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子ぎつね佐助と雪だるま

 まっさらな雪の上に、ぽつぽつぽつと小さな足跡を残しながら、着物を着た子ぎつねが、口にあたたかそうな湯気を漏らす風呂敷包みを咥えて、走っていた。ふさふさの尻尾を揺らして走る子ぎつねは、木々の間から街道に出る前に、後ろ足だけで立ち上がり、前足で風呂敷包みを抱えたかと思うと、人間の子どもの姿に化けた。
 武田軍真田忍隊の子忍、猿飛佐助。
 それが、人になった子ぎつねの、人の世での立場であった。ただの狐ではない。天狐の一族である彼は、仲間とはぐれ獣に混じることもできずに、孤独に包まれていた。そんなときに、弁丸と名乗っていた幼い真田幸村と出会い、彼の誘いを受けた。佐助は彼が元服した折に、人の世の事を勉強して里に下り、彼の元に身を寄せた。
 出会ったとき、佐助は今と変わらぬ大きさであった。天狐の寿命と人間の寿命はずいぶんと違う。成長の時間も、違っていた。
 人の世の事を勉強したからといって、佐助の感覚が人のそれとまったく同じになるわけではない。それでいいと、幸村は佐助を好きにさせている。主と忍という間柄ではなく、年の離れた兄弟のように――生きている年数は、そう変わりはしないのだが――二人は過ごしていた。
 佐助は、幸村の事が大好きだ。佐助の何もかもを知り、丸ごと受け止めてくれている。自然体で接してくれている。それが何よりも、佐助は嬉しかった。
 人の子どもの姿になった佐助は、急ぎ足で館の門をくぐった。両腕の中のものは、冷めはじめている。
 早く、あたたかいうちに早く、幸村に届けたい。
 その一心で、佐助は人の姿で駆けるよりも、獣の姿で山中を突っ切ったほうが早いと、峠から獣の姿で走ってきたのだった。
 狐の姿のほうが、人の姿よりも寒さに強い、という理由もあった。
「旦那っ!」
 この時間帯ならば、幸村は庭先で鍛錬をしているはずだ。おつかいついでに幸村の好きな、峠の茶屋で団子を蒸してもらってきた。あたたかいうちに食べようと、声を出そうと開いた口を、あんぐりと開いたまま佐助は立ち止まった。
 庭の真ん中に、大きな雪の塊がいる。まんまるい体に、まんまるい頭。目と鼻と口が、木の枝や葉っぱのそれは、だるまのようであった。額には真っ赤な鉢巻。体の左右には、赤い柄の見覚えのある槍がささっている。
 おそるおそる近づいた佐助は、すんすんと鼻を動かした。間違いなく、鉢巻も槍も幸村の匂いがある。
「旦那?」
 首を傾げて、佐助は呼んでみた。常日頃、人の姿にも獣の姿にもなれる佐助に、どのように変化しているのかと、時にたわむれに、時に真剣に問うてくる幸村は、本気で化け術が出来ればと思っているようだった。こっそりと頭に葉っぱを乗せて、印を結ぶ真似事をしている姿を、見た事もある。佐助はまだ見た事は無いが、人の中には化けるのが上手いものもいるのだという。ならば、努力家の幸村も化けることが出来るのではないかと、佐助は考えていた。自分はいつのまにか人の姿になれていたので、変化の術を幸村に教える事はできないのが、残念だとも思っていた。
 鼻を動かしながら、子ぎつね佐助は幸村の匂いのする雪だるまの回りを、ぐるりと回った。やはり、幸村の匂いがする。雪の部分にも、消えそうにはかなくではあるが、幸村の匂いがある。
「旦那、変化が出来るようになったの?」
 葉っぱの目を見つめながら問うてみたが、返事は無い。佐助は首を傾げた。
「旦那?」
 やはり、返事が無い。返事が無いどころか、反応が無い。だるまだから、声が出せないのだろうか。それにしても、何の反応も無いというのがおかしい。幸村はいつも、佐助が戻ると満面の笑みで両手を広げ、おかえりと言ってくれるのに。佐助の帰る場所は、ここだと示してくれるのに。
「旦那ぁ」
 少々、情けない声が出た。それでも雪だるまは何の反応も示さない。
 まさか、と佐助は背筋を冷たくした。その冷たさに、隠していた耳と尻尾が飛び出てしまう。
 まさか、変化をしたはいいが、動く事が出来ずに戻れなくなってしまったのではないか。
 喉の奥で悲鳴を上げて、佐助は団子の包みを投げ捨て、雪だるまにしがみついた。
「旦那っ、旦那ぁあ!」
 どうしよう、どうしよう。大好きな幸村が、あたたかくて優しい幸村が、雪だるまになったまま、戻らなくなってしまった。触れた体は冷たく、佐助の指先がキンとする。
