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馳走

 ゆらゆらと煙がくゆっている。
 あのようなところには何もなかったはずだがと、毛利元就は煙が細く立ち上っている岩場の奥に足を向けた。
 安芸を統べている人間が、共も連れずに軽装で海辺をうろついているというのは、感心できる行動ではない。だが、元就は稀代の軍師。危ういと考える場所を、無用心に出歩いたりなどしない。
 線が細く、女生とみまごうほどに華奢で小柄な元就だが、武人としての力量は並ではない。そのへんにうろついているゴロツキ程度ならば、軽くいなしてしまえるほど武芸にも通じている。また、乱れた戦の世であっても自領の治安には、自信をもっていた。
 彼がひとりで出歩くのは、わずらわしいものから離れ、ひとり思想にふけりたいか、身軽なほうが報告として上がってこない実情を知るのに便利だからだ。
 もしも誰か共がいれば、煙の出所を探ってくると、元就を残して偵察に出ていただろう。それはそれでいいのだが、世の中には自分の目で見るべきものもある。取るに足らないものだとしても、情報として日常の風景を自分の五感で知っておくことは大切と、元就は考えていた。
 近づくにつれて、いい香りが漂ってきた。香ばしくふくよかな匂いは、間違いなく魚の脂だ。いったい誰が、こんな所で魚を炙っているのかと、岩から顔を出した元就は動きを忘れた。
 元就の目に、板切れらやなにやらを集めて焚き火とし、熱した薄い石の上で魚や海老、貝などを焼いている男の後ろ姿が映った。その男はいかにも海の男らしく、隆々とした筋肉をまとう肌を、おしげもなくさらしていた。下帯のみの男の肌は、清潔そうな下帯の白も霞むほど、白く透き通るような肌をしていた。そして髪も、陽光に照り輝くほど白く、銀にも見える。
 肌の白さ以外、自分とは間逆の見目、そして中身も陰陽のごとくかけはなれている男を、見間違うはずもない。
「長曾我部。貴様、ここでなにをしている」
 元就は迷うことなく声をかけた。
 呼ばれた男が振り返り、白い歯をキラリとひからせて、親しげに右目を細める。彼の左目は、鮮やかな紫の眼帯に覆われていた。
「よお、毛利。なんでぇ、ひとりぼっちでおさんぽか」
 元就はなれなれしい口調の男をにらみつけた。
「貴様、このようなところで裸同然で焚き火とは。よもや四国を追われたか」
 目の前の快活な笑みを浮かべている男は、元就からすれば粗野で下品で知性のかけらもうかがえない海賊風情、となるのだが、瀬戸内海をはさんで向かいにある四国の長をしている。豪快な容姿からは想像もつかぬほどの、細やかな技巧をこらした奇想天外な自動武器や大型軍船を設計し、作り上げることのできる男だ。
「おいおい、バカなこと言うんじゃねぇよ。俺が追われるわけ、ねぇだろう。だいいち、そんなことになっちまったら、まっさきにアンタんとこに情報が行くんじゃねぇか」
 それもそうだ。安芸と四国は瀬戸内海を挟み、互いの領土を守らんと争いあっている。海を隔てているとはいえ、隣国と呼べなくもない四国になにごとかあれば、元就の耳に入らぬはずはなかった。
「ならば、なぜ貴様はひとりで野良者のようなことをしている」
「野良者とは、またずいぶんな言いようじゃねぇか。毛利よぉ。この西海の鬼と呼ばれる、長曾我部元親様が、みずぼらしく見えるってぇんなら、アンタの目はとんでもねぇ節穴だな」
 自分の体躯を誇るように、元親が腰に手をあて胸をそらす。みっしりとした筋肉が、はちきれそうなほどにふくらんでいる元親の肌は、透けるように白いが健康的な血色をしている。どこからどうみても栄養満点の健康優良児だ。
 元就は、ふんと軽く鼻を鳴らして、顎で焚き火を示した。
「それは、どういう趣向だ。なにゆえ、そのような格好をしている」
「どういうもこういうも、ねぇよ。腹が減ったから、海に潜って食いモンを獲ってきただけだ。潜るのに、着物は邪魔だろう」
 さらりと返した元親が、少しだけ移動する。
「ひとりなら、丁度いいや。つきあえよ」
 ほらと元親は、自分が腰かけていた岩の横を手のひらで指した。
「なにゆえ、貴様につきあわねばならん」
「そう不機嫌な顔すんなって。今は、どっちも誰も連れてねぇんだ。安芸だ四国だっつうのは置いといてよ、一緒に食わねぇか。酒だってあるんだぜ」
