――そうそう」
 ぱっと顔を上げて同意した娘に、笑う。
「ちょっとした息抜きだって、必要だろう」
「でも、なかなかそうも行かなくて」
「Ya、だからコイツも俺も、時々こうやって出るんだ」
 馬を撫でると鼻先を肩に擦り付けられる。自然と笑みを零しながら、両手で顔を撫でてやる。
「いいなぁ」
「Ah?」
「なんだか、嬉しそう」
「嬉しそう? 馬がか」
 娘が首を振る。
「あなたも」
「俺も?」
 頷く娘に、ため息と共に柔らかい笑みを向けて手を伸ばす。頭を撫でると艶やかな髪の感触が手のひらに心地好い。
「何――――」
「アンタも、嬉しそうになりゃあ、いいじゃねぇか」
 目を丸くして赤くなり、ゆっくりとそれを柔らかい微笑みに変えた娘が小さく頷いた。

 小川のほとりを歩きながら、様々な目に入るものに少女のような反応をする娘と居ながら、たまにはこんな時間も悪くないと感じる。娘には藤次郎と名乗り、眼帯については言葉を濁した。彼女は見たことのない「伊達政宗」という人物を気難しく気性の粗い男だと思っているらしく、そんな男が脱走を試みるなど夢にも思わないようで――――だから政宗を「政宗様みたいな格好をしている者」だと思ったらしい。
「だって、あの片倉様が心酔していらっしゃるような方だもの。――――傍に寄ると威圧されて、動けなくなってしまうような方なんだわ」
 しゃがみ、川を覗き込む彼女の顔が水面に映る。うっとりとした色と寂しそうな色とを感じ、政宗は首をかしげた。
「片倉様は、いつも政宗様の事を第一に考えていらして――――他の事は全部後回しで、政宗様がうらやましい」
「うらやましい?」
 ぽつりと呟いた彼女の言葉を繰り返すと、娘は頬を赤らめて立ち上がった。
「ね、そろそろ帰ろう。私、仕事に戻らなきゃ」
「ん、ああ――――」
 娘の反応に頷きながら、心中にわだかまりが生まれたことに首をかしげる。小十郎は同性から見ても魅力ある男だと思う。娘が惚れてもおかしくはない。彼が良いように思われるのは、誇らしく好ましい。それなのに、政宗の心には負の塊がある。それの正体がわからないままに、政宗は娘を連れて戻った。
 先に娘を下ろし、彼女が門を潜るのを見つめてから自分も入る。馬から降りて、引きながら厩に向かう途中、渋い顔をした小十郎に見付かった。
「政宗様――――まったく、貴方という人は…………」
 かぶりを振る小十郎を視界の端に入れたまま、背後を見る。娘の姿が無いことに安堵しながら、小十郎に向き直った。――――まだ、自分の正体を知られたくない。別れ際、また行こうかと誘った時の娘の笑顔が浮かぶ。
「聞いておられるのですか」
 小十郎が真っ直ぐに自分を見ている。
「小十郎――――」
 呼ばれ、政宗の声音が平素とは違っていることに気付き、小言を止める。政宗は何かを言い掛け――――ため息をついた。
「何でも無ぇ」
 自分でも、何を言おうとしたのかわからない。そんな政宗に、小十郎は怪訝な顔をした。
「小言は部屋で聞く」
「は」
 短い返事をした小十郎を連れて歩く政宗は、自分に芽生えたものの名を知らないでいた。

――――俺が、伊達政宗だと知ったら、どんな顔をするんだろうな。
 目を丸くした娘の顔と、うらやましいと言った時の顔とを思い出しながら見上げた空は、薄く遠い色をしている。注ぐ光に目を細め、瞼を閉じた彼の前に、娘の笑顔が浮かんだ。
――――次は、どこへ行こうか。
 政宗の心を映したように、空はゆっくり茜に染まる――――

2009/09/11



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