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予期せぬ
  銀糸のような雨に彩られた見慣れぬ庭を、政宗は眺めていた。ひやりとした空気に身を寄せていると、足音が近づいてくる。聞きなれた右目のものとは違う音に顔を向けると、平服姿の真田幸村が目の合った瞬間に笑みをこぼし声をかけてきた。
「政宗殿」
「おう、真田幸村」
 組んでいた腕を解いて体を向けると、目の前で止まった幸村が庭に顔を向ける。
「長う御座るな」
「ああ。ったく、難儀なこった」
 二人が居るのは武田信玄の館。進軍していた奥州伊達軍は、強くも弱くもない長雨にさらされ体温を奪われたものが体調を崩し、ぬかるんだ道に馬は足を疲れさせていた。そんな折に通過しようとした武田領で幸村と会い、情けを受けることになった。
「政宗様」
 聞きなれた足音と声に、姿を見なくとも誰かわかる。
「片倉殿」
 幸村が言って、政宗は右目――――片倉小十郎を見た。
「まだ、しばらくは足止めとなりそうです」
「Ya、止みそうに無いしな」
「熱の出ている者もおりますので」
 情けないことにと言外に聞こえ、政宗は苦笑した。
「すまねぇな、真田。武田の皆さんに迷惑かけちまって」
「なんの、片倉殿。それもこれも、お館様の深きお心遣いに御座れば、某に礼を言って戴くには及ばぬことかと」
 あまりに優等生な答えに、政宗は思わず吹き出す。
「政宗殿?」
「あぁ、なんでもねぇ」
「――――滞在している間は気兼ねなく過ごされよ」
「ああ、助かる」
「OK、なら軽く手合わせ――――って言いてぇトコだが、アンタと軽くなんてヌルイ事やってらんねぇからな。適当に過ごさせてもらうぜ」
 口の端に笑みを乗せて言うと、剣呑な色を帯びた瞳で笑んで幸村が言う。
「それは、某とて同じ事。政宗殿との勝負は、戦場にて――――」
 しばらく笑みを交わした後、ではと頭を下げて幸村が去る。残った小十郎と共に庭を見つめて、政宗はもう一度呟いた。
「難儀なこった」
 そこに含むものに、小十郎は否定も肯定もせず無言で頭を下げた。

 雨の中、小十郎は少し出て参ります、と簡素な装いで挨拶に来た。
「里の様子を見てくんのか」
「は」
「雨の中、畑を見てもなんもしてねぇんじゃねぇか?」
 無言の小十郎に、ニヤリと笑む。
「Ha、まぁ好きにしろ」
「は。政宗様は、くれぐれも無茶をなさらぬよう」
 ちらり、と鋭い視線が政宗に釘を刺す。
「わぁってる」
「ならば、良いのです」
「信用しろよ」
「出来れば良いのですが」
「チッ」
 ふいっと拗ねたように顔を背けた政宗に柔らかい笑みを浮かべ、小十郎は頭を下げてから立ち去る。彼の足音が途絶えると、あるかなしかの雨音が耳に届いた。
 昼間だというのに暗い室内は嫌いでは無いが、勝手の違うことが落ち着かない。 自分も小十郎のように外に出て見ようかと思ったが、右目の眼帯は目立つ。信玄や幸村を見ると、襲われることも、偵察と疑われることもなさそうに感じるが、そうではない者の方が当然で、襲われることは可能性が低いだろうが疑われることは、十分にあり得る。そしてそれにまつわる視線は気分のいいものではない。
 しばらく考えてから、政宗は幸村の下へ向かった。
「おお、政宗殿」
 幸村は道場で鍛練をしており、彼の周りにはグッタリとした者が数名転がっている。
「政宗殿も、体を動かしに参られたので御座るか」
 軽く汗を掻いているだけの幸村と、他の者を見比べて口の端を上げてから政宗は答えた。
「そうしてぇところだがな、小十郎が煩いから遠慮しとくぜ。代わりに、頼みてぇことがあるんだが」
 残念そうな顔をしたかと思うと、すぐに笑顔に変わった相手に――――わかりやすい奴だ、と心中で呟く。
「ちっと、案内してもらいたくてな」
「案内?」
「小十郎は畑を見に行ったが、俺は里の様子を見てみてぇ。が、コレが目立つ」
 コツンと顔にある鐔を指で叩く。
「政宗殿と、すぐに知れてしまっても某と共に在れば詮索をされぬ、という事で御座るな」
「You're right。なかなか察しがいいじゃねぇか。それと、一応コレも隠しておこうかと思ってな」
