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風にあそばれて

 正月になれば、ひとつ年をとる。誕生日を祝う、という概念は強くない。記録としては残すかもしれないが、一月に生まれても、十二月に生まれても、正月が来れば同じ日にひとつ年をとる。
 けれど、海の向こうの国では、生まれた日に年をとるのだという。生まれてきた日に感謝するのだという。なので、祝いをするのだと。
 生まれた日に感謝する、という言葉が佐助の脳裏に張り付いている。
 生まれた日に感謝する。産んでくれて、ありがとう。育ててくれてありがとう。育んでくれた全てに感謝。
 つまりは、そういうことらしい。佐助は、それなら誕生日を迎えた者が祝われるのではなく、周囲に感謝を示す日ではないのかと思った。
 南蛮人の言葉を、そのように受け止めた佐助は、誕生日を祝うと言うのなら、生まれてきてくれた日に感謝する。生まれてきてくれて、生きていてくれて、ありがとう。そういうことなのではないかと心に浮かべ、無駄な知識がついちまったな、と記憶の底に乱雑に、ポイと捨て置いていた。それをふいに思い出した佐助は、ふらりと市に足を向けて、店先に視線を投げながら歩いていた。
 生まれてきてくれたことに、生きていてくれることに、祝福を。
 それが、佐助の意識に引っかかっていた。
 市を流した佐助は、これといったものを見つけられず、ふうと息を吐いて街道へ出る。どうして自分はこんなことをしているのだ、と思いながら祝福をするにふさわしいものを探している。今日が産声を上げた日である人の笑みを、心に抱きながら。
 戦国の世。子どもが大人に成長する事は、当たり前では無かった。ある年齢までは「神の子」とされ、神が手元に戻す――つまり、命を失うことが少なくなかった。それより先の年になったとしても、戦乱の世では唐突に理不尽に命が奪われてしまうことがある。戦禍に見舞われなくとも、食うに困り命を落とすことも、ままあった。佐助の心に浮かんでいる人物は、食うに困るような身分の者ではないが、かわりに手に刃をたずさえ戦場を駆け回り、命のやりとりが日常である者であった。
 佐助もまた、彼とは立場が違えども、そういう者であった。
 真田忍隊隊長、猿飛佐助。
 自分が人であれるのは、ひとえに主である真田幸村の存在があるからだと、思っている。
 佐助には、屠る相手が人ではなく猿に見えていた時期があった。猿に見えれば、言語もまた猿のものとして耳に届く。何を言っているのか、佐助にはわからない。ただ、その獣を肉塊とする。それだけだった。
 自分の目がおかしいのではなく、忍というものは、そういうものだと思っていた。心など必要ない。命じられた事を遂行する。ただ、それだけの生きた道具。屠る相手が猿に見えるのは、むしろ好都合とさえ思えた。殺していい相手と、殺さなくてもいい相手がわかりやすい。猿は全て屠る。それだけだった。
 そんな佐助をどう思ったのか、当時の忍隊の長は、佐助を一時、血なまぐさい任務から遠ざけた。奇異の目で見られていることを、佐助は認識していた。けれど、意に介する事はなかった。与えられたことを遂行するだけ。道具は、用途によって使い分ける。それだけのはずなのに、子忍であっても暗殺など血なまぐさい任務を遂行できる、並みの忍以上の力量を自負していた佐助は、そういう仕事から自分を遠ざけた当時の長を、愚物と見た。道具は使ってこそ。忍は、飾り刀ではない。子忍であるからこそ、相手の油断を誘うことも出来るというのに。子忍でこれだけの腕を持つ自分を使えば、楽に片付くことも多々あるであろうはずなのに。
