冬の寒い夕暮れ時。人の集まるほうがあたたかいと、伊達政宗は男衆が藁を叩き編んでいる作業場にいた。雪深く閉ざされていれば、できることも限られてくる。その間に、しておけることもあった。 政宗が男衆の中にまじっているのは、あたたかいから、というだけではない。こういう戦の遠のく時期に人々と交われば、平素の暮らしの話や、彼らの心の中にあるものを、聞く事が出来る。何気ない会話の中にこそ、人の本質や本音が見えてくるものだ。 今は、男衆はひと作業を終えて、女たちが運び入れてきた酒を、囲炉裏を囲んで楽しんでいた。肴は、味噌を塗った団子を串に刺し、囲炉裏の炎で炙ったものだ。 ほろりと喉を伝い、胃の腑に落ちた酒に内側からあたためられれば、男衆の口もすべらかになる。歓談をしていると、若い男が味噌団子をかじりながら、くぅうと喉を鳴らした。「しっかし。筆頭と片倉様って、ほんっとぉおおに主従の鏡っスよね! 俺、活躍して出世して、いつか筆頭と片倉様みたいな関係の相手を持って、なんか、なんかスゲェことをしてぇっス!」「なんかスゲェことって、なんだよ。オメェは、まずは槍を使うときの、へっぴり腰をなんとかしやがれ」 若者の横にいたヒゲ面の男が、平手で若者の背を叩けば、若者がむせた。「うえっ、げほっげほっ」「オメェみてぇなヘナチョコが、筆頭や片倉様みてぇに、なれるわけねぇだろうが」「夢を見るぐれぇは、いいだろぉ」 ねぇ、と目じりに涙を浮かべ、若者が政宗を見る。杯に満たされている酒に、その顔を映した政宗は、すいと酒を煽った。「どうせ見るんなら、身の丈の何倍もでっけぇ理想を持つほうが、成長できるってモンだろう。Make your dreams big」 政宗の言葉に、若者が満面を輝かせる。「ですよね! ですよね筆頭っ! 俺、でっかくなって、筆頭と片倉様みてぇな間柄の誰かを、見つけるっス」「ばぁか。そんな簡単に見つかるかよ。筆頭と片倉様は、昔から互いを思い合って、長い時間をかけた結果、今のようになれてんだよ」 ねぇ筆頭、と鼻の頭を赤くした男に言われ、若者が唇を尖らせる。「うるせぇよ! そんぐれぇ、俺だってわかってら。ただ、希望を持つのは勝手だろ」「へっ。オメェの回りに、そんな相手が今、いるのかよ」 ぐっと青年が言葉を詰まらせ、情けない顔をして政宗を見た。政宗はなんとも言いがたい笑みを、片頬に浮かべた。「俺とアイツは、もともとは仲が悪かったんだ。案外、犬猿の、ウマが合わねぇと思っている相手と、そうなれるかもしれねぇぜ」「ええー!」 若い者らは口を揃えて驚きの声を上げ、年配者は穏やかな笑みを口元に漂わせ、目を伏せた。「じょ、冗談ですよね、筆頭。コイツを慰めるために、そんなデタラメ言っているだけっスよね」 それに、政宗は人の悪い笑みを浮かべただけで答えず、杯を唇に当てた。 ぼんやりと、後に伊達政宗となる童子・梵天丸は、自室で壁を眺めていた。先ほど目の当たりにした光景が、信じられなかった。自分は今、夢の中にいるのだろうか。 アイツが、あんなことをするなんて――。 真っ先に自分からはなれて行くのは、彼だと思っていた。渋々といった態で、剣術指南を引き受けた男。片倉小十郎。寺の剣がどれほど戦の役に立つのかと梵天丸があなどれば、次期当主としての視野が狭いと鼻で笑われた。ならば教えてみろと、習ってやると梵天丸は彼の指南を受ける事となった。 主を主とも思わぬ証拠に、彼は「梵天丸」と呼び捨てにする。梵天丸も、彼を「片倉」と呼び軽視していた。 そんなアイツが、何故――? 梵天丸は先ごろ病を召し、かろうじて命はとりとめたものの、右目の光を失った。嫡男が不具であるのは問題だと、重臣らが一同に会して唾を飛ばした。――梵天丸の、いる前で。 そうなることを、梵天丸は予測もし、覚悟もしていた。