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子ぎつね佐助と羽州の狐

 ぽかぽかとした陽だまりの中で、子ぎつね佐助は自慢のしっぽを梳かしていた。冬の頃になると、自慢のしっぽに太陽の匂いをしみこませ、ふかふかにするのに時間がかかる。けれどこれは、子ぎつね佐助にとって、とても大切な仕事の一つなのであった。
 佐助が忍として仕えている主、真田幸村と言う青年は、佐助のしっぽに顔を埋めて眠るのが好きだ。大好きな主の大切な睡眠のために、佐助はせっせと櫛を使ってしっぽに太陽の欠片を織り込んでいた。
 冬になれば、山に囲まれた甲斐は雪に閉ざされる。戦も無くなり、武士である主が遠くへ行く事が少なくなる。佐助も忍としての任務で、遠くへ出かけることがなくなり、長く幸村と過ごすことができる。肌身には寒さ厳しい季節だが、心には温かで幸せな季節だった。
「旦那、遅いなぁ」
 戦が無いからといって、鍛錬を怠ればすぐに衰えると、修行好きな幸村は朝から雄々しい声を上げ、馬を駆って出かけていた。手土産に何か持って帰ると、佐助に約束をして。
 幸村のいない屋敷は、とても静かである。佐助が化けぎつねであることは、屋敷のものでも一部の人間しか知らなかった。妖狐が屋敷にいると知って、狐憑きは不吉だと言い出しかねないものもいる。なので佐助は、屋敷の奥にある主の私室前の縁側の一角で、しっぽの毛づくろいをしていた。ここには、屋敷表の声はあまり届かない。
 櫛を使うのにも飽きて、佐助はころりと横になった。肌寒いが、日の光が眠らないかと佐助を誘っている。こんなところで寝ていると風邪をひく、と佐助が主によく言っているのだから、自分が眠ってしまっては示しがつかないと思うのに、佐助の瞼は重さを増して瞳を隠す。瞼の裏が赤い。その赤は、大好きな主を思い起こさせて、子ぎつね佐助は大きな耳を震わせ、口元をほころばせた。
 旦那、早く帰ってこないかな。
 帰ってきたら、ふかふかのしっぽを見せてなでて貰うのだ。鍛錬で疲れた幸村が汗をぬぐい、一服をしたら共に昼寝をし、起きたら書物を読もう。冬の間は鍛錬だけでなく、たっぷりと勉学をすることも出来る。佐助は化けぎつねであるので、生きた年数は幸村と同じくらいになるはずなのだが、人の里に降りて生活を始めたのは幸村が青年となってからなので、冬の間の勉学はとても大切な時間だった。
 弁丸という名前で呼ばれていた、昔は自分と同じように小さな子どもであった幸村。彼と出会い、役に立ちたいと望み、人の世のことを勉強し、彼の傍に来た。けれどまだまだ人の世の中は知らない事だらけで、覚えなければいけないことは山ほどある。優秀な忍として働くための知識も、もっともっとつけなければならない。
 そうだ、と佐助はしっぽで床を叩き、目を開けた。旦那が帰ってくる前に、忍に必要な勉学をしておこう。佐助は、幸村の勉強していることや考えを知りたいと思っている。忍が主の事を深く理解していなければ、とっさのときに判断を見誤る。けれど幸村は武士だから、忍の勉強は必要ない。
 早速、草屋敷に行こうと、佐助は頭と尻を軽く叩き、耳としっぽを隠した。
 足音を立てずに廊下を進んでいると、佐助の耳に鳥の羽音が聞こえた。顔を向ければ、大烏がこちらへ向かってくる。自分の使役している烏は、幸村との連絡を繋ぐこともする。真っ直ぐにこちらへ来るので、何か幸村からの伝言でもあるのかと、佐助は大烏を待った。目の前に来た烏の足に紙が結わえてあるのを見つけ、佐助はそれを開いた。間違いなく幸村の筆跡であることを確認し、匂いも嗅いで誰かが筆跡を真似たのでもないことを確かめてから、鳥を使役する時に使う団子を取り出し烏に与え、労った。
「ごくろうさん」
 うまそうに団子を食った大烏が、用は済んだとばかりに羽ばたき山に舞う。見送った佐助は幸村からの文に目を落とし、首を傾げた。
「どういうことだろ」
 そこには『素敵紳士である狐殿をお連れする。もてなしの用意を頼む』と書かれていた。

