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生業 1

 山を駆けるのは、地形を体感として覚えるにも役に立つし、足腰を鍛えることにもなる。野性に気を配る事で、戦の折に相手側の動きを察知する感覚も養われる。ゆえに、甲斐は武田の猛将、真田幸村はこの鍛錬を好んで行っていた。彼の得手とする槍は、うっそうとした森では不利な武器となる。けれどそれを克服する事により、混戦となった場合でも間合いを自在に扱える戦いを可能にすることが出来る。なので、幸村は槍を手にして木々の間を駆けている。
 獣の気配を探し、捕らえる事が出来れば夕餉の膳に乗せられる。肉を干して燻し、兵糧とすることも出来る。まさに一石二鳥の鍛錬であった。
 耳を澄ませ、意識を研ぎ澄まし、幸村は草を蹴り岩に飛び乗り、時には木の枝から枝へと移りながら、獣の気配を探して走る。
 ふ、と幸村の視界に茶色の丸いものが映った。わずかの間に、それがメスのキジだと判じた幸村は、木の幹を蹴って速度を殺さず方角を変える。キジの肉は美味だ。敬愛するお館様――武田信玄への良い土産となる。
 胸を勇躍させて、幸村は槍の柄を握りなおした。
 ヒュ――
 幸村の耳に、何かが空を切る音が届いた。踏み出した足を土にめり込ませ、前に進む勢いを止める。その音が何かと判じる前に、目の前でキジの首が不自然に曲がり、倒れた。
「なっ」
 瞠目した幸村の目に、倒れて動かぬキジが映る。周囲に気を配ってみるが、これといったものは感じられない。目の前で、いったい何が起こったのかわからずに、幸村は慎重に足を踏み出しキジに近付いた。周囲に目を配ってから膝を着き、キジに触れる。キジは、見事に仕留められていた。
「これは、いったい」
 キジを抱えて周囲を見回して見るが、やはり何の気配も無い。耳が捉えた空を切る音をさせた何かが、キジを仕留めたのだろうと思うのだが、それらしい道具は見えない。獣の仕業かと思ったが、それらしい感じもない。
「ふうむ」
 首を傾げた幸村は、キジを掲げた。
「これを仕留められたは、どなたにござるか!」
 幸村の上げた声が、草木に吸い込まれきるまで待ってみるが、やはり気配は無い。ふうむとキジを見た幸村は、それを草の上に置いた。幸村は、自分が仕留めたのではない獲物を、持って帰るということが出来ぬ。
「どのような手段にて仕留められたのかは、わかりもうさぬが、見事にござった! 某は、別の獲物を探すことといたしまする」
 もう一度、声を響かせた幸村は頭を下げてその場を去った。
 幸村の姿が十分に見えなくなってからも、たっぷりと時間を置いて、草の中に身を潜めていた、キジを仕留めた者が姿を現した。周囲を見回し、そっとキジに近寄った者は、まだ子どもであった。すらりとした体躯をしているのは、食事が足りて無いように思えるほどに細いが、ギスギスした感じがない。それは皮膚の下に十分にしなやかな筋肉を宿しているからだった。ぼうぼうと乱れた髪に、土に汚れた顔。衣も垢にまみれている。
 子どもは幸村の去った方角に顔を向け、キジを拾い上げた。彼の腰には何かが入っているらしい巾着があるが、武器らしいものは身に付けていなかった。
 子どもはキジを眺め、幸村の去った方を見て、ふんと鼻息を漏らしてから草の間に姿を消した。