「万が一、ということも御座るしな」
「じゃ、里の案内頼むぜ」
「すぐに、用意を」
 ぱたぱたと去る背中を眺め、道場に転がっている者たちに目を向けて、政宗が笑う。
「感謝しろよ」
 視界に安堵の色を見て、政宗はその場を後にした。

 ほどなくして、幸村は着替えを済ませ傘を二本手にして現れた。
「政宗殿の眼帯は、これで――――」
そう言って幸村の差し出した布を無造作に顔に巻き、二人は並んで里に向かう。道中、あちらこちらに見えるものを説明する彼の顔が楽しそうで、政宗は疑問をそのまま口にした。
「妙に、楽しそうだな」
「お館様が民を思われて形を成したものを、政宗殿にお見せ出来ることは嬉しゅう御座る」
「――――それ、俺じゃなくても嬉しいんじゃねぇか」
 主である信玄を盲目的に尊敬している――――崇拝していると言っても過言ではない幸村の態度に呆れながらも、信玄の自領への心配りに奥州の姿を思い浮かべながら里を歩いていると、幸村の足が止まった。
「おい、どうし――――ああ」
 視線の先には、茶屋があった。
「政宗殿は、甘いものはお好きか」
「嫌いじゃねぇが」
 ならばと幸村が茶屋に向かい、政宗も続く。茶屋の主人とは顔馴染みらしい幸村が、勝手知ったる感じに振る舞うのを見ながら、政宗は店の奥に居るものに目を止めた。手を白い粉にまみれさせながら、団子をこしらえている。髪を手拭いで覆い、真剣な表情の女。店の主人に話しかけられ、二言三言言葉を交わした後に、女が顔をあげ二人を見てほほえんだ。瞬間、政宗はハッとして目を見開く。そのまま目を離せぬ政宗に、女が近づいてくる。正確には、二人の居る場所へ近づいてきた。
「幸村様、長雨で足が遠退いてしまわれたのかと思っておりました」
「ここの団子の味を知って、足が遠退くなど考えられん」
「本当に?」
 女の声が跳ねる。会話の前に頭の手ぬぐいを取った女に、政宗は無言で視線を向ける。烏の濡れ羽色をした髪が、女の肌を白く浮き立たせている。ふっくらとした頬には赤みが挿し、柔和に細められた瞳は星屑が詰められたように輝いている。
「今日は、見たことの無い方を連れてらしたんですね」
 女の顔が自分に向き、政宗は我に返る。
「ずいぶんと布を巻かれて――――戦場で怪我を?」
「そ、そうで御座る。怪我をして、体力もつけねばならぬし疲れもあるので甘いものでもと思ってな」
「そうなんですか。――――もう、傷は痛まないの?」
幸村に向けるよりは砕けた口調の女に頷いて見せると、ふわりと笑みを向けられ政宗の心がざわめいた。
「よかった。――――幸村様、すぐにできたてをお持ちしますから、お待ち下さいね」
「うむ」
 きゅっと手ぬぐいを結び直し戻る姿を、政宗は吸い込まれるように魅入っている。そんな彼の様子に気付かない幸村は、ここの団子は大変に美味で信玄も気に入っていること、彼の忍である猿飛佐助が見つけてきたことなどを語る。
「それで、政む――――」
 名前を呼びかけ、口を閉じた幸村に、やっと視線を向けた政宗が言う。
「藤次郎」
「藤次郎殿は、どのような団子が好みで御座るか」
 ニコニコと笑う幸村に、彼の好物がそれなのだと理解しながら答えを探す。どんなと問われても、とっさに浮かんでこないのはそれほど好んでいないからだろうか。
「お待たせいたしました」
 女の声がして、政宗は女を幸村は団子を見る。
「政む――――藤次郎殿」
 勧める口調に政宗は団子を口にし、幸村が続く。幸せそうな笑みを浮かべる幸村の横で、嬉しそうにしている女の横顔を見つめながら、政宗は口を動かす。
「しばらくは、戦は無いのでしょう?」
「――――断言は出来ぬが、これといった話は出ないのでな。わからぬ」
「伊達政宗が、信玄様のお屋敷に居るって、本当なんですか」
 突然自分の名前が出た事に、団子をつまらせそうになる。なんとか持ちこたえて女を見ると、拗ねたような顔をしていた。
「しばらくは滞在する予定に御座れば、土産に団子を持って帰りたいので包んでくれるか」
 にこりとして幸村の言うのに、女は物言いたげな顔で頷く。
「何か――――?」
 その顔に首をかしげる幸村に、女は目を伏せて言った。
「幸村様は、伊達政宗がお気に入りなんですね」