 狐をもてなす用意と言われても、佐助はよくわからなかった。素敵紳士というものの意味もわからない。自分と同じように、人里に住まう妖狐と幸村が出会い、そういう先人(先狐)がいるぞと、佐助に会わせる為に連れてくることにしたのだろうか。
 狐と言っても、俺様みたいに人の姿をしているのなら、人をもてなす用意をすればいいよね。と考えた佐助は、主が客を連れてくると知らせが来たことだけを屋敷のものに伝え、自ら腕を振るってもてなし料理を用意した。
 寒い時期。やはり温かな汁がいいだろうと、干していた野菜や季節のものを使い、野菜の甘味が引き立つ味噌汁が出来るころに、幸村は『素敵紳士である狐殿』を伴って帰宅した。
「帰ったぞ」
「おかえり、旦那。あと、いらっしゃいませ」
 出迎えに出た佐助は、足をぬぐう桶に湯を入れて運んだ。にこにこと嬉しそうな主は鼻をひくつかせ、佐助を見る。
「良い香りがするな」
「寒いし。おなか空いてるかなと思ってさ」
 佐助が返すと、幸村は温かな手のひらを佐助の頭に乗せ、労った。照れくさくて嬉しくて、佐助は肩をすくめる。それを見ていた『素敵紳士である狐殿』が、ナマズのような形をしたヒゲを摘んで、感心感心と頷いた。
「よく出来た子どもじゃないかね。山田君。すすぎ桶の湯も、なんとも良い湯加減だ」
「真田でござる。最上殿」
「細かい事は、気にしないでもらいたいね。さて、少年。お礼に、この素敵紳士、最上義光の特性玄米茶を進ぜよう。いやいや、礼には及ばないよ」
 芝居がかった動きで、素敵紳士こと義光が佐助に湯飲みを差し出す。どこから取り出したのかはわからないが、自分と同じ妖であるのなら、これくらいの芸当は難なくやってのけるのだろうと、佐助は湯飲みを受け取った。
「ありがと」
 満足そうに胸をそらして、義光が頷く。
「ささ。最上殿。どうぞ奥へ。佐助の料理は、とても美味しゅうござる故、召し上がってくだされ」
「んん! ここまで案内をされたのだから、ありがたく頂戴するよ。斉藤君」
「真田にござる」
 そんな会話をしながら、幸村が義光を奥の客間へと案内する。すん、と鼻を動かした佐助は、義光から獣の気配も匂いもしないことに首を傾げ、味噌の風味が消えぬ前に温かな汁を幸村に食べて貰おうと、台所へ戻った。
 盆に椀を二つ乗せ、佐助は礼儀正しく障子の前で声を掛けて返答があってから、室内に入った。楽しげにしている二人の前に椀を差し出せば、良い香りだねぇと義光が深く息を吸い込む。
「あたたかなうちに、召し上がりくだされ」
「それじゃあ、いただくとしよう。ふう、ふう。ずずっ、んっ、美味しいねぇ。おや。焼いた餅が入っているよ。うん、これも美味しいねぇ」
 義光が褒めながら箸を進める。それに幸村がうれしそうに、少し自慢げに微笑み、佐助に目を向けた。幸村が無言で自分を褒めている。誇らしく思ってくれているのだと、佐助はうれしくなった。しっぽを出していれば、ぱたぱたと振って床を叩いている所だ。
「ふう。本当に、本当に美味しいねぇ。名残惜しくてたまらないなぁ」
「佐助。まだあるのならば、最上殿に」
 佐助が頷く。
「おお。それはありがたい。何せ、空腹と寒さで、難儀をしていた所だったから。本当に助かった。お礼に、我輩特性・素敵紳士玄米茶を進呈しよう。ほら、このとおり。茶柱も立っているよ」
 さっ、と義光が湯飲みを二つ取り出して、幸村と佐助に差し出す。
「おお、これは。かたじけのうござる」
 湯気の立つ湯飲みを受け取った幸村に続き、佐助も受け取った。
「では、おかわりをいただこうかな」
 義光に促され、佐助は湯飲みを持ったまま座を辞して台所に向かった。
 廊下を歩きながら、首を傾げる。どう見ても、あの男は人間としか思えない。けれど何もないところから、さっと湯飲みを出してみせた。やはり、狐なのだろうか。けれど手妻を行う芸人は、そのようなことをして見せる。
 歩きながら、ずっと玄米茶をすすった佐助は「あちっ」と小さく呟く。これほど熱い茶を出せるのだから、彼はやはり狐なのだろう。力がとても強いか人の世に馴染んでいるので、獣の気配を感じさせないのだろうと、佐助は判じた。
