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ゆっくり、ゆっくり

 もぞり、と梵天丸は寝返りを打った。ぱっちりと開いた左目に、障子が映る。その向こうは昼日中であることを、部屋の中に障子を透かして入り込む光が示していた。
 布団の中で梵天丸は体を丸め、右手で右目に触れた。そこは、白い布で覆われている。そこをなでながら、梵天丸は障子に映る人影を見つめた。くっきりと存在を障子越しに映している相手は、片倉小十郎。梵天丸の世話役となった男は、少年と青年の間であるらしい。けれど梵天丸には、彼はそこいらの大人よりもずっと大きくたくましく見えた。
「こじゅうろう」
 頼りなく呟き、唇を引き結んだ梵天丸は右手を握り締めた。幼い梵天丸を襲った病は、彼の陶磁器のように端正な、幼年でありながらも妖しく香り立つ美貌に、隠しようも無い傷を付けた。美しい者をこよなく愛する彼の母は、梵天丸に向けていた愛情を全て引き上げ、彼に見向きもしなくなった。その愛情は全て弟に向けられ、時期当主はそちらなのではと、保身を第一に考える者たちは梵天丸の元を去った。どうして自分がこんな目に、と心まで病にかかったように塞ぐ梵天丸の周囲から、さらに人が去った。
 そんなときに現れたのが、小十郎だった。彼は梵天丸をしかりつけ、右目の腫れ物を切った。そんなことをすれば、自分の首が飛ぶかも知れないというのに、だ。
 ためらう事もなく、梵天丸の右目に刃を向けた彼は、痛みと驚愕で泣く事も忘れた梵天丸に、包み込む笑みを浮かべ、真っ直ぐな瞳でこう言った。
 これからは、この私が貴方様の右目です。と――。
 こじゅうろう、と音にせず梵天丸は彼の名を呼ぶ。
 昼餉の後の昼寝は、日課だった。朝餉の後から昼餉までの鍛錬。その疲れを癒すためと、昼餉の腹がこなれるように、行わなければならない習慣だった。小十郎が梵天丸付きとなってから、梵天丸が眠るとき、彼の不安を和らげるために、必ず小十郎が添い臥していた。けれど今日からは、伊達の当主となるのですからと言われ、一人で眠るように言われた。
 どうして急に、と梵天丸は喉元まで上がった言葉を飲み込み、頷いた。小十郎は、弟ではなく自分が当主となるのだと言っている。望んでくれている。多くが去り、母すらも見限った自分に期待を寄せている。小十郎は自分を導いてくれている。ならば、今日から一人で昼寝をする事は、必要な事なのだろう。
 ぐっと唇を噛みしめて、梵天丸は胸にひたひたと迫る寂しさを堪える。何を寂しく思う必要があるのだと、自分を叱る。
 こじゅうろう、と梵天丸は人影に向かってつぶやいた。ぎゅっと体を丸めて、呼びたい気持ちを堪える。
 我慢をしなければ。
 伊達家の当主にふさわしい男になるのだから。
 このくらいのことで、寂しいなどと言って彼を困らせてはいけない。
 小十郎が傍にいなくとも、変わらず眠りを受け入れられるくらいの余裕があるのだと、見せなければいけない。
 寝返りを打ち、梵天丸は障子に背を向けた。壁を睨み付けてから、目を閉じる。これでもかというほど強く、瞼を下ろして体を丸め、眠れ眠れと自分に言い聞かせる。眠らなければと、一人でも大丈夫だと言い聞かせる。
 そんな梵天丸の努力を無視して、睡魔は近寄ろうともしてくれない。変わりに寂しさばかりがやってくる。心臓をひやりと掴んだそれは、じわりじわりと梵天丸の体に沿って広がっていく。
 くやしくて情けなくて、梵天丸は全身に力を込めて歯を食いしばり、これ以上ないほど丸くなった。
