屋敷に戻り、土間に入った子ぎつね佐助は、しっぽにまとわりついた雪を、はたはたと手で落としながら不満顔になった。 自慢のしっぽがすっかり濡れてしまっている。表面の雪は落とせても、溶けてしみた雪は自慢の毛並みをしんなりと冷たくさせていた。 こんなしっぽじゃ旦那に会えないよね。 急いでしっぽを温めて乾かさなくっちゃと思いながら、すこしでも水分を飛ばして乾きやすくしようと、子ぎつね佐助がしっぽをブンブン振っていると、足音が近づいてきた。 「おお、佐助。帰ったか」 「旦那」 ぽかぽかの太陽みたいな笑顔を浮かべた、大好きな旦那・真田幸村が懐手をして現れた。すぐに傍に駆け寄りたい衝動をおさえて、佐助はにっこりする。 「ただいま、旦那」 「うむ。寒い中、ご苦労だったな。佐助」 旦那が両腕を広げて、佐助はウズウズしたが、飛び込むのをガマンした。 「どうした? 佐助」 「俺様、外から帰ってきたばかりだろ?」 「うむ。苦労であったな。なれど佐助でなくば、雪の中を自由に動けぬ。寒かったろう」 ほら、と手のひらを動かされて、佐助はしっぽをゆらした。 「ねぎらってくれるのは、うれしいけどさ。さっき旦那が言ったとおり、俺様、雪の中を動いてきたんだよね」 「なにがいいたい?」 「もう! しっぽがしんなり冷たくなっちゃってんだよ」 「それがどうした」 きょとんとされて、子ぎつね佐助は唇をとがらせた。 「旦那のすきな、ふかふかのあったかいしっぽじゃないんだぜ?」 「そのようなこと、わかっておる」 「だったら、しっぽが渇くまで待っていてくれよ」 「だから、湯を沸かしておいたのではないか」 同時に発した言葉に、佐助は目をパチクリさせた。旦那はにっこりしている。 「だから、ほら。ぬくもろう」 しゃがんだ旦那に「来い」としぐさで言われて、佐助はしぶしぶといった顔で――けれどしっぽはうれしそうに揺らしながら、そっと旦那に近づいた。抱き上げられそうになって、ひょいと逃れる。 「なぜ逃げる」 「だから、俺様いま冷たくなってんの」 「俺はあたたかいぞ? ぬくめてやろう」 「どこの国に、忍を温めようとする主人がいるのさ」 「ここにおる」 ケロリと言われて、佐助はあきれ顔を作りつつ、笑みの形になりたがる唇をモニョモニョさせた。 「ま。湯を用意してくれていたのは、ありがたいってね。行ってくるよ」 「うむ」 手をつなごうと右手を差し出されて、佐助は「だからぁ」と文句を言った。 「俺も修行の汗を流したく思っていたところだ。共に行くぞ」 「……」 「なんだ?」 盛大なため息をついてから、佐助は左手を出した。 「まったく。旦那はガンコなんだから。冷たいって文句言うなよ?」 「言わぬ」 ギュッと手のひらに手を包まれて、あたたかな旦那の手に冷え切った指がジンと痺れる。 「旦那」 「なんだ?」 「冷たくない?」 「冷たいな」 「だったら、離してくれてもいいんだけど?」 「佐助は、ぬくいだろう?」 「そりゃあ、まあ」 「ならば、つないでおこう」 さらに強く手を握られる。 「心配しなくっても、引っこ抜いて逃げたりしないよ」 「ぬ?」 まったくもう、と佐助は口元をほころばせながら「おばかさん」と憎まれ口をついた。 「冷え切った体では、湯が刺さるだろう? こうしてすこし、冷えをゆるめておけばいい。おお、そうだ。湯に入る前に、足先も俺が手でこすってやろう」「ちょ、それはぜったいダメだからね」 「なぜだ」 そんなことをする主はいないと言いかけて、また「ここにおる」と返されるに決まっている。佐助はちょっと考えてから「俺様がいやなの」と答えた。旦那はちょっと首をかしげて、残念と不満を混ぜた顔で「ふむ……」とうなった。 「いやだったら、いやだからね!」 念押しすれば、旦那はしぶしぶ納得した。ふうっと胸をなでおろした佐助は、ちょっと旦那がかわいそうだなと考える。 俺様のことを心配して、気にしてくれてる気持ちはありがたいんだって伝えなくっちゃ。 「ねえ、旦那」 「ん?」 「あのさ。……その、心配してくれんのは、すっごくありがたいんだけどさ」 「うむ」 「旦那は俺様が寒いの苦手で、それでも仕事で雪の中を駆けてきたから、心配してくれてるんだろ?」 「そのとおりだ」 「だからさ、その逆もそうなんだよ。俺様だって、旦那が冷たくなっちゃうのは心配っていうか、いやだなって思うんだ。まあ、ないとは思うけど、しもやけができちゃったりしたら、すっごく痛いし」 「できているのか? しもやけが」 見せてみろとしゃがまれて、違う違うと佐助は首を振った。 「たとえ話だよ、たとえ。できてないから大丈夫」 「それならよかった」 「うん。――だからさ、俺様もそんなふうに、旦那が俺様のことを気にしてくれているみたいに心配だからさ。だから、冷たい俺様に触って欲しくないんだ」 「……ふむ」 大きくてやわらかな茶色の瞳に見つめられ、佐助の心がほっこりとする。 この人は、本気で俺様のことを心配してくれている。大事に思ってくれている。人間ですらない忍の俺様を――。 「旦那」 ほわ、と佐助は笑顔になって、旦那もつられて陽だまりみたいな顔になる。この顔が大好きなんだと佐助は心をうずかせた。 「ねえ、旦那」 「ん?」 「湯につかってさ、ほかほかになって、しっぽがふかふかに乾いたら、火鉢の前で昼寝しよっか」 自慢のしっぽを最高の状態にして、旦那といっしょに昼寝をする。起きたらおやつの団子を食べて、そしてのんびり雪の庭をながめたり、書物を読んだりして過ごすんだ。 雪で道が閉ざされているいまは、兵が戦に出られないから。だから、とても冷たく寒いけど、真っ白でピカピカで、なんだか心があったかくなる、けれどもとても危うい季節に寄り添って過ごしていよう。 「それはいいな! たっぷりの炭を使って、湯から上がるまでに部屋をぬくめておくよう言っておくか」 「湯冷めして風邪でもひいたら、大変だしね」 「うむ」 ひょいと抱き上げられて、佐助は「わわっ」と声を上げた。完全に油断をしていた。逃れようにも、旦那の腕はしっかりと子ぎつね佐助のちいさな体を包んでいる。 「冷たいだろ?」 「すぐにぬくもる」 「俺様のことじゃなくって、旦那が」 「湯に入るから問題ない」 「まったくもう。そういう人だよ、旦那って人は」 「よくわからぬが、そういう俺なのだからあきらめろ」 「……うん」 クスクスと心が笑う。 ひとりぼっちじゃない冬は、冷たいばかりの雪がなぜか、とてもあたたかくてやさしいものに見える。 2017/01/24