体の中の隅々にまで駆け巡っている、真っ赤な血液。 その中を探検できれば、彼の全てを知ることができるのだろうか。 梵天丸は西洋の書物を紐解きながら、そんなことを考える。 彼が手にしているのは、医学書だった。異国の、日ノ本でいう大名にあたる身分の者たちは、悪い血をヒルに吸わせて病の治療を行っていた、と書いてある。 どこか上の空の梵天丸に、彼に異国の言葉を教えていた男は、穏やかに目を細めた。「まるで恋をしている少女のようですね」 耳に触れた言葉に、梵天丸は弾かれたように顔を向けた。青い目をした異国の講師は、ニコニコとしている。「医学書ではなく、紳士が淑女を誘う術をお教えしましょうか」「は、はぁ? 何を言ってる。俺にはそんなもの、必要ない」 なるべく軽くやり返そうとしたのだが、梵天丸の頬は熱かった。異国の講師は梵天丸の手の甲を、指の腹でそっと撫でる。確かめるような動きの指が手首に触れると、もう片方の手は梵天丸のあごに触れ、親指が唇を撫でた。 ぞくり、と梵天丸の背筋が震える。不快では無い悪寒に、梵天丸はとまどった。瞳を揺らして相手を見れば、海のような瞳が包むように梵天丸を見つめている。心臓が跳ねて、梵天丸は講師の手を乱暴に払いのけた。「何のつもりだ」「ドキドキしたでしょう」「……別に、してねぇ」 ふてくされたように目をそらした梵天丸の目じりが赤い。講師は梵天丸の膝から教本を取り上げ、今日はここまでにしましょうと言った。「次の出航までに、色々と準備がありますから。梵天丸はオトノサマになるのだから、愛の技を練習しておくのも、大切だと思いますよ」 流暢な日本語を操るくせに、妙なところでカタコトになる異国の講師を、梵天丸は横目でにらむ。軽く肩をすくめた講師は腰を上げて去った。「愛の技、か」 ぽつりとつぶやき、梵天丸は自分の唇に指を当てる。たしかに、彼の仕草は妙に心臓をわななかせた。これがもし、勉学に身の入らぬ原因となった相手にされていたらと考えて、梵天丸は全身を大きく震わせた。「そんなこと、ありえねぇ」 ぶんぶんと激しく首を振った梵天丸は、深く重い息を吐く。 元服の日が近付いている。別の名を与えられ、大人と見なされる年が近付いてきている。 元服をしたら、アイツはどうなるのだろうと、梵天丸は考えた。 このまま、自分の傍にいるのか。 お役御免となり、別の者が自分につけられるのか。「愛の技の練習」 元服をすれば、跡継ぎを作るために妻を求めなければならない。男女の営みは、たしなみとして教育をされるものだ。そして主従関係の強さを固めるため、同性での愛の行為もまた常道の行いとされている。「……練習って言やぁ、できるかな」 練習という言い訳を使えば、誘惑が出来るだろうか。ひとりぼっちだった梵天丸の心を見つけ、乱暴に手を差し伸べて立ち上がらせてくれた男、片倉小十郎を。 梵天丸は天上を見上げ、ふうっとやるせなく息を吐いた。 梵天丸は小十郎が畑から帰ってくるのを、彼の屋敷で待っていた。屋敷の者には梵天丸が来ていることを、小十郎に告げなくて良いと言ってある。小十郎は梵天丸の来訪を知らぬまま、野良着姿で帰宅をし、汗と泥をぬぐってさっぱりとした着物に着替え、私室に入ってぎょっとした。「梵天丸じゃねぇか。どっから入ってきた」 部屋の隅に座っていた梵天丸は、野良猫を相手にしているような小十郎の言い草に、下唇を突き出した。