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子ぎつね佐助と冬のはじまり

 子ぎつね佐助はもぞりもぞりと、夜具の奥へともぐりこんだ。
 寒いのは、苦手だ。
 真っ白い雪が大地を埋め尽くし、しんと静まり返るのも、雪が朝焼けの淡い紫に輝くのも、氷を通して見るように、空が薄く高く澄んでいるのも好きなのだが、寒いのだけは、いただけない。
 寒いとなんだか、さみしい気持ちになってしまう。
 夜具から出る瞬間の、温度差が苦手だ。
 あたたかな場所から冷ややかなところへ、とーん、と突き放されるみたいだ。
 せっかく手に入れたぬくもりから、ひとりぼっちに戻されるときは、こんなかんじに冷えてしまうんだろうか。
 子ぎつね佐助は、おんなじ夜具に入っている、大好きな旦那、真田幸村に身を寄せた。すると無意識にか、幸村の大きな手が、佐助の背中に当てられる。子ぎつね佐助は耳をそっと、幸村の胸に当てた。
 とく、とく、とく。
 よかった。ちゃんと元気な音がしてる。
 子ぎつね佐助はほほえんで、鼻からゆっくり息をこぼした。背中に回った幸村の手の甲を、自慢のふさふさしっぽで、さらりとひとなでする。旦那の大好きな佐助のしっぽは、いつも入念に毛づくろいをして日干しをし、ふかふかを維持するように気をつけている。
 なぜなら、旦那がふかふかしっぽを大好きだからだ。
 あぐらをかいた膝の中に佐助を入れて、しっぽを撫でるときの旦那の、ゆったりとしたほほえみが、大好きだ。
 そうそう。
 冬になると、お日様がちょっと遠くに行ってしまうから、ふかふかにするのが難しくなる。囲炉裏端で毛づくろいをすれば、ふっくらするのだが、お日様の匂いではなく、炭の香りや食べ物の匂いがついてしまうのが難点だ。
 そんなしっぽのとき、幸村はしっぽに顔を埋めて、今宵はなんとかだな、と夕餉を予測して楽しそうにする。その顔も、子ぎつね佐助は大好きなのだが、自慢のしっぽから食べ物の匂いがするなんて、ちょっといただけない。
 なぜなら、子ぎつね佐助は忍として、働いているからだ。そんな匂いをつけたまま、任務に出かけて相手に見つかってしまうと、やっかいだ。なにより、森を走っているときに、目立ってしまう。
 なるほど獣の鼻は敏感だからな、と幸村は笑う。そして言うのだ。
「いいではないか。このようになるのは、冬の間だけなのだから。冬は戦がない。ならば佐助は、忍働きをせぬだろう。これも平穏な期間の風物詩のように思えば、よいではないか」
 からりと真夏の太陽みたいに笑う幸村に、子ぎつね佐助は唇を尖らせて、でもさぁ、と抗議する。
「かっこわるいだろ」
「俺の前で、格好をつける必要もあるまい」
「そうだけどさぁ」
「ん?」
「なんでもない」
 かっこわるくてイヤな気持ちも、幸村にそう言われてしまうと、あんがい悪くもないような気になってくる。
「まあ、戦がないのは、いいことだよね」
 ぼそりと佐助が言うと、幸村はにこにこしながら「そうだな」と答える。
 戦がないと、こうやって旦那と朝寝ができるしな。
 子ぎつね佐助は、胸いっぱいに幸村の匂いを吸い込んだ。
 どこからも、血の匂いがしない。
 それだけで、とても幸せな気持ちになれる。
 幸村が怪我をしていない、というだけではない。子ぎつね佐助は、いわゆる獣の妖怪変化といわれるものだから、匂いには敏感だ。どれほど体を洗っても、硝煙の匂いや死臭なんかは、すぐに取れるものではない。人間はとれたと思っているようだが、佐助の鼻は、はっきりとそれを認識してしまう。
 ぽかぽかの陽だまりみたいな幸村から、そんな匂いがするなんて、イヤだ。
 しかし幸村は人間の中でも武人と呼ばれる種類だから、戦にでなければならない。幸村はそれを楽しそうに行う。雄々しく吼えて、槍を振るう幸村の姿は、しっぽの毛がふくらみ緊張するほど、獰猛でたくましい獣のようだ。
 まるで命を燃え滾らせているかのように、まぶしくて目が離せなくなる。
 だから、幸村に戦に行くなとはいえない。そのため、大好きな旦那の体に、不快な匂いがつかないように、佐助はしっかり忍働きをするのだ。
 すこしでも、危険が減らせるように。
 わずかでも、誰かの命を吸い取らないでいられるように。
 あのまま幸村が槍を扱い続ければ、ほんものの獣になってしまいそうだから。
 でも、と、佐助は思う。
 もしも旦那が、俺様みたいなものになったら、どうなるんだろう。
 佐助は、すっかり大きさの違ってしまった、幸村のたくましい胸を見る。
 出会ったころは、おんなじくらいだった。人間はすぐに大人になってしまう。そして、佐助が大人になるよりも先に、老いて朽ちてしまう。
 だけど旦那が、獣になったら――。
 戦の折の幸村を思い出し、子ぎつね佐助は首を振った。
 あんなふうな獣の妖怪になったら、きっと調伏されてしまう。にこにこと楽しそうな、見ているこっちまであったかくなるような、そんな旦那じゃなくなってしまう。だったらやっぱり、獣になんてなってほしくない。
 子ぎつね佐助は唇を尖らせた。
 寒いのは苦手だ。
 けれどこのまま、ずっと冬が続けばいいとも思う。
 そうすれば、大好きな旦那が戦に行かなくてすむから。
 ずっとこうして、ふたりで寄り添って、ぬくぬくとしていられるから。
 しっぽに匂いがつくのはいやだけど、おいしそうな匂いだなと笑う旦那は、大好きだから。
 でも、季節は巡る。
 幸村は、戦をするのは平和を手に入れるためだ、と言っていた。天下泰平のために、お館様が日ノ本を統治するのだ、と。
 佐助には、それがよくわからない。
 戦を失くすために戦をする、ということがだ。
 お館様こと、幸村の主、武田信玄が日ノ本を統治する、というのは、なんとなくだがわかる。群れのボスがいないと、争いが起こる。しかし、人間の群れのボスになるために、戦をしているのだということが、わからない。それぞれの縄張りのボスと戦わず、縄張りを侵さないように、暮らしていればいいのに。
 だけどまあ、人間の縄張りに対する意識と、獣の感覚とは違うのだろう。
 平和になれば、冬じゃなくても、こうして旦那とのんびりと、おだやかに過ごせる。
 硝煙の匂いも、死臭も、幸村の匂いに混ざらなくなる。
 そのために必要ならば、春になって雪が溶けたら、しっかり忍働きをしようと思う。
 いっぱい仕事をしたら、そのぶん、幸村と離れていなければいけなくなるけれど。
 子ぎつね佐助はもうすこしだけ、幸村に身を寄せた。
 あたたかい。
 たしかな命の律動が、幸村の体から発せられている。
 それに耳を傾けながら、子ぎつね佐助は、もうひと眠りすることにした。
 寒いのは嫌いだ。
 けれどこうして、ふたりでぬくぬくとしていられるのは、好きだ。
 冬ははじまったばかり。
 景色は雪化粧をはじめたところだ。
 さきのことなんて、あとで考えればいい。
 いまはただ、このおだやかな幸福をしっかりと味わっていよう。
 しばらくすると、子ぎつね佐助の寝息が、幸村の寝息に寄り添った。

2015/12/19



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