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灯仮

 杯に月が揺れている。
 それをぼんやりと眺める柴田勝家の幽鬼のように白々とした肌が、手の中の白磁と共に月光に淡く輝いていた。
 細い頤をゆっくりと下げ、薄い唇を酒で湿らせる。ほうっと息をつき杯の中の月を揺らしては、また眺める。
 たった一杯の酒を干すのに、勝家は長い時を費やしていた。
 彼がいるのは、古い寺の一室だった。庭木も美しく手入れされた寺の中に、戦の面影は無い。先ほどまでは空からしたたる雨でけぶっていた庭が、今は月光に美しい様相を青白く浮かび上がらせている。
 ほう、と勝家の唇から息が漏れる。それが杯の月を揺らした。静寂に包まれたひとときを、勝家はひとり、楽しんでいた。
 ここでは、勝家は何者でもなくいられる。生きてもおらず、死んでもいない。
 何者でもない、何をするでもない心地で、勝家は杯に移した月に、唇を寄せては息を吹きかけ揺らして遊ぶ。
 月光と静かに戯れる勝家の耳に、人の足音が届いた。
 ここにいることは明智光秀に伝えてある。何事かあれば――急変により戦に出なければならなくなった場合には、連絡が取れるように。
 わずらわしいと思うような心の動きも忘れた勝家は、ただ静寂に身を浸し、月光と共にさらさらと風になぶられる静穏に、終わりが告げられるのかと杯を置いて顔を向けた。
 寺の影から足音が近付いてくる。その足取りは急いでいる風もなく、硬さを持ってもいない。気楽な足取りをぼんやりと見ていた勝家の双眸が、その人物を月光の中に見て、ゆっくりと大きく開いた。
「邪魔するよ」
 親しげに声をかけてきた相手は、打つべき相手方の将、島左近であった。
 無言の勝家に「へっへ」とイタズラが成功した子どものような笑いを発し、左近は気安げに勝家の座す部屋へ上がった。
「一人で、肴も無しに飲んでたんだ」
 勝家の手元には、小さな銚子と杯がひとつきりである。他には何も無い。
「この身を屠りにでも来たのか」
 静かに凪いだ勝家の言葉に、きょとんと左近が首を傾げ、それから両手を持ち上げヒラヒラと振った。
「そんな気は、かけらも無いよ」
 月光にも鮮やかな髪色をした左近が、外見そのものの陽気な声を返す。
「そうか」
 勝家は興味を失い、杯の中の月に目を落とした。左近の存在など消えたかのように、勝家は杯の月を愛で、唇を寄せ、ふたたび月を杯に移す。首を動かすたびに、しゃらりと揺れる勝家の艶やかな黒髪に、左近は手を伸ばした。肩までの黒髪を手のひらに乗せて流す左近に、勝家が目を向ける。
「そういうことは、女にするものではないのか」
「そうとは決まってないだろう。な、勝家。アンタさ、夕方からずっと、肴も無しで銚子一本の酒を楽しんでんの?」
 ひそやかに勝家が形の良い眉をしかめた。
「夕方に、坊さんが出ていくのを見つけてさ。聞いたら、とある哀れな迷い子が、静かなる御仏と対話するために参ったゆえ、般若湯を求めに行くのだ。って言ったから、それ、どんな奴なんだって聞いたんだよ」
 僧侶の真似のつもりか、左近がピンと背筋を伸ばして片手を顔の前で立てた。
「で、そしたら特徴が、そちらさんソックリだったもんで、もしかしたら柴田勝家って名前じゃないかって聞いたら、それには答えられないって言われちゃってさ。どうしてもって言っても、教えてくんないし。ま、そういうのって教えないものだってのは、一応、これでも俺、豊臣では一軍を預かる事もある男だから、わかんないわけじゃないから引き下がったんだけど」
 勝家に断ることもなく、左近は銚子に手を伸ばし、そのまま煽った。それを、勝家は静かに見つめている。
「なんか面白く無かったからさ。そのまま賭場に繰り出して、そしたら出目が良くってさぁ」
 その時の事を思い出したのか、肩をすぼませクックと左近が喉を鳴らした。
「ま、なんにせよ、懐があったかくなったモンで、布施でもすりゃあ、口を割ってくれるかな、と般若湯と布施を添えてきたわけよ」
 ニッと歯を見せる左近に、そうかと小さくつぶやいて勝家は庭に目を向けた。雨の名残で濡れた箇所に、月の光が照りかえっている。ちりばめられている月光は、まるで蛍火のようであった。
「なんで、俺がそこまでして気にしたか、わかんねぇの?」
「気にする必要などないゆえに」
「ゆえに、考える必要も無いってこと?」
 勝家の顔を左近が覗く。勝家はさらりと髪を揺らして杯の月に口付けた。
「一介の将が、無防備に月見酒を楽しんでるのって、ちょっと無用心じゃねぇ?」
 左近の言葉を黙殺し、勝家は庭に目を向ける。きらきらと輝く雨の名残を映す瞳は、遠いどこかを映しているようで、何も映してはいないようで――
「勝家」
 左近は勝家の手首を握り、引き寄せた。さしたる抵抗もせずに、勝家は左近の胸に身を落とす。
「なぁ、俺を見ろよ。俺の目を見ろ。勝家」