右目を失う。視野が欠ける。それは、この戦乱の世の中では、命にかかわる問題となる。右目が見えない。右側がおろそかになる。刃を交えるときに、常に死角となる。不利益なのは、それだけではない。人々は、古(いにしえ)の頃より見目を尊ぶ。その最たる者が、彼の母親だった。幼い梵天丸は、大人をもしのぐ怜悧さを涼やかに纏う美麗の童子だった。母は、美しい物を好む。梵天丸が快癒したと聞き、見舞いに訪れた母は右目を失った息子を見、決して治らぬと医者から聞くと、汚らわしいと言いたげな一瞥を梵天丸に投げ、無言で背を向け去っていった。 そんな母の行動も、重臣らに梵天丸の前ではばかることなく、嫡男として不適合だと言わせる要因になっているのだろう。 去る母の足音を聞きながら、梵天丸は使い物にならなくなったのは右目ではなく、自分自身だと気付いた。母の後に見舞いに来た片倉に、自嘲気味にそうつぶやいた。言葉を失った片倉は、何も言わずに評定の場へ自分を連れ出した。 そう、あれは快癒の挨拶を受ける謁見の場ではなく、評定の場だった。右目を失った梵天丸が、嫡男であり続ける事の是非を評価する場だ。そしてその結果は全員一致で「否」となるはずだった。「……」 梵天丸は、右手を持ち上げ見えぬ右目を指でなぞった。そう、全員が「不適合」と言うはずだった。覚悟をしていながら、改めて否定の言葉を受け、痛みを胸に走らせていた梵天丸は、そうなるだろうと一縷の望みも持ってはいなかった。それなのに、よりにもよって一番に「不適合」だと言いそうな男が意見に怒り、あろうことか重臣たちに殴りかかったのだ。「片倉……」 どうして、と問う間は与えられなかった。手負いの獣のように吼え、怒りをあらわに重臣らを殴りつける彼を、控えていた者たちが総出で取り押さえようとした。けれど荒事に場慣れしているらしい片倉は、そんな相手も殴りつけ蹴倒して、否定をしろと吼えた。「梵天丸が次期当主にふさわしくねぇだと! 今すぐ、訂正しやがれ!! 俺らの次期当主は、この梵天丸に決まってんだろうが! この俺の主は、後にも先にも梵天丸ただ一人だ!!」 驚き目を見開く梵天丸は、呆然としたまま侍女に抱え上げられ、自室に連れて行かれた。部屋の中で梵天丸は、衝撃に思考が停止したまま、ぺたりと座りこみ、壁を眺め続けている。 どうして、片倉が俺をかばう。 渋々、稽古をつけにきていたのだろう。主などとは、認めていなかったのだろう。 それなのに、なぜ。 梵天丸の耳に、片倉の吼える声が残っている。主は梵天丸ただ一人だと叫んだ声が、胸に響いている。「っ……俺は」 右目に触れていた手を握り、梵天丸は奥歯を噛んだ。片倉は今頃、座敷牢にでも押し込められているのだろう。あれほどの暴挙をしでかしたのだ。下手をすれば、腹を切れと言われかねない。 会えるだろうか。 いや、会わなければならない。 梵天丸は、すっくと立ち上がり、何かあった場合にと襖の向こうに控えていた侍女に、片倉はどこにいるのかとたずねた。「あの、ええと」 どうしたものかと困惑する相手に、会いたいんだと告げれば、他の方々にお伺いせねばとの返事が来る。「この俺が、主が、部下に会いに行くのに、なんで他の連中の顔色を伺わなきゃならねぇんだ」「そ、それは」「――頼む」 自分を片倉のもとへ連れて行けば、この侍女にも累が及ぶだろう。それを承知で、梵天丸は頭を下げた。息を飲んだ侍女は梵天丸のつむじを見つめ、腹に力を込めて「わかりました」と応えた。ですが、今はまだいけませんと、頃合を見てお連れ致しますと小声で告げた。「恩に切る」「いいえ。私も正直、片倉様のなさりように、胸がすっといたしました」 梵天丸の世話役として長く仕えている侍女が、手のひらを胸に当てて腹に滑らせ笑うのに、梵天丸もつられた。