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子ぎつね佐助と春待ち旦那

 友人の大烏の足に掴まり、子ぎつね佐助は雪の化粧をほどこした山の木に下りた。地面を走ればいいのだが、長く雪の中を走っていれば、冷たさにかじかんでしまう。子ぎつね佐助は、それが嫌だった。
 自慢のしっぽも、雪に濡れたら乾かすのが大変だ。
 子ぎつね佐助のしっぽは、ふんわりと丸くてあたたかい。大好きな主、人間の真田幸村は、子ぎつね佐助のしっぽをふわふわと愛でるのが好きだ。佐助も、幸村に愛でられるのが好きだ。どうせなら、少しでも良い状態で愛でられたい。濡れてしぼんだしっぽで、幸村の前に出たくなかった。
 子ぎつね佐助は大烏に礼を言い、木々の上をしっぽが雪に触れぬよう、気をつけながら走った。彼の狙いは、雪の上に足跡を残す獣。できればウサギがいい。
 人間は雪に世界が閉ざされると、狩りに出かけなくなる。そういう時、佐助は人も獣なのだなと思う。雪の中で狩りをする獣もいるが、多くの獣は餌の少なくなる冬を、蓄えで凌いだり冬眠をしたりして過ごす。人間は冬眠をしないが、蓄えで冬を凌ぎ、春を待つ。
 人でも獣でもない子ぎつね佐助は、閉ざされた冬に塩漬けの肉や干し肉ばかりを食べる幸村に、やわらかな肉を食べさせたいと、春を思わせる日差しの中、雪が多く残る山に出てきたのだった。
 佐助は目を凝らし、雪の上に足跡を探す。ふわりとした春の陽気に誘われて、そろそろ虫や獣たちが起き出すころだ。うっかりと油断した獣がどこかにいるはずだと、佐助は鼻をひくつかせ、獣の匂いと気配を探した。
 四半刻もせずに、佐助は雪の上に続く足跡を見つけた。形からウサギだと判じた佐助は、足跡の行く先に飛んだ。木の根元で雪が丸く溶けている。そこに見える草を食むウサギを見つけ、佐助は飛びかかった。
 キュ、と小さな音を立てたきりで、ウサギは抵抗らしい行動を起こすまもなく、佐助の手の内に落ちた。もう二羽ほど捕まえたいと、佐助は首を巡らせる。こいつの仲間が、このあたりにいるはずだ。
 あたりを見回す佐助の目が、まだまだ冬だと言いたげな雪景色の中に、春の訪れを見つける。それは今、彼の足元にあるような、幹に合わせて丸く解けた雪や、ぽこりと丸い蕗の薹の姿や、枝の先にある新芽たちだった。
 もうすぐ春、とつぶやいた子ぎつね佐助の大きな耳が、ふるりと動いた。かすかな獣の足音を感知した子ぎつね佐助は、音も無くそちらへ駆けだした。

 捕らえた獲物はウサギが三羽。川で魚も五匹釣った。蕗の薹なども手に入れて、子ぎつね佐助は大烏に運搬を手伝ってもらい、屋敷に戻った。
 子ぎつね佐助が狐の妖であることを、屋敷の誰もが知っているわけではない。彼は忍という立場で幸村に仕え、彼の正体を知らぬ者から姿を隠し、生活をしている。でなければ、耳や尻尾を隠していても、いつまでも大きくならぬ佐助の姿は、妙であるからだ。
 佐助からすれば、自分が大きくならないのではなく、人の成長が恐ろしく早いという認識だった。妖の力を使い、成長をしているように見せかけることもできるが、それはとても疲れてしまう。自分の技は幸村の助けとなる時のために温存をしておきたいし、幸村が佐助にその技を使わせることを嫌っていた。
 佐助は、そのままの佐助でかまわぬ。
 幸村はいつも、そう言ってくれる。なので佐助は、自分が何者であるのかをしっている者以外には、姿を見せぬ忍として、生活をしていた。