 どうしよう、どうしよう。ただでさえ、人の寿命は自分よりも短いのに。佐助よりも先に、幸村はいなくなってしまうのに。それなのに、雪だるまになってしまったのなら、春の訪れとともに溶けてなくなり、別れが早まってしまうではないか。
「そんなのないぜ、旦那ぁ」
 ぐずっと鼻を鳴らして、佐助は大きな耳と尻尾を垂らした。もう、幸村の手でなでられる事は無いのか。ふかふかに日向ぼっこをした尻尾で、幸村の鼻先をくすぐり、じゃれあうことも出来なくなるのか。
「戻ってくれよぉ」
 誰か幸村を戻してくれと、佐助は心細さに胸がキュウッとなった。冷えた鼻が鈍り、匂いが薄まったように感じて、佐助はますます悲しくなった。
「旦那ぁ」
 じわりと目が潤んだ佐助の耳に
「佐助! 帰っておったか」
 張りのある声が触れた。ぴるっと獣の耳を動かした佐助が顔を向ければ、あたたかそうな綿入れを羽織った幸村が、にっこりとして腕を広げている。
「旦那あぁっ!」
 駆けだして、佐助はその腕に飛び込んだ。受け止めた幸村が、冷えた佐助の体を包み込む。
「旦那、旦那っ」
 幸村の腰にしがみついて、佐助はぬくもりを全身で味わう。あたたまった鼻を、幸村の匂いがくすぐった。
「そろそろ、帰ってくるころだと思うてな。鍛錬を早めに終えて、準備をしておったのだ」
「準備?」
 見上げた佐助の目が潤んでいる事に、幸村は目を丸くした。
「ど、どうした佐助。何かあったのか」
 おろつく幸村に、まさか彼が雪だるまになってしまったと思った、などと言えるはずもなく、佐助は幸村の着物に顔を擦り付けて涙をぬぐい、へらりと笑った。
「ちょっと、寒すぎて鼻も目も凍ってたからさ。それが溶けただけだよ」
 少々疑問に思いながらも、幸村は「そうか」と言い、佐助は「そうそう」とごまかした。
「で。準備って、何の準備をしていたのさ」
 寒すぎて、と言った佐助をあたためるように、幸村は年端も行かぬ子どもの姿の、子ぎつねを抱き上げる。
「うむ。佐助は寒いのが苦手だが、冬を楽しめられるようにと思うてな」
 そう言って幸村が来た方向に戻り始めたので、佐助は名残惜しいと思いつつ、彼の腕から飛び降りて、雪の上に放り出していた団子の包みを拾った。
「ああ。すっかり冷えちまってら」
 唇を尖らせる佐助の頭を慰めるように軽く叩き、幸村はまた彼を抱き上げた。
「佐助が団子を買って来てくれるだろうことも、団子が冷えてしまっていることも、予想をしていた」
 自分の想像どおりだったことに、幸村が頬を緩ませる。どうしてそんなに幸村が楽しそうなのか、佐助にはわからない。けれどすぐにその理由がわかるだろうと、幸村の笑顔に胸の奥もぽかぽかとさせて、佐助はおとなしく彼の腕の中に収まっていた。
 少し行けば、甘い香りが漂ってきた。
「ほら、これだ」
 幸村が案内したのは、半円の雪の塊だった。這ってくぐる程度の小さな穴があり、佐助をおろした幸村が、その中に入る。雪の内側から、甘い香りが漂っていた。入り口を覗けば、七輪が置いてあり、その上に小さな鍋が乗っている。その中から、甘い匂いが湯気と共に立ち上っていた。これは、この香りは、間違いなく小豆だ。
「佐助、早く入れ。あたたかいぞ」
 雪の中があたたかい、というのはどういうことか。おそるおそる入った佐助は、中が思うより広く、幸村の言うようにあたたかいことに驚いた。目を丸くして首を巡らせる佐助に、幸村が得意顔になる。
「どうだ、佐助。すごいだろう」
 うなずいた佐助が、団子の包みを開ける。
「団子、鍋に入れて食べるんだろ?」
「ああ。体の芯から、あたたまって良いだろう」
「うん」
 ぽちゃりぽちゃりと小豆鍋の中に、団子を入れた佐助を幸村が抱き寄せ膝に乗せる。
「寒かっただろう」
「獣の姿で走ってきたから、平気だよ」
「手が、こんなに冷えておるではないか」
 幸村の大きな手が、子ぎつね佐助の手を包んだ。そのぬくもりに、胸が熱くなり目の奥が安堵に痺れて、溶けた不安が目からこぼれてしまわないように、佐助は幸村の胸に顔を押し付けた。
「旦那ぁ」
 甘えた声を出す佐助を、幸村は無言でなでる。

 冬があたたかいことを、佐助は知った。

2014/01/22



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