 ふうむ、ふうむと夕餉を租借しながら考え事をしている幸村に、彼の忍であり世話係のようでもある腹心、猿飛佐助が首を傾げた。
「どうしたのさ、旦那。さっきから、御飯に対して上の空だよ」
「うむ」
 話しかけられたから、条件反射的に返事をした、という態の幸村は、ふうむふうむと不思議そうな息を漏らしながらも、佐助に向かって空になった茶碗を差し出した。受け取った佐助が御飯をよそい、幸村の手に返す。
「ちゃんと、何を食べているか認識しながらじゃないと、力がつかないぜ」
「うむ」
 まったく、という言葉が聞こえそうなため息を洩らして、佐助が膝を進めて幸村との距離を縮める。
「どうしたのさ、旦那。狩りの時に、なんかあったの? 不穏な事があれば、調べないと。何かあってからじゃ遅い場合もあるんだしさ」
 佐助のその言葉に、幸村がやっと意識を佐助に向けた。
「妙な事があったのだ」
「妙な事?」
 うむ、と頷いた幸村が、茶を啜って口の中をきれいにする。
「キジが、首を折って倒れたのだ」
「もう少し、わかりやすく説明してくんないかな」
「キジを見つけて追っていたら、何かが空を切る音が聞こえたのだ。追う足を止めれば、キジの首が何かに当たったように曲がり、倒れた。誰かいるのかと思うたのだが、何の気配も感じられぬ。近付いてキジに触れて見たが、血を流しておらなんだ。なれど、見事に仕留められていた。周囲を見回したが、仕留めるに使ったらしいものは見当たらぬ。獣の仕業とも思えぬ。そこで、俺は声をかけてみたのだが、誰も出てこなかったのだ」
 幸村の話を頷きながら聞いていた佐助の目じりが、警戒に光った。
「旦那が気配を感じられないなんて、妙だね」
 忍を腹心としているからか、生来のものなのか、幸村は気配に敏い。
「なれど、何も感じられなかった」
「うん。疑っているわけじゃないんだよ。……声を掛けても、返事は無かったんだよね」
 うむ、と幸村が頷く。そっか、と佐助がアゴに手を当てた。
「空を切る音。仕留めた道具が見えない。旦那が気配を感じられない、となると、どっかの忍が山に潜んでて、たまたま旦那と同じ獲物を狙った……って考えるのが自然だろうけど。それらしい道具が無かったっていうのが、ひっかかるな」
 うむ、と幸村が頷いて腕を組んだ。
「まったく、不可解な事だな。佐助、あれはよもや山の神か何かだったのではないか」
 この時代、万物には命が宿ると信じられており、怪異が身近であった。それゆえ、自分の能力を過信しているわけではないが、幸村は自分が気配を感じられなかった相手は、そういう人智を超えたものの仕業なのではないかと考えた。
「そうだったら、いいんだけどね。万が一ってこともある。――旦那。悪いんだけどさ、これからしばらく、山の中を走り回ってくれないかな」
「それは、頼まれずとも鍛錬で行うつもりでいるが?」
 戦場では紅蓮の鬼と称されるほどの猛将でありながら、そのあだ名が似合わぬ無垢な瞳を不思議そうに丸くして、幸村が首を傾げる。
「ああ、そうか。そうだね。危ないから止めなさいって言っても、行かないような人じゃなかったよね、旦那はさ」
 やれやれと疲れたように息を吐いた佐助に、幸村が怪訝に眉根を寄せた。
「ああ、いいよいいよ。うん。それじゃ、旦那はいつもどおりにしておいて。ただ、走り回る場所は今日、巡った付近にしておいてくれる?」
「何故だ」
「キジを仕留めた謎の相手を見つけるためさ。旦那は、走り回って獲物を奪いあってくれればいい。その見えない相手は、俺様が捕らえるから」
 佐助がニッコリとして、主を囮に使うという意味の言葉を気負うことなく口にした。それを幸村はなんでもない事のように頷いて、わかったと返す。普通の主と忍であれば、そのような事はあり得ぬやり取りのはずであったが、この二人はその限りではない。それほどの間柄であった。
「しっかし。旦那の目にも武器が見えなかったってのは、気になるね」
「何かがキジに向かって飛んだということはわかったのだが、落ちているはずの武器らしきものが、見えなかったのだ」
「武器らしきものが、見えない」
 ふうむと佐助が指を規則正しく動かして、唇を軽く叩きながら考えはじめたので、幸村は中断をしていた食事を再開した。今宵の膳は、あの後に幸村が仕留めた鹿の肉を使った汁と山菜の和え物、漬物であった。ポリポリと小気味よい音をさせて、幸村が漬物を食む。その味に満足そうに口元をゆるませた幸村から、思案げな気配は一掃されていた。佐助に話し、彼が究明をするというのであれば、必ずこの不思議は解決されると、幸村は確信していた。彼は、彼の忍の優秀さを微塵も疑っていなかった。

 その翌日から、幸村は腰に握り飯をぶら下げて、朝から日暮れまで山を駆け続けた。それを、佐助が少し離れた場所から監視する。
「ほんと、とんでもない体力だよねぇ」
 山の獣もかくやという跳躍力で岩場を駆けぬけ、その速度を落さぬままに、獲物の気配を感じれば方向を変える。槍の柄の握りを巧みに変えて間合いをはかり、狙う相手が苦しむ間を持たぬ早さで確実に仕留める主の姿を、佐助は少し誇らしげに眺めていた。
 佐助の、主の力量見学のような日々が過ぎるだけで、肝心の求める相手が出てくる気配は無い。自分以外に誰か山を走らせて探らせようかと、ほんのわずかに思い浮かんだが、山は広い。膨大すぎる山にいる、人ひとりを探すことは途方も無い。現状の作戦以上に有効な方法は、思い浮かばなかった。
 およそ現実的で無い方法を思い浮かべてしまうほど、動きの無い日々が続き、幸村の仕留めた獣肉が毎夜の膳に上り続けるようになって、十日と数日がたった頃。
「ぬっ」
 駆ける幸村の耳にも、佐助の耳にも、何かが空を切る音が届いた。幸村が体を反転させて向きを変えるより早く、佐助が音のした方角へ吹く風となる。
 声を出せば相手に感づかれると、普段は猛る叫びを戦場で響かせている幸村は、無言で身を低くして足を急がせた。その目に、佐助が軽く手を上げる姿が映り、足を止める。
「佐助」
 呼びかければ、微笑んだ佐助は自分の足元を示して見せた。
「な、なんと!」
 そこには、薄汚れた子どもが意識を失って倒れていた。
「殺しちゃいないぜ。怪我も、させてない」
「無益な事はせぬと、わかっておる」
 さわやかに信頼を口にした主に、佐助は困ったような照れたような悲しむような、妙な色を笑みの形に整えてみせた。
「それで、この子どもをどうするつもりだ」
「ううん。見たところ、ひとりっきりっぽそうだし。とりあえず屋敷に連れ帰って、話を聞いてみる事にするよ。何も話さなかった場合は、ちょっと手荒な事をするかもしれないけど」
 佐助の気配が、ほんのりと薄暗い闇を滲ませる。それを抑えるように、幸村が佐助の肩に手を置いた。
「話を聞く時は、俺も座を共にするぞ」
 いいな、と目に力を込めた幸村は、だめだと言っても聞きそうに無い。呆れと迷惑そうな気配を含んだ息を、佐助がそっと吐き出した。

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2013/12/01



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