 台所を覗いた佐助は、自分のことを知っている者がひとりもいないことに落胆し、彼らの目にうつらぬように、獲物を調理台に置いた。その横に、木の葉を一枚添えておく。そうすることで、突然に現れたものが佐助からの品だと、この屋敷の者は認識する。佐助の姿を見たことが無いものに、佐助の仕業と示すための約束事だった。
 台所にいたものが、天井に向けて佐助へ礼を述べるのを聞き、佐助は離れへ移動した。ここは佐助が何者であるのかを知る者しか訪れない。佐助は、十分に注意をしていても、雪の粉に触れてしまったしっぽの先を、離れの縁側に座って太陽にかざし、懐に忍ばせている櫛で解いた。大好きな幸村に会う前に、ふわふわに仕上げておきたい。
 そうして佐助は丹念にしっぽの手入れをしながら、物憂げに息を吐いた。
 春はうれしい。
 大好きな幸村と、野山を駆け巡り遊べるからだ。けれど、春は別のものも運んでくる。
 佐助は眉をひそめて、嘆息した。
 佐助の大好きな幸村は、人間の中でも侍あるいは武士と呼ばれる種類のものだ。それは縄張りを守るためや、それを広げるために行う戦に出なければならない種類だと、子ぎつね佐助は人についての勉強を通じて知った。人は小さな群れを形成する。そしてその小さな群れが寄り集まり、大きな群れとなる。獣からすれば途方も無い広さの縄張りを、領土と言って群れの長が守る。この領土の長は幸村の敬愛する武田信玄。お館様だ。幸村はお館様の望みや願いを叶えるために、槍を得手とし戦に臨む。
 戦場は、佐助の仕事場にもなっていた。
 妖の力を使えば、人には出来ぬ探索も行えるし、ひそかに幸村を守ることもできる。戦になる前に決着をつけよと命じられれば、それをこなすことも可能だった。
 子ぎつね佐助は、戦があまり好きではなかった。理由は色々とあるが、一番の嫌な理由は、大好きな旦那が怪我をしてしまうかもしれない、ということだった。
 人はもろい。簡単に傷つき、倒れてしまう。それも他の獣とおなじだな、と子ぎつね佐助は今日の獲物を思い浮かべた。
 傷つけさせはしないと思う。危うくなれば、全力で助けるつもりでいる。けれど佐助は、幸村と過ごす季節の数が増えていくごとに、信玄からの命を直接に聞き、幸村と離れて行動をする機会が増していた。信玄を助けることは、幸村を助けることに繋がる。幸村は、信玄のことが大好きだからだ。それに不満は無い。佐助にとっても信玄は、好きな人間でもある。だが、自分がいない間に、幸村に何かあったらと思うと、佐助のしっぽは不自然なほどにふくらみ、耳は神経質に張りつめてしまう。
 戦場で猛る幸村の姿は嫌いじゃない。躍動する獣と化した幸村の、あふれる生命力に輝く姿を、佐助はまぶしく感じている。その反面、それは自分よりもうんと命の短い生き物であるから、というはかなさも覚えてしまうのだ。
 戦場に出れば、命が無くなるおそれがある。そうならないために、幸村は日々の鍛錬を欠かさない。誰よりも強く雄々しくあろうとする。彼の力量は、並の人間が束になっても叶わないほどだと、佐助はたまに仕合う中で知っていた。
 だが、万が一、ということはありうる。躍動する幸村は好きだが、彼が鉄臭い腐臭の中にいるのは嫌いだ。侍という種類の人間は、戦うもの。幸村とて例外ではない。頭では理解をしているのに、佐助の心は納得をしたことがない。むろん、幸村の前では物分りの良いふりをしているが。
「佐助」
 思考に耽り、意識が沈みすぎていたらしい。佐助は呼びかけられるまで、幸村の気配に気がつかなかった。
「旦那」
 目を丸くした佐助に、幸村はちょっとだけ首を傾げる。ふわりと豊かな土色の髪がゆれて、お日様のような笑みが佐助を包んだ。
「ずいぶんと熱心に、手入れをしておるのだな」