「門から入ったに決まってんだろう」「誰も、オメェの来訪を俺に言わなかった」「言わなくていいって、言ったからだよ」 小十郎が眉間にしわを寄せて梵天丸に近付く。梵天丸は緊張した面持ちで精悍な顔立ちの小十郎を見上げた。梵天丸の様子が常とは違っていることに、小十郎は片目をすがめた。「なんか、あったのか」「別に、なんもねぇよ」「嘘なら、もっと上手く吐くんだな」 そこに、茶と菓子を手にした侍女が現れ、一礼をして去っていった。梵天丸は「ほらな」と言いたげに鼻を鳴らす。「俺がいることは、承知されてんだ」 こっそり忍びこんだわけではないと梵天丸が主張すれば、小十郎は盆を引き寄せ湯飲みを手にした。梵天丸も湯飲みに手を伸ばし、口をつける。「で。何の用だ」 ひと口すすった小十郎に問われ、梵天丸はどう言ったものかと考えた。「俺は、もうすぐ元服をする」 小十郎は湯飲みを盆に戻した。「そうすりゃあ、便宜結婚をしなきゃならねぇ」 小十郎の眉が興味深そうに上がった。「同盟かなんかのために、結婚しろとでも言われたか」「そうじゃねぇ。だが、いずれはそうなるだろう」 梵天丸は用心深く小十郎を上目遣いに観察した。小十郎は眉間に深い溝を作り、思考をめぐらせるように目を斜めに落としている。「まあ、そうだろうな」 冷静な小十郎の低く響く声に、梵天丸の胸がギュッと痛んだ。彼は自分のことを、何とも思っていない。 梵天丸はあれから、異国の貴族はどうやって相手を振り向かせるのかと質問し、結婚のための罠の張り巡らせ方について学んだ。それが小十郎に通用するのかどうかはわからないが、何もしないよりはいい。このままでは、彼は自分が元服をしたと同時に、役目は終わったとばかり畑仕事に専念したいと言い出すだろうと、梵天丸は思っていた。 そうなる前に、彼を自分に繋ぎとめておかなくてはならない。「小十郎」 梵天丸は湯飲みを置いて、小十郎の広い手の甲に指先を置いた。小十郎の視線が梵天丸に戻る。梵天丸は彼の瞳を覗くように見つめたまま、指を手首にまで滑らせ、袖の中に手を入れて肘まで撫で上げながら膝で立ち、小十郎のあごに手を添えた。「梵天丸――?」 小十郎の瞳が困惑に乱れる、それが拒絶の色にならないようにと祈りながら、梵天丸は小十郎のあごを撫で、親指で彼の下唇をくすぐりながら顔を寄せた。 小十郎の体が緊張をしている。梵天丸は高まる心臓を押さえながら、薄く目を伏せ小十郎の顔に唇を寄せた。 相手の心をわななかせる行為のはずなのに、梵天丸の心臓が激しく波打っている。震える指で小十郎の右腕を掴み、左頬に手を添えて唇に唇を押し付けた。 思うよりもやわらかな感触が返ってくる。肌に小十郎の呼気がかかり、梵天丸は悦びに飛び上がりそうになった。(いいや、まだだ) 梵天丸は浮かれる自分をしかりつけ、唇を小さく開閉しながら小十郎の唇を求めた。小十郎の目は梵天丸に向けて開かれたままで、それがどういう感情を示しているのかが梵天丸にはわからない。 梵天丸はぎこちなく、小十郎の唇に舌を差し込んだ。首の角度を変えて口の繋がりを深くし、舌を伸ばす。小十郎の舌に舌先が触れて、梵天丸の下肢に熱が走った。 不器用に口腔を愛撫する梵天丸は、小十郎が動かないのをいいことに、体重を預けるように身を寄せて舌を動かす。頭がぼうっとして、体が熱い。