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花曇り

 春雨が開きはじめた桜を叩き、ゆらしている。
 それをながめつつ、ほろほろと盃を口に運んでいた毛利元就の目元がチリリと細められた。
 遠くから足音が近づいてくる。無遠慮でなれなれしく、どこか粗暴で親し気なその音の持ち主の姿は、すぐさま元就の脳裏に描かれた。
――めんどうな。
 漏れた息が盃に落ちて酒面を揺らした。
「よぉ、毛利」
 予測通りの声が元就にかけられる。チラリとも見ない元就の態度を気にすることもなく、来客――長曾我部元親は、どっかと隣に腰を下ろした。
「降ったり止んだり。落ち着かねぇな」
 言いながら元親は、腰の布に括りつけていた巾着から盃を取り出し、手土産の徳利から酒を注いで勝手に呑みはじめた。
 元就は「なんの用だ」とも聞かず、元親も用件を口にしない。
 ただ横に座って、唇を酒気で湿らせている。
 黒になりきらない灰色の雲は妙にまぶしく、その上にある太陽の光を中途半端に透かして地上にまき散らしている。その中を春雨がしずしずと降り注いでいた。
 気温はなまぬるく、まるで隣の男のようになれなれしいと、元就は思う。
 キンと冷え切った冬の、よそよそしさが元就は好きだ。すべてを白く埋め尽くす雪も。チリチリと肌を凍えさせる厳しい空気は、己によく似ている。
 ふっと元就は隣の男の気配に意識を向けた。
 がさつで乱暴で、それなのに行動の端々に育ちの良さが見え隠れするこの男は、人々が待ち焦がれよろこぶ春に似ている。
 元就よりもふたまわり以上も大きな体躯。力強く隆々と盛り上がった筋肉と長身は、西海の鬼と呼ばれるにふさわしい。しかし、彼の肌は抜けるように白く……その髪も白銀のように穢れなく、たくましい体の上に乗っている顔は人懐っこく柔和だ。
 左目をおおう紫色の眼帯が、彼の清廉さをさらに際立たせている。
 まったく海賊風情が。なぜそれほどに清廉でいられるのか。
 元就は盃に映る自分を見つめた。
 鋭利な顎のライン。切れ長の瞳と通った鼻筋。女と見紛う容姿だと自負している。さらりとした顎までの髪は輪郭に添って、華奢で小柄な元就の姿を、さらに薄く見せている。
 元親が鬼ならば、自分は般若であろうかと元就は口の端をわずかにゆがませた。
「お?」
 元親が首をかしげて、元就の口許をながめる。
「なんか、企み事でもしてんのか」
 ニヤつく元親に鼻を鳴らして、侮蔑の視線を向ける。
「やっと、こっち見たな」
 満足そうな元親に、元就はふたたび鼻を鳴らした。
「なにをしに来た」
「おまえと呑むために決まってんじゃねぇか」
「我は望んでおらぬ」
「雨の中、わざわざ出向いてやったのに、つれねぇな」
「呼んでもおらぬし、頼んでもおらぬわ」
「まあ、そうだけどよ」
 カラカラと笑う元親は、グイッと盃をあおって徳利を元就に突き出した。
「まだ干してはおらぬわ」
「なら、さっさと干せよ」
「我は我の呑みたいように呑む」
「なら、俺にアンタの酒を注いでくれ」
「断る」
「つれねぇな」
 なにをいまさらと元就は黙殺し、雨濡れの桜に目を向けた。
「きれぇだな」
 しみじみと元親がつぶやく。
「花見ならば、相手に事欠かぬだろう」
 さっさと去ねと言外に含めた元就に、ふうむと元親があいまいな息を漏らした。
「まあ、そうなんだけどよぉ」
 ボリボリと頭を掻いた元親が、しきりに首をひねる。
「まあ、雨だったからよ」
 なんだそれはと元就は心の中でつぶやく。にぎやかに呑めないから、ここに来たと言いたいのか。
「雨であろうと屋内から桜を見ればよい」
「だからこうして来たんじゃねぇか」
「そういう意味で言うたのではないわ」
「うーん」
 うなりながら元親は手酌で酒を呑み続ける。
「俺も、そういう意味で言ってるんじゃねぇんだよな」
「どういう意味か、言うてみよ」
「野郎どもとじゃ、違ぇんだよ」
「なにが、どう違う」
 うーんと元親はまたうなった。どうでもよいと元就は景色に意識を向ける。だが、なぜか体の片側が隣の男を意識する。それがザワザワと心をざわめかせた。
 半身だけが、あたたかい。
「なんか、こういう日はよぉ……アンタと呑みたくなるっつうか、なんつうか」
