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秋憂1

 一揆が起こったという知らせの後に、それが思うよりも早く鎮圧されたというので、収拾報告を受けることとなった。馬腹を蹴り目的の場所にさしかかった幸村は、道の端で膝を抱えてうずくまる子どもを見つけた。
 心中で首を傾げつつ馬を止めて降り、手綱を引いて歩み寄る。
「このようなところで、どうした。腹でも痛いのか」
 声をかければ、うずくまっていた子どもが顔を膝に隠したまま首を振った。
「では、なんだ。なにゆえ、このようなところにおるのだ」
「終わるのを、待ってんだ」
「終わる? 何が、終わるのだ。まさか、まだ一揆は鎮まっておらぬというのか」
 さっと幸村の顔に緊張が走る。里に顔を向けてみたが、これといった声は聞こえてこない。穏やかに夕餉の支度の煙らしいものが、ゆっくりと立ち上っているのが見えるだけだ。
「一揆は、終わったよ。おいらたちの負けで、終わったんだ」
「ぬ、ぅ。おぬしも戦ったのか」
 顔を上げぬまま、子どもが頷く。まだ十にも満たぬ子どもではないかと、幸村は眉をひそめた。
「なにゆえ、一揆を起こした。なにゆえ、おぬしのような子どもまでもが武器を手にしたのだ」
 そうっと顔を上げた子どもの目に、憎悪の焔と絶望が揺らめいていた。
 ぞく、と幸村の背中に薄暗く冷たいものがつたう。
「おまえらが、おいらたちの食べ物も何もかもを奪うからだろう」
 奥歯をかみ締めながら低く紡がれた言葉に、幸村の目が静かに見開かれた。
「天下がどうのって言いながら人殺しをするために、おいらたちが苦労して育てた米や野菜を奪っていくからだろう」
「なっ。それは、天下を治めれば戦などなくなり――」
「そんなに天下がほしいなら、自分たちだけで勝手にやればいいだろう。おいらたちは関係ない。天下なんて、どうでもいいんだ。毎日食うものがあって、かあちゃんやとうちゃんや村のみんなと笑いあって、そうやって過ごせれば誰がご領主様でもいいんだ」
「な、なれど非道な者が天下を治めれば、ひどい目にあうのだぞ」
「もう、十分ひどい目にあってるよ!」
 叫びながら、子どもが立ち上がった。
「なんで、自分たちで作った米を返してもらうために、かあちゃんがひどい目にあわなきゃいけないんだ! なんで、とうちゃんが殺されなきゃいけないんだ!」
歯をむいて幸村に吼えた子どもは、さっと身を翻して走り出した。
「待て!」
 とっさに腕を伸ばした幸村の、鍛えられた足から子どもが逃れられるはずも無く
「放せっ、放せぇえっ」
 あっさりと捕まえられた子どもが、幸村の腕の中で暴れる。
「ひどい目とは、どういうことだ。母御は、どのような目にあっておる」
「しらばっくれんなよ! 米を奪って腹をくちくしたら、次は女を食うのが当たり前なんだろう。えらそうに刀を振り回して、言うことを聞けば守ってやるって脅して! おまえらの戦に、おいらたちを巻き込むなっ!!」
「なっ」
