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鬼の居ぬ間に? しゃらくせぇ!1

 船着場で、積荷の目録を田戸屋に身を置く吉井甚衛門が確認をしていた。大船が入る前に、それぞれの商家から、積荷の目録が湊を仕切る田戸屋に届けられる。それをもとに、田戸屋が入港した船の輸出入貨物の監督や税金の徴収を行っていた。
 物価の急激な上下が起こらぬよう、また妙なものを商家が裏で扱わぬようにするための、監視をしている田戸屋は、商人でありながら徴収した税を奉行所に届け、湊での問題などが起こらぬように差配をする請負役人のような、半分商人、半分武士のような存在であった。
「よぉ。何か、珍しい品でも入って来ちゃいねぇか」
 その田戸屋のもとで荷と目録を照らし合わせていた甚衛門に、気楽に声を掛けてきた男がいた。その声のすがすがしく響く音に、甚衛門は思わず笑みを口元に漂わせて、目録から顔を上げた。
「これは。長曾我部様」
 それは、西海の鬼と呼ばれる四国を統べている男、長曾我部元親の声であった。雲のようにさわやかな白銀の髪を海風に揺らし、海の男らしく隆々とした筋肉を誇る秀麗な偉丈夫が、人なつこい笑みを浮かべて甚衛門に手を振りながら歩み寄ってくる。鬼との異名のある男であるのに、まるで子どものような屈託のなさを纏う、船上で過ごすことの多いはずであるのに透けるように白い肌をしている彼が、かつて「姫若子」と呼ばれていたことも頷けると、甚衛門はひそかに心中で思っていた。そのウワサを、あくまでもウワサとして、元親をやっかんでいる誰かがでっち上げたウソ話だと思っている者も多いのだが。
「硫黄と鉄。それと銀が欲しいんだが、どの蔵にどのくらい入ってる」
「あ、はい。すぐに調べて値と共にご報告いたしますので、お待ちいただけますか」
 甚衛門の返答に、元親はそうかとアゴに手を当てて、ちらと甚衛門の手にある目録の厚みに目を向けた。
「いつもの船宿にいるからよ。別に、急ぎじゃねぇから。その仕事が終わって……そうさな。明日の夕方でも、かまわねぇよ」
「えっ」
「それじゃ、よろしく頼むぜ」
 ひらりと手を振った元親が、甚衛門の傍を離れて他の男に手を上げて声を掛ける。その背を見送る甚衛門に、箱書きと中の荷に相違がないか調べていた筧惣七が近寄った。
「元親様は、相変わらずのようだな」
 その声には、敬愛の情がこもっている。
「ああ。俺の手の中の目録の厚みを確認なされてから、明日でも良いと申された。あの方に拾っていただけて、良かったよ」
 心の底から、甚衛門は返した。茫洋とした顔つきの甚衛門は、かつて居た場所では、見目で侮られて軽んじられ、人と変わらぬ仕事をしていたというのに、愚図だなんだと揶揄されていた。彼の仕えていた相手は横暴で、自分の言う事が何よりも優先と、物事を順序だててせねば気が治まらぬ甚衛門の丁寧で几帳面な仕事ぶりを、まどろっこしいと言って大雑把な帳簿付けを命じてきた。従わぬわけにはいかぬ彼は、心苦しく思いつつも表向きは上司の言うように。裏側ではこっそりと、自分の気を治めるために細やかな帳簿付けを行っていた。
 そんな彼のまっとうな帳簿があることを知った者が、いつかそれを領主に出して不正を暴こうとしているのではないかと、上司に密告した。甚衛門にそんな腹は一切なかったが、正しい帳簿が出れば、大雑把な帳簿付けの裏でごまかし肥やしていた私腹が、公のものとなってしまうことになるのは必定。こっそりと亡き者にしようという声があがっていることを、同僚がそっと耳打ちをしてくれた。彼は夜陰にまぎれて出奔し、命からがら逃げおおせたところを、元親に拾われたのだった。
 彼が追われていた理由を知った元親は、それほどに丁寧なことをするのであれば、自分の所でその技を使ってくれと甚衛門を頭から信用し、甚衛門が逃げるときに残してきた両親や妻を向かえに行ってくれた。その気風の良さと心意気に、海賊と言われるような領主とはどのようなものかと、はじめは怯えていた甚衛門の親も妻も、すっかり元親に心酔するようになっていた。
 そんな甚衛門の事情を知っている惣七は、ぽんと彼の肩を叩いて歯を見せて笑った。
「兄貴に早くご報告差し上げるために、ちゃっちゃと点検を済ましちまおうぜ」
 領主である彼を、公然のあだ名として浸透している「兄貴」という呼び方をする惣七に笑い返し、甚衛門は「おう」と目録に目を戻した。