 滑るように顎を上げた勝家に、左近は顔をかぶせた。唇が重なっても、勝家は驚くことなく左近の眼を見つめる。勝家の腰を抱き寄せ、左近は彼の唇を舌で割った。そのまま舌をくぐらせても、勝家は抵抗することなく左近の目を見たまま、身じろぎもしない。
「ふ」
 左近の舌が勝家の舌に触れ、初めて勝家は息を漏らした。左近は苦しそうに眉根を寄せ、勝家を掻き抱いて口腔を貪る。
「んっ、ふ、ふ、んぅうっ」
 勝家の眉間に苦しげなしわが刻まれ、鼻から乱れた息が漏れた。
「んふっ、うう」
 左近の舌が勝家の舌を捉えて吸い、甘い痺れに勝家の息が跳ねた。それでも勝家は左近の瞳を見つめたままで、左近も勝家の瞳を捕らえたまま彼を横たえ圧し掛かり、唇を離さずに着物の中に手を入れる。
 瞳を絡めたまま、左近は勝家の肌をまさぐり、勝家は左近の好きに身を預けていた。
「ふっ、ん、ぁあ」
 左近の唇が勝家から離れ、顎を伝い首を滑り胸乳へ到達する。乱れた着物から覗く尖りを口に含み、左近は勝家の腰を撫でた。
「あぁ、は」
 勝家の唇から、かすかに震えた声が漏れる。左近はそれを頼りに勝家の着やせする、武将としての働きをするに十分な胸筋を撫で、ひきしまった腰をまさぐり胸乳に舌を遊ばせた。
「は、ぁ、ああ、あ」
 粟立つ肌をもてあまし、勝家が左近の髪に触れる。指を絡める勝家の仕草に腰を疼かせ、左近は若さのままに勝家を求めた。
「は、ぁ、ああ、ぁ」
「勝家」
 左近の熱された息が勝家の名を紡ぐ。ゾクリと勝家の腰が疼き、薄く開いた唇が左近を求めた。それを察した左近が顔を寄せ、勝家の濡れた瞳に舌を伸ばす。
 ちがう、と勝家は胸で叫ぶ。
 触れて欲しい場所は、そこじゃない。
 ニヤリと左近が唇を歪め、勝家の唇を唇で覆った。勝家の腕が左近の背に回る。左近は勝家の下帯を取り、自分も陰茎を空気にさらして二本を重ねた。
「んふぅ、ふっ、ぁ、あは、ぁ」
「勝家」
 欲の先端を重ねて揉む左近の声が、勝家の耳に切なく響く。耳朶を食まれ、勝家は身を震わせた。
「は、ぁ、ああ、あ」
「勝家、勝家――」
「は、ぁ、あぁう、は、ぁあ」
 高く短い勝家の嬌声に、左近の名が混じることは無い。それを承知で、左近は勝家を呼び続けながら、互いの陰茎を擦り合わせた。
「は、はぁ、あっ、ああ」
「勝家、濡れてる。俺たちの……なぁ」
 互いの先走りが左近の指を濡らし、擦るたびに空気と混じり音を立てる。
「ふ、ぁ、ああ、は、は、ぁ、ああ」
「勝家」
 左近の声が切羽詰ったものとなり、勝家は翻弄される意識の外で、左近の快楽を受け止めた。うっすらと勝家の唇が笑みの形に歪む。その艶やかな淫靡に左近の胸が突かれた。
「っ、勝家」
 左近の手淫が早くなる。
「ぁはぁあううっ」
 それに促され、勝家はあっけなく欲を放ち、同時に左近も己を解放した。
 互いの腹を二人の体液が濡らす。
 いつのまにか左近の背に爪を立てていた勝家は、そっと手を離し爪の間に挟まる左近の一部を眺めた。
「勝家」
 目を向けた勝家の唇に、左近の唇が触れる。
「いつか、俺の名を呼んでくれよ。俺を受け止めて、先へ進もう。未来を、掴もう」
 左近が勝家の手を握る。勝家はじっと左近の瞳を見つめ、ひとこと紡いだ。
「重い」
 甘い気配など微塵もない勝家の一言に、左近は目を丸くし、極まりの悪い顔をして勝家の上から退いた。
「なんか、俺ひとりだけ、勝家に執着しているっていうか、一方通行っていうか」
 ガリガリと頭を掻いて、大仰な溜息をつく左近の腹の液に、月光がきらめく。それを眺めた勝家は、自分の腹にも同じきらめきがあるのを見て、微笑んだ。
「私が拒まぬのは、どういう意味と受け止めている――?」
「え」
 うなだれたまま首を動かした左近に、勝家は艶然と微笑み腹にある液を指で掬ってみせた。惚けたように左近が勝家に魅入られる。勝家は指で掬ったそれを、紅のように唇に塗った。つやつやと勝家の唇が月光を受けてきらめき、ゴクリと左近の喉が鳴る。
「か、ついえ」
「寺に身を置く間は、織田軍の将としてではなく、ただの人として過ごしてかまわぬと、言われている」
「それって――」
 にじり寄る左近の瞳に、勝家の微笑が輝く。
「な、勝家。あのさ……準備、なんもしてないんだけど、繋がりたいなぁ、なんて」
 迫る左近が勝家に圧し掛かり、足を撫でた。
「明日、何を命ぜられるかわからぬ身では、受けかねる」
「――だよなぁ」
 がっくりと勝家の肩に額を置いた左近の背に、勝家は腕を回した。左近がきつく勝家を抱きしめる。
 あおむけの勝家の目に、しらじらと輝く月が映りこむ。
「勝家」
 左近が、求めるように勝家の耳に息を吹きかけた。
「じゃあせめて、もっかい、してもいい?」
 首を動かした勝家の目に、自分を求める強い瞳が映った。その瞳の奥に明日という名の未来がある気がして、勝家はそれを受け取るために、強い輝きにそっと唇を押し当てた。

2014/06/03



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