「必ず、お連れ致しますから」「ああ、頼む」 そうして侍女は夜を待ち、寝床に入っていた梵天丸をそっと起こして、足音を忍ばせ片倉のもとへ、梵天丸を連れ出した。 侍女は見張りをすると言い、手燭と片倉への差し入れの握り飯を梵天丸に渡し、廊下に目を向けた。梵天丸はひっそりと暗い座敷牢に手燭をかざし、小声で呼びかける。「片倉」 鉄臭い匂いがする。おそらく、血の匂いだろう。梵天丸は胸に冷たい風を感じた。どれほど片倉は痛めつけられたのだろう。「片倉」 返事もできないほど、痛めつけられたのだろうか。それとも、眠っている、あるいは意識を失っているのだろうか。「……梵天、丸か」 呻くような声が聞こえ、梵天丸は手燭をかざした。小さな光の届く範囲に、片倉の姿は見えない。「片倉」「何をしに来た」「何って……」「俺を救いに来たなんざ、言わねぇだろうな」 鼻で笑う気配に、梵天丸は口をつぐんだ。――何をしに来たんだ、俺は。 沈黙が、二人の間に横たわる。手燭の光はゆらめかず、片倉がその中に姿を現すことも無い。「片倉」 梵天丸は、もう一度呼びかけた。「小十郎、だ」「――え」「小十郎。そう呼べ、梵天丸」 片倉が何を言おうとしているのか、何を示そうとしているのかが、梵天丸にはわからない。けれど「――こ、じゅうろ」 おそるおそる、梵天丸は呼んでみた。心なしか、座敷牢の闇がやわらいだ気がする。「小十郎」 もう一度、今度ははっきりと呼んでみる。「そうだ。それでいい――梵天丸。いや、梵天丸様」 ぞく、と梵天丸は背筋が伸びて震える心地がした。 片倉が、いや、小十郎が、自分に敬称を――。「右目が見えねぇってんなら、俺が右目になってやる。俺がそのぶん、色んなものを見る。だから、くだらねぇ考えを起こすんじゃねぇ。顔を上げて、前を見ろ。梵天丸」 先ほど敬称を付けたことなど忘れ去り、彼は再び呼び捨てにした。けれどそれが言い知れぬほどに心地よくて、彼の言葉が心底のものであると知れて、梵天丸は口元に笑みを漂わせた。ふつふつと、あたたかなものが梵天丸の胸に湧く。「片倉……いや、小十郎。俺の右目になるってぇんなら、そうそうに薄暗ぇ景気の悪い場所から、抜け出して来い。こんなところに右目があっちゃあ、不便でならねぇ」「――ああ、そうだな」 闇が、ぬくもりを持つ。「梵天丸様」 侍女が遠慮がちに声をかけた。「行け。子どもは寝ている時間だろう」「さっさと、戻ってこいよ。小十郎」 格子の隙間から握り飯を差し入れた梵天丸は、侍女に連れられ部屋に戻った。それから数日後。傷の癒えた小十郎は、大勢の前で梵天丸に謁見し、平伏叩頭した。「我らが筆頭、梵天丸様」「――筆頭、か。悪くねぇ」 その日から、片倉小十郎は梵天丸の右目となり、梵天丸は小十郎を先頭にした、彼を支持する者たちから筆頭と呼ばれるようになった。 星明かりが雪に反射し、しらじらと明るい光が部屋の中に差し込んでいる。灯明の元で書物を紐解いていた小十郎は、廊下に現れた気配に顔を上げた。「小十郎。起きてるか」「は」「邪魔するぜ」 すらりと襖を開いた政宗が、軽く徳利を持ち上げて見せる。「少し、付き合えよ」「かまいませんが」 なぜ、と目顔で示しながら、小十郎は火鉢の傍へ政宗を導いた。「ちぃっとばかし、懐かしいことを思い出してな。おまえと呑みたくなったんだよ」「懐かしい事、ですか。それは、一体」「I can't say」 小首を傾げた小十郎に、楽しげに政宗が杯を押し付ける。「静かな夜に、それぞれの胸にある思い出を噛みしめながら呑むってぇのも、悪くねぇだろう」 ふ、と目じりを緩めた小十郎が杯を受け取り、政宗が酒を注いだ。 ほろほろと、酒に思い出を溶かし呑む二人の姿を、早蕨の夜衣が包んでいる。2014/02/07