「貴様の趣向に付き合う義理はない」
「まあ、そうだけどよ。――けど、逃げずにいるじゃねぇか」
「我を猫のように言うでないわ。ここは我が屋敷ぞ。我が貴様から逃げる道理はあるまい」
「追い返しもしねぇ」
「貴様と言い争うは無駄と把握しておるだけぞ」
「はっは。まあ、そうだな。帰れっつわれても、居座る気でいるからな」
 迷惑なと元就は美麗な眉をひそめた。
「辛気臭ぇツラすんなよな。笑えとまでは言わねぇけどよ」
「貴様に気を遣えと?」
「そうは言ってねぇよ」
「ならば文句を吐くでない」
「あー、うん……まあ、そうだな」
 はっきりしない元親に、元就は片目をすがめた。
「おっ」
 元親が空に目を向ける。つられた元就の目が雲の晴れ間を見つけた。そこから一条の光が差し込んでいる。あの下はおそらく海だろう。輝く海面を思い浮かべた元就は、愁眉を開いた。平坦な表情に戻った元就に、元親がニヤニヤする。
「言いたいことがるのなら、早々に申して去るがよい」
「こういう天気にゃ、やっぱアンタと花見をするほうがおもしれぇな」
「意味の分からぬことを」
「大騒ぎする雰囲気じゃねぇってこった」
「強引に貴様の趣向に付き合わせるなと言ったはずだが」
「そうは言っても、付き合ってくれてんじゃねぇか」
「我が屋敷ぞ?」
 おなじ会話の繰り返しに、うんざりと元就は目を細めた。
「次の晴れ間には野郎どもと、金吾やらなんやらもまとめて花見すんだよ」
「……」
「場所も決まってんだ。海も見える場所でよぉ。絶景だぜ」
「……」
「呼びに来るから、そのつもりでいろよ」
「断る」
「なんで」
「三度もおなじことを言わせるつもりか。それとも、寸の間ほども記憶が保たぬほど愚鈍なのか」
「いいじゃねぇか、たまにはよ。桜の時期は短いぜ」
「それがどうした」
「ほんっと、不愛想なヤツだな」
「貴様に振りまく愛想なぞ持ち合わせぬ」
 へっへと元親は笑って、膝の上で頬杖をついた。
「アンタが愛想を振りまく相手ってのがいるんなら、見てみてぇもんだぜ」
「……」
「まあ、とにかく。誘いに来るからよ」
「……」
「なんだよ。さっきみてぇに、来るなとかなんとか言わねぇのかよ」
「いくら言うても、貴様は来るつもりでいるのだろう」
「まあな」
 へっへっへっと得意げに相好を崩す元親に、やれやれと心中であきれながら元就は止んだ雨に濡れ光る桜をながめた。
「ずいぶんと、あったかくなったよなぁ」
「……」
「けど、また寒くなるんだろな」
「……」
「花冷えっつう言葉もあるしよ」
「……」
「この雨が、花散らしの雨じゃなくてよかったぜ」
「……」
「呼びに来んのは、明日になるかもな」
「……」
 ふふっと鼻を鳴らした元親が、徳利を目の前にかかげる。元就の盃は空になっていた。
「ほら」
「……」
 わずかにためらい差し出した元就の盃に、元親がなみなみと酒を注ぐ。
「ん」
 元親が空の盃を突き出して、酒を注げと笑顔で示す。
 元就は黙殺した。
「つれねぇなぁ」
 文句を言いつつも元親はにこにこしている。
「いい天気だなぁ」
 しみじみつぶやく元親の声が、うす曇りの空に吸い込まれる。雲に反射した陽光はまぶしすぎて、花に影を落としていた。しっとりと濡れた桜の色は淡鼠色に見える。
 どこがいい天気なのかと、元就はいぶかしんだ。元親は晴れやかな顔で景色をながめている。
「こういう、しっとりあったけぇ時間も気持ちがいいよな」
「……」
「アンタが教えてくれたんだ」
「……なにを」
「静かな時間もいいもんだってことをだよ」
 自分の目がゆっくりと見開かれるのを、元就は止められなかった。反対に元親は糸のように目を細めて、ニカリと歯を見せる。
「だからよ。毛利もさわがしい花見を味わって、にぎやかなのもいいもんだって思ってくれよ」
「感性を強要するでないわ」
 へへへと子どもみたいな顔で元親が笑う。フンと鼻を鳴らして景色に目を向けた元就の心は、ゆるやかなぬくもりにくすぐられてクスクスと笑った。
 雲がゆっくり晴れていく。
 純白の雲の隙間に、やわらかな蒼天が顔をのぞかせた。

2017/04/07



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