 けれど佐助はそれをおくびにも出さず、粛々と従った。外された事に不満があったわけではなかった。ただ、使える道具を使わないことに、呆れていた。
 そしてあろうことか、幼君の子守に自分を抜擢した事に、呆れる気すら失せた。
 弁丸という名の幼君は、どんぐりのような眼をして、紹介された佐助を見た。紅葉のような手を伸ばし、胸をそらして「よろしくたのむ」と笑った彼に、佐助は何の感慨も浮かべず頭を下げた。
 あの時の自分の感情は何だっただろうと思いかけ、佐助は苦笑する。感情も何も、持ち合わせていなかったことを思い出した。ただ、与えられた任務を遂行する。忍とは、そういうものだ。使いどころを主が間違えたとしても、おとなしく使われるもの。鉈で畑を耕すようなものだと思いつつも、佐助は弁丸の傍に仕えた。抜擢の理由は「年齢の近い者が、屋敷には佐助しかいなかったから」と聞かされている。けれど裏向きの理由があるのだろうと、佐助は踏んでいた。忍風情を子守にするなど、聞いた事が無い。いくら武田忍は他所の忍よりも人扱いをされていると言っても、忍は忍だ。人扱いをされるというのは、忍の意思である程度は自由に動けるというだけのこと。同等に扱われている、という意味ではない。
 やわらかく丸い幼君は、そんなことはおかまいなしに佐助を傍に侍らせ、どこに行くにも連れていく。まだ年端も行かぬので、忍というものを理解できていないのだろうと、佐助は判じていた。下賎の者である忍によく懐き、屈託なくまとわりつく弁丸は、子どもの扱いのよくわからぬ佐助を何故か気に入ったらしく、何かあればすぐに「佐助、佐助」と声を上げる。侍女が「睦まじい兄弟のよう」と戯れた時など、嬉しげに自慢げにしてみせたことがあるほどだ。言う侍女も侍女だが、得意げに鼻を鳴らす弁丸も弁丸だ、と佐助は呆れた。ここには、愚物しか居ないのか。これほど切れ味の鋭い刀を持っておきながら、包丁程度にも使わず、さびつかせてしまうつもりなのか。
 けれど、まあ、いい。忍は、与えられた任務を遂行するものなのだから。幼君の子守を命ぜられ、幼君が懐いているのであれば、使い道としては間違っていないのだろう。玩具ではないものを玩具にするのが、人というものだ。自分は弁丸の玩具として、適当だったのだろう。
 そう思いながら、佐助はいつ別の任務に出されてもいいように、弁丸の勉学の時間、鍛錬の時間など自分以外の誰かが彼の世話を見る間は、自己の技を磨き知識を増やすことに費やしていた。
 なので、弁丸がどのような知識を持ち、力量がどれほどであるのかを知らずにいた。興味も無かった。ただ、守れと言われれば守ればいいだけのこと。ふんわりとした幼い主が、大人とマトモに張り合えるわけが無い。自分が子守に命ぜられたのは、もしや弁丸がかどわかされたり襲われたりしないようにという、弁丸を無駄に怯えさせず、かつ相手を油断させるための策なのではないかと、いつからか佐助は思うようになっていた。
 弁丸は散歩に出れば、ふわふわと目に付いた気になるものの所へ行ってしまう。鳥を見つければ追いかけ、野花を見つければ立ち止まり、川のせせらぎに耳を傾けながら、水面にはじける陽光を飽きもせずに楽しげに眺める。警戒心というものが欠落しているとしか思えぬほどの奔放さで、弁丸は好き放題に動く。危機管理能力が欠けている、と佐助は思っていた。これがいずれ刃を手に戦場へ出られるのかと、呆れるほどだった。
