恋だとか、愛だとか。 そういうものは、よくわからない。 前田慶次が恋はすばらしいものだと言い、徳川家康は愛は絆に通ずるのだと言った。前田利家は恋を育めば愛になると言い、その奥方は相手を大切に思うことが愛なのだと言った。 それを聞いて、真田幸村はますますわからなくなった。 ことは、酒宴の戯言だった。睦まじい前田夫婦の様子に、慶次が二人のように恋しい人と笑って過ごせる世の中を、と言った。家康は深く頷き、愛すると言う事は相手を大切に思うこと、それすなわち絆となると説いた。 幸村は、首を傾げた。それを見た前田の奥方まつが、クスクスと鼻を鳴らしながら幸村に教えた。 愛とは、さまざまな形があるのですよ、と――。 夫婦の愛、恋人の愛、友情の愛、尊敬の愛、親子の愛、などなど。そんな彼女の言葉に、利家は領民や領地のことを大切に思うことも、愛だと言った。 それを聞いて、幸村はますます、わからなくなった。「慶次殿の申される恋は、愛の一つの形であるということにござるか」 その問いに、頷くものと首を傾げるものとがいた。その反応に、幸村はますますわからなくなった。座興のはずが、幸村が真剣に悩むのでそうではなくなってしまった。困ったように微笑んだ家康が、こめかみを掻いた。「ワシも、色恋沙汰のほうの愛は、よくわからん。真田と一緒だ」 慶次が給仕をしていた侍女らに、恋をすると、どんなふうになるのか教えてやってくれと言い、彼女たちは口々にさえずった。 相手の事が、ふとした時に頭の中に浮かぶのですよ。 気が付けば、その方の事を目で追ってしまっているのです。 その方に触れたくて、触れて欲しくてたまらなくなるのです。 会いたくて仕方がなくなり、その瞳に映してもらいたくなるものです。 微笑みかけられると、胸があたたかくなるものです。 そう答える彼女たちに、慶次は「姉さん方、さては良い恋しているね」と口の端を持ち上げた。彼女たちの言葉を、家康は「ふうむ」と考え深げに受け止めて、幸村は眉間にしわを寄せ唇を引き締めて、わずかに首を傾げた。 どうにも、わからない。好敵手である伊達政宗の姿を、思い起こす事がある。鍛練をしている折などは、敬愛する武田信玄の姿を無意識に追ってしまっている。その次の「触れたくて触れて欲しくて」と「瞳に映してもらいたくなる」と「胸があたたかくなる」は、よくわからない。「美味しい物を食べたり、きれいな物を見た時に、その人と共有したいと思うものです」 最後に、そんな言葉が聞こえて、幸村はハッとした。 それがもし恋だというのなら、俺は、もうすでに懸想をしていたのか――? 幸村の中で生まれた疑念は、客間に戻ってからも彼の意識を掴んでいた。臥所に入りはしたが寝付けぬままの幸村は、呼びなれた名をつぶやいた。「佐助」 すれば、すぐに闇が凝り、飄々とした彼の忍、猿飛佐助の姿となった。「はいよ。どうしたのさ、旦那」 月光に薄く浮かび上がる佐助の姿を、幸村はじっと見つめる。何かを確かめるようなまなざしに、佐助は首を傾げて彼の横に膝をついた。「旦那、なんかあった?」「どこに行っておったのだ」 きょとん、と佐助が目を丸くする。「やだなぁ、旦那。言ったでしょ。俺様、大将のお使いに行くから、宴会には参加できないよ、ってさ」「ああ、うむ。そうだったな。うむ、そうだ」「なんか、あったの?」 顔を近付ける佐助を、幸村は真っ直ぐに何かを探るように見つめる。幸村がまだ弁丸と名乗っていた頃から、一番近くにいた相手。美味しい物を食べれば、美しい物を見れば、一番に頭に浮かび共有したいと望んできた相手。 近すぎて、気付かなかったのだろうか。「旦那?」 あまりにも幸村が佐助を無言で見続けるので、佐助は心配そうな顔をして、さらに顔を近付けた。「人にはばかる内容なら、この距離なら誰の耳にも聞こえないよ」 床下に忍ぶ者がいても、声は届かないよと佐助は言う。やわらかな声音に、目の前にある切れ長の、けれど柔和な瞳に自分が映っている。