雪の残る庭で、槍を振るう主の体から湯気が立ち上っている。「よくやるねぇ」 頬杖をついて眺める忍、猿飛佐助の口元は開花寸前の花びらのようにほころんでいた。 春の訪れを思わせる陽気に照らされた雪がまばゆい。「旦那ぁ。そろそろ休憩にしたらぁ?」 皿に盛った団子を見せつつ声をかけると、主である真田幸村が動きを止めた。ふわっと舞ったひと房だけ長い髪が弧を描いて背中に落ちる。ふわりと広がったとび色の、帯に似た柔らかな動きに佐助の視線は吸い寄せられた。「すまぬな、佐助」 ニコニコと佐助のいる縁側へ近づいてくる幸村は、袴と胸当てという軽装だ。上半身のほとんどがあらわになっているというのに、寒そうな様子はみじんもない。陽射しは春めいているとはいえ、雪がたっぷりとあるので冷気が立ち上っている。であるのに、幸村の肌は赤みが差し、汗でしっとりと濡れている。それほど鍛錬に打ち込んでいた証拠だと、汗が湯気となってゆらめく体に目を細めた佐助の視線は首筋で止まった。髪が汗で張りついている。見慣れたものであるはずなのに、なぜか心臓がドクンと跳ねた。「ほら、しっかり汗を拭いて。着物を着替えてからだからね」「うむ」 素直にうなずいた幸村の、青年にしては丸みの残る頬が持ち上がっている。ふっくらとしたそれに唇を寄せたい情動に駆られて、佐助は息を呑んだ。(俺様ってば、どうしちゃったのさ) 欲求不満を持て余す年頃でもあるまいし。ましてや相手は自分の主。今のような姿など、幾度も見て慣れている。それなのに、なぜ。 心中の動揺など欠片も外に出さずに、佐助は幸村をうながして室内に招き入れた。室内には火鉢があり、その上に薬缶があった。注ぎ口から湯気がくゆっている。脇にある桶には水があり、佐助は薬缶を手にして桶に注ぎ、ぬるま湯にしてから手ぬぐいを浸し、硬く絞った。「はい」 差し出して、障子を閉める。背後で帯を解く音がした。ゾワリと産毛が逆立って、薄暗い情熱がふつふつと湧きあがる。(ちょっと……ほんとに、なんなのさ) 熱くなった体の、背中だけがヒヤリと理性の悪寒に冷やされる。 体を擦る音が聞こえる。鼻が過敏になっているのか、彼が汗をかいているからか、幸村の体臭がいやに気になる。腹の下が痺れたようになって、胸が上ずる。「どうした、佐助。何かあるのか?」「いんや、なんも」 いつまでも障子に向いてはいられない。背後の気配に警戒の色が混ざった。自分がこうしていることで、庭より先に異変があるのではと感じているのだ。(落ち着け。優秀な忍なんだからさぁ) 未熟な青年でもあるまいし、情動にかられてヘマをするわけがない。いつもの笑顔と、いつもの態度で。「いやぁ。このまま雪解けってなったら、山の様子を見てこなくっちゃなぁって考えてただけ」「む? 他所の忍が紛れてはおらぬか調査をするのか」「ま、それもあるけどさ。獣とか、新芽とか? 里の様子だって、見ておかないと。雪崩にも注意だし、雪解け水だって」「川の具合か」 重々しく頷いた幸村は、下帯姿になっていた。床に腰を落として、足指の間を拭いている。丹念に体を拭けと、佐助がいつも言っているのだ。素直な主は全幅の信頼を寄せる忍の言葉を、しっかりと受け止めて実行に移す。 ゴクリ、と再び佐助の喉が鳴った。下帯と足の付け根の隙間のくぼみ。黒い空間の奥に視線が集中する。その奥にあるものは、陰になって見えない。わずかな隙間から見えるような、甘い締め方はしていない。わかっているのに、奥にあるものが見えやしないかと期待する自分が信じられなくて、佐助は軽く下唇を噛んだ。 動揺する佐助の心中など少しも気づかず、幸村は器用に足を持ち上げて丹念に体を拭いている。しなやかな四肢の曲線が、健康的であるのに艶めかしくて佐助の呼吸が浅くなった。 穢れのない無垢そのものの、色香。 初心すぎるほどに純粋な心身が、劣情に炙られたなら、どうなるか。――んっ、ぁ……佐助、ぁ、ふ、ぅう 幻聴が鼓膜に響く。戦場で見せる獰猛な瞳が浮かび、苦し気に眉根を寄せる表情が脳裏に現れて、その口からあえやかな吐息が漏れる。――んぁ、あ……は、ぁあ、く、ぅう わずかに鼻にかかった、苦痛に似た甘い声。獰猛な瞳は淫靡な色に変化して、うっすらと涙の膜を広げて輝く。のけぞる顎と、首筋にからむ後ろ髪。なめらかな鎖骨から山なりになる胸筋の盛り上がりが、小刻みに痙攣し、大きく膨らみ、尖らせた色づきを震わせて、悩ましい呼気を喉から口へと押し出している。