 驚愕する幸村の腕から体を振って逃れた子どもが、数歩走り逃げて振り向いた。
「おまえらが戦をするから、悪いことをしていないとうちゃんたちが殺されて、かあちゃんたちが苦しむんだ! 二度と来るなっ」
 叫んだ子どもは、一目散に走り逃げる。衝撃から戻れぬ幸村は、それを見送った。
「女を食す、とは――」
 拳を握り呻いた幸村が、ギリと歯をかみ締め軋ませる。
「なんたる愚行か」
 あの子どもは、終わるのを待っていると言っていた。それはつまり、今あの村には愚行を強要しているものがいることだ。
「許せぬ」
 自然と背の槍に手を伸ばした幸村が足を踏み出す前に、何かが飛来し地面に刺さった。
「うぬっ、なに奴」
 腰を落とし臨戦態勢をとれば
「やれやれ。卿はほんとうに美しいな」
 聞いた事のある声が、林の奥から届いた。
「その声は」
 頭に浮かべた人物が、木陰より姿を現す。
「松永久秀」
 喉の奥から搾り出すように名を呼んだ幸村が、全身に警戒をみなぎらせた。
「人の業を愚行とは、まったく卿の無垢さは驚愕ものだ」
「なにを言う。弱き民を救うべくして鍛えた力を、無理やりに従わせるために使うは愚行! ましてや女子(おなご)を、てっ、てごっ、手篭めにするなどっ」
 口にしながら顔を赤らめる幸村の初心さに、松永が面白そうに目を細めた。
「卿は、本当に愚かなほどに清らかな心の持ち主だな。先ほど走り去った子どものほうが、人の世のことをわかっていると見える」
 声を愉快に震わせた松永が、目を細めた。
「卿はよほど、安穏と生きてきたのだね」
「っ!」
 奥歯を噛み締め睨みつけ、腰を落として意識を絞る幸村に、おやと松永は意外そうに眉を上げた。
「卿は何の理由があって、私に向かって刃を振るおうとするのかね」
「それは――」
 それは、と心の中で繰り返し、幸村はその先の言葉が続かぬ己に驚いた。それを見透かすように、松永は一歩、幸村に近付く。
「私に侮辱されたからかね? 人は、本当のことを言い当てられると怒りを覚えるものだ。卿は、安寧の中に生きてきたということを、自覚しているということだな」
 興味深げに幸村を眺める松永を睨みつけながら、幸村は彼に対する言葉を何一つ自分が持っていないことに歯噛みした。何をどう言えば、反論できるのか。
「戦場で、卿はいくつの命を奪った」
「なに?」
「戦場で、卿はいくつの命を奪ったのかと聞いているんだ」
「――覚えて、おらぬ」
 警戒をしたまま応える幸村の声は、どこか力ない。それに、松永はまたも興味深そうに、何かの実験をしているような態で幸村を眺め回す。
「卿が殺した相手の子どもも、先に走り去った子どものように、母が陵辱され終わるのを待っているのかもしれないな」
「っ?!」
 驚きに目を見開いた幸村に、クックと松永が喉を震わせた。
「安易に想像がつくことだと思うのだが……。そうか、卿はそんな簡単なことすらも思いつけずに、刃を振るい、人を殺めていたのかね」
 さもおかしそうに言う松永の言葉が、幸村の心を揺らした。
 自分が殺めた相手の子どもが、先ほどの子どものように――?
