熱く乱れた息使いが、夜気に滲んでいる。「は、ぁ」 鼻にかかった声を上げ、真田幸村は唇を震わせた。それを彼の忍、猿飛佐助が吸う。「ん、ふ」 しっとりと汗ばんだ腕を持ち上げ、幸村は佐助の首にすがりついた。鍛え抜かれた四肢が快楽の緊張で強張り、ふくらんでいる。それを宥めるように、佐助の指が肌を這い、甘い唇が想いを注ぐ。「ああ、旦那」「ふっ、んぁ」 足を開き、佐助を受け入れた幸村の喉が反る。浮き上がった喉仏に佐助の唇が触れた。「旦那の奥、すごくイヤラシくなってる。……ふふ」 楽しげな、甘く意地の悪い言葉を聞いた幸村は佐助の髪を掴んで、官能に潤んだ瞳でにらみつけた。「違う」「何が違うの?」 証拠を示すように、佐助が軽く腰を揺すった。幸村の内壁が蠕動し、佐助の熱に絡まり踊る。「ぁはっ……ぁ、ちが、ぁ」 たまらず、幸村は佐助の首を引き寄せ、彼の肩に額を当てた。「旦那」 掠れた声が耳に注がれる。扇情的な佐助の息に体の奥を震わせながら、幸村はなおも違うと言いつづけた。「何も違わないでしょ?」「んっ、ぁ、俺が……なったのではない」 佐助の律動にぼやける意識をかき集めて、幸村は否定した。「佐助が、俺を……っ、した」 規則的に動いていた佐助が止まった。幸村は求めるように、佐助の首に絡めている腕に力を込め、足で彼の腰を掴んだ。「……そっか。俺様が、旦那をイヤラシくしただけで、旦那がイヤラシくなったわけじゃないね」「んっ、佐助」 幸村が全身を佐助に擦りつけるように身悶えれば、佐助の唇が耳裏に触れた。「こんなふうにしちゃって、ごめんね。旦那」「ぁ、はんっ、佐助、さす……ああっ」 そこからはいつもどおり、佐助の熱に煽られるままに、幸村は彼の奔流を受け止めながら、意識を高みへと羽ばたかせた。 そう。 あれはいつもどおりのはずだった。それなのに、佐助はあれから幸村に触れなくなった。 庭先で槍を振るいながら、幸村は考える。 もうひと月ほども佐助と同衾していない。任務で離れている間ならば、それよりも長く触れ合わなかったとしても気にならない。けれど共に屋敷にいる上に、翌日のことを考慮して睦まないという状況ではない。 佐助はいったい、どうしてしまったのだろう。 幸村は槍を振るいながら、あの夜を思い出す。 途中から記憶があいまいだが、変わったことは無かったように思う。佐助の指も唇も、いつものように甘く優しかった。「っ!」 腰のあたりに快楽の尾が巻きついて、幸村は槍の握りを誤った。「しまった」 思うと同時に、槍は庭の松の幹を深々と抉り、破片がそのあたりに散らばる。「ううっ」 敬愛する武田信玄が見ていたなら、意識が散漫だと叱られるだろう。 佐助の小言が降ってくるぞと覚悟をして振り向いた幸村だが、佐助どころか誰の気配も無いことに首を傾げた。いつもならば、どこからともなく佐助が現れ、片付けは誰がするのだなど、ぼやきつつ幸村の様子がおかしい理由を問うてくるはずなのだが。「?」 佐助はどこかに出かけているのだろうか。 幸村は抉れた松の幹を見、散らばった木片を眺めて槍を収めた。佐助がどこにいるのか気になる。鍛錬の続きは気がかりを解消してからにしよう。 幸村は汗を拭うこともせず、屋敷の表へ向かい、目に付いた者に佐助の所在を問うて回った。その誰もが首を傾げ続けるので、なるほど忍小屋だなと見当をつけた幸村は、そちらに足を向けた。 はたして佐助は幸村の思った通り、忍小屋にいた。「入るぞ」 声をかけて戸を開ければ、佐助は乾燥させた何かを細かく砕いている所だった。「何をしておるのだ」「旦那こそ、何をしているのさ。ここには来るなって言ってあるだろ? けっこう貴重な薬草の類なんかもあるし、危険な薬なんかもあるんだからって」「うむ。だが、佐助はそんなものを、俺が触れるような場所へ出してはおかぬだろう」 幸村が平気でずかずかと足を踏み入れ、上がり框に腰を掛けても、佐助は迷惑そうに眉根を寄せるだけで止めない。「もし今、お前の手元にあるものが危ういものであったら、近寄るなと言っておった。ゆえに、俺はここに座っておっても問題は無いのだろう」 確信を持って言えば、佐助がやれやれと気配で示す。「で。俺様に何の用? 出すお茶もお茶請けも、ここには無いぜ」「茶を喫しに来たのではない」「じゃあ、何さ。他に俺様に用事があるとは思えないんだけど。鍛錬で小腹が空いたんなら、屋敷の誰かに言えば何かあるんじゃない」「何故、そのように思う」「鍛錬の後、そのままここに来たんでしょ?」「だから、何故それが判るのだ」 佐助が手を止めて、首を傾げながら幸村に顔を向ける。「俺様、優秀な忍だぜ? 着衣の乱れとか、汗の具合とか、刻限とか。