賑やかな宴の気配が残る広間は、温かさのぶんだけ寂しげな様子を見せている。散らかり放題の室内の、徳利や皿、杯などを部屋の隅に片付けた猿飛佐助の耳に、聞き覚えのある足音が近付いてきた。顔を向けて待っていれば襖が開き、片倉小十郎が姿を現す。「おつかれさん」「ああ。テメェもな」 甲斐の忍である佐助と、奥州の副将であり軍師でもある小十郎が共にいるのは、天下人となった徳川家康が、これよりは手を携え皆でこの国を支え、守りあおうといった趣旨で開いた宴会が行われたからだった。客分の佐助が片付けをする必要は無いのだが、いつものクセなのか、もとからの性分なのか、目に入ったものをそのままにしておけず、つい手を出して簡単な片付けをしてしまっていた。それに気付いた小十郎が、やわらかな鼻息を洩らして手にした徳利を持ち上げる。「どうせ、世話役にまわって飲んでねぇんだろう。付き合え」「そういうソッチも、同じ口だったってとこだろ。酒の相手に忍を選ぶなんて。毒を盛られても文句を言わないでくれよ」 親しげに唇を歪めて佐助が足を踏み出すのを確認し、小十郎が先に立って廊下を進む。向かった先は小十郎に当てられた客間で、佐助は何のためらいもなく室内に入り、ちろちろと灯明に照らされた床に腰を下ろした。「ほら」 小十郎が杯を差し出し、佐助が受け取る。小十郎が注げば佐助が返し、二人は静かに杯を上げて挨拶に代え、唇を濡らした。「はぁ。――終わったって言っていいのか。これから始まるって思えばいいのか」 やれやれと佐助が呟く。「何を基準にするか、だな」 肩の荷が下りたような、これからやっかいなことがあると覚悟をしているような口調で、小十郎が返した。「大きな戦は終わって、これからは武器を捨てて拳でって、徳川の旦那が言っていたように、血なまぐさいことが減っていくんだろうね」 ぐい、と佐助が杯を干し、小十郎が注ぐ。「そう簡単には終わらないだろうがな。まだまだ火種はくすぶっている。あわよくばと思っている奴らもいるだろう」「それでも、それは少なくなっていく。ウチの旦那も大将も、上杉んとこも賛同するし力を貸す。そっちだって、そうだろう」 小十郎が頷く。「小競り合いや野盗の類が動く程度の戦になって、主な領主たちが顔を突き合わせて談合して、武力じゃなく言葉や知識で渡り歩く」「ああ。そうして手を携えあい、それぞれの領地の特色を活かして、この国をひとつとする」 宴会の前の、日ノ本を束ねる男となった徳川家康の言葉をかみしめ、小十郎が杯を傾けた。「竜の旦那の天下にならなかったからって、暗殺をしたり隙を見て戦を仕掛けたり、なんてことはしないだろ?」「そっちは、する気があるのか」 小十郎の切れ長の目が灯明に光る。鋭い視線の切っ先を、おどけたように肩をすくめて佐助は受け流した。「するわけないだろ」「なら、なんでそんな話をした」 佐助の笑みに、翳りが滲む。それに、小十郎が杯を下ろした。「片倉の旦那はこれから、政務にも色々とかかわっていくんだろ。得意の野菜作りでも、平和な世の中できっと活躍できるだろうさ」「――猿飛?」 静かな佐助の口調に寂しさのような自嘲を嗅ぎ取り、小十郎の目が怪訝に細められた。「戦の道具でしかない忍は、お呼びじゃない時代が来る」 コトリと、佐助の置いた杯が鳴った。「俺様は、お払い箱ってね」 顔を上げた佐助の笑みは奇妙に歪んで、灯明に揺れている。ハッと息を呑んだ小十郎が腕を伸ばし、佐助を引き寄せた。「猿飛」 たよりなく佐助の体がしなり、小十郎の胸に落ちる。「それはとても、良い世の中なんだろうね。