微熱が出たような感覚に包まれながら、梵天丸は無心に小十郎の口内を愛撫した。 小十郎の唇がすぼまり、梵天丸の舌を吸った。「ふっ、ぅん」 鼻にかかった、自分のものとは思えない甘い声に梵天丸は驚いた。小十郎の舌が動き、梵天丸の口内に入ってくる。「ぅふっ、ん、んぅう」 確認をするように動く舌は優しく、梵天丸は小十郎を真似て唇をすぼめ、彼の舌を吸った。「はふ……んっ、ん」 熱い呼気に陶酔し、梵天丸は小十郎の首にしがみついて唇を求めた。男の証が切なく疼き、もどかしくなる。小十郎の太くたくましい腕が梵天丸の腰を包んだ。引き寄せられるままに体を寄せた梵天丸は、彼の肌に触れた刺激に意識を潤ませ、猛る腰を擦り付けた。「んは、ぁ、小十郎」 夢を見ているような心地で、梵天丸は小十郎に全身を寄せる。快楽に滲んだ梵天丸の瞳に、困惑した小十郎の顔が映った。「っ!」 梵天丸の心に不安の風が冷たく吹いた。溶けていた理性が不安に冷やされ、形を取り戻す。誘惑をするはずが、自分ひとりが恍惚としていた。擦りつけていた欲の熱を、小十郎はどう受け取ったろう。「そんな顔、すんじゃねぇ」 苦しげな小十郎の声は掠れて、いつもよりも低く熱っぽい。もしかしてと、梵天丸は膝を動かし小十郎の足の間を確かめた。短く小十郎が呻く。彼の下肢に触れた膝が、小十郎がどうしようもなく興奮をしている証拠を見つけて、梵天丸は叫び出したくなるほどの悦びに包まれた。 自分の誘惑は、成功している。「どういうつもりだ」 梵天丸の悦びの高まりを抑制するように、小十郎が低く唸った。答えようが無くて、梵天丸は小十郎の唇を甘く噛む。「くそっ」 短く吐き捨てた小十郎に驚く間もなく押し倒され、両頬を固定されて口腔を貪られた梵天丸は、呼気すらも奪うほどの激しさに涙を流した。「んふっ、は、ぁ、んぅう」 痺れるような熱が体中を支配する。下肢のそれは救いを求めて泣きたいほどで、梵天丸は自分の下帯が湿るのを感じた。「ふっ、ぁ、はん、ぅ」 小十郎の激しさに、梵天丸はあえぎながらすがりつく以外に、何もできなかった。征服するような口吸いに、意識が朦朧としてくる。気を失わずにいられるのは、下肢が痛いほどに張りつめているせいだろう。梵天丸の下肢は、下帯が窮屈だと訴えていた。 それに気付いたように、小十郎は乱暴に梵天丸の帯を解いて着物を開いた。「こんなに濡らして」 絶句するような小十郎の呟きに、羞恥が熾る。どこをと言われなくとも、小十郎の目に何が映っているのかはあきらかだった。「ひぁっ」 手で隠す間もなく、小十郎に膝を開かれ下肢に顔を落とされて、梵天丸は甲高い悲鳴を上げた。下帯ごと小十郎に男を吸われ、あまりに甘美な刺激に恐怖を覚えた。「ぁはっ、ぁ、あううっ」 指で小十郎の髪を探る。このまま続けられれば壊れてしまいそうだ。 壊れてもいい。 未知の恐怖が、唐突に望みに変わった。 小十郎にならば、壊されたい。「ああっ、こじゅ、ぅあ、ああ」 布越しに軽く歯を立てられ、梵天丸は腰を突き出し絶頂を迎えた。痙攣する体から下帯が解かれ、生身の欲を小十郎の舌に愛撫される。「はふっ、は、ぁ、ああ、あ」 恍惚の余韻を長引かせる刺激に、梵天丸は蕩けた。強く吸われて、ぶるっと身を震わせた梵天丸の目の前に、苦しげに眉根を寄せた小十郎の顔が現れる。「梵天丸」 熱く掠れて乱れた声に、梵天丸は小十郎の興奮を感じた。