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野菊

 道端に咲いている、小さな花に目を留めることを教えてくれたのは、貴方でした――
 ふと目を向ければ、小さな花が風に揺れていた。猿飛佐助は小さく笑んで、目を細める。それに気がついた彼の部下が、気配で疑念を発した。
「ん? ああ。懐かしいなってさ」
 忍にしかわからぬ発声法で返答をした忍長に、さらなる疑念の気を発した相手に、佐助は苦笑する。
「旦那が小さいときに、散歩に出かけては気にも留めないようなものに目を留めて、あれがどうだ、これがなんだって、うるさかったなぁって」
 納得の気配を微笑ましく纏った相手に、佐助は鼻の頭を軽く掻いた。
「ま。うるさいのは今でも変わらないけれどね。――おっと」
 木々の向こうで気配が動いたのに気付き、和やかな雰囲気を霧消させる。
「それじゃ、ちょっくらお仕事と行きますかね」
 目配せをしあい、真田忍隊は夜陰の中に掻き消えた。

 ビュッと空気を切る鋭い音が庭に走る。
「うぉおおおおおっ」
 片腕に一本ずつ、槍を握った青年が、激しい声を上げて虚空に突きを繰り出している。見えぬ相手を影と見て、意識の中にある相手の動きを想定し、鍛錬をする姿は勇ましく、気迫に満ち満ちている。
「旦那ぁ。そろそろ休憩にしときなよ」
 のんびりとした声がして、幸村は気合を炸裂させたかと思うと、先ほどまでの鬼気迫る気配はどこへやら。柔和な、幼さの残る笑みを浮かべて振り向いた。
「おお、佐助。帰っておったのか」
「うん。ただいま旦那。お土産あるよ」
 旦那と呼ばれた佐助の主、真田源次郎幸村は、佐助の手にある盆に、見事に白くつややかな大福が乗っているのに目を輝かせた。
「なんと、うまそうな!」
「うまそう、じゃなくって、おいしいの。ちゃんと味見してから、買ってきたんだぜ」
「そうか」
 うきうきとした足取りで佐助に近付き、幸村が手を伸ばす。大福にその手が触れる前に、佐助はヒョイと盆を持ち上げた。
「オヤツを食べる前に、汗をぬぐって着替えておいで。日が落ちだすと、ぐっと気温が下がるんだから。油断しない。普段からの体調管理も、鍛錬のうちってね」
 軽く片目を閉じた忍に、物欲しそうに大福に目を向けたまま、幸村は幼子のようにうなずいた。
 そうして体をぬぐい、着替えを済ませた幸村は、佐助と並んで縁側に座った。秋に染まる庭と、屋敷の塀の向こうに見える山と空を眺めながら、大福をほおばるべく皿に目を向け手を伸ばした幸村が、そこに添えてある野菊に目を留め、大福に向けていた手の行く先を変えた。
「野菊か」
 花をつまんで持ち上げた幸村が、やわらかく目を細める。それに、同じように微笑んだ佐助が、なつかしげに視線を遠くに投げた。
「旦那がこぉんのくらい小さい頃にさぁ、散歩に出かけたら、道端に咲いている花とか、鳥とか虫とか、小さいものを見つけては、さすけ、さすけって言いながら立ち止まって指差してたよねぇ。懐かしいなぁ」
 そう言って、佐助が両手で幅を作ってみせる。その手の間は一尺ほどしかなくて、幸村が目を丸くした。
「なっ! 佐助。その幅では小さすぎるぞ」
「違わないって。こんなもんだった」
「そこまで小さくはない! せめて、このくらい」
 そうして幸村が示して見せたのは、床から四尺ほどの高さだった。
「ええ。そんなに大きかったかなぁ」
「佐助とて、その頃は子どもだったではないか。ああ、そうか。その分を差し引いて、それほどの大きさだと思うたのだな」
 うんうんと納得のできる理由を見つけた幸村が、野菊を佐助の髪に挿した。
「昔は、よくこうして、摘んだ花を佐助の髪に挿したものだったな」
 にっこりとした幸村が、花を手放し空いた手で、大福を掴んだ。まふっとかじりついた幸村の、年より幼く見せる丸い目が細くなり、ふっくらとした頬が大福でさらにふくらんだ。弁丸という幼名で呼ばれていた頃と同じ、幸せそうな笑みを浮かべる幸村に、佐助は眉を下げて「仕方が無いな」と表情で告げる。もう一輪あった野菊を抓んだ佐助が、それを幸村の髪に挿した。
「それで、弁丸様が俺様に花を挿したお返しに、俺様も花を挿し返したんだよねぇ」
 ふふっと息を漏らした佐助に、大福を租借しながら幸村がニコニコとした。その笑みを見ながら、佐助は遠い日を思う。
 血しぶきと硝煙。鉄臭い匂いと雄叫びの行き交う戦場。そこで自軍のものらが優勢に戦うために、暗躍をしていた頃。
 日中でも陰に走り、宵闇よりも黒い鮮血でこの手を染めていたあの頃。
 路傍の花などに目を向けることなど、それに意識を向けることなど思うことすらしなかった、あの頃。
 薄い氷のように張り詰めて冷えた佐助の心に、弁丸は無邪気に触れた。やわらかく小さな手のひらで、心の薄い氷を割り開いた。その奥にあった佐助の感情に手を差し伸べ、腕を掴み立ち上がらせた。
 つかまれた部分から弁丸の熱がじわりじわりと、氷の裏にあった佐助の心を温めた。
 目の前にある笑みは、あの頃と変わらない。
 その手に槍を掴んで振るい、戦場では紅蓮の鬼と化す武勇の人となっても、血塗れたその手は暗く落ちずに、無垢な心をそのままに握り締めている。
「ねえ、旦那」
 ん? と幸村が大福を口の中に詰め込みながら、首をかしげた。ぶふっと佐助が吹き出す。
「ちょっと旦那。誰も取らないから、もっとゆっくり食べて。口の周り、粉だらけだから」
「むっ」
 ぐい、と幸村が手の甲で口をぬぐった。くすくすと鼻を鳴らしながら、佐助が幸村に湯飲みを差し出す。受け取り、ごくごくと飲み干す幸村に、佐助は言いかけた言葉を飲み込んだ。
 ふうっと口の中を空にした幸村が
「で、何だ。佐助」
「ん? なんでもないよ。これからも、宜しく頼むぜ旦那」
 はい、と佐助が大福の皿を持ち上げる。
「うむ」
 力強く頷いた幸村が、はっしと大福を掴んで、力強く歯を立てた。

2013/10/11



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