この瞳に自分以外のものが映っていたときに、嫉妬をしたことを思い出す。「佐助」「なあに、旦那」 呼びかければ、こうして答えてくれる。それを当たり前だと、幸村は思う必要も無いほど自然に、受け止めていた。けれど、佐助が幸村の呼びかけに応じなかったときが、なかったわけではない。それはどれも必要であったから、わざと応えなかった時だった。あとからそれを知ったとしても、納得をしたはずの幸村の胸にはモヤモヤとしたものが残った。「え、旦那――?」 静かにうろたえる佐助の声に、幸村は自分が何をしたのかに気付いた。唇に、うすく柔らかなものが触れている。いや、これは触れているのではなく、自ら触れたのだ。佐助の唇に、自分の唇を押し付けたのだ。 ぼんやりと、幸村は自分の行動を夢の中の出来事のように受け止めた。呆然としている佐助に、嫌悪の色は見えない。ただ、この状況を把握しかねている。 なつかしいな、と幸村は唇の端に笑みを浮かべた。幼少の頃、佐助にこういう顔を幾度かさせたことがある。まだ佐助が自分付きになって間もない頃だ。どうも、幼い頃の自分は、常の子どもとは違っていたらしい。予測の斜め上を行くんだから、と呆れた息を漏らされた事がある。けれどその息は、幼い幸村には抱きしめられているように心地よいものだった。 佐助は、どんなときでも自分を受け止め導いてくれる。傍にいて当たり前の存在だと、認識していた。そのことに今更ながら気付いて、幸村は驚いた。 もしも愛というものが「共有したい」と望むものならば、自分はずっと昔から、この男に懸想をしていたということか。 無言のままの幸村に、佐助は主の考えを図りかねているらしく、妙な具合に唇を歪ませて眉をしかめている。幸村は手を持ち上げて、佐助の頬に触れてみた。空いた手で、佐助の手を取り自分の頬に当ててみる。じっと、何かを確かめるように、佐助の頬の感触と佐助の手のひらの感触を味わう。触れたくて、触れて欲しくてたまらなくなる、という部分にも当てはまる事に気付いた。「佐助」「ん?」 口を開き音を出しかけ、幸村は迷う。自分は、何を言おうとしているのだろう。何を言えばいいのだろう。「旦那」 佐助の唇が、息が、自分の名を乗せる。それが床に落ちてしまう前に、幸村は唇を寄せて拾った。おそるおそる、佐助の唇に唇を繰り返し押し付ける。佐助は、幸村が何かを確認しようとしていると気付き、おとなしくしていた。やがて幸村は、佐助の背に腕を回した。ぎゅうっと抱きしめれば、ふわりと抱き返された。言いようの無い安堵が幸村を包む。ほう、と息を漏らした幸村は、佐助の首筋に顔を擦り寄せた。ふ、と目に入った佐助の首筋に、ちらりと古い傷跡が見えた。 ああ、そうだ。「佐助」「なあに」「脱げ」「は?」「いいから、脱げ」 言いながら幸村が佐助の着物に手を掛けると、わかったわかったと佐助は慌てて幸村の手を払いのけた。「もう。旦那にむりやり脱がされたら、破けちまうっての」 するすると着物を脱いだ佐助が、下帯のみの姿で両手を広げる。「ほら」 そう言ってから、佐助は口元をゆるませたかと思うと、腹を抱えてしゃがみ笑い出した。「な、なんだ」 突然に笑い出した佐助に、幸村が目を丸くする。「なんか、なつかしいなって」「なつかしい?」「そう。旦那がまだ弁丸様だったころ、俺様が戦から帰ってきたときに、よく身体検査をされたなぁって」「そうだったか」 うん、そうだよと佐助が遠くを見つめるまなざしになる。「新しい傷が増えていたら、目ざとく見つけて大騒ぎして。佐助は俺の忍なのだから、勝手に傷を増やして帰るな、なんて無茶なこと言ってさぁ」 そうだったか、と幸村は急に照れくさくなった。自分は、そんなふうに佐助を独占していたのか。「で? 今回は何。まさか、新しい傷を発見しようなんて思ってないよね」 しゃがんだまま、佐助が幸村の鼻先をつついた。楽しげな佐助が、膝を抱えて小首を傾げている。茜色の髪がさらりと首にかかっている。