 それから義光と幸村は、佐助が作っておいた味噌汁の鍋が空になるまで、おかわりを続けた。少し多めに作ったつもりだった佐助は、驚きながらも最後の最後まで「旨い」と頬をゆるめて二人が食べてくれたので、嬉しかった。
「ふう。おなかもいっぱいになったし、体も温まったから、我輩はそろそろ先に進むとしようか」
「えっ」
 満足げに腹をさする義光の言葉に、幸村と佐助が目を丸めて声をそろえた。
「我輩を待っている人の所へ、早く行かなければならないからねぇ」
「おっ、お待ちくだされ」
 ずいと幸村が膝を進めて義光を止めた。
「最上殿は、狐なのでござろう。ここに居る佐助もまた、狐にござる。人の世の中にあって、どのように過ごされたかを佐助にご教授願えませぬか」
 ああ、やはり幸村は自分の事を思い、義光を客として連れてきたのだなと、佐助は胸をほっこりとさせた。
「ん。んん〜ん」
 アゴに手を当てた義光が、きっちりと正座して控えている佐助が、居心地悪く思うほど眺め回す。
「ふふぅ〜む」
 考え事をしているような声を出して、ニンマリと唇を歪ませた義光が、得意げに鼻を鳴らした。
「まだまだ甘いね、土方君!」
 びしり、と佐助の鼻先に指をつきたてた義光に、ぱちくりと佐助が目をまたたかせる。
「最上殿。それの名は、佐助にござる」
「近藤君。このいたいけな子どもが狐と言うが、まだまだ狐と名乗るには、甘い。黒糖を溶かした玄米茶より甘いよ」
「某は、近藤ではなく真田でござる」
 幸村の言葉を無視し、義光はゴキゲンな様子で玄米茶を取り出し、二人に押し付けた。
「修行が足らぬということだよ、沖田君。我輩のように、強くて賢い羽州の狐と名乗るには、この原田君は未熟だと言っているのだ」
「未熟」
「そう!」
 ばっ、と両手を広げた義光が、きらきらと日の光を浴びて、酔ったようにうっとりと庭に舞い降りる。
「奥州にいる我輩の甥っ子が竜と名乗っているように。家康君がタヌキと言われるように! 獣の名を冠するというのは、おいそれとはいかぬものなのだよ。そう、この土地を統べる武田の信玄君が、虎と言われるのも、そうだねぇ」
「なんと! 最上殿は、政宗殿の伯父御でござりましたか」
 幸村が好敵手と慕う名を口にして顔を輝かせるのに、子ぎつね佐助は面白くないと唇を尖らせた。半眼で義光を眺める。
「狐じゃないよ、旦那。このお人は、狐じゃない。獣の匂いも気配も、ぜんぜんしないぜ」
 不機嫌な佐助の声に、義光はヒゲを弾ませ威厳ある慈悲の笑みを浮かべた。
「子どもには、まだ我輩の素晴らしさがわからなくても当然だねぇ、山南君。狐を名乗りたいのなら、もっともっと紳士的かつ美しい振る舞いを身に着けられるよう、精進したまえ」
 はっはっはと高らかに笑い声を上げながら、義光がクルクルと舞いつつ庭を進んで塀の向こうへ姿を消した。
「馳走になったね。お礼を言っておくよ! さらばだ、中島君」
 姿の見えぬ義光の声を呆然と聞いた幸村が「真田でござる」と呟き、溜息をついて腰を下ろした。バツの悪そうな顔をして、ちらりと佐助を見る。
「すまぬ」
 その一言に含まれる、さまざまの言葉を理解して、佐助はゆるく頭をふり、微笑んだ。
「ありがと。旦那」
 ほっと息を吐いた幸村が笑み、手の中の湯飲みに目を落とす。
「不思議な御仁であったな」
「世の中には、いろいろな人間がいるねぇ」
 しみじみと義光の『素敵紳士』な所作を思い出し、幸村と佐助はクスリと同じ笑みを浮かべた。
「旦那。お腹もくちくなって、体も温まってるし、ちょっと昼寝してから書物を読もう。あの変な狐の紳士が、修行が足んないって言ってたからさ」
 しっぽもふかふかにしておいたし、と佐助が少し照れくさそうに、自慢げに言うのに幸村が微笑む。
「そうだな。いただいた玄米茶を飲んで、昼寝としようか」
 うららかな冬の日差しの中、ぽかぽかと心を温め飲んだ玄米茶は、どんな疲れも吹き飛ぶほどに、優しく甘い味がした。

2013/12/23



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