 昔のことを思い浮かべながら街道を進む佐助は、道の脇に目を留めた。真っ白な雪に覆われた森の、木の周囲が丸く溶けている。そういえば、今日はちょっと温かいなと、佐助は空を見上げた。けれどまた寒さが戻り、温かくなり、寒くなり、雨が降り、春の気配が近付いて、そろそろかと思う頃に、山は命を炸裂させるように唐突に春の様相となる。春がくれば田畑の準備が始まり、戦の準備も始まる。雪に閉ざされる時期は、命を脅かすほどに厳しいが、戦場のような血なまぐささは無い。透明で無臭な、ひたひたと迫りくる恐怖のような厳しさがある反面、それを追い払うように温もりをかき集めて、ひっそりと過ごす穏やかさも持ち合わせていた。
 けれど、わずかの油断が命取りとなる。こうして、ふいに冬の割れ目に春が顔を覗かせる日は危険だ。ゆるんだ雪が凶器に変わる。
 佐助はふいに、口元になつかしみを浮かべた。
 弁丸は、寒さをものともしない子どもだった。火鉢の傍で綿入れを羽織り、ぬくぬくとすることは無く、薄着で雪の上を転げ回り、何が楽しいのか歓声を上げてはしゃぐ。雪に衣を濡らし、時には素足のまま雪の上を行くので、始めてその姿を見た佐助は頭の弱い主なのだな、と思った。庭で犬コロのように一人で走り回る弁丸を、佐助は濡れ縁にあぐらをかき、眺めていた。すれば弁丸は雪の塊を握り、佐助の膝にまろび来て、嬉しそうに「雪だぞ、佐助」などと言う。見ればわかる、と言いかけた唇を一旦閉じて、そうですねぇと返事をすれば、顔をクシャクシャにした弁丸は、また走り回る。
 こんなのが将来、立派に戦功を上げられるようになるのかと、佐助は呆れた。それと同時に、だから自分が傍に付けられたのだとも思った。
 そんなふうに、佐助にとってはひどく退屈で、けれど嫌いではない日々が過ぎていった。
 弁丸の傍にいるのが当たり前となった頃、人手が足りぬというので、佐助は久しぶりに血なまぐさい任務を負うことになった。あれこれと画策している相手を、ひっそりと亡きものにする。それは佐助にとって、難しくも何とも無い任務だった。自分ひとりでも十分だと思えるほどに。
 忍としての仕事があるからと弁丸に出立の挨拶をし、屋敷を発った。目当ての場所までは、移動に三日ほどかかる距離だった。急がなくとも良い、と遂行猶予は十日も与えられていた。それなのに、佐助は我知らず足を急がせ他の者らに不思議がられた。さっさと終わらせたほうが、他に何かあった時に対応が出来る、と佐助は答えた。だが、それだけが理由では無いことを、佐助は自覚し戸惑っていた。離れると、妙に弁丸の事が気になりだしたのだ。佐助を送り出すとき、不安そうに眉を下げながらも、主らしく振舞おうと胸をそらす弁丸の姿が、頭から離れなかった。そして佐助は二日ほどで目的の場所に着き、狙う相手の姿を目にして愕然とした。――相手は、人の姿のままであった。
 佐助はその時、初めて「人を屠る」という経験をした。今までしてきたはずのことであるのに、鉄臭くぬるついた血の感触が、洗い落とした肌身にまとわりついている。子どもであっても、骨の髄まで忍であった佐助は、動揺を表に出すようなヘマはしなかった。予定よりも早く任務を終えた佐助は、目に見えぬ血のりを手のひらに見て、弁丸の前に出る事をためらった。体のどこにも現実の血液など、ついていない。今までも幾度となくしてきた行為であるというのに、どうして今更、と佐助は自分の変化を受け入れられなかった。
 いくら待っても、帰ってきているはずの佐助が顔を出さぬので、業を煮やした弁丸は、自ら佐助の元へ出向いた。それから逃れることもできず出迎えた佐助に、弁丸は安堵したように顔をクシャクシャにして、紅葉のように小さく、温かく、ふくよかな手を伸ばして佐助の頬に触れた。――おかえり、佐助。