手を伸ばした幸村は、佐助の髪に指をからめて顔を寄せた。「どうしちゃったのさ、旦那」 問いはするが、佐助は拒絶を示さない。幸村はゆっくりと、確かめるように佐助の顔を両手で包み、額、頬、鼻、唇と順番に唇を押し付けていった。佐助はじっと、それを受け止めている。「佐助」 ささやき唇を寄せる。おそるおそる舌を伸ばした幸村は、佐助の唇を舐めてみた。ふ、と胸に漣のようなものを感じ、それを確かめるように幾度も舐めてみる。それだけでは足りなくなって、舌を口内に忍ばせた。「旦那――?」 問うように呼びはするが、拒絶は無い。幸村はぎこちなく、佐助の口内を舌でまさぐった。すると佐助は幸村に舌を差し出した。舌がからみ、幸村は甘いめまいを覚える。それを追いかけたくて、夢中で佐助の舌を吸った。「んっ、ふ、ふっ、んんっ、ん」 佐助の鼻から息が漏れる。ぬるつくあたたかな口内に、からみあう舌が心地いい。胸が熱くなり、腰が熱を持ち、下肢が疼いた。「っは、佐助」 佐助の口を貪った幸村は、どくどくと早鐘のように鳴り響く心音に、脳を揺さぶられていた。手負いの獣のように、息が荒くなっている。「旦那も、男の子だねぇ」 からかうように佐助が言って、幸村の下肢に手のひらを乗せた。「うっ」 幸村の顔が、酒を喰らったように赤くなる。気付いていなかったわけではないが、佐助の手のひらに触れられて、あらためて男根がどうしようもないほどに滾っていることを思い知らされた。「まさか、旦那の伽の相手をする日が来るとはねぇ」 鼻歌交じりにつぶやいて、佐助が頭を下げる。何をするのかと問うより早く、佐助は幸村の下帯の横から、怒張した幸村の牡を取り出し、自分の下帯を解いた。「さっ、佐助……何を」<br> うろたえる幸村に、牡の根を握った佐助が笑みにゆがめた唇を舐める。ぞくり、と幸村の背骨が野欲に疼いた。「何をするか、わからないほど無垢じゃないでしょ。うすうす位は、わかっているよね」 ごくり、と幸村は喉を鳴らす。若い幸村は、年嵩の武将らに宴会のたびに猥談の餌食にされてきた。なので、耳年増とまではいかないが、佐助が何をしようとしているのか位は、わかっている。わかっているが、佐助が自らしようとするなど。「い、いいのか」「いいも何も。旦那が俺様の口を吸ったんでしょ?」「う、うむ。そ、そうなのだが」 ごにょごにょと口内で言葉にならない呟きを繰り返す幸村は、佐助がてらいもなく慣れた様子でいることに気付いた。「佐助」「ん?」「その、お、おまえは、その……こ、このようなことは、その、は、はじめてではないのか」 ぎゅ、と眉に力を込める幸村に、佐助は少し考えるそぶりをしてから、答えた。「忍の技には、色仕掛けもあるんだよ」 がん、と意識に衝撃を受け、幸村は息をする事を忘れた。その衝撃は敬愛する武田信玄と鍛錬をしている折に、顔面に拳を叩きこまれたときよりも、ずっと強く痛い。ぐわんぐわんと意識が揺れて、目が回る。奥歯を噛み閉めそれを堪えた幸村は、佐助の肩を掴んだ。幸村の指が、自分を守るために付いた佐助の古傷に触れる。ずくん、と幸村の魂が激しい焔に巻かれた。「佐助ぇえっ!」「うわっ、何なに。こんな近くにいるのに、そんな大きな声を出さないでよねっ」「と、伽をせよ」「いや、今、してるだろ」「そうではなく、その、なんだ」 自分でも何を言おうとしているのかがわからない幸村を、佐助がじっと見つめる。幸村も、自分の心中を推し量ろうとする佐助を見つめた。しばらくして、何かの見本のようにきれいに微笑んだ佐助が、肩を掴む幸村の手をあやすように叩く。「旦那」「なんだ」「伽は、俺様の口でされるのと、繋がっちゃうのと、どっちがいい?」 さらりととんでもないことを問われて、幸村は狼狽する。狼狽するが、答えは決まっていた。「繋がるほうがいい」 目じりに朱を湛え、羞恥から拗ねたように唇を尖らせる幸村に、わかったと佐助が微笑み幸村の肩を押して寝かせた。