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同音違物

 腕を組み、考え事をしながら梵天丸は歩いていた。
 相当難しい事を考えているらしく、その眉間にはクッキリと深いしわが刻まれている。
 彼の姿を見つけた者が、声をかける事をためらうくらい、真剣な面持ちであった。
(誰なんだ)
 梵天丸は、一生懸命考えた。けれど少しも見当がつかない。
(一体、誰なんだ)
 自分の知らない人間なのだろう。そんな人間がいても当然だとは思う。思うが、解せない理由があった。
(名前すらも、わからねぇなんてな)
 調べれば名前くらいはわかるはずだ。だが、名前すらも耳にできないとは、どういうことなのだろう。
(意図的に、隠されてんのか)
 そうだとしても、どこかから破片のようなものが、漏れ聞こえてもいいはずだ。それなのに、何の手がかりすらも得られない。
 名前の切れ端も、どこにいるのかも、何もかもがだ。
(この俺に知られねぇようにしているとしても、限度ってもんがあるだろう)
 その限度を超えるほど厳重に、その秘密は保持されているということか。
 何のために――?
(さっぱり、わからねぇ)
 梵天丸は足を止め、無意識に右目に手を伸ばした。そこには、まっさらな布が巻かれていた。布の奥はくぼんでいる。あるはずのものを失った場所を、梵天丸は押さえていた。
 病で醜く腫れた瞼。視力を失った右目。それがために、嫡男でありながら腫れ物を触るように、邪険な目をされながら扱われる事となった。くさくさとした梵天丸に、身分の度を超えた叱咤をし、家来筋であるというのに乱暴な言葉を使い、あろうことか医者でも無いのに刃を向けて、腫れた瞼を切り落とした男。
 誰もが梵天丸は跡目を継げぬと、距離をとることを念頭に置いて接していた。そんな空気に当てられた梵天丸は、自棄気味になっていた。それを物理的に切り離し、払拭をしてくれた片倉小十郎。
 その彼が、心底大切にしている者がいると聞き、梵天丸はその人物に会ってみたいと思っていた。
 だが、どこの誰だかがわからない。
 小十郎本人に聞けばいいのだが、彼に興味があると知られるのは、なんだか癪だった。家来筋であるのに遠慮の無い言葉を使い、敬うそぶりも見せず、平気で殴りかかってくる。何の飾りも無い、身分というものを考慮しない彼の態度であるからこそ、梵天丸の胸に響き、うつむいていた顔を上げさせてくれた。
 それをありがたく思う気持ちはある。あるが、素直に発する事ができない。どこかバカにしているような気もする、小十郎の態度。それが余計に梵天丸をひねくれた態度にさせていた。
(あの小十郎が大切にしている相手ってのは、どんな奴だ)
 梵天丸が目にする小十郎は、どんな相手にも臆さず、まるでヤクザ者のような言葉遣いで人と接している。そんな男が大切にするというのは、そうとうの人物だろう。
 そっと息を吐き、梵天丸は空を見上げた。高い空に、ゆるりと雲が浮かび進んでいる。こうして空を見上げる事ができるのは、小十郎の狼藉とも言える救済行動があったからだ。周囲から押し寄せる負の感情にまみれて、自らを暗い場所に落としていた頃は、空を見上げようなどと思わなかった。視線は常に、下を向いていた。
(小十郎の考え方や態度に、そいつは関係しているんじゃねぇか)
 小十郎が大切にしている奴がいると聞いたとき、まっさきに梵天丸の頭に浮かんだものは、それだった。
 あの小十郎が尊敬をしているらしい人物であるのなら、会ってみたい。どんな奴なのか、見てみたい。
 けれどどこの誰なのか、さっぱりと情報がつかめない。坊主であるということ以外、何の情報も得られない。
(一人で調べるのにも、限界があるってことか)
 自分が小十郎に興味を持っていると知られるのは面白くない。それに、小十郎が大事にしているというのなら、すぐに誰かわかるだろう。そう思っていたのだが、どこの誰だかサッパリとわからなかった。流れ者の坊主かとも思ったが、それならそれで人々の口の端にでも上りそうなものだ。けれど、そんな気配はみじんもなかった。
(徹底して、俺には知られねぇようにしているとしか、思えねぇ)
 その理由はわからないが、そうとしか思えない。わからないとなれば、知りたいという欲はますます募る。
(こっそりと、小十郎の後をつけてみるしかねぇか)
 そう決めた梵天丸はその機会を待つため、小十郎に知られぬよう、彼を監視する事に決めた。