 きょとんとした幸村に背を向けて、女は団子作りの為に去る。それを見送り、おいと政宗が声をかけた。
「俺がお気に入りってなぁ、何だ」
 最後の団子を租借しおえ、茶を飲んでから幸村が答える。
「ここの主人が戦の話を聞くのが好きで、政宗殿との話をしていたらそのような事になったので御座る」
「そのような事って」
「好敵手、という事で御座るな」
「Ha!」
 ぬるい表現だと思いながら、それ以外に一言で表せるようなものが見つからず政宗は一気に茶を飲み干す。しかし――――お気に入りという表現もまた、変わっている。政宗も、幸村のことは
「気に入ってるっちゃあ、気に入ってんだが」
 どうにも少し、女の言うそれとは違っている気がした。
「幸村様」
 包みを手に、女が声をかけてくる。
「おお、すまぬ」
 立ち上がり、包みを受け取って代金を払う幸村と、両手で受け取った代金を大切そうに握り胸に当てる女を見ながら、政宗も立ち上がった。
「では」
「また、いらしてくださいね――――あなたも」
 女に笑みを向けられて、自然笑みが浮かぶ自分を感じながら政宗は頷く。背を向け歩き出すと、ほくほく顔の幸村が言った。
「あそこの団子は、美味で御座ろう」
「ああ、そうだな」
 正直な所、政宗は団子の味を何も感じなかった。それよりも女の姿がちらついて離れない。
「片倉殿も、お気に召されれば良いが」
 独り言なのか話し掛けているのかわからない口調の幸村を見、会話をしている時の女を思い出す。くるくると表情が変わるのは、誰に対してもなのか、ずいぶんと馴染みである幸村とだからなのか―――。ざわめくものを胸に抱えたまま、政宗は幸村と並んで歩いた。
 客間に戻り、ぼんやりと雨にけぶる庭を眺めていると、小十郎が挨拶に来た。
「ただいま戻りましてございます」
「Ya」
「政宗様も、お出になられていたのですな」
 庭から小十郎に顔を向けると、美味しゅうございましたと言われて頷く。
「団子か」
「戻って早々に、勧められました」
 ふうんと返して興味を失ったように庭に目を向ける政宗に、小十郎が怪訝な顔をした。
「何か、ございましたか」
「Ah、何も無ぇよ」
 どこか上の空な気色の政宗にそれ以上問うことはせず、小十郎も庭に目を向ける。
「よく、降りますな」
 無言で答える政宗に、小十郎は静かに刻を共にした。
 翌日、政宗は小十郎と共に皆の様子を見て回った。体を壊していたもの達は、ここでの静養でかなり回復をし、二人の見舞いを喜びながら詫びた。それに気にするなと笑顔を向ける政宗を、移るといけないからと言って皆が彼を追い出す。
「思ったより、早く戻れそうだな」
「雨が上がりますれば道も乾き、すぐにでも参れましょう」
 政宗は胸に、僅かな落胆を感じながら笑う。
「――――名残がありますか」
 かけられた言葉に目を丸くすると、小十郎が笑っていた。
「真田幸村との勝負は、まだ先になりそうですな」
「ん、ああ――――」
「他に、何か気がかりでも?」
「いや、何でも無ぇ」
 訝しむ小十郎に背を向けて、与えられた客間に向かう。今日も小十郎は畑を見てくるらしく、深く頭をさげながら無茶をしないよう言い置いて政宗の前から去った。さぁさぁと鳴る雨音が、政宗を急き立てる。ずっとこの場に居るわけではない。明日にも立つかもしれない。もう一度、逢いたいのではないか――――。
「チッ」
 舌打ちをして立ち上がり、昨日と同じように顔に布を巻いて政宗は里に――――昨日の茶屋に足を向けた。

 茶屋に顔を見せると、女は顔を上げて団子作りを中断し、政宗の傍に寄った。
「昨日も来たよね。えっと――――」
「藤次郎」
「そうそう、藤次郎。今日は――――、一人なんだ」
 辺りを見回して誰もいないことを確認してから言う女の声は、僅かに曇りを滲ませる。しかしすぐに明るい声で、彼女は言った。
「幸村様に頼まれて、お使いに来たの?」
「No、病み上がりの奴に見舞いをやろうと思ってな」
 政宗の言葉に、女は頷く。
「どのくらい、いる?」
「人数は多いからな、多めで任せる」
「何それ。適当にして代金足りないとか言わないでよ」