こういう場の作法を知らない幸村は、おとなしく自分の腰をまたぐ佐助を眺め、彼にまかせるしかなかった。彼の牡が持ち上がっている事に、自分だけが興奮をしていたのではなかったのだと、幸村は安堵と興奮を綯い交ぜにして頬を緩ませた。「なあに、やらしー笑みを浮かべてんのさ」 佐助の裸身の胸が、幸村の胸と重なる。「繋がる準備するから、旦那は俺様を抱き締めていて」 耳の中に息を注がれて、幸村は胸を上ずらせながら佐助の背に腕を回した。そこにも、幸村を守るために付いた傷跡がある。「んっ」 佐助が、小さく声を上げた。「んっ、んっ、は、く、ぅ」 繋がる準備、と佐助は言った。男同士がどこを使って繋がるか、知識だけは幸村も持っている。佐助の肩越しに目を向ければ、佐助の手が彼の尻の間にあてがわれているのが見えた。ごくり、と幸村はツバを飲み込む。「やだな、旦那の助平」「ぬっ」 佐助の唇が、幸村の耳朶に甘える。きゅっと唇を引き結んだ幸村に、クスクスと佐助が喉を鳴らした。「もうちょっと、待っててね」「うむ、その、佐助」「ん?」 佐助の呼気が熱っぽく、甘ったるい。それに心を揺さぶられ、幸村は佐助の背を撫でた。「その、準備、というのは、その……」「言わせたいの?」 甘えるような声音に、幸村は目を彷徨わせた。「いいんだよ、旦那。俺様がちゃんとするから。旦那は、ただ俺様を抱き締めていてくれたら、それでいいから」「し、しかし。こういうものは、その、なんだ。俺がその、すべきではないのか」 ばつの悪そうな幸村に、佐助が唇を寄せてきた。掠める程度の口付けに、幸村がまたたく。「そんなこと、気にしなくて良いんだよ」 佐助が身を起こし、幸村の牡を掴んだ。つん、と自分の牡が何かをつついたなと認識すると同時に、佐助が背を仰け反らせて声を上げた。「ぁはっ、ぁ、うく、ふ、ぅう」 きゅうきゅうとあたたかなものに、自分の魔羅が飲み込まれていくのを感じ、幸村は感じた事のない快楽に目を細めた。「っは、佐助」「んっ、あと、ちょっと、だから、ぁ、は、はぁ、んっ」 息を詰め、細く形の良い眉根を寄せて、佐助が苦しげに声を出す。牡を包まれる心地よさに、佐助の奥に沈んでいるのだと認識した。「佐助」 自分と繋がるために起き上がった佐助の背から離れた手を伸ばし、腹の上に乗せられている佐助の手を握る。「んっ、大丈夫……は、ぁ。ぜんぶ、入ったよ」 苦しげに、けれど嬉しそうに無邪気に佐助が笑うので、幸村も子どもの頃のような笑みを浮かべた。「は、ぁ。すぐ動いて気持ちよくしてあげたいけど、んっ、ちょっちキツイから、旦那、このまま、少しガマンして」 長く息を吐き出しながら、佐助が幸村の胸の上に落ちてくる。再び佐助を抱きしめた幸村が、佐助の頬に頬をすり寄せた。 脈打つ牡が、ちいさく蠢く熱い肉に包まれている。佐助と、一つに繋がっている。それが泣きたくなるほど嬉しくて、幸村は佐助を包む腕に力を込めた。「ふふっ」 たまらなくなった、というように佐助が笑みを漏らし、幸村は問う目を向ける。それをいたずらっぽい瞳で受け止めて、佐助は幸村にとってこの上もなく嬉しい事を、てれくさそうに言ってのけた。「さっき、色の術があるって言ったけどさ。俺様、こういうことすんの、旦那がはじめてなんだぜ?」「まことかっ」 勢い込んだ幸村が、がばりと起き上がる。「んあっ、ちょ、旦那、ぁ」 起こされた佐助が、幸村の膝に乗る格好になり、繋がりが深まった。「っ、あ、すまん」「んっ、はぁ、もぉ……ま、いいけど」 佐助が幸村の肩に腕を回し、少しためらってから唇を押し付ける。「俺様のぜんぶは、旦那のためにあるんだよ。だから」 だから、と佐助は幸村の肩で顔を隠した。 その続きは、いくら待っても聞こえなくて。けれど何を言わんとしているのか、どんな言葉でも形容できぬ想いを、繋がる熱が雄弁に幸村の魂に語りかけてくる。それに答えるために、幸村は佐助の首に唇を押し付け、ゆっくりと繋がったまま、愛しい忍と宵闇に沈んだ。 2014/01/25