戦を有利に進めるために暗殺をしたり、暗躍をして密使を送り、こそこそと計略を寝る必要も無くなる。腹の中がどうかはわからないけれど、顔を突き合わせて、ああだこうだと政務の談合をして、世の中を作っていく」 小十郎に体を預け、彼の香りに包まれて、佐助は呟き続ける。「毛利の旦那は安芸の安寧さえ保てれば、妙な計略をひきおこすことは無いだろうし、島津のところも問題ないだろうね。四国の鬼の旦那はあの通りだし、前田のとこは言わずもがな。戦忍は廃業ってね」「けっこうな事じゃねぇか。オメェはこれから、真田の身の回りの世話をしたり、館の奴らにあれこれと采配をしたりして過ごすんだろう」 小十郎の気遣う息が、佐助の髪を撫でた。ふ、と佐助の口の端に寂しさが漂う。「戦忍は、普通の人にはなれないんだよ」 小十郎に抱き締められている佐助の影が、ゆっくりと膨らんで起き上がる。ゆらゆらと湧きあがる闇よりも濃い影に、小十郎は唇を引き結び佐助を包む腕に力を込めた。「普通ってなぁ、何だ。猿飛? 戦忍であろうと、人は人だ。薬の知識は平和な世の中であっても必要なモンだし、オメェの身軽さは人助けに役に立つだろう。あの真田の世話をしてきたんだ。人の動きに目を配り、細けぇ事に気付いて補佐を努めることだってできる。オメェの居場所は、無くならねぇよ。何より、真田はオメェがいねぇと困るだろう。あいつは、あぶなっかしくて見ちゃいられねぇからな」 小十郎の語尾が柔らかくゆるんで、佐助が顔を上げた。「ソッチだって、同じだろ」「ああ。目を離している暇がねぇ。お互いに、これからも苦労のし通しだろうぜ」 くすり、と佐助が鼻を鳴らした。「だから、そんな心配をする必要なんざ、ねぇんだよ」 小十郎の慰めに微笑み、佐助が彼の肩に額を乗せる。「片倉の旦那は、もう俺様と人一倍仲よくしておく必要がなくなるよね」「どういうことだ?」「甲斐の忍の長である俺様と仲よくしておく利点とか、必要なくなるでしょ」「何を言ってやがる」 小十郎の声に不機嫌が混じる。佐助が微笑みながら首を伸ばし、小十郎のアゴに唇を寄せた。「俺様も、奥州の動向を知るために、片倉の旦那に近付く必要がなくなるってね」 ふふ、と鼻を鳴らした佐助の目に、怒気を上らせる小十郎が映った。「顔、怖いぜ?」「本気で言ってんのか」「なんで、本気で怒ってんのさ」 地を這うような小十郎の静かな怒声に、佐助がさらりと冷たい声を返す。「そんなつもりで、手を出した覚えはねぇんでな」「ほんとに?」 少女のように佐助が首を傾げ、当然だと小十郎が呻く。そっかと佐助が笑みを弾けさせ、小十郎の首に腕を回した。「それじゃあさ。実感させてよ」 佐助の声に艶と甘えが乗った。「そんなつもりじゃなかったんなら、甲斐の忍とか関係なく、俺様の事が欲しいって示してくれるだろ?」 冗談めかした佐助の影が、不安そうに揺らめいている。「いやというほど、自覚させてやる」「うん」 頷き口吸いをねだるように顎を上げた佐助の唇を、小十郎の唇がやわらかく押しつぶす。角度を変えて、幾度も互いの唇を甘えるようについばんだ。ふっくらと唇の赤みが増して、二人は額を重ねて笑みを浮かべる。「今夜は寒いからさ。しっかりと、あっためてよ」「溶けるぐれぇ、熱くさせてやる」「んふ。助平」 唇を開き舌を覗かせる佐助の口を、小十郎の唇が覆いつくす。伸ばされた舌を吸い、歯で軽く噛めば抱きしめている佐助の腰が震えた。「んっ、ふ」 漏れた佐助の鼻息の甘さに、めまいを覚える。求めるように首にしがみつく佐助の口内を、舌で余すところ無くなぞり、くすぐりながら着物を落として素肌を撫でた。