「男手の無くなった里の女は田畑を耕し、収穫した農作物は兵糧として差し出され、食うために、子や親を食わせるために、略奪に現れた男どもを相手にして物乞いをし、湯水と変わらぬほどに薄い粥を啜る。――そういうものだ」
「そ、そのようなことは」
「無いとは言い切れまい。それとも卿は、里の者らの生活を鑑みた事が無い、と言うのかね。戦場に赴く際に立ち寄った里の様子に目を留めたことは無いと言うのかね?」
 ぐらぐらと、幸村の内部が揺れる。彼の脳裏に、隊列を進める折に立ち寄った村々の記憶が蘇る。
 兵役で男手を無くした、女子どもと年老いた者しか残っていない村があった。食料を購おうとして銭を出しても、出せるものはないと断られた村があった。山に入り食える草木をかき集め、なんとか空腹をしのいでいる人々がいた。彼らは、一様に疲れた笑みを浮かべ、幸村らを村に泊めた。女たちが奇妙に陽気な笑顔を張り付かせ、木の実などをすり潰した団子でなんとか酒の肴を作り、山で取れた果物を発酵させて作った酒を持ち、しどけなくそれを勧めて兵士を自分の家へ招く姿を見た。自分も誘われ、断った事があった。誘いに乗る者を咎めようとした自分を、幼き頃より傍にいた忍、猿飛佐助が制した。そのときに、彼が言っていた言葉は――
 ――彼女たちに、生活の糧を与えてやんなよ。
 ぞわ、と幸村の足元から悪寒が立ち昇った。その女らのことを、うつろな目で見つめる子どもの姿が家の隅に無かったか。それを招いて手慰みに、草笛を作って家の中より聞こえる声から、佐助は遠ざけてやっていたのではなかったか。
「俺は……」
「卿は、うすうす感づいていたのでは無いのかね。天下泰平と言いながら、民の暮らしを豊かにしようと言いながら、民の暮らしを苦しめているのは、大義名分を抱えた人殺しの行為でしかない戦だということを」
 ぐらり、と幸村の目の前で大きなものが揺れた。めまいにも似たそれに、胸をあえがせる。
「見えていたのに、見ないフリをしていたと言うのかね? なんとも都合の良い正義だな」
 あざける気配の無いことが、より幸村の心をえぐる。
「そもそも、一揆が起こるというのは、民が飢えて食料を求めてのことだ。それを制圧するなど、おかしいとは思わないのかね」
「っ、は、はぁ、あ」
 揺れるものが何かはわからぬまま、瓦解せぬよう必死に堪える幸村の息が荒くなる。それをなぶるように、おだやかに松永は言葉を続けた。
「先ほどの子どもの母は、食料の代わりに自分の身をささげているのだろう。いやはや、健気なことだ。それをわかっているからこそ、子は母を気遣い、知らぬフリをするために里から離れた場所にいたのだろうな」
 幸村に語り掛けるというよりは、先ほどの状況を確認するような口調で、松永は道の先に顔を向ける。ちらりと幸村に目を向けた松永は、指先で軽く押せばくずおれそうなほど息を荒らげ目を剥いて堪える彼の姿に、目じりを剣呑に光らせた。
「卿は、これから一揆の首謀者を捕らえて吟味をするのだろう? その罪を問うてしかるべき処罰をせねばならないんだろう。任務の邪魔をしてすまなかったな。さあ、もう行きたまえ。卿の持つ清涼なる正義感で、見事にこの一件を治めてくればいい」
 松永が背を向けて、現れたときと同じように唐突に姿を消す。
「はぁ、は、はぁ、は」
 荒い息を吐き、脂汗を額に滲ませた幸村は、がくりと膝を崩れさせた。
 ――そもそも、一揆が起こるというのは、民が飢えて食料を求めてのことだ。それを制圧するなど、おかしいとは思わないのかね。
 松永の言葉が、幸村の魂を揺さぶる。一揆など起こしてはならぬことと、速やかに首謀者を諌めねばならぬと意気込んでいた心が、その大きさと同じ分だけ松永の言葉を膨らませて幸村を苛んだ。br> ――彼女たちに、生活の糧を与えてやんなよ。
 かつての佐助の言葉が追い討ちをかける。
 ――しらばっくれんなよ! 米を奪って腹をくちくしたら、次は女を食うのが当たり前なんだろう。えらそうに刀を振り回して、言うことを聞けば守ってやるって脅して! おまえらの戦に、おいらたちを巻き込むなっ!!
 ひりつくような子どもの声が胸に刺さり、幸村は地に両手を着いた。
「俺は……っ」
 肩を揺らしてあえぐ幸村の姿を木陰から眺める松永は、新しい玩具を見つけた子どものような無邪気さで呟いた。
「卿からは、その清廉さをいただくとしよう」
 松永の背後で、黒い翼が揺らめく。
「しっかりと見届けるために、卿の働きには期待をしているよ」
 背中越しに松永が声をかければ、翼は森の空気に溶け消えた。

続き→

2013/10/27



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