そよとも風の吹かぬ中、日差しばかりが人の肌を包む。焙るような日光に苛まれた者たちの様子を、徳川家康は目を細めて見て回っていた。 大阪城を守る兵たちの顔に、疲労の色がうかがえる。それもそうだろうと、家康は心中で頷いた。肌が常に汗に覆われ、乾く間が無い。兵らは具足を身につけているので、その中は汗で蒸れ、熱された体温の逃げ場が無い。具足も熱されるので、体感温度は相当なものとなっているだろう。 昼も過ぎていないというのに、こう暑くては、ただその場に居るだけで体力を消耗してしまう。体力の無い者は、ばててしまうだろう。 何か手立ては無いものか、と家康が思案しながら歩いていると、大木の影に腕を組んで座している石田三成がいた。 みっしりとした、いかにも健康そうな隆々とした筋骨を持つ家康と比べ、三成は色白く身幅が薄い。しなやかな動きと速さを刀に乗せて戦う三成と、どっしりと大地に足をつけて戦う家康の違いが、そのまま見た目にも現れていた。「三成」 大股に歩み寄る家康は、少年の面差しを残した精悍な顔を、人懐こく和らげた。「ずいぶんと暑いな。風が吹けば、まだしも楽になりそうなものだが」 言いながら三成の隣に腰を下ろした家康を、三成は薄く目を開け横目に映した。「何をしに来た」「何って」 家康は苦笑する。「兵たちの様子を見ている所に、三成と出くわしたんだ。――ああ、木陰はまだ、過ごしやすいな」 木の葉が日差しを遮り、心地よいものへと変えている。「こう暑くては、何をしなくとも体力が奪われてしまいそうだ。三成は、どうだ」 フンと三成は鼻を鳴らした。「そのような軟弱な鍛え方はしていない」「そうか。それは良かった」 にっこりとする家康に、三成は眉間を険しくした。「家康。まさか貴様、暑さなどに屈し、秀康様のために十分な働きが出来ないとでも言うつもりか」「ああ、いやいや。違う。ワシは大丈夫だ。心配してくれているのか、三成。ありがとう」「貴様の事など、心配などしていない。秀吉様の望む働きが出来ぬ者が出る事を、案じているだけだ」「そうか」「そうだ」 フイッと三成が顔を背けた。透けるような白いうなじが、青みを帯びている。「ちゃんと食べているのか、三成。十分に働くには、十分に食べなければ体力がつかないぞ」「必要分は摂取している」「そうか。ならばいいが」 沈黙が落ち、二人は並んで木陰に休む。一歩進めば、もうそこは目が痛くなるほどの日差しの中だ。しばらくそのままでいると、ぽつりと三成が言った。「刑部が」「うん?」「刑部が、あまり食事を摂らん」 三成が目元に翳りを落とす。「暑さに負けているのか」 家康の問いに、三成は無言を返した。「そうか。この暑さだからなぁ。どこかで、涼む場所があればいいのだが」 刑部こと大谷吉継はあまり体が強くない。この暑さでは日差しにやられてもおかしくはないと、家康は案じ顔を天に向けた。 木の葉が折り重なり、その隙間から優しげな光りを地上に下ろしている。幹に預けている背は涼やかで、木の周辺だけ空気が柔らかい。「そうだ」 家康が立ち上がり、日差しよりもなお眩しい顔で三成に言った。「木々の間に、休憩所を作ろう」 三成が家康を見上げ、片目をすがめた。「木陰は涼しい。日差しを和らげてくれる。ならば、大谷殿が休むにふさわしいとは思わないか」「木陰に刑部を連れて来いと言うのか」「うん、まぁ、そうなんだが」「なんだ。はっきり言え、家康」 いらついた三成に、家康は茶目っ気たっぷりに微笑んだ。 三成を連れた家康は、城下の林の中を歩いていた。木々の幹に手を当て空を見上げ、ウロウロとする家康の後ろを、三成が憮然とした顔でついていく。「何をするつもりだ、家康」「だから、休みどころを作るんだ。半兵衛殿にも、そう言って許可をもらっただろう」 ここに来る前に、家康は竹中半兵衛を捕まえて、林の中に休みどころを作りたいと願い、許可をもらった。その場に三成もいたので、それは知っている。だが家康と半兵衛は具体的な話は何もしていない。許可が出てすぐ家康は座を辞して、何の道具も持たずに木々の間に踏み込んだのだ。 しばらく歩いた家康が、ふいに立ち止まった。三成も立ち止まる。深く胸奥に空気を吸い込んだ家康は、この場の空気に自分を浸し、目を閉る。それを三成は眺め、周囲を見回した。