 今宵は、半年ぶりに元親が立ち寄ったというので、湊はさながら祭のように賑やかとなった。今回の来訪は船旅の帰還の途中であったのと、カラクリを作るために必要な材料があったという理由からだと、元親と船を共にする者から聞いた。元親が滞在をするのは、十日くらいになるだろうとも。
 甚衛門は、早々に目録の確認を終えて帳簿付けを済ませ、元親に頼まれた品の在庫を、蔵屋敷帳簿を引っ張り出して確認をしていた。もし必要数の品がなければ、別の町から取り寄せて送る算段などもつけることを念頭に、十日の滞在ならば早めにせねばいかんだろうとの判断だった。元親はきっと、あるだけでかまわないと言うだろうが、恩義があり敬愛している彼の役に立てる道が少しでも有るならば、尽力したいと思っていた。
 元親のもとへ、大勢の者らが挨拶をしに顔を出している。賑やかな声や三味線の音が、湊町にあふれていた。それが聞こえぬ帳簿部屋で、甚衛門はひとり誘いを断り帳簿を開いて在庫を書き出していた。
「おうい、甚衛門」
 声がかかり、甚衛門はハッとして顔を上げた。がたりと音を立てて戸が開かれる。顔を覗かせたのは、惣七だった。
「ああ、惣七」
 ほっとした息を漏らした甚衛門を、惣七はいささか不思議に思いつつも、笑みを浮かべて歩み寄った。
「明かりが見えたのでな。もしやと思うたのだ。兄貴が、おぬしの姿が見えぬが、もしや自分の頼みごとのために宴に来ぬのではないかと、洩らされておったぞ」
「そうか。お気にかけさせてしまったか」
「おう。なんせ兄貴は、我らのような末端の者の顔や名前まで、しっかりと覚えてくださっておるからな。ましておぬしは兄貴に救われた者。気に掛けられて当然だろう」
 ほらほらと、促すように惣七が甚衛門の背を叩く。
「自分のために、誰かが楽しむ暇を潰してしまう事を、兄貴は嫌う。あの方を安心させてさしあげるためにも、ここは手を止めて宴席に顔を出せ」
 どうやら惣七は自分を迎えに来るために、座を離れてきたらしいと察して、甚衛門は目じりを下げた。
「わかった、わかった。では、これらを片付けるから、しばし待ってくれ」
 甚衛門は手早く帳簿を棚に戻し、書き出したものを懐に入れた。懐に仕舞う動きが丁寧にすぎて、惣七がからかう。
「そんなに奥深くに仕舞いこまなくとも、誰も取りはせんぞ。置いて行けばいい。明日は船の着く予定はないのだから、明日は朝からするのだろう」
 それに、甚衛門はわずかに頬がひきつったような笑みを浮かべた。
「いや。置きっぱなしでは気になるのでな。俺の性格は、惣七もよく存じておろう」
「ああ。几帳面の帳面付とは天職だと、誰もが思うておるわ」
 はっはと笑った惣七が、ほら行くぞと背を向ける。帳簿部屋の明かりを消した甚衛門の横顔が、わずかに苦く沈んだのを、宵闇が隠した。

 元親は、ごろりと夜具に横たわったまま、思案げに天井を眺めていた。
 頭の中にあるものは、先ほどの宴席での甚衛門の様子だった。元親の予想通り、甚衛門は宴に出ずに帳簿を確認して在庫数を割り出しまとめていたらしい。急ぎではないし、明日は船が入らないのだから明日で良い。今宵は楽しんでくれと言えば、笑みを浮かべて元親の酒を受けた。その笑みの頬の辺りが、どうも翳っていたように思えたのだ。気にかかりはしたものの、その場で問いただすこともはばかられ、元親は気付かぬふりをしたのだが。
「ありゃあ、何かあるな」
 そう、確信をしていた。昼間にはなかった翳りが、今はある。さりげなく彼の同僚である惣七に、積荷に異変などはなかったかと、話のついでを装い聞いてみたが、何も妙な品はなく、荷札と中身の相違もなかった。めぼしく真新しいものも今回はなかった、と返された。となれば、帳簿を調べている間に、何かがあったということになる。
 元親は、彼を拾った経緯を覚えている。その気はなくとも不正を暴くに足る、丁寧な仕事をしていた。正しすぎることは、時には人に煙たがられる。おおざっぱである自分からすれば、甚衛門の几帳面さは驚嘆に値する部類のもので、だからこそ信用が置けると思っていた。そんな彼の能力を高く評価してはいたが、他所から連れてきたものを、いきなり要職につけるわけにもいかない。その辺は、元親も考慮をする。けれど周囲に彼の実直さと仕事の丁寧さが浸透すれば、ゆくゆくは蔵屋敷の全てを取り仕切る者にしても異論は出ないだろうと考えていた。
 ふ、と元親の脳裏に、なぜか宿敵である毛利元就の顔が浮かんだ。
 清いままでは人を統べることなど出来ぬ、と言い放つ怜悧な瞳を思い出し、元親は胸の奥深くから、太く長い息を吐き出した。
 清く正しい事は良いことだ。けれど、水清ければ魚棲まずとの言葉もある。甚衛門は少し、清すぎるのではないかという懸念が、息を吐き出して空いた胸の隙間を埋めた。
「甚衛門は何か、見つけたな」
 確証がないままに、元親は確信をした。こういう場合の勘はわりと当たるのだという自負がある。
 明日、帳簿部屋に顔を出すか。それとも甚衛門が報告に来た時に、話を聞くか。
 どちらにしても今は眠ろうと、元親は瞼を下ろした。
 しばらくして、規則正しく深い寝息が、部屋に漂った。

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2013/11/18



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