――は、ぁあ、あっ、あ……んぅ 羞恥のためか、素直に艶声をこぼさないよう懸命に濡れた唇を閉じようとする、いじらしい表情。唇の隙間から見え隠れする舌は快楽に泳ぎ、それを軽く吸い上げれば、腰が跳ねる。――んはっ、あ、はぁう とろける瞳。あらがう理性を本能が凌駕する。(旦那は、考えるより先に体で覚える人だから) 愛撫で教えた快感を、肌は素直に吸収する。筋肉が悦楽にわなないて、下帯の奥にあるものが隠れようもないほど大きく育ち、足の付け根の隙間のくぼみと、持ち上げられた下帯の隙間から肉欲が垣間見える。――は、ぁあう……く、ぅうん 甘えた犬の鳴き声に似た嬌声がこぼれる頃には、肉欲の先から獣欲の証があふれて下帯をジワリと濡らす。切なげに揺れるまつ毛の奥から、あふれた期待が佐助に注がれる。(触れてほしいんだねぇ けれど、まだしてあげない。もっともっと、ギリギリまで。奈落の底に似た法悦を味わわせてあげるから。だから、まだまだ耐えてもらわないと。 衣擦れの音がして、佐助は我に返った。体を拭き終わった幸村が、着物を羽織っている。袴に足を入れて、帯を締めると下帯はすっかり見えなくなってしまった。(うわ、俺様ってば……なんて妄想してんのさ) 満面に血が上る。片手で顔を覆って、視線を床に落とした。股間が盛り上がっている。脈打つ自分に苦笑して、目を閉じた。(ほんと、どうしたってわけ? 俺様ってば、らしくない)「佐助、共に団子を食おう」「ああ、そうだね」 薬缶に残る湯を使い、麦湯を作る。湯呑茶碗のひとつを幸村に差し出し、彼が口をつけるのを横目で見ながら、自分のものを入れていると声をかけられた。「具合でも悪いのか?」「いたって元気だよ」「そうか……動きが、ぎこちないが」 お見事、と心の中で喝采を送る。「寒かったから、ちょっとかじかんじゃったのかもねぇ」 幸村の眉間にシワが寄った。薄く開いた唇から、幻聴が漏れてくる。――は、ぁう……ふ、ぁあ「ならば、雪解けの探索はつらいのではないか」 現実の声に、艶やかさはみじんもない。「ちゃんと対策をしていくから、問題ないよ」 しかし佐助の肌は、劣情の熱をとどめたままで冷静に戻らない。「ならば、良いが」 案じ顔に股間が疼く。(ねぇ、旦那……俺様が理由を言ったら、どんな反応してくれる?) 自嘲気味に片頬を持ち上げた佐助に、幸村はきょとんと首を傾げた。「なんだ。まだ団子は食うておらんから、あんこはついておらぬだろう?」 言いながら頬を撫でる幸村に向けかけた手を止めて、佐助は苦笑した。「どうせまた、つけるんだろうなぁって想像してただけ」「想像通りにはいかぬぞ」 なぜか得意げに歯を見せて、団子にかぶりついた幸村の唇に、あんこの皮がつく。唇で取りたい欲求をこらえて指を伸ばし、触れては危険だと察知して指さすにとどめた。「ほっぺたにはついてないけど、口の端にはついてるよ」「食しておるのだから、口につくのは致し方ないだろう」 唇を舐めるしぐさに軽いめまいを覚えた佐助は、伸ばした手を彼の首にかけて引き寄せ、あんこの味がする口腔をむさぼりつくせたらと夢想した。(俺様の動きがぎこちないのは、かじかむどころか反対に、旦那を食らいつくしたくて熱くなっちゃってるからって言ったら、どうする?) この感情はきっと、緩んできた冬の気配に惑わされているからだ。春の訪れを切望する山々の情欲に当てられているからだ。 一時の気の迷い。 本心から求めているのではなく、冬の間にため込んだ草花や木々の命が押し寄せる気配に、惑わされているだけだ。 彼のほおばる団子が自分のイチモツであればと想像し、唇を薄くゆがませる。「佐助は、食わぬのか?」 差し出された団子に指を伸ばして、手先が触れないように串を掴む。(俺様が食べたいのは、旦那の魔羅だって言ったら食べさせてくれる……わけ、ないよねぇ)「ありがと」 目の前の忍が不埒な考えを持っているなど露ほども思わず、幸村はニコニコとうまそうに団子を食べる。(ねぇ、旦那。これからしばらくは、俺様の前で下帯はぜったいに外さないでよね。でないと、その奥にある窄まりに、俺様の短槍を突き刺しちまいそうだから、さ) 冗談交じりに胸裡で語り掛け、団子をかじる。 春の気配が落ち着くまでは、名残る冬で劣情を冷やしておこう。 戦場で勇猛果敢に血の雨を降らせておきながら、一点の穢れもないこの人を汚さないために。 2020/02/14