 時間はかかるだろうと思っていたが、小十郎を尾行する機会は思うよりも早く訪れた。
 いつもよりもずっと早起きをした梵天丸が、そっと小十郎の様子を伺いに行くと、彼はきっちりと身支度を整え、外出をするところだった。
(こんな夜も明けないうちから……)
 夜が明ければ、梵天丸の教育係としての仕事がある。それまでに済まそうということなのだろうが、それにしても小十郎の格好が妙だ。
 四幅袴に半着という、奉公人や百姓のような姿で、頭には手ぬぐいを巻いている。これはもしや、大切にしているという坊主の世話をしにいくのかと、梵天丸の胸は緊張に高まった。
 小十郎を見失わない程度の、十分すぎるぐらいに十分な距離を取り、梵天丸は後を着けた。小十郎は気づく様子もなく、どこか楽しそうな様子で進んでいく。
(あんな小十郎、初めて見たな)
 それほど、件の坊主に会えるのが嬉しいのかと、梵天丸はなんとなく面白くない気持ちになった。
 遠く離れた後姿だけでも、楽しそうである事がわかる。どんな顔をしているのか見てみたいが、そうすれば見つかってしまうだろう。梵天丸は好奇心を抑え、距離をうかつに縮めぬように気をつけた。
(まさか、尼僧じゃねぇだろうな)
 あの小十郎が、女に、しかも尼に浮かれるというのは想像もつかないが、それならそれで興味深い。梵天丸は一歩進むごとに、鼓動が大きくなっていくのを感じた。
 小十郎はどんどん武家屋敷のある場所を通り過ぎ、里へと歩く。旅の坊主で、どこかの村にでも滞在しているのかと思いかければ、小十郎は道を曲がり畑の前で足を止めた。
(ここで、待ち合わせでもしてんのか?)
 梵天丸が見守っていると、小十郎はしゃがみこみ、何かの作業を始めた。
(何やってんだ?)
 梵天丸は、そろりそろりと身を隠しながら近付いた。そして――。
(うっ)
 目にした光景に、絶句した。
 あの小十郎が、慈しみの微笑を浮かべ、雑草を抜いている。その手つきは慣れた様子で、素人目にも丁寧な仕事に見えた。
(な、なんだ。一体、何でそんなことを)
 ぐるぐると疑問符を浮かべる梵天丸は、あまりの意外な光景に目が回りそうだった。
 畑の世話を終えた小十郎が、満足そうにするころには日が昇っていた。できたての朝日に照らされた彼の顔が晴れやかで、梵天丸は呆然とそれを見つめた。
 小十郎は梵天丸に気付く様子も無く、帰っていく。梵天丸はそっと畑に近寄り、そこで育てられているものを確認した。
「これは、牛蒡、か……?」
 人の話の隙間から漏れ聞いた、小十郎の大切にしているものは“御坊”ではなく“牛蒡”だったのか。
「……なんだよ、それ」
 腹の底がくすぐられ、喉が震えてクックと鳴った。それはすぐに大きな笑い声となり、梵天丸は腹を抱えて牛蒡畑にしゃがみこんだ。
「アイツが、こんな事をしていたなんてな」
 どれほど坊主を探しても、見つからないはずだ。相手は、御坊ではなく牛蒡だったのだから。
「面白い事、やってんじゃねぇか小十郎」
 梵天丸は朝日に顔を向け、去った相手に話しかけた。
 自分がコレを知ったと知れば、小十郎はどんな反応を示すだろう。
「おっと。早く戻らねぇとな」
 梵天丸の見慣れた姿に着替えた小十郎が、自分を迎えに来るはずだ。それまでに、部屋に戻っていなければ。
「人ってのは、見ただけじゃわからねぇモンだってことを、教えてもらったぜ。小十郎」
 駆け出した梵天丸の足取りは、天を行くように軽やかで楽しげだった。

2014/09/26



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