 呆れた顔で笑う女に、それもそうだと頷いて、政宗は懐から財布を取出し、適当に掴んだ銭を女に渡した。
「それで足りる分だけ、作ってくれ」
「――――こんなに?」
「人数は多いからな」
「そうじゃなくて――――あなた、何者?」
 政宗の態度が女に疑念を抱かせる。庶民が無造作に出せる金額では無い。使いで渡されたものなら、こんなふうには支払わないだろう。ということは、それだけの金額を出し慣れている身分の者であろうという推測に及ぶ。
「幸村様と同じくらいの、武将様――――?」
 女の問いに、肯定とも否定ともつかない笑みを浮かべて政宗が言う。
「団子、作ってくれんだろ」
「あ、うん――――でも、これちょっと時間かかる」
「Ya、構わねぇ。どうせ暇だ」
 顎で雨天を指す政宗にクスリと笑い、女は団子作りを始めた。女の作業がよく見える場所に座ると、主人が馬鹿丁寧な態度で茶を持ってくる。それを受け取る政宗の態度が堂に入っており、女は不思議そうに政宗を見た。
「藤次郎――――様」
「言い慣れねぇなら、様なんざ付けるな――――で、何だ」
「あの、幸村様とはどういう関係?」
「あぁ、そうだな――――」
 天井に目を向けてしばらく考えてから、女に視線を戻す。
「うまく当てはまる言葉が無ぇな」
「一緒に団子を食べに来るって事は、仲がいいのよね」
「Ha! そう見えたか」
 頷く女に膝を叩いて笑う。
「そう見えたんなら、そうなんだろうよ」
「何それ」
 肩をすくめて笑うだけで、政宗は何も言わない。それに少し唇を尖らせて、女は手元に視線を落とす。無言で団子を作る女を、政宗は薄い笑みを浮かべ頬杖をついて眺める。こね終えた女が、一つずつ餡子を包み丸めながら言った。
「伊達政宗って、どんな人」
「Ah?」
「今、お館様のところに居るんでしょう」
「――居るな」
「どんな人なの?」
「気になんのか」
「幸村様が――――お館様の次に口にされるくらいだから、気になるの」
 眉を上げ、政宗が言う。
「そんなに名前が出てんのか」
「イヤでも耳に残るくらい」
「どんな風に言ってる?」
 少し考え、女は眉間にシワを寄せて「知らない」と言葉を投げ捨てるように言った。
「耳に残るくらい聞くクセに、知らないってなぁ何だ」
「知らない」
 すねた子どものような女の態度に、鼻でため息をついて返事とすると会話が途切れた。形の出来た団子を蒸し器に入れる。蒸しあがったものを包むのを――繊細に動く指先を、政宗はじっと見つめた。
「お待たせ」
 結構な量になった団子を風呂敷で包み、女が渡してくれる。それを受け取り立ち去る前に、政宗は聞いた。
「伊達政宗は、嫌いか」
「嫌いよ」
「――――嫌いになるような言い方を、アイツがしてんのか」
 強く頭を左右に振る女が唇を強く結んでから言う。
「いつも、褒めてる」
「じゃあ、なんで」
「だって――――」
「政宗様」
 女の声と、政宗を呼ぶ声が重なる。そういえば小十郎も里に出てきているんだったと思いながら、政宗は舌打ちをした。
「Shit」
「まさむね――さま?」
 目を丸くし、女がつぶやく。肩をすくめてため息をつく政宗に、女は問うた。
「伊達――政宗?」
「Ah。it is so――――伊達藤次郎政宗」
 名乗った瞬間、娘の顔が変化した。顎を引き、奥歯をかみ締め上目遣いに睨まれる。かと思うと、きびすを返し拳を握って店内へ走って去った。それを見送る政宗に小十郎が小走りに近寄って声をかける。
「政宗様、どうかなされましたか」
「小十郎、女ってのァ――――」
 言いかけて、止める。先ほど政宗に向けられた視線は、形は違えど彼自身がよく知った――幼少の頃に間近で幾度も向けられたもの。女の気持ちが誰に向かっているのかを雄弁に語るもの――嫉妬の瞳だった。彼女の胸中にある人物は。
「――真田幸村」
 クッと笑った政宗が傘も差さずに歩き出す。怪訝な顔をした小十郎が、何も問わずに傘を差し出し追従した。
「上等だ」
 つぶやく彼の目は、狩をする獣の瞳になっていた。


――――激しい雨に 予期せぬ愛に 鳴り止まない雷鳴


2009/10/04



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