 その時の事を思い出し、佐助は目じりをゆるませた。幸村は、あの時の事を覚えているだろうか。あの瞬間、佐助の居場所は、帰る場所は、彼となった。無言で涙をこぼす佐助を、小さな主は笑みを浮かべたまま撫で続けた。あれがどういう意味であったのか、どうして屠る相手が猿に見えなくなったのかは、わからない。わからないが、あの瞬間に、佐助は何故か救われた気持ちがした。胸に温かなものが差しこみ、何かを溶かしていくのを感じた。溶けたものは、全て涙となって流れ出た。それから佐助は、心から彼に仕えるようになった。
 覚えているかな、と佐助は青年となった主の笑みを思い浮かべる。危ういところも、目に入ったものに一直線になってしまうところも、変わっていない。けれど彼は勇猛で知られる武将に育った。
 純朴な紅蓮の獣。真田幸村。
 まだまだ目が離せないな、と佐助はひとり笑みを深め、行き交う人もない街道を進む。雪が落ち着くまで、よほどのことがないかぎり商人は旅をしない。命を危険に晒してまで、商いをしようという剛の者を、すくなくとも佐助は今まで見た事が無い。なので、街道の先にある茶屋は閑古鳥が鳴いているはずであるのに、佐助の目には、くゆる煙が見えていた。
 二階に主らが住んでいるので、煙が上がっていても不思議は無い。だが、夕飯の仕度をするにしては、早すぎる。暖を取るために火を熾しているにしては、煙の量が多い。客がいるのか、とわずかに警戒をして足を速めた佐助は、すぐに気配を解くことになった。
「おお、佐助」
「旦那、何やってんのさ」
 茶屋の奥にある火鉢の前に、幸村の姿を見つけて佐助は呆れた。
「うむ。鍛錬のため、走りこみをしておったら腹が減ってな。主に無理を言って、団子を頼んだのだ。ここの団子は、絶品だからな」
 屈託無く笑う幸村の言葉に、いつもありがとうございますと茶屋の主が返事をする。
「ついでに、お館様やお前に土産をと思い、材料のあるだけ蒸してくれと頼んだのだ」
 少し照れて言う幸村に、佐助が首を傾げた。
「南蛮では、生まれた日に導いてくれた者らに感謝をするのだろう? ならば、お館様とお前に、感謝を示そうと思うてな」
 ぽかん、と佐助は口を開けた。まさか、幸村がそんな事を考えていようとは。
「え、いやいや。大将はわかるけどさ。なんで俺様?」
 本気で問う佐助に、幸村がきょとんとまたたく。
「幼き頃より、俺を育て導いてくれたは、お前ではないか。いつも、苦労をかけてすまぬな」
「へっ」
「まだまだ、不甲斐ない主だとは思うが、これからもよろしく頼む」
 幸村が頭を下げて、佐助は慌てた。
「いや、いやいや、ちょっと旦那。やめてくれよ。頭を上げなって、ほら。俺様、忍だからそんなことする必要ないからさ」
「忍だとか、そのようなことは関係ない。感謝を示すは、当然だろう」
 何をそんなに慌てているのかと、幸村が本気で不思議がる。危ういほどの純朴さに、佐助は苦笑しつつ鼻先を掻いた。胸の奥から、むずがゆい温もりが湧きあがってくる。
「ああ〜、うん。まあ、そういうんならさ。もうちょっと、しっかりしてくんないと。俺様、苦労しっぱなしだからさぁ」
 照れくささをごまかそうと、佐助が軽口を叩けば、幸村はそれを本気と受け取った。
「ぬぅう。すまぬ、佐助」
「ああ、もう、いいって、いいって。そんなことよりさ、旦那。今晩、何食べたい?」
「ぬ?」
「南蛮では、誕生日のお祝いってのをするんだろ? だったら、お祝いに旦那の好きなもの、作ってあげるからさ」
「まことか! うぅむ、なれば……」
 真剣に悩みはじめた幸村に微笑む佐助の鼻を、団子が蒸しあがるふくよかな香りが撫でた。豊かでやわらかく、ほんのり甘いその香りに包まれながら、佐助は胸中で語りかける。
 生まれてきてくれて、生きていてくれて、ありがとうね。旦那。


2014/02/02



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