 幸村が佐助の横にあぐらをかく。
「雪でしけっちゃったからね。俺様の自慢のしっぽが、しおしおだなんて格好悪いだろ」
「そうか」
 ぽんっと軽く、幸村の大きな手が佐助の頭に乗った。軽く撫でられ、佐助の耳が喜びに小さく震える。
「ウサギと魚、新芽などを山に入って取ってきてくれたのだな」
「保存食は、そろそろ飽きてきただろうなと思ってさ」
「この時期の山は危ないと知っておろう。ゆるんだ雪が襲ってくるゆえな。次に出る時は、俺に声をかけてからにせぬか」
 自分を案じる幸村の心遣いに、佐助の胸がほわりとあたたまった。
「獣の俺様に向ける言葉じゃないぜ、旦那。俺様はこんなナリだけど、旦那よりもずっと長く生きているんだからさ。それに、ここに来る前はずっと山に住んでいたから、旦那よりも山については詳しいっての」
 照れくささをごまかすための言葉に、佐助は少し寂しくなった。自分よりも大きな、大人の姿をしている幸村。彼と初めて会ったときは、佐助よりも少し小さいくらいだったのに。
 佐助のほのかな気落ちを察し、幸村はひょいと佐助を膝に乗せた。
「俺が、しっぽを磨いてやろう」
「うえっ。やだよ、旦那ってば乱暴なんだから」
「力加減はちゃんとする。安心しろ、佐助」
 むうっと唇を尖らせ、佐助はぷいっと顔を背けた。気配で、幸村が笑っていると知る。どんな笑顔なのかは、見なくともすぐに胸に浮かんだ。しっぽが、お世辞にも手際がいいとは言えない手つきで、手入れをされる。しっぽを傷つけないように、慎重に通される櫛がくすぐったい。佐助はもぞもぞする体を必死で抑え、幸村の膝の中におさまっていた。
「どうだ」
 得意げな幸村の笑顔に、佐助はふわっとしっぽを揺らした。
「まあ、前よりは上手にはなったんじゃない」
 ふふんと佐助が鼻をならせば、幸村が佐助の髪を乱暴に掻き回した。
「うわっ、ちょっと旦那……もうっ!」
 佐助も手を伸ばして、幸村の髪を掻き乱した。思い切りじゃれあうと、二人は並んで寝転がった。日差しは優しいのに、触れる空気は薄く冷たい。
「もうすぐ、春なのだな」
 ぽつりと幸村が呟いて、佐助は体を起こした。
「待ち遠しい?」
 佐助が覗きこむと、幸村が佐助の耳を軽く撫でた。
「山を駆けるのは、佐助も好きだろう」
「……うん」
 答えの遅れた佐助に、幸村は疑問を浮かべた目を向けた。
「山駆け、楽しみだね」
 ごまかした佐助は、幸村の大きな手で彼の胸に引き寄せられた。
「俺は、天寿を全うする。案ずるな、佐助」
 ごまかしは通じなかったというのに、佐助はとてもうれしかった。
「俺は老いても、佐助と山を駆けるつもりでいるぞ」
「約束?」
「ああ、約束だ」
 ほがらかな幸村の声に、佐助は泣き出しそうな目をして笑った。
「雪解け、楽しみだね」
「ああ、楽しみだ」
 初めて会った頃と、少しも変わらぬ笑みを浮かべる幸村に、佐助は寂しさを伴う喜びを抱えた。
 幸村が老いてしまう頃、自分はどんな姿になっているのだろうと、佐助は思った。彼と出会ってから、どれくらいの年月が経っただろう。彼と出会ってから、自分はどのくらい成長できているのだろう。
 幸村が老いたその時に、彼の手伝いが何でも立派にこなせられるように、今の彼ほどの姿に育っていたらいいな。
 おそらくは叶えられないであろう望みを抱え、妖狐の子どもである佐助は、幸村と共に春を迎える優しく切ない心地を、彼の命の温みと共にしっかりと噛みしめた。

2015/03/14



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