鍛錬してた以外に、何をしてきたのさ」 幸村は目を丸くして自分を眺めた。「こんなこと、少しもすごくなんて無いからね」 すごいな佐助は、と言う前に吐息交じりに零されて、幸村は感心に膨らませた肩を下げた。「で。用事がそれじゃないなら、何」「う、うむ」 佐助の所在が気になったから、と言えばどう答えられるだろう。もう居場所がわかったからいいだろう、と追い出されるのではないか。そもそも、どうして佐助の所在が気になったのか。それは佐助が――。「何ゆえ、俺を構わぬ」「は?」 そもそも、自分がここに来たのは、佐助がいつもとは違うからだ。 幸村は背筋を伸ばして真っ直ぐに佐助を見た。「俺はさっき、手元を誤って松の幹を抉った。なれど来なかったではないか」 佐助の切れ長の目が丸くなる。「それで、俺様がどこにいるのか探しに来たの?」 こくりと首を動かせば、佐助の唇が妙な形に歪んだ。笑いを必死に堪えているように、唇を震わせている佐助の眉間にシワが寄る。「子どもじゃあるまいし。俺様だって、色々とやることがあるんだから、旦那ばっかり構ってらんんないの」 ぷいっと顔をそらした佐助が、これ見よがしに作業を再開する。たしかに平時の自分の様子を見張るより、有事の際の備え作業をしているほうが有意だろう。それを納得できるくらいに、佐助が構ってくれないと、いちいち拗ねる年頃は過ぎている。「それは、わかっておる」「じゃあ、問題は解決だね。屋敷に戻って、餅でも焼いてもらいなよ」 幸村は下唇を噛んで佐助を見た。自分の伝えたいことと、佐助が受け止めたことが違っている。これは、どう言えば伝わるのか。「佐助」「なぁに」 そもそもの原因は何だったかと、幸村は考えながら口を開く。「近頃、妙ではないか」「何が」「佐助がだ」「俺様の何が」「俺を構わぬ」「その理由は、さっき解決したでしょ」「違う」「違わないよ」「違うのだ」「何が」 むっと口をつぐんで、幸村は佐助の様子を伺う。この会話に全く興味が無いようにも、さりげなく逃げようとしているようにも感じられる。 幸村は幾度か深呼吸をしてから、腹の下に力を込めて言った。「何ゆえ、俺に触れぬ」 佐助の動きがピタリと止まった。「近頃、俺を避けておるのではないか」「気のせいでしょ」「俺に飽きたか」 勢いよく佐助が振り向き、何ごとか言おうとした唇を一端閉じて、飄々とした笑みを浮かべる。「何を言ってんのさ」「あの夜から、忍んでこなくなったではないか」 幸村は前にのめって佐助の目を捉えた。膝を進め、ぐぐっと顔を寄せる。「何故だ」 佐助の眼球が横に動く。顔まではそらさせないぞと、幸村は両手で佐助の頬を掴んだ。「俺に、飽きたか」「だからなんで、そうなるのさ」「他に、理由が思い当たらぬ」 深々と佐助が息を吐いた。「旦那は別に、そういうことが好きなわけじゃないから、しなくてもいいでしょ」「どういうことだ」「俺様のせいで、あんなふうになるだけで、旦那は望んじゃいないんだろ」 どこか拗ねたように見える佐助の顔を、穴が開きそうなほど見つめながら幸村は考え、思い出す。「あれを、気にしておるのか」 乱れている時に、佐助の謝罪を聞いた。こんなふうにしちゃって、ごめんねと。「俺様の一人よがりに付き合わせるなんて、最低だろ」 ぎこちなく、きまり悪そうに佐助が微笑む。幸村は息を呑み、佐助をしばらく見つめた後、思いきり頭突きをかました。「いっ、てぇええ!」 佐助の叫びが小屋からあふれる。幸村は満面を朱に染めて佐助の襟元を掴んだ。「佐助ぇええっ!」「うええっ、ちょ、二度目は勘弁っ!」 ぎゅっと佐助が目を閉じる。幸村は勢いを加減して顔を寄せ、佐助の唇をやわらかく押しつぶした。「へっ」 佐助が間の抜けた声を出す。幸村は佐助の鎖骨に額を当てて、ぼそぼそと告げた。「すまぬ」「え、えっと」「佐助の一人よがりなどと思わせて、すまぬ。俺の不甲斐なさゆえ、妙な気を使わせた」 佐助の首に腕を回し、首を伸ばして耳元に口を寄せる。「俺も望んでおるから、受け入れるのだ」 ビクッと佐助の体が硬直した。「俺が乱れるは、佐助が俺を乱すからだ。乱れた俺に、佐助が喜ぶからだ。……だから、その、なんだ」 言葉を探すも、良いものが見つからない。「飽きたのでなくば、今宵、忍んで来い」 言葉で示すより態度で表すほうが良いと結論付け、そう言い置いた幸村は返事を聞く前に、獣が姿を隠すような素早さで小屋から飛び出した。 そのまま屋敷まで走りぬけ、幹を抉った松に体当たりをするように止まる。「はぁ……」 顔が熱い。胸が激しく脈打っているのは、全力で走ったからではない。「俺は、なんと破廉恥なことを」 両手で顔を覆った幸村は、夜になるまでソワソワと落ち着かない心地で過ごした。2015/05/24