 へへっと悪ガキのように笑って、元親が小さな酒樽を示す。元就は眉間にシワをよせつつも、元親の示した岩へ座った。
「そうこなくっちゃな。腹ぁ、減ってねぇか? もうすぐ焼けるからよ」
 鼻歌でも飛び出しそうな気色で、元親が火のそばを離れて海辺に行った。なにをするのかと見ていれば、海の中に手を突っ込み、波をかきまわしてから戻ってきた。その手に、手のひらほどの大きさの貝殻がある。
「盃がねぇから、これで代用な」
 ほらと差し出された貝殻には、焦げ目がついていた。
「さっき食ったぶんを、あの辺に投げたんだよ。ひとりなら、樽から直接、飲んじまえばいいと思ったんだけどよ。毛利も飲むんなら、そうはいかねぇだろう」
「阿呆は阿呆なりに、気遣いができるらしいな」
「毛利は、ほんっと口が悪いよなぁ」
 元就の憎まれ口を、元親は軽く受け流す。それがなぜか心地よく、元就は浮かんだ感情をかみしめるように、わずかに目を伏せた。
「おっと。海老はそろそろ、いい具合だぜ。熱いから、気をつけろよ」
 そう言いながら、元親は海老をわしづかみ、元就に差し出した。そのようにして料理、と呼べるほどのものではないが、調理したものを渡された経験など元就にはなく、どうしていいかわからない。それに気づいた元親が、ああそうかと言いながら、海老を二つに折った。
「殻をむいてやるから、味噌をこぼさねえように、頭を持ってろ」
 逆さにした海老の頭を、元就はこわごわ受け取った。指に焼けた殻の熱が伝わる。薄い肌に小さな痛みにも似たものを感じたが、平然としている元親に熱がっているところを見せるのは業腹なので、ガマンした。元親は楽しそうに海老の殻を剥いている。
「できたぜ、毛利。身で味噌をすくって、食ってみろよ。うまいぜぇ」
 実感のこもった言葉に、半信半疑な顔をして、元就は言われた通りに食べてみた。濃厚な味噌の味と、ぷりっとした海老の歯ごたえ。その後にふわりと広がる磯の香りに、愁眉が開く。旨いと言わずとも、表情で伝わったらしい。元親はうれしそうに、貝殻の盃に酒を満たして元就に手渡した。口内に満ちていた磯の味が、ほろ苦い酒に浄化され、喉を滑り落ちるのがたまらない。このような賞味の仕方があったのかと、元就は意外そうに平石の上で焼かれる貝や魚たちを見た。
「色々と手をかけたモンも旨いけどよぉ、こうして焼いただけってのも、いいもんだろう」
「貴様のように粗野で大振りな、繊細さの欠片もない味だが、悪くはない」
「素直に旨いってほめりゃあいいだろう。ひねくれてんなぁ」
 ははっと軽く声を立てた元親が、焼けた魚に手を伸ばす。元就もそれを見て、手を伸ばした。
「足りなくなったら、潜ってくっからよ。遠慮せず、どんどん食え」
「遠慮をするのは貴様のほうぞ。ここは安芸の領地。貴様は我の領地の恵みを、勝手に腹におさめようとしておったのだ。漁の労を支払い、我に馳走をするは当然のこと。密漁の咎で捕らえ、獄門に処してもかまわぬのだぞ」
「おうおう。言うじゃねぇか。海は、誰のモンでもねぇってのによぉ」
 まあいいかと、元親は元就に酒を勧める。元就は涼しい顔で酌を受けた。
「しっかし。まさか毛利に出くわすとはなぁ。面白ぇこともあるもんだぜ」
「我が領地に来ておいて、我に会うかもしれぬと思わぬ貴様は、想像力が不足をしておるのではないか」
「毛利がひとりで、ひとけのねぇ岩場に来るなんざ、思わねぇだろう」
 どんどん食え、と態度で示す元親に促されるまま、元就は獲れたての海の幸を味わい、差される酒で唇を湿らせる。元親はひどく楽しそうで、元就もそれに感化されたのか、腹の底がクスクスと温かい。なにが目的でこんなところにいるのかと、問いただす気は失せていた。
「いやぁ、旨ぇな」
 上機嫌な元親の声に、心中でそっと同意をこぼしつつ、元就は天然の味付けに舌鼓を打った。
 世の中には自分の目で見るべきものもある。取るに足らないものだとしても、情報として日常の風景を自分の五感で知っておくことは大切。
 このような風景もあるのだな、と元就は目を細める。
 だから、誰にも行き先を告げずに、そぞろ歩くのは面白いのだ。

2015/06/30



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