「うん。ここが良さそうだな」 しっとりと濡れた空気はたしかに涼しく、苔の香りもほんのりと混じり心地よい。縄張りをしていたのかと、三成は判じた。道具を持たず、まずは縄張りをし、それから必要なものを取りに行くという算段なのか、と。 家康は手近な木にとびついて、するすると登っていく。三成はそれを見送った。しばらくして降りてきた家康は、ポンと登った木を叩いた。「三成。すまないが、この木を切ってくれないか」 三成の眉根が寄った。「どういうことだ」「幅はこれくらいで、長さはこの位がいいな。いらない枝は落として、板にしてほしい」 ますますわからない顔をした三成の肩に、家康は手を置いた。「三成の正確無比な技があれば、たやすいさ。運び、組み立てるのはワシが主に行おう」「貴様、二人で仕上げるつもりでいるのか」「ああ」 設計図も無しに、休憩所を作るつもりであるらしい家康に、三成は呆れた。「さぁ。早くしよう三成。午後になれば、日差しはさらにきつくなる。早く仕上げて、昼餉はここで食べようじゃないか。大谷殿の食欲が無いというのなら、忠勝と共にどこかの氷室から、氷を購ってこよう」 どうだと言われ、三成は顔をしかめた。食が進まず、気だるそうにしていた吉継の姿が、三成の脳裏に浮かぶ。「そこを退け、家康」 三成が刀に手をかけ、大木と対峙する。家康が離れれば、鮮やかな剣捌きで大木を板に変えた。「さすがだな、三成」 落ちてくる上空の幹も家康の注文どおりに刻み、枝を切り落とす。まっすぐに落ちて来る木を処理する三成の横で、家康は拳をふるい三成の邪魔にならぬよう、板となった木を叩いて草の上に落とし並べた。「よし。じゃあ三成。これらを組むために、この木と、この木のこのあたりに切れ目を入れてくれないか。それと対になるように、板の端も切ってほしい」「どうするつもりだ」「この立派な木々を生かしたまま、柱にするんだ。地から少し浮かせて、床下にも風を通すようにする。屋根には切り落とした枝を重ねて、壁は葦簀張りにすれば涼しいと思うんだ」 板を肩に乗せた家康の言葉に、なるほどと三成が頷く。「葦簀は、後で購わなければならないが、出来る部分は今すぐに作ってしまおうと思ってな」「さっさと位置を示せ、家康」 家康が頷き、位置を示せば三成が寸分の狂いも無く木々に穴を穿つ。その穴にピッタリと嵌まるように、板の端も切り、それを家康が拳や落とした木の太い枝を使い、打ち込んだ。あっという間に床が出来、屋根の骨組みが仕上がる。屋根の骨組みの上に木の葉を残した枝を重ね、壁の無い小屋のようなものが仕上がった。「よし。あとはこれで葦簀を用意し、壁にすれば完成だな」 家康が上がり、ごろりと横になった。「ああ、これは心地がいいな。思うよりもずっと、過ごしやすい。三成も、寝転んでみろ。気持ちがいいぞ」 肘をついて上体を持ち上げた家康に、三成は鼻を鳴らした。「さっさと葦簀を買いに行くぞ、家康。昼までに仕上げるのだろう」「ああ、そうだったな。だが、少し位、仕上がりを楽しんでもかまわないだろう」「壁が出来ていないというのに、仕上がったと言うな。貴様は、そのような半端な仕事をするつもりなのか、家康」「まあ、そう言うなよ、三成。強度を確認するためにも、三成も乗ってくれ」 そう言われれば、乗らないわけにはいかない。三成は渋々と家康の横に来た。ほらと促され、仰向けに寝転がる。折り重なった緑が濃さを増し、涼やかな空気を静々としたたらせている。わずかに隙間をあけるように組んだ床の下から、苔むす清涼な空気が立ち上り、肌の熱をゆっくりと奪っていく。 心地よさに、三成は思わず目を閉じた。それに微笑み、家康も横になり目を閉じる。 穏やかで涼やかな、ほんの少しのよそよそしさを含んだ空気が、二人を受け入れた。風も無く葉音もしない静寂に包まれ、体内に溜まった熱が溶けて、心地よい気だるさが肌に浮かんだ。 心地いいな、と家康は三成に話しかけたつもりだったが、それは音にならずに寝息となって口から漏れた。 眠りのふちで、家康は横に在る友に語りかける。 こんな時間が、ずっと続けばいいな、三成。 こうして、気の置けぬ友と穏やかに過ごせる日々が続けばいい。 そういう世を、作らなければ。 なぁ、三成。 三成――。 2014/06/02