「んっ、ふ、ぁんっ」 小十郎の口吸いに応えながら、佐助の手が動き小十郎の着物を剥ぎ取る。互いに下帯のみの姿になり、肌のぬくもりを直に感じて、全身でそれを味わおうと、佐助が身をすり寄せた。「んはっ、ぁ、んぅうっ、は、はぁ、んっ、片倉の旦那っ、ぁ、も、口吸い、苦し、ぃあっ」 呼気をも逃さぬ小十郎の口付けに、佐助の息が上がる。きゅっと強く佐助の舌を吸ってから、小十郎が顔を離した。「違うだろう」 咎める小十郎の瞳は、とろとろに甘やかす気満々で、佐助は心をくすぐられ、身をよじった。「呼びなおせ」「……小十郎」 額に唇を寄せて、小十郎が褒める。「なんか、慣れねぇなぁ」 照れくさそうに佐助が肩をすぼめて、小十郎は浮き上がった鎖骨に唇を寄せた。「幾度も、呼んでんだろうが」「そうだけどさ……あっ」 小十郎の唇が、余計なものを削ぎ落としながら鍛え上げられた薄い、しなかやかな佐助の胸を滑り色づきに行きつく。尖りを舌で転がされ、佐助の肌がわなないた。「こういうときしか、んっ、呼ばねぇだろっ、は、ぁ」「こういう時に、呆れるぐれぇ、呼んでんだろうが」「ぁんっ、ばかっ、ぁ、こじゅ、ろ」 胸の尖りを強く吸われ、佐助の背が反る。浮き上がった肩甲骨を撫でた小十郎の大きく温かな手が背骨をたどり、薄い尻を掴んだ。小十郎が、佐助の胸に所有の印を次々に残していく。「ぁ、やだっ、痕はつけんなって、ぁ、言ってんだろ。小十郎っ、は、ぁ」 不満そうに、小十郎が佐助の形の良いヘソを舌で探りながら目を上げた。「痕、残ったら困るって、言ってんのに」「かまわねぇだろう」 わき腹に、小十郎が印を付ける。「ぁん、かまうって」「かまうな」「何、言ってんのさ、ぁ、小十郎」 なおも痕を付けようとする小十郎のアゴを、佐助が両手で掴んで止めた。「任務んときに、何に変装をするかわかんないんだから、困るって前に言っただろ!」「もう、そんな必要は無ぇだろう」 ぱちくり、と佐助が目を丸くしてまたたいた。「今から、オメェは戦忍じゃねぇ。ただの猿飛佐助だ。天下は、大きなくくりでは一つになったんだからな。だったら、俺のモンだと印を付けても、かまわねぇだろう」 こともなげに言いながら、佐助の足を持ち上げた小十郎が、ふくらはぎに唇を押し付けて痕を残す。「体中のどこもかしこも、俺の印で埋め尽くしてやる。覚悟しろよ、佐助」 睦時にしか呼ばれぬ名を口にされ、佐助は全身を震わせた。「何処もかしこも、俺のモンだと自覚させてやる。オメェの居場所がなくなるなんざ、片時でも思えなくなるぐれぇにな」 小十郎の唇が滑り、内腿を強く吸った。「っは、ぁ。助平」 うれしげに声を弾ませて、佐助がはにかむ。「今更、何を言ってやがる。知ってんだろう? 俺が、どんなふうにオメェを貪るかを」 こくりと恥ずかしそうに頷いた佐助が、体を丸めて小十郎の頭に口付けた。「小十郎が、どんだけ助平なのか知ってる俺様も、相当、助平だって知ってた?」 小首を傾げて問う佐助が、小十郎の首に吸い付いた。「んっ……ふふ。小十郎にも、俺様の印をいっぱい付けさせてくれよ? でなきゃ、不公平だからさ」 少し不安げに、小生意気な顔をして了承を求める愛に不器用な、さみしがりやの恋人を、小十郎は体中の慈しみを込めて抱きしめた。「好きなだけ、オメェの印を付ければいい」「うん。――小十郎」「佐助」 唇を重ねて、二人はゆるゆると愛撫を繰り返し、互いの肌に自分を刻む。飽くことなく繰り返される行為は、灯明の油が切れても終わる事は無かった。 2013/12/20