 去れ、去れと思う梵天丸をなぶるように、妖怪寂しんぼは梵天丸にまとわり付いて離れない。ぎりぎりと歯を食いしばる梵天丸の胸を、暗く冷たい風で包む。とうとうこらえきれなくなって、梵天丸は起き上がった。悔しさに自分に腹を立てながら、障子に映る影を睨み付ける。
「こじゅうろうっ!」
 自分の苛立ちをそのまま声に乗せて呼べば、予想以上の怒声となった。自分の声に自分で驚く梵天丸は、静かに障子が開かれて一礼をする小十郎を見た。その顔が上がったときに、失望が浮かんでいるのではないかと危惧したが、いつもの厳しくも穏やかな顔のままだったので胸をなでおろす。
「いかがなさいました。梵天丸様」
 そう問われても、寂しいから傍にいてくれなどと言えるはずも無い。膝の上で拳を握っていると、小十郎が膝を進め、ぴたりと障子を閉めた。ううらうらとした日差しに包まれた庭が、小十郎ごしに見えて、閉ざされる。梵天丸が身を硬くしていると、小十郎は枕元までいざって来た。
「梵天丸様」
 ふわ、と小十郎の厳しい顔が柔和に崩れる。妖怪寂しんぼが梵天丸からはがれた。握っていた拳をゆるめ小十郎に向けて伸ばそうとしかけて、止める。ここで甘えては、情けないと失望されるのではないか。呆れられ、小十郎までもが自分から去ってしまうのではないか。
 きゅっと唇を一本の線のようにして、梵天丸はうつむく。さらりと、黒く艶やかな髪が梵天丸の顔を隠す手伝いをした。無言の梵天丸の後頭部に、小十郎の視線が注がれる。梵天丸は彼を呼んでしまった自分の弱さに歯がみし、彼も去ってしまうのではないかという恐怖に震えた。
 なんでもないと言うことも出来ず、素直に寂しいと言うことも出来ずに、梵天丸は身を硬くして途方に暮れた。どうすればいいのかがわからない。ただただ、彼を呼んでしまった自分の弱さが恨めしい。
 ぽん、と梵天丸の肩に大きな手のひらが乗せられた。そのぬくもりに、はっとする。
「いきなり、お一人にさせるというのは急ぎ過ぎました」
 ゆるやかな謝罪を含む声に、梵天丸の目の奥が熱くなった。そのまま小十郎の膝の上に倒れこみたい衝動を、ぐっとこらえる。
「こじゅうろう」
「はい」
 ほんのわずか、鼻声になった梵天丸が涙をこぼさぬように、睨むような目で顔を上げた。涙で少しにじんだ視界に、小十郎の何事をも受け止めようとする笑みが映る。胸の奥から喉にせり上がってきたものを、吐き出しかけて堪えた梵天丸は、口を開いて涙を堪えるために叫んだ。
「すぐには、無理だ!」
 小十郎は、梵天丸の胸の奥にある、隠そうとしているものを、強がりの裏側にあるものを見つめてくれている。存在を丸ごと受け止めてくれている。
 肩に触れた手のぬくもりだけで、魂ごと抱きしめられている安堵がある。両腕を伸ばせば、小十郎は抱きしめてくれるだろう。それがわかったことで、梵天丸は自分の甘えを堪える事が出来た。不敵な笑みを浮かべ、片手を伸ばして手のひらを見せる。
「だから、しばらくは眠るまで手を握っていてくれ。必ず、一人で眠れるようになる」
 梵天丸の肩に乗せた手を滑らせ、めいっぱい広げられた小さな手を、小十郎の手のひらが包み込んだ。
「はい」
 目じりを下げた小十郎に頷き、梵天丸は横になる。あたたかく大きな手を頬に添えて、梵天丸は目を閉じた。
 いつか、この手が誇れるような男になると、胸に誓いながら。

2014/01/15



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