調理実習室の前を通りがかった徳川家康は、ふと目の端に止まった人物に気を引かれて、実習室の戸を開けた。 「元親、政宗。珍しいな、こんなところにいるなんて」 おう、と片手を上げて先に返事をしたのは、白い肌に白銀の髪をした偉丈夫、長曾我部元親。その横で、元親と比べれば身幅は薄いが、運動部として鍛えぬかれた肉体を有する伊達政宗が「よぉ」と声を出す。 この二人、見目と気風の良さで男女共に人気が高い。校内随一のハンサムと言っても過言ではない政宗と、容姿そのままに逞しく頼りがいのある元親がそろえば、自然と女生徒が集まってくる。そのせいか、元からなのか、調理実習室には大勢の女生徒がいた。家康が足を踏み入れれば、小さな喜色の悲鳴が上がった。 家康もまた、彼らとはタイプの違った好青年である。くっきりとした眉に、短く切りそろえられた黒髪。実直を絵に描いたような家康もまた、当人はまったく気付いていないのだが、女生徒の人気が高かった。 「良い香りだな」 実習室には、ふわりとやわらかな香りが漂っている。ほのかなバニラエッセンスの香りに香ばしい匂いが合わさり、なんともおいしそうな空気になっていた。 にこっと家康に笑いかけられた女生徒が、頬のあたりを赤くしながらクッキーを焼いているんですと答える。 「もうすぐバレンタインだから、学内で作って、そのまま渡そうってハラらしいぜ」 「家で作るよか、料理部に混ざるほうが、道具も場所も申し分ねぇもんな」 元親と政宗の言葉に、なるほどと家康がうなずく。 「で。二人も手伝っているのか」 元親はともかく、政宗は料理が上手い。それを知っていての家康の発言なのだが、政宗は軽く肩をすぼめて否定した。 「No, you are wrong。あったけぇんだよ」 なるほど、と家康は頷く。廊下とこの中では、温度が全然違う。暖房をつけている教室よりも、オーブンなどを使うから、より温かくなるのだろう。 「早くあったかくなんねぇかな」 「暦の上では春だが、まだまだ寒いな」 政宗のぼやきに家康が応じると、まったくだぜと元親が顔をしかめる。 「やってらんねぇよなぁ」 大きなため息を吐く元親に、家康は首を傾げた。 「そんなに寒いのが苦手だったか?」 「あぁ? 違ぇよ。寒いと着膨れすんだろ」 「まあ、そうだな」 「それがつまんねぇんだよ」 「面倒くさい、ではなく、つまらない?」 わからない様子の家康に、気だるそうに壁にもたれていた政宗が、肩で壁を蹴って近付く。 「ま、家康にゃあ、わかんねぇか」 「どういう意味だ」 少々ムッとしながら家康が問えば、女だよと元親が言う。 「女?」 「女の服装」 にやりと片頬を持ち上げる元親に、家康はけげんな顔をした。 「もこもことして、愛らしいじゃないか」 家康の発言に、キャッと小さな声が上がった。それを耳にしながら、政宗は大げさに肩をすくめて、わかってねぇなとつぶやいた。 「だから、何なんだ」 「あれを見ても、なんとも思わねぇのか」 政宗があごをしゃくり、女生徒を示す。女生徒は一様に、スカートの下にジャージを穿いていた。 「あれが、どうかしたか?」 「無粋だろっつってんだ」 「無粋? まあ、そうかもしれないが。寒いのだから仕方がないんじゃないか」 「家康ぅ……男として、残念だとは思わねぇのか」 元親があわれむように、家康の肩に腕を回した。 「あれだと、色気がまったくねぇじゃねぇか」 「い、色気?」 「階段を駆け上がる姿を想像してみろよ。つまんねぇだろう?」 反対側から政宗にも肩を組まれて、家康は目を白黒させた。 「いや、その……」 「真田なら、破廉恥でござるぅうっつって叫んでる所だよな」 元親がクックと喉を鳴らせば 「アイツ、けっこう想像力がたくましいよな。実はムッツリなんじゃねぇか」 政宗がニヤニヤする。真田幸村は、校内随一初心であると、誰もが知っていた。 「元親、政宗……何の話を」 「だから、あの格好を、男としてどう思うっつって聞いてんだよ」 「There is not the fragment of the sex appeal。まったく、面白くねぇだろう?」 「えっ、あ、その……」 二人に迫られ、家康はドギマギしながら視線を彷徨わせた。同性をも魅了するほど美麗な二人に、至近距離で迫られた家康は、真っ赤になった。 「ワ、ワシは……その、彼女たちは別に、そういうつもりでいるわけではない、と、思う」 「ん?」 「Ah?」 元親と政宗の声が重なる。 「だ、だから――その、だな。寒いからジャージを着ているだけで、ワシらにどう思われるかなんて、気にしていないんじゃないか」 「家康」 「論点が違う」 「えっ」 二人が同時に残念そうに家康の肩を叩き、離れた。 「俺らは別に、女子がどう思ってんのかを聞いてるわけじゃねぇんだ」 「男として、残念だっつう話だよ」 わかるだろ、と言外に告げられて、家康はまごついた。集まる女生徒の視線が痛い。 「いや、その、ワシは」 「くるっと翻ったスカートを想像してみろよ。ジャージがあるのと無いのと、どっちが男としていいと思う」 「う、うう……」 「正直に言ってみろよ。男としての意見をな」 じわじわと追い詰められ、妙な汗をかきはじめた家康は、ぐっと拳を握り叫んだ。 「ワシは、好きな相手がそういう目から逃れられて、良いと思うっ!」 キャー、と大きな叫びがあがる。ぽかんとする元親と政宗に「ワシは行くっ」と言い置いて、家康は走り去った。 真っ赤になって廊下を走る家康に、きょとんとして真田幸村が声をかけた。 「家康殿。いかがなされた」 「ああ、真田」 救われた顔をする家康に、幸村が目を丸くする。 「どうなされたのでござる? 何か、大変な目にお遭いになられた御様子。某が役に立てるのならば、ご助力いたしまする」 きりりと眉をそびやかす幸村に、力無く安堵の笑みを浮かべた家康は、首を振りながら幸村の肩を両手で掴んだ。 「なあ、真田。真田はスカートの下にジャージを穿く女性を、どう思う」 「どう……?」 はて、と首を傾げた幸村は、周囲にいる女生徒に目を向けてから、家康に何のてらいもない、さわやかな笑みを向けて答えた。 「動きやすく防寒にもなり、良い案かと存知まする」 「真田ぁ」 その答えを待っていたとばかりに、家康は幸村に抱きついた。 「い、家康殿?」 「そうだよな、真田。うん、そうだ。そのとおりだ」 うれしげに繰り返し、ありがとうと言って家康は幸村の肩を叩いた。「? ……よくはわかりませぬが、お役に立てたようで、ようござった」 喜ぶ家康とそれを受ける幸村の様子を、周囲の生徒は不思議な目で眺めている。 そして翌日。 調理実習室の一件が広まると、家康には想い人がいるのではという噂と共に、彼の純朴さをたたえる女子の声が高まって、家康宛のバレンタインプレゼントが、前年よりもずいぶんと増えることとなる。 2015/02/10