ひとりよがりの快感では無いと知り、梵天丸が微笑むと、息を呑んだ小十郎に強く抱きしめられた。「小十郎」 しっとりと汗をかいた小十郎の肌が熱い。小十郎の香りに満たされて、梵天丸は心をあたたかく膨らませた。「梵天丸」 ささやく声の優しさに、梵天丸の胸が甘く痛む。小十郎のたくましい欲熱に気付き、梵天丸は手を伸ばした。「いい」 小十郎に腕を止められ、梵天丸は濡れた瞳に疑念を浮かべた。「辛いだろ」 困ったように微笑んだ小十郎が身を起こす。離れた肌が寂しくて、梵天丸は瞳で小十郎にすがった。小十郎の唇が「心配するな」と言うように、梵天丸のこめかみに触れる。「小十郎」「そんな声で呼ぶんじゃねぇ。自制が利かなくなっちまう」「自制……?」 梵天丸が繰り返せば、小十郎は座した膝の上に梵天丸を抱き上げた。背に回った小十郎の手が下がり、梵天丸の尻の谷を撫でる。「ひぁっ」 電流のような快楽に、頭の先から声を上げて梵天丸は飛び上がった。「繋がりたくなる」 耳奥に注がれた息と意図に、梵天丸の欲が再び頭をもたげた。「いいぜ」 梵天丸はせいいっぱいの虚勢を声に乗せ、小十郎にしがみついた。「しろよ」 してほしい、とは言えなかった。 そんな梵天丸の思いを知ってか知らずか、小十郎はなだめるように梵天丸の背を撫でた。「そいつは、まだ早ぇ」「俺がガキだからって言うんじゃねぇだろうな」「梵天丸」 艶めいた声と共に、甘く口を吸われた。「今は、これで止めておく」「あっ」 いたずらっぽく瞳をきらめかせた小十郎に男の徴を掴まれ、梵天丸は震えた。そこに小十郎の欲熱が重なる。圧倒的な違いに、梵天丸は硬直した。「こんなもんに貫かれるかもしれねぇんだ。ハンパな気持ちで誘うもんではねぇだろう」 ニヤリとされて、梵天丸は悔しさを瞳に乗せて小十郎をにらんだ。「冗談でしてるつもりはねぇよ」「だろうな」「え」「そんな奴じゃねぇってことは、良く知っている」「……小十郎」 では何故、彼は自分と繋がろうとしないのだろう。梵天丸が顔中にその問いを浮かべれば、小十郎はごまかすように二人の欲の塊を擦り合せた。「あぁ、あっ……あ」 小十郎の指が絶妙な強弱をつけて、敏感な場所をこねる。未熟な梵天丸はただ、あえぐことしか出来なかった。「こじゅ、ぁ、あ」 名を呼べば、小十郎の唇が寄せられる。それがうれしくて、梵天丸は切れ切れに幾度も小十郎を呼び続けた。やがて高まった欲熱は、どちらがどちらのものかわからなくなるほど溶けきり、混ざり合った。梵天丸は何もかもを小十郎に委ね求めながら、目の前に火花を散らして二度目の絶頂を迎える。「あ、ぁあああ――!」 仰け反った梵天丸の背を、小十郎の腕が倒れぬように支えた。その力強い安定感と小十郎の小さな呻きに、梵天丸は幸福を味わった。 体中が泥に浸かっているように重く、気だるい。目を開けていることも辛くて、梵天丸は瞼を下ろした。 意識がフワフワと漂っている。 気を失ったと思ったのだろうか。小十郎の腕が梵天丸をしっかりと包み、梵天丸の髪に彼の頬が触れた。「梵天丸。オメェが伊達家を背負い、俺がそれを支えるにふさわしい存在と成った時。それでもまだ、オメェが俺を求めるってんなら……」 病に腫れて不具となった右目に小十郎の唇を感じたところで、梵天